難聴者の生活

難聴者の日々の生活から、人工内耳など難聴者のコミュニケーション、聴覚障害者の制度改革について語る。

「障害者自立支援法」以降を考える

2006年10月08日 16時21分04秒 | 福祉サービス
東京手話通訳等派遣センターは、年二回「手話通訳議技術基礎講座」で講演会を開催している。
先日、2005年度と2006年度の基礎講座の講演がブックレットになったものが送られてきた。運営委員なので無料だ。「よろしくご活用ください」とあるので、毎冊徹底的に読み込むことにしている。

今回のは、弁護士の杉井静子氏の「憲法を考える」とDPI日本会議の障害者権利擁護センター所長の金政玉氏の「『障害者自立支援法』以降を考える」だ。
なぜ、手話通訳者がこうしたテーマで学習するかと言えば、自ら権利の主張がしにくいろう者を対象に通訳という権利擁護の活動に関わっているからだ。通訳者自身が権利意識を鋭くしていなければ、ろう者の権利は守れないし、現実の社会や政治の動きに敏感にならざるを得ない。
金氏は国連の障害者の権利条約の審議で、国連でもJDFの会議でも大変深いご理解を寄せていただいた方なので、真っ先に読んだ。

障害者自立支援法の問題点、支援費の急増による赤字を解消するための義務的経費という国の言い分も欧米諸国の中で国民所得の割合で言えば一番少ないと聞けば、何かお金の使い方を間違えていないのかと考える。

国会議場前項で指摘した介護保険法と支援費制度のことにも触れられている。障害者自立支援法の第一条の目的の「能力及び適性に応じ」は、介護保険の要介護度の考えがそのまま適用され、障害程度区分に介護保険の調査項目が約80点そのまま適用され、これに当てはまらない障害者は支援の対象外となる
ことに表れているとか、「自立した日常生活又は社会生活を営むことができるようにする」というが「社会参加の支援」とはどこにも書いていないとか、あらためて問題を理解した。

こうした学習は、コミュニケーション支援事業の有料化が図られ、権利擁護の要約筆記がスタートする今だからこそ、重要だ。

ラビット 記
写真は参院安倍首相施政方針演説の国会議場


コミュニケーション支援事業の有料化と福祉基礎構造改革

2006年10月08日 11時01分00秒 | 福祉サービス

秋の朝顔あちこちで、コミュニケーション支援事業が有料化の動きが出ている。
東京のH市でも、「(障害者)自立支援法は介護保険と同じで障害の種別を問わず、一定の負担をしてもらう」ことであると市の担当者が言っているそうだ。

障害者自立支援法の基の考えは、2004年のグランドデザイン案で、これが出て来た時は介護保険と支援費制度の統合が厚生労働省で考えられていた。介護保険制度は、国と自治体が国民に保障する社会保障から、サービスを受けるかもしれないために負担する保険に転換したものだ。その統合を目指していたので、負担の考えは用意されていた。しかし、与党からも慎重論が出て、障害者関係団体からの強い懸念もあって、統合は見送られた。しかし、考えは捨てられていない。
介護保険では、保険財政が好転せず、保険料の値上げとサービス対象者の限定、予防介護への切り替えなどが行われた。今では65歳以上でも負担料が月に4000円もかかるようになり、夫婦では1万円を越えることもあると言われている。その結果、サービスの利用の抑制が始まり、返って要介護になってしまう人も多くなっている。

介護保険の実態を見るまでもなく、障害者の負担が多くなればサービスを利用しなくなるのは当たり前だ。実際に施設を対処したり、利用しなくなっている障害者が多くなった。これは、コミュニケーション支援事業に限らない。
厚生労働省が、障害者自立支援法でコミュニケーション支援事業は地域生活支援事業は市町村事業なので、国は地方分権の考え方から負担をするかどうかは自治体の判断だと言っているが、自治体からすれば、介護保険、支援費制度で自治体の負担が大きくなっているので、取れるところから取る、H市のように利用する以上は負担は当然となるのは必然だ。

社会福祉基礎構造改革が、高齢者、障害者などのサービスを措置から契約に変えたこと、地域福祉に軸を移したことは評価されることかもしれないが、障害者の必要とするサービスが基本的人権の観点ではなく、財政状の問題、制度の維持という理由(名目)で「応益負担」とされることに強い危機感を持たなければならない。

鹿児島大学の伊藤周平氏(肩書き不明)の「社会福祉のゆくえを読むー介護保険・支援費制度統合問題の総括と『グランドデザイン』ー」はこの辺の問題を丁寧に論じている。
http://www.geocities.jp/nhwtb615/pd6117.pdf

ラビット 記


障害者の権利と「合理的配慮」

2006年10月08日 01時54分12秒 | 生活
しまりえさんという方が、障害者の権利条約のニュースを知らせてくれている。
「合理的配慮」についても、簡単で的を得た説明があるので紹介したい。
http://www.kenko-trendy.com/eldercare/001483.html


秋の花折しも、千葉県で障害者差別禁止条例が可決されようとしているが、その第八条にも「合理的配慮」が出てくる。
「合理的配慮」は、障害者にとっても行政や企業など環境整備者側とも鍵になる概念だ。過大な経済的負担や技術的困難があれば企業側などは拒否できるとされるが、何が差別となっているかを広く社会に明確にしなければ、合理的配慮が企業寄りになってしまう。従って、その基準の決定には当事者や障害者を理解した専門家の参画が不可欠だ。

その差別の実態を調査し、解決するための「調整委員会」の「中立性」に疑問をていする人たちも出ているようだが、差別を受けるのは障害者個人だ。差別をするのは行政や企業などの組織で差別を論じる時に、「中立性」を言うならば、障害者個人を支援する仕組みが必要なのは当然のことだ。
障害者の自立を支援するサービスは、「特別扱いする」ための措置ではない。差別を禁止することを「特別扱いする」と言う大学教授の「知見」には、恐れ入った。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061006-00000002-san-soci

ラビット 記