大井神社の祭神名が正面に飾ってありますが、これを“ミズハノメノカミ”と読み、水の神様だそうです。
以下に抜粋します。
『ミズハノメノカミ』について
水の神というと、民俗信仰の世界では龍や蛇の姿をとるが、その一方では水の清らかなイメージから女性神という印象も強い。罔象女神も定着したイメージとして、麗しい乙女の姿をしている。
そもそもこの神の名前には、「水が走る」「水が這う」という意味がある。蛇のように身をくねらせて流れ下る川からイメージされたものであろう。そこから素直に連想すれば、中心的な神格は川の神、その川から田圃に水を引く灌漑用の水路や、生活用水などの水の精霊が神格化されたということになる。いずれにせよ川の水は、昔から田を潤して稲を成育させるために絶対に不可欠なものだ。だからこそ人々は、神の力で川をコントロールしてもらい、毎年変わりなく田圃に水が運ばれるように祈ったのである。
本来そうした水の神としての性格を持つ罔象女神は、民俗信仰の井戸神(水神)とその機能が重なっている。民間では、井戸神と同一神と考えられているところが多い。「井戸」というと、ふつうは縦穴を掘って水を汲み上げる井戸のことを思い浮かべるが、そういう縦穴を深く掘った井戸が一般に作られるようになるのは江戸時代からである。実際には井戸神というのは、そもそも古くから名もない水神として祀られてきた神霊である。深い井戸を掘る技術がなかった時代には、自然の湧き水や川の水を引いてきてせき止めて生活用水として利用した。当然そうした大事な場所は聖なる空間として意識され、そこに水神が祀られた。そして、のちに井戸が掘られ生活用水として重要な位置を獲得すると、名もない水神は井戸神と呼ばれるようになったのである。
古くも新しくも生活にとって欠かせない場所がいわゆる”井戸端”というわけだが、そこは食事や洗濯など日常の生活を支える場所であり、家庭の担い手の女性たちが集まる場所でもある。そして、水は生命力をよみがえらせる力を持っていることから、いつしか井戸神は、子供を伴う母神と考えられるようになった。罔象女神が、地方によっては子授け、安産の神として信仰されるのは、そうした民間信仰が背景としてあるからだ。
水は、人の生命を支える根源である。水の持つ力は、農業、漁業、鉱業、交通、あるいは健康、レジャーなど人間の生活のあらゆる面で大きな力を発揮する。特に罔象女神の場合は、安産の神であるとともに農耕との関係が深いといえる。神話で、伊邪那美命の尿から生まれたとされていることからもそれがうかがえる。化学肥料などなかった時代に、糞尿は作物を栽培する上で大変重要な肥料だった。だから、尿から生まれた罔象女神は、肥料の神とも考えられている。ということは、最近のエコロジーブームのなかで見直されている有機農法の神さまということもできるわけである。
また、罔象女神は、紙漉の元祖だったという話もある。和紙は、楮、三椏、麻などの繊維を砕き、これに糊を加えて薄く漉いて作るものだが、いうまでもなくその工程で水は大切な役割を果たしている。福井県今立町にある大滝神社の摂社、岡田神社の社殿に、次のような話が残っている。
昔、この地に乙女の姿をした神が現れて、「この土地は谷間で田畑は少ないが、きれいな水に恵まれているから紙漉をやるとよいでしょう」といって紙漉の方法を教えたという。村人がその神の名を尋ねると「(岡本川の)上流に住む罔象女神なり」といって姿を消した。以後、人々はこの神を川上御前と呼んで崇めて岡田神社に祀り、紙漉に取り組んだ。この紙漉の技術によって作られるようになった和紙が、のちに越前和紙として広く知られるようになったという。
以下に抜粋します。
『ミズハノメノカミ』について
水の神というと、民俗信仰の世界では龍や蛇の姿をとるが、その一方では水の清らかなイメージから女性神という印象も強い。罔象女神も定着したイメージとして、麗しい乙女の姿をしている。
そもそもこの神の名前には、「水が走る」「水が這う」という意味がある。蛇のように身をくねらせて流れ下る川からイメージされたものであろう。そこから素直に連想すれば、中心的な神格は川の神、その川から田圃に水を引く灌漑用の水路や、生活用水などの水の精霊が神格化されたということになる。いずれにせよ川の水は、昔から田を潤して稲を成育させるために絶対に不可欠なものだ。だからこそ人々は、神の力で川をコントロールしてもらい、毎年変わりなく田圃に水が運ばれるように祈ったのである。
本来そうした水の神としての性格を持つ罔象女神は、民俗信仰の井戸神(水神)とその機能が重なっている。民間では、井戸神と同一神と考えられているところが多い。「井戸」というと、ふつうは縦穴を掘って水を汲み上げる井戸のことを思い浮かべるが、そういう縦穴を深く掘った井戸が一般に作られるようになるのは江戸時代からである。実際には井戸神というのは、そもそも古くから名もない水神として祀られてきた神霊である。深い井戸を掘る技術がなかった時代には、自然の湧き水や川の水を引いてきてせき止めて生活用水として利用した。当然そうした大事な場所は聖なる空間として意識され、そこに水神が祀られた。そして、のちに井戸が掘られ生活用水として重要な位置を獲得すると、名もない水神は井戸神と呼ばれるようになったのである。
古くも新しくも生活にとって欠かせない場所がいわゆる”井戸端”というわけだが、そこは食事や洗濯など日常の生活を支える場所であり、家庭の担い手の女性たちが集まる場所でもある。そして、水は生命力をよみがえらせる力を持っていることから、いつしか井戸神は、子供を伴う母神と考えられるようになった。罔象女神が、地方によっては子授け、安産の神として信仰されるのは、そうした民間信仰が背景としてあるからだ。
水は、人の生命を支える根源である。水の持つ力は、農業、漁業、鉱業、交通、あるいは健康、レジャーなど人間の生活のあらゆる面で大きな力を発揮する。特に罔象女神の場合は、安産の神であるとともに農耕との関係が深いといえる。神話で、伊邪那美命の尿から生まれたとされていることからもそれがうかがえる。化学肥料などなかった時代に、糞尿は作物を栽培する上で大変重要な肥料だった。だから、尿から生まれた罔象女神は、肥料の神とも考えられている。ということは、最近のエコロジーブームのなかで見直されている有機農法の神さまということもできるわけである。
また、罔象女神は、紙漉の元祖だったという話もある。和紙は、楮、三椏、麻などの繊維を砕き、これに糊を加えて薄く漉いて作るものだが、いうまでもなくその工程で水は大切な役割を果たしている。福井県今立町にある大滝神社の摂社、岡田神社の社殿に、次のような話が残っている。
昔、この地に乙女の姿をした神が現れて、「この土地は谷間で田畑は少ないが、きれいな水に恵まれているから紙漉をやるとよいでしょう」といって紙漉の方法を教えたという。村人がその神の名を尋ねると「(岡本川の)上流に住む罔象女神なり」といって姿を消した。以後、人々はこの神を川上御前と呼んで崇めて岡田神社に祀り、紙漉に取り組んだ。この紙漉の技術によって作られるようになった和紙が、のちに越前和紙として広く知られるようになったという。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます