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陸軍大将、「日本人への遺言」山下 奉文(やました ともゆき)

2021-02-02 16:10:18 | 日記

 

陸軍大将、「日本人への遺言」山下 奉文(やました ともゆき)

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山下 奉文(やました ともゆき)陸軍大将



皇紀2675年正月、畏くも今上天皇陛下におかせられましては、叡慮を発せられました。叡慮の中で陛下におかせられましては、


本年は終戦から七十年という節目の年に当たります。多くの人々が亡くなった戦争でした。各戦場で亡くなった人々、広島、長崎の原爆、東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています。

と日本国民に提言あそばされた。
なぜ陛下がここまで踏み込んで国民に提言されたか本ブログをご覧いただいている皆様に一考願いたい次第です。
戦後生まれの人口が一億人を越えた昨今、大東亜戦争を知る世代も少なくなり、300万人の同胞が亡くなった昭和の国難も風化しつつあるのが実情です。
しかし、天皇、皇后両陛下は今年、戦没者慰霊のためにパラオ共和国を行幸啓あそばされる。
我々臣民も、言われなき罪状にて処刑された方々、戦禍に斃れた先人を顕彰しその汚名を雪がねばなりません。
先人の汚名を雪ぐことなくして、途絶えた世代間の魂の継承はありえません。

冒頭の画像、山下 奉文(やました ともゆき)陸軍大将も誤った情報、誤った歴史に埋もれたその一人です。
大東亜戦争緒戦のシンガポール攻略時に「イエスかノーか」と強圧的に降伏交渉を行ったと言われるが、実際は「降伏する意思があるかどうかをまず伝えて欲しい」という趣旨を、日本語が拙劣な台湾人通訳に対して苛立って放った言葉であり、これが新聞等で脚色されたというのが真相です。話が一人歩きしていることに対し山下大将は気にされ、「敗戦の将を恫喝するようなことができるか」と否定されていました。

 昭和19年、第14方面軍司令官として起用され、日本軍が占領していたフィリピンの防衛戦を指揮、善戦するも昭和20年9月3日フィリピンのバギオにて降伏、降伏時は捕虜として扱われたが、すぐに戦犯としてフィリピンのマニラにて報復(恩讐)裁判にかけられ昭和21年2月23日絞首刑によって殺されました。
山下大将は、処刑寸前に教誨師の森田正覚氏に日本人へ向けた遺言をされました。将軍が最後に伝えたかったことは、戦時中の彼の行いに対する自責の念と自由を尊び平和を追求する新しい新日本建設に対する理想でした。

中部大学教授、武田邦彦氏が、武田氏のブログ上において「山下大将の遺訓」をテーマにシリーズ「最後の一撃」(http://takedanet.com/)題し、動画、評論されています。



最期の一撃 第一話 山下大将の第一遺訓






最期の一撃 第二話 山下大将の第二遺訓





最期の一撃 第三話 山下大将の第三遺訓





最期の一撃 第四話 山下大将の第四遺訓






山下奉文大将の口述遺言


山下大将は、1946年2月23日、Los Baños, Laguna米軍刑務所キャンプ(マニラ市の南方)で絞首刑に処せられた。以下の文は教戒師の森田正覚氏が、処刑実行40分前に、将軍の言葉を記録したものである。


「私の不注意と天性が閑曼であった為、全軍の指揮統率を誤り何事にも代え難い御子息或は夢にも忘れ得ない御夫君を多数殺しました事は誠に申訳の無い次第であります。激しい苦悩の為心転倒せる私には衷心より御詫び申上げる言葉を見出し得ないのであります。

かって、皆さん方の最愛の将兵諸君の指揮官であった「山下奉文」は峻厳なる法の裁を受けて死刑台上に上がらんとしているものであります。アメリカ初代大統領ジョウジワシントンの誕生祝賀記念日に独房を出て刑の執行を受けるということは偶然の一致ではありますが誠に奇しき因縁と云わねばなりません。

謝罪の言葉を知らない私は今や私の死によって、私の背負された一切の罪を購う時が参ったのであります。もとより私は単なる私一個の死によってすべての罪悪が精算されるであらうというような安易な気持ちを持っているものではありません。

全人類の歴史の上に拭うべからざる数々の汚点を残した私は、私の命が断たれるという機械的な死について抹殺されることとは思わないのであります。絶えず死と直面していた私にとりましては死ということは極めて造作のない事であります。

私は大命によって降伏した時、日本武士道の精神によるなれば当然自刃すべきでありました。事実私はキャンガンで或はバギオでかってのシンガポールの敵将パーシバルの列席の下に降伏調印をした時に自刃しようと決意しました。然し其の度に私の利己主義を思い止まらせましたのは、まだ終戦を知らないかっての部下達でありました。

私が死を否定することによって桜町(キャンガン)を中心として玉砕を決意していた部下達を無益な死から解放し祖国に帰すことが出来たのであります(私が何故自決をしなかったかということは、ついている森田教誡師に質問され詳しく説明致した所であります。)

私 は武士は死すべき時に死所を得ないで恥を忍んで生きなければならないということが如何に苦しいものであるかと云う事をしみじみと体験致しました。此の事よ り■して、生きて日本を再建しなければならない皆様の方が戦犯で処刑されるものよりどれだけ苦しいかということが私にはよく分るのであります。

