goo blog サービス終了のお知らせ 

Kanaheiのデンマーク生活

糖尿病の勉強をしたくてきたデンマークでの紆余曲折な生活を日記として残しています。

そーるぶぁい、と読みます。

2006年06月30日 | ご報告
 こんなところでこういうことをすると「ああ!なんて無謀な!」と思われてしまいそうですが…

メールアドレスを変更したいと思いまーす。

solvej45@hotmail.com

でございます。

 一応はお知らせメール(アドレス帳にある人のみ)送りましたが、後はめんどくさかったので。ふふ。

 そんなわけで以降、よろしくお願いします。



 ああ、どうかいじわるメールが来ませんように…。

なが~い散歩

2006年06月30日 | ベビーシッターの話
 今日はヤコブと3時間もの長い散歩へ行って来ました。

 まず海岸沿いの道を通ってクランペンボア海岸へ。そこで持って来た砂場用玩具で山を作ったり穴を掘ったりして遊び、その後また海岸沿いを歩いてクランペンボア駅へ行って電車を見て、さらに進んでDyrhavenを通って家路につきました。
 これがまっすぐ歩ける人との散歩でもけっこうな距離なので疲れますが、あっちへちょろちょろ、こっちへちょろちょろなヤコブなので、もうへとへとです。「疲れたーもう歩けないーアイス食べたいー」というヤコブをなんとかなだめすかして先に進めるのも、一瞬目を離すと車道に出て行きそうなので常に見はってなければいけないのも、疲れます…。

 まあでも、冬のように寒くて暗くはないので、ヤコブののんびりな歩みに合わせてのんびり歩き、景色はきれいなデンマーク一リッチなエリアだし、気分転換にはいいのかもです。
 
 本来だったら今日でおしまいだったオペア、来週まで継続です。



砂浜で遊ぶ彼。あご、若干しゃくれてます。



駅のそばで電車が通るのを待つ彼。



森の中でおどけてみたり。

だます女

2006年06月28日 | デンナースへの道
 今日ヨナスと銀行へ赴き、学生ビザ申請に必要なヨナスの貯金と私の貯金を足した「見せかけ100万円預金残高証明」を作りに行きました。

 まず初めに、ATMで私のシティバンク口座から現金を引き出したのですが、銀行の場所がノアヴェスト(ノアブロ内で最も危険なエリア)だったこともあり、大金を抱えて心臓バクバク、目はキョロキョロ、何も悪いことはしてないのに不審者に見られやしないかとかえって挙動不審な振る舞いです。そして引き出したお金をデンマークの銀行口座に入金しようとピンコードを押したのですが、緊張および焦っていたためか、クレジットカードのピンコードを間違えて押しており、しかもそれに気付かず何度も繰り返し間違った番号を押したため、3度目になんとキャッシュカードを没シュートされてしまいました!!!飲み込まれたカードは明日にならないと帰って来ないそうです…ひ~。

 まあ、カードはないけど、とりあえず窓口で手続きできるので窓口へ行き、「すいません、カードが飲み込まれちゃったんです…」と言うと「え?!何したの?」と。いきなり怪しい話の切り出しで始まり、続いてヨナスが「彼女の口座に僕のこの預金を入れたいんです」と伝えると、窓口の女性が(何か訳ありね?)という表情に変わりましたが、IDカードもろもろ確認され、なんとか無事に100万円の残高証明を作ってもらえました。
 しかし手続きを待っている間はなんともいたたまれない気分でした…。絶対に「この地味なデン人男は、きっとこの中国女(私は100%中国人に間違われる)に金をだましとられてるんだわ…かわいそうに…」と思われているに決まってます。しかもヨナスが本気で心配そうに「明日お金返してくれるよね?ね?!」と言うので(本気で信用されてないのかとこっちが心配になった)、疑惑はますます深まったことでしょう。

