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『木魂伝説』

2012年10月10日 | 言い伝え&伝承
木魂伝説に関する文献を抜粋する。

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木魂伝説

 海岸部から南アルプスに至る広大な面積の静岡市、すなわち安倍・藁科川の流域地区は、地質、地形、気候上などの諸条件が重なり、極めて豊富な種類の植物の生育が見られる地帯である。
 そこに生い茂る樹木にしても、針葉樹、落葉樹、照葉樹と、地域に応じた多様な植生が見られ、人々はそうした豊かな森林に親しみ、これを生活の糧ともしながら生きてきた。古くはこうした駿府周辺の豊富な材木が一般に「安倍材」と称され、安倍・藁科両河川の水利によって上・中流域から、駿府の木材市場に搬出されていた。
 一方でまた、山には山の、森には森の、あがめるべき神の存在を信じたこの地方の人々であったから、少なくともそうした神の表象であると目される木々だけは、たとえばこれを「山の神」の木などと称して、厳重に伐採等を禁じたのももちろんであった。平地山地を問わず、殊に目立った大木老木をして、これをのちに伝説の木とせしめた理由もそこにある。
 安倍・藁科の流域一帯に伝えられる杉、カシ、クスノキなどの数多い樹木伝説は、いわば豊かな樹木の恵みの中に生きてきた人々の、一方で恐れなければならなかった神聖な木々への信仰であり、その名残であろう。その伝説の多くは、そうした木々の霊妙さや、禁忌を犯した場合の不幸などについて説いている。
 藁科川上流部の日向に伝わる「木魂明神」の伝説は、まさにこうした流域n人々の生活と樹木のかかわりの中から生まれた悲しい物語の一つであるように思う。かいつまんでそれを紹介すると次のような話である。

 村の旧家の一人娘の所に夜な夜な通う若武者があり、親が怪しんでその正体を探ると、ある峠に立つ大きな杉の木霊の仕業らしいとわかった。そこで親たちはこの大杉を伐り倒したところ、同時に娘が蛇体となってしまった。親は蛇体になった娘を家にはおけぬと意を決し、この杉の木で舟をこしらえ、娘を乗せて藁科川に下した。母親は娘こいしさのあまり、そのあとを追ったが、こがらしの森の辺りで別れ別れになってしまう。娘の舟は大水に流されてふな山の辺りで転覆した、後の世に「木枯しの森」「舟山」と呼ぶのはこの故で、また清沢の赤沢の対岸櫛筐峠は、娘が母への形見にと途中舟から櫛を投げ入れたことに由来するという。村の人たちは、大杉を伐った跡には「木魂明神」をまつり、そこを「伐杭神社」と呼んだ。

 この話は「静岡県伝説昔話集」では、人間と蛇の婚姻譚として分類されているが、私はやはり、神聖な大杉を伐ったことの崇り、そのおそろしさを説くところに話の眼目があったように思う。
 そうしていま一つ、この伝説創造の背景には、かつてこの地区で盛んに行われていた「筏流し」の体験があると思われる。昔は日向の更に上流の八草辺りからも、バラ流しで大量の木材を木枯しの森まで流していたというし、舟イカダも各所で盛んに行われていた。この伝説中の地名説話の部分などは、やはり筏師たちの考えつく話であったに相違ない。
 たまたま、神聖なる大杉の禁忌を犯したたたりが、伐り倒した材木を運ぶ筏流しにその不幸が及ぶ、そうしたこの地方の信仰と現実の体験とが「木魂明神」を祭り、その伝説を生み出す背景となっていたのではあるまいか。
(p56-58) 

『安倍川ーその風土と文化ー』(富山昭・中村羊一郎.静岡新聞社.昭和55年)

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