難聴者の生活

難聴者の日々の生活から、人工内耳など難聴者のコミュニケーション、聴覚障害者の制度改革について語る。

水谷修先生の講演を聞く

2005年08月27日 08時54分31秒 | 生活

050826_1552~001.jpg新潟県で第38回全国手話通訳問題研究集会が開かれ、一日目の記念講演で夜回り先生で有名な水谷修氏の話が聞くことができた。

実は、水谷氏のことは知らなかったが、帰宅して子供に話したら知っていると。
中高生の薬物汚染を防ぐために、教え子も動員して相談活動をしている。その活動を書いた著書は十数万部単位で売れているが、聞き間違いかも知れないと思うが、購入者の7割は中高生だと聞いた。
子供から16万通の暴走族や暴力団から足を洗いたい、薬を止めたいというメールに教え子たちと一緒に対応しているが、もう限界に近づいている、子どもたちが夜の世界に入る、非行に走るのは大人が悪い、毎日の大人の姿を見て、自分の価値が見えなくなり、逃げるところを求めているためだ。単に、薬はダメ、売春は止めろと言っても意味がないと。
子供には、10年先、20年先を見て、話をすることが重要だと聞いて、自分の子供に何と言っているか、反省した。

講演会の最後に、司会者の新潟ろう学校の教師の方が自分の学校のことを考えても大変参考になる話だったと感想を述べていたが、聞こえない子供のことをどれだけ身近に感じてくれる先生がいるだろうか。
聞こえない子供の苦しみは、親には心配かけまいとして、帰宅しても普通を装っているが心の中はずたずただった。それが盗みやマスターベーションに走ったり、感情を爆発させたりしていた。
自分の中学校時代の英語の授業では苦い思い出がある。教科書を1ページ暗記してくるのだが端から順に当てられてスピーチするが自分の番だけ飛ばされて最後になった。多分、宿題が出されたことに気が付かなかったのかも知れないと考えて、最後に回してくれたのかも知れないが自分にとっては屈辱に感じた。先生には、板書するとか聞こえなくてもわかる方法で伝えて欲しかった、他の子供と同じように扱って欲しかったと思うが、今になってみると先生もどう接していいのかわからなかったのだろう。

講演会の最後は、5分くらいも拍手が鳴り止まなかった。

ラビット 記




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