 とにかく、残高証明もそろい(ATMレシートの方がましかというほどのちゃっちー証明書)、その他もろもろの書類と、もちろん、例の看護学校へも提出した「私ナースとしてやる気あるけん!がんばるけん!」という手紙もそえて、その足で移民局へ提出して来ました。夏休み中でいつもより働く人が少なく、かつ9月から始まる大学など各種学校へ留学予定の学生へのビザ発行で大忙しなのは重々承知ですが、どうか一日も早くビザが発行されますように…。

外国人配偶者に厳しい法案可決

2006年06月27日 | デンマーク暮らしの知識
 先週の記事でもうご存知の方も多いとは思いますが、これを読んでらっしゃる方の中にもまだ知らずにいて「ただごとではない」かもしれないニュースなのでちょっとご紹介。

 先週、Dansk Folkeparti(極右政党)によって出された法案が議会で可決された。内容は「今年の7月より、デンマーク人と結婚する外国人配偶者に対し、生活保護や年金など国からの手当、および永住権を得るためには”最低2年半のデンマークでの労働経験があること”と、”デンマーク社会および文化に関するテストに合格していること”が条件として課せられる」というもの。
 これは外国に長期間住んでいたデンマーク人の配偶者にも同様に課せられるもので、例えば、コペンハーゲン内の家賃が高くてスウェーデン南部の都市マルモ(電車で30分ほど)などから通勤している人(配偶者)も含まれる。
 これまでの法律では、デンマーク人と結婚した外国人配偶者に対し「結婚後最低7年デンマークに在住していること」、「デンマーク語検定PD3に合格していること」が満たされていれば永住権が与えられていたが、これに今回可決された法案が加わることになり、外国人配偶者への永住許可条件は厳しくなる一方である。

 私の通う語学学校ではこの「デンマークの社会と文化」の授業をデン人配偶者に向けて行っていますが、学校の先生曰く「こんなの難しくて普通のデン人だって合格できるかどうか」というレベルのものらしいです。とあるニュース特集でやっていたのですが、PD3も専門学校に通う20代のデン若者に試験を受けさせたところ、合格率はなんと60%。それを学歴も様々な外国人への最低条件として突きつけるというのは、けっこう厳しいものがあります。
 また、未確認なのでわかりませんが、ヨナス曰く、ある特定の国から来る外国人配偶者に関しては、まず自国でこのテストを受けさせ合格した人のみ入国できる、とかなんとかで、しかもその特定の国というのもいわゆる第三世界というところで、そんなところの人がこのテストに合格できるなんてまず不可能なことです。

 しかもです。デンマークでの正規社員としての2年半の労働経験って、つまりたいていの純デンマークな企業の場合「デンマークで働ける=デンマーク語ぺらぺら」が前提なわけで、正規雇用されるためには英語がいくら堪能でも+学歴+その筋の仕事での経験がなければデン人であっても難しく、つまり生粋のデン人であるヨナスですら今なし得ていないことが外国人に要求されるわけです(まあ、ヨナスに問題あり!という噂もありますが…)。外国人がこの国で仕事をやっと得て、それをこなしながら夜間コースなど語学学校へ通い、同時にデン社会&文化の勉強もしてテストに合格、文章ではこの大変さが今イチ伝わらないかもしれませんが、本~~~当に大変なんですってば!

 最近学校の先生が『イスラムはデンマークにとってプラスか』とかそういうアンケート結果の新聞記事をとりあげて、「こんなのは間違ってる!プラス、マイナス=役に立つ、立たないで人間をみていいはずがないわ!」と憤慨していましたが(そういう思想のデン人が語学学校の先生で救われます)、でも相変わらずデンマーク社会はそういう見方、方向へ進んで行っている感じです。

 でもノアブロ在住で色んな移民をみて生活し、語学学校でもちらほら耳にする「いかにデン人とデンマークをダシに肥えるか」というクラスメイトの議論などを聞いていると、やっぱりこういう法案が出ざるを得ないかな、とも思うし、でもやっぱり人として「役に立たない」から切り捨てるのもどうなのかと…。
 もしも私がパキスタンかどっかの人で、運命的に出会ってしまったデン人の男がいて、でもこの国からの要求を突きつけられあきらめざるを得ないとしたら、また逆の立場、自分がデン人だったとしても悲しいだろうなあ。デンマークでは教育やなんかが平等に与えられるかもしれないけど、そうじゃないところの方が実際多いわけで。しかも失読症とか軽度の障害がある場合はどうなるんでしょう?

 私自身は非常に運良く、デンマーク政府が出している「デンマークにとって役に立つ、優遇されるべき職業リスト(医師、看護師、エンジニアなど)」に載っている看護師なわけで、もし結婚しても通常と違って「経済的に自活できる職業」とみなされ5年ほどで永住権が出されるのだそうです(もちろん上記の新しい条件もクリアしなければいけませんが)。
 まあ確かに納める(であろう)税金の額から言っても、ただ結婚してパートナーのステイタスにぶら下がってデンマークの甘い汁を吸っている人もいるかと思えば、これくらいの有利な点があってもいいよね、仕事だってきついんだし…とコソコソ思っていますが、でも中には本当に不可抗力、本人の努力どうこうでどうにもならない状況で国が突きつける条件に満たない人もいるわけで、ちょっとそういう人もいるんだしこれ以上はちょっと勘弁よ、ピアちゃん(Dansk Folkepartiの党首、鬼)、という感じです。

父トーマス退院

2006年06月27日 | ベビーシッターの話
 金曜日に無事、心臓の造影検査を終え、トーマスが家に帰って来ました。松葉杖をつきつつ歩くことも出来、階段も一人で上り下りしています。ただちょっとのことでとても疲れるようで(痛み止めで眠いというのもあるんだろうけど)、今日は午後病院で検査結果や今後の方針を話し合って来たりし、ややぐったり気味。でも家族みんな(ヤコブ以外)から王様のように大切に扱われているようで、トーマスのベッドのまわりはぬいぐるみや呼び鈴のため?の打楽器などでゴージャスにしつらえてあり、しかも庭にまでリクライニングのソファー?ベッド?のようなものまで出現し、トーマスもそんな家族の元へ帰れて本当に嬉しそうです。

 ヘレさんから検査結果をさらっと聞いたのですが、まあけっこう専門的な用語が多くデン語ではちょっとわからず、かといって超ハイスピードな英語でもすべては理解出来なかったのですが、どうやらやはり心臓にちょっとした問題がありそうな感じなのだそうです。まだ確定診断がつけられるほどではないのですが、今後もう少し検査や様子をみて行く必要がありそうとのことで、しかもその検査のため心臓にICチップを植え込む?とかなんとか。そしてその手術が7月半ばに行われるそうです。

 トーマスは生まれてこのかた、自分の誕生日7月15日をサマーハウス(別荘)以外で過ごしたことがないそうで(うーん、育ちがわかる)、今回検査がその誕生日直前になりそうで、そうなるとそんな術後の身体でサマーハウスなんて郊外へ行くのはちょっと危険、でも頑固にも「僕は自分の誕生日をサマーハウスで過ごしたいんだ。別になにかアクティブなことをするわけでもなく、ただ静かなところで静養するんだし、家族だって夏休みにどこにも行けないのはかわいそうだ」と、心配するヘレさんをよそにサマーハウスを貸してくれるオフィスに電話をかけまくっています。そして夏休みに入っている今頃なんてどこもみんな売り切れで、トーマスまたもや悶々…。

 子供時代の夏休み家族との思い出なんて、熱海に温泉&海水浴くらいしかない一般ぴーぽー(それ以下?)な私にとっては「なにもそこまで…」と思えたりもしますが、でもデンマーク人にとって北欧の短い夏が、家族と過ごす時間が、伝統とも言うべき家族イベントがいかに大切なのか、あの必死なトーマスの様子をみてわかったような気もします。
 といってもやっぱり平民の私は「事故で車を一台なくし、相手にも賠償金を払い(保険でカバーしたのかしらないけど)、医療費タダだけど薬代はかかるし、夏休み明けも仕事に復帰できるかわからない状態なので、みんなで清貧で乗り切りましょう!」と自分が親だったら言ってしまいそうですが…。