若し私が戦犯でなかったなら皆さんからたとえ如何なる恥辱を受けませうとも自然の死が訪れて参りますまで生きて贖罪する苦難の道を歩んだでありませう。

兵は国の大事にして死生の地、存亡の道なり、察せざるべからず、と孫子もいったように兵はまさしく凶器であり、大きな罪悪でありました。この戦争を防止するため私はあらゆる努力を払いました。然し悲しいかな私の微力よく之を阻止することが出来なかったことはまことに慙愧に耐えない次第であります。

マレー侵略、シンガポール攻略、国民の血を湧かした丈に恐らく皆さんは私を生粋の侵略主義者、軍国主義者の最たるものであると目して居られるでしょうがそれは当然であります。一身を軍職に捧げた職業軍人であります。今更何をか之に加えましょうか。然し私も軍人であると共に一■日本国人民としての意識も又相当強く動いて居りました。亡国と死者とは永久に再生はないのであります。

兵事は古えより明君賢将の深く慎み警むる所でありました。一部の■者がひとの事を断じて国民大衆を多く殺傷し残れる者を今日の如く塗炭の苦しみに落入れたことは等しく軍部の専断であり国民諸君の怨嗟悉く我等に集中するを思う時私は正に断腸の思がするのであります。

ポツダム宣言によって日本が賢明ならざる目論見によって日本帝国を滅亡に導いた軍閥指導者は一掃され、民意によって選ばれた指導者によって平和国家としての再建が急がれるでしょうが、前途益々多事多難んることが想像されます。建設への道に安易なる道はありません。軍部よりの圧力によったものとは云えあらゆる困苦と欠乏に堪えたあの戦争十箇年の体験は必ず諸君に何物かを与えるに違いないと思います。新日本建設には、私達のような過去の遺物に過ぎない職業軍人或は阿諛追従せる無節操なる政治家、侵略戦争に合理的基礎を与えんとした御用学者等を断じて参加させてはなりません。

恐らく占領軍の政策として何等かの方法が取られるでありましょうが将に死に就かんとする私は日本の前途を思うの余り一言申し添えたいと思うのであります。踏まれても、焼かれても強い繁殖力を持った雑草は春が来れば芽を吹きます。国悉く破れて山河のみとなった日本にも旺盛なる発展の意志を持った日本の皆様は、再び文化の香り高い日本をあの1863年丁独戦争によって豊沃なるヌレスリッヒ、ホルスタイン両州を奪はれたデンマークが再び武を用いる事を断念し不毛の国土を世界に冠たる欧州随一の文化国家に作り上げたように建設されるであろう事を信じて疑いません。私共亡国の徒は衷心からの懺悔と共に異国の地下から日本復興を祈念いたします。新に軍国主義者共を追放し自ら主体的立場に代られた日本国民諸君、荒された戦禍の中から雄々しく立上がって頂き度い。それが又私の念願であります。私は朴訥なる軍人であります。

今や死の関頭に立って萬感交々至り謝罪と共に言語の形式を以って申し述べたいのでありますが、武将の常として従来多くを語らず寡言実行の習癖と加うる語句又豊富でありませんので之を表現することが出来ないことを残念におもいます。

私の刑の執行は刻々に迫って参りました。もう40分しかありません。この40分が如何に貴重なものであるか、死刑因以外には恐らくこの気持の解る人はないでしょう。私は森田教誡師と語ることによって、何時かは伝はるであろう時を思い、皆さんに伝えて頂くことに致します。

聞いて頂きたい・・・・

其の第一は義務の履行ということであります。
この言葉は古代から幾千の賢哲により言い古された言葉であります。そして又此の事程実践に困難を伴うことはないのであります。又此事なくしては民主主義的 共同社会は成り立たないのであります。他から制約され強制される所のものでなく自己立法的内心より湧き出づる所のものでなくてはなりません。束縛の鉄鎖か ら急に解放されるであろう皆さんがこの徳目を行使される時に思ひを致す時聊か危惧の念が起こって来るのであり、私は何回此言葉を部下将兵に語ったことで しょうか。峻厳なる上下服従の関係に在り抵抗干犯を許されなかった軍隊に於いてさえこの事を言はざるを得なかった程道義は著しく頽廃していたのでありま す。甚だ遺憾な事でありますが今度の戦争におきましては私の麾下部隊将兵が悉く自己の果たすべき義務を完全に遂行したとは云い難いのであります。他律的な ■務に於いてさえ此の通りでありますから一切■絆を脱した国民諸君の■に為すべき自律的義務の遂行にあたっては聊か難色があるのではないかと懸念されるの であります。旧軍人と同じ教育を受けた国民諸君の一部にあっては突如開顕された大いなる自由に幻惑された余り他人との関聯ある人間としての義務の履行に怠 慢でありはしないかと云うことを恐れるのであります。

自由なる社会に於きましては、自らの意志により社会人として、否、教養ある世界人と しての高貴なる人間の義務を遂行する道徳的判断力を養成して頂きたいのであります。此の倫理性の欠除という事が信を世界に失ひ■を萬世に残すに至った戦犯 容疑者を多数出だすに至った根本的原因であると思うのであります。

此の人類共通の道義的判断力を養成し、自己の責任に於て義務を履行すると云う国民になって頂き度いのであります。

諸君は、今他の地に依存することなく自らの道を切り開いて行かなければならない運命を背負はされているのであります。何人と雖も此の責任を回避し自ら一人安易な方法を選ぶ事は許されないのであります。こゝに於いてこそ