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坂ノ上の歴史

2010年08月05日 | 集落の地誌
藁科川上流の大川地区で最も大きい坂ノ上の集落の概況を以下に引用します。

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藁科川流域の上流部に位置する坂ノ上(さかのかみ)は、西側から流れ込む杉尾川との合流地点にある集落で、その地名は、清沢地区の坂本からの峠を越える四十一坂の上にあるところからきているという由来があります。また坂ノ上という豪族が住み着いたからだという説もあり、江戸時代には、旗本成瀬氏領で、村は川を挟んで東組と西組に分かれていました。明治に入ると、駿府藩、静岡藩、静岡県と所属がかわり、明治22年に大川村となりました。

現在112世帯314名の住民が暮らす坂ノ上には、かつて江戸時代に、藁科川を東西方向で結ぶこの地方最大の「ハネ橋」が架かってとされ、桑原黙斎の『安倍紀行』によれば、長さ50メートル、水面からの高さは10メートルあったと言います。

社寺には、浅間神社と小村でありながら、曹洞宗の向雲寺、向陽寺の2か寺あり、現在藁科川西側の集落内にある薬師堂は、元は杉尾川と唐沢川の挟まれた尾根部の寺森の山頂にあったといわれ、平安時代中期の地方仏師の作とされる薬師如来像等の古仏が伝えら、現在静岡市の文化財に指定されています。これらの仏像の伝播からも、東海道とは別の山間地ルートを発達させていたと考えられ、寺森の薬師堂参道は、杉尾に登り、川根街道に接続する重要な交通拠点でした。そこに、薬師堂と二つの寺を中心とした仏教文化を古い時代から発達させてきたと言えるでしょう。そのことを裏付けるかのように地内には、場所は不明ですが、経典が土中に埋葬された経塚が存在していたことが、中世の壷の出土伝承から考えられています。

『藁科川流域の民族行事』(静岡市文化財課.平成21年)より一部修正して引用

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