大仕事デイ

2006年06月26日 | おもしろい人・おもしろいもの
 朝(といっても昼近く)どかーん!ばたーん!という音で目が覚めたのですが、中庭でなにやら人々がたくさん働いており、何かと思ったら今日は我々が住んでいるアパートの「大仕事デイ」でした。
 私達の住んでいるアパートは、普通の賃貸とも購入するアパートとも違う、「所有権を買う」アパートで、アパート所有権(物件によりけりだけどこのアパートは激安だった購入当時100万円くらい?)を買うとその後いつまでも住むことが出来、しかも家賃はアパート管理費(+このアパートでは水道費混み)として月々4~5万円くらいを支払うことになっています。そしてその管理費の中で修繕費などがまかなわれるのですが、業者に頼むと高いし、出来るところは住人でやろう!ということで、今日がその大仕事の日だったわけです。
 
 2週間前くらいからやるべきことが各玄関(建物が大きいのでそれぞれ表玄関がある)のボードに貼られ、そこにやりたいことも書き込めるようになっています(例えば中庭にお花をもっと植えたいとか)。まあ、それは暗に「この日はアパートで一致団結の日だから逃げたらあかんで~」というメッセージでもあるのですが。

 そんなことをすっかり忘れて昼まで寝こけていた私達は、物音で起きて「やべ~みんなもう始めてるよ」と、ヨーグルトでさっさと朝ごはんを済ませた後、働く皆さんに合流。中庭に出てみると、女性は草刈りや中庭にある共同ベンチのニス塗りなど軽作業をしているのですが、ヨナスと共に現れた私は「使われていない屋根裏物置(7階、もちろんエレベーターなんてなし)の荷物おろし」という、最も過酷な任務に就かされてしまいました。
 屋根裏にはたくさんの小部屋があり、中には所有者不明のスペースもあるので荷物を(勝手に見定めて)捨てて行くのですが、これがすごかった。このアパートが築70~80年近くということもあり、他の部分は改修が施されてはいるものの屋根裏はほとんど手つかずの状態。まず発見したのは、「戦時中の非常事態時、一般市民が自営活動などに参加するための物品が保存されている部屋」。デンマークが戦時中だった頃って、第一次世界大戦??鍵がかかっていて(じゃあ何のための非常事態物品だ)中が見れなかったのが残念でしたが、そんなものが未だに残っているのがびっくりでした。
 そして他の部屋からはやはり戦時中?かそのくらいの電話機や(見つけて感動していると他の人が「それで家に電話しなさい!」と)、もんのすごく古い新聞、レコードプレーヤーが発掘され、なんだかそんなものを博物館以外で目にしたのが初めてだったのですごく感動的でした(でも感動してたのは実は私くらいで、みんな窓から投げ捨てられていた…)。

 日がさんさんと照る真っ昼間の屋根裏での作業は、そういった掘り出し物の感動があってもなかなか過酷で、しかも初めは5人くらいいた助っ人がだんだん減っていき、最終的には私&ヨナスともう一人しかいなくなり、みんなどうしたの?!と思って窓から中庭を見ると、みんなビールとか飲んでる!!!!コラーーー!!!しかも私達が作業に加わった時から木に水やりや草刈り機をやっている女性達は、1時間以上経ったこのときもまだ同じことをしており、明らかにさぼってる!!!!いらねーだろ!そんなこと!草とかもともと伸びてないし!全身埃まみれになって働いてるのが馬鹿らしくなる景色がそこにはひろがっていました。
 そんなこんなで、不満も抱えつつなんとか屋根裏の掃除は終わり、他も一段落ついたところで誰かがピザを買って来て、ビールとともに中庭でみんなで食べました。普段目にする人もいれば、「え?こんな人いたんだ」という人もおり(むこうもそう思ってるだろうけど)、こんな風に交流を深めるのもたまにはいいかなあ、なんて思いました。

 そういえば昨日の頭痛、昨晩は寝ようと横になっていると間欠的にやはり左側頭部にビキッと痛みが走り(本当に電気が走るように同時に足とかまでビクッとなる)非常に不安だったのですが、今日もまだ昨日ほどではないものの仕事中も「ビシイッ」とプチ雷が落ちるように痛みが走ってました。今も何となく重い感じがあり心配なので、ちょっと明日もあるようなら病院にでもいってみようかなと思います。

早く寝ようと思ったのに

2006年06月25日 | 日本人って
 普段、頭痛とか起こることはほとんどないのに、今日はずっと左頭頂部~左側頭部~左前頸部にかけてビシッピキピキッ(電気が走るような)とした痛みが走ります。なんか左目も痛くて昨日は左目だけコンタクトレンズもつけられない感じだったのですが、なんなのでしょう?
 吐き気が起こるとか、めまいがするほどではないし(でもその痛みが走るときは「ぐわ!」と一瞬ふらっとする)、午後は鎮痛剤で少し治まっていたので心配するようなものではないのでしょうが、お酒も飲んでないのに眠くてしょうがない(夜はTVを観つつ2時間も寝てしまった)し、なんか変な脳の病気だったら…と気になります(普段病気をしないだけにこういう時心配性になる)。

 こんな時日本でだったらちょっと「まあ安心のために」と気軽に検査や診察へいったりできるのでしょうが、ここデンマークではそういうわけにもいかず、でもたいがい翌日から数日後には治ってたりするので「ちょっとぐらいは様子をみる」ことで医療費削減にもつながり、いいのかも…?
 病院にかかれないとなると予防に努めたり(といってもデン人の喫煙、食習慣は予防医学とは皆無だけど)、ある程度知識を収集して自分で対処できるようにしなきゃとも思うし、自分のなかで異常に対し「どこまで様子をみれるか」がわかるようになるのかも、と日本人もちょっと見習おうよ、と思えるいいところもあるのですが、でもそれが子供だったりするとそういうわけにもいかないし、うーんどっちがいいのかな。お金がかかっても安心のためすぐにかかれる医療か、無料でまわりくどい医療か。まあデンマークでも救急外来というものはあるので、いざ心配ならそこに駆け込めばいい話なんですけどね(ヘレさんは心配性なのでしょっちゅう救急外来へ子供を連れて行っている)。

 もし、もしも私がなにか大きな病気にかかって介護が必要となった場合、気になるのがやはり強制退国ということになるのでしょうか?まあそうなった場合母は絶対に引き取りに来るだろうし、ヨナスも絶対に面倒なんてみれないだろうから(結婚していないというのはこういう時の拘束力がない、ということでもあるのでしょうね)日本に帰るのは当然なのですが、そうなったら無念だろうなあ…。しかもあの「問答無用、弱者切り捨て」な日本の医療、福祉の中で生活していくのかと思うと、自分の国なのに不安になります。

 人生ほんと、いつ何時どんなことが起こるかわからないし、いつ死んでも悔いの無いように、なんて思うと「人は死に向かって生きている」という言葉も妙に納得できちゃったりもします。しかし問題は、そうそうぽっくり逝けるわけでもない場合だってあるわけで、そういう時にはなにが頼りになるんでしょう?やはり現実的にお金なのでしょうか。そういうと何だかあちこちから批判が飛んできそうですが、愛情とか家族とかそういうみんなに平等に与えられないもの(その人がいくらいい人だろうが愛情というのは非常に不平等なものだ)と違って、お金というものはそれによって環境やらサービスやらを整えることも出来るし、お金を作るまでには不平等もあるけどでも手に出来るものの中ではけっこう平等で便利なものと思います。
 デンマークの高福祉も俗に言われる「ゆとり生活」も、このお金の部分に支えられてるところが大きいわけで。この前訪ねたエグモントホイスコーレだって、コミューンや(たぶん)国からの補助金をかなりの額もらって経営しているし、あの「ゆったりのんびりでいいな~」というのもそういうところに起因しているのよね(もちろんそれだけではない、デン人やそこに集う人達の平等意識やなにかがあることを前提にして)、と。

 話はややそれますが、スローライフがもてはやされる中、日本では若干そういう「お金」な面を否定する部分が臭って来ますが、やっぱり霞食って生きてはいけないし、しかもそういう「スロー」だなんだと説く人に限って「お金」や「もの」なんかの恩恵を受けている人が多いようにも見えるので(そして本人がそれに気付いてない場合が多い)、まあそんなに否定しないでよ、という感じです。
 脱線ついでにもひとつ言わせてもらうと、この前とある人(仮にも某国大使館の商務部の方)がメルマガでW杯日本サッカーについて「競争の時代は終わりました(スポーツに限らず)」みたいなことを言っていて、アホか、と。行き過ぎの競争教育かなんかとかぶらせて考えてるのかもしれませんが、なにもスポーツでそんなこと言うことないのに…。だいたい競争の部分を全部否定してたら日本なんて生き残れないんじゃないかなー。

 そんなこと言ってる私も、デンマークで生活しているからこそそういう発言も出てくるのかもしれませんが、でも今、日本の友達(りこ、君のことだよ)がお金もゆとりも自然もバランスとれた生活をスタートさせているところであり、私にとって非常に模範的というか「ほらね、こういうことってちゃんとバランスもとれるのよ」と感心しつつ、彼女を見ている限り日本でも安心かも、と思えてもきます。現状批判からばかりのスローライフなんて、なんかくさいですもんねえ。

デンマーク高校生の卒業

2006年06月24日 | デンマークの四季と行事
 今日は夏至祭?かなんからしく、海岸や大きな公園では「魔女を燃やす」という意味で昔のドイツ流伝統のたき火(といってもけっこうでかい)が行われたようです。これを合図にデンマークは夏休みが本格的にスタートします。

 高校生達もすべての試験が終わってこの日いよいよ卒業式。みんな伝統の卒業帽をかぶって、飾り付けたトラック荷台に乗り、ビールを飲みつつ「フォオオオオ!!」と奇声を上げたり通行人に手を振ったりして街中を回ります。すれ違う車もクラクションを鳴らして「おめでとう!」と盛り上げ、私の語学学校そばのコンゲンスニュートウという広場は大変な騒ぎでした(写真:広場中央の銅像によじ上ったり、その周りを歌いつつぐるぐる回る高校生)。私も自転車からそんな彼らに手を振りつつ眺めていると、近くにいた観光客のアメリカ人らしき人は「Amazing!!」とやや憤慨。まあ初めてみたデンマークがあれだったら気持ちも分かります。私も去年は電車を占拠して泥酔している高校生グループをみて「世紀末だ…(?)」と思ったもの。




 デンマークの高校は、将来進みたい道によって取得すべき科目・試験が大まかに決まっているのですが、この伝統帽子もそのパスしたテストによって色分けされています。この卒業帽の伝統は1800年代から始まり、当時は黒一色だったそうです。そして真ん中には十字架の紋章が付けられているのですが、イスラム教徒やユダヤ教徒ではこれを他のマークに変えることもできるとか。ちなみに帽子の色分けは…
えんじ色(写真):デンマーク語をはじめとする語学、数学など一般高校教育修了
黒:ラテン語やギリシャ語など古典言語の試験に合格
コバルトブルー:経済などの科目が含まれる高等ビジネス試験?(hhx)に合格
コバルト&えんじ:えんじとコバルト両方を修了
紺色:ITや技術系科目を含む高等技術試験?(htx)に合格
水色:将来医学部や助産師を目指す人がとるべき理系科目メインの試験(hf)に合格
紫:基本的ビジネス試験(hg)に合格
帽子の帯の部分が様々な国旗:インターナショナルスクールでの卒業試験合格
といった感じです。このデンマークの制度は日本のように画一的にできていないので複雑そうにみえますが、自分の将来について高校のころからすでに見据えつつ勉強して行けるので、なかなかいいシステムだと私は思います。

 この試験にパスした後は、すぐに大学や専門学校など他の教育機関へ進む人もいますが、半分くらいの人は親に出資してもらって海外で生活してみたり(ヨナスはロンドンで1年レストランで働いた)、フォルケホイスコーレという私がはじめ通っていた全寮制の国民高等学校で好きなことを勉強してみたり、1年くらい充電期間を得るそうです。中には2年も3年も充電期間をとる人もいたりで、このへんがすごくデンマークらしい感じです。
 関係ないのですが、もうすぐオペアでのビザが切れるが、今後大学など行って勉強したいしデン人の彼とも一緒にいたい、で、彼にプロポーズしてほしいが彼は躊躇しているためイライラな日々、というクラスメイトのロシア人と学校の後話していた時、例の高校生集団のトラックが「ひょ~~~~!」と能天気に走り抜けて行くのを見て彼女、「何も悩みがなくていいわね…」とつぶやいており、ちょっとウケてしまいました。

 ともあれ明日から世間は夏休みです。

アイロニックな夕べ

2006年06月23日 | 日本人って
 たった今日本がブラジルにぼろ負けしたわけで。初めから期待も希望もない試合だったので、「はっは!やっぱりね!」と予想が的中したことに喜んでいると、ヨナスから「なんで嬉しいの?!」と。なんでそんな悔しいのよ…?

 「一点入れてブラジルを怒らせたりしなければ、あんなにムキになって点取られることもなかったかもよ?」とか「最初からブラジル遊んでるじゃん」とか「日本選手もきっとユニフォーム交換できればそれで満足なはずだよ。ほら、サポーターだって全然がっかりって感じじゃないじゃん(祭りが終わったという感じ?)」とか言いたい放題言ってる私です。

 今頃日本は早朝。もう出勤まで寝直す時間もない人々が、眠さに耐えつつ、朝のニュース番組(と言えるほどニュースなんてやってないけど)で、まるで戦時中のラジオのように「日本がんばった!イケてたイケてた!今後に期待!」とスーパーポジティブなスポーツキャスターの話を聞いて清々しさを取り戻していることでしょう。

 それにしてもTVで見る日本人サポーター達、みなさん実に滑稽な格好をしており(ちょんまげのカツラとか)またカメラもそういうのばかりをクローズアッップして映すので「もうやめて~!彼らを放っておいてあげて下さい!」という感じです…。

貧乏生活は続く

2006年06月23日 | デンナースへの道
 今日看護学校の先生と電話で話し、やっぱりSVUはもらえないということでした。SVUオフィスが言うように社会人経験+今も会社などに籍を置いている状態でないと、とのことです。がっくし。

 しかし先生は「でもね、どうせ3ヶ月しか学校に通わないし、12月からは病院でのトレーニング期間に入るでしょう?それが始まれば病院からナースとして全額お給料がもらえるし、3ヶ月だけでもがんばれないかしら?」と。え?!そうだったの?初めの8ヶ月くらいは学校に通うものと思って焦っていましたが、3ヶ月ならまあ、何とかならないこともないか…?無職だけど。
 何とかならないこともないけど、その間収入ゼロというのも厳しいし、ヘレさん家でお掃除のバイト(日給1万円程度)は出来るかもしれないけど、月4万円じゃ今より少ないし…。老人ホームのバイトも3ヶ月だけ(しかも主に週末のみ)では雇ってもらえるかどうか…。うーむ。長いようで短い3ヶ月。
 まあ、まだわかりませんが、バイトの話はちょこちょこあるので(ハーフのお子さんに日本語の練習相手として来て欲しいとか、お寿司屋の皿洗いとか)それをごっちゃにこなしてなんとか食いつないで行くか、短期で老人ホームで働くかなどその時に考えようと思います。

 しかし12月から実習に入ってお給料入っても1月…クリスマスどうしよう…(1年で一番出費がかかる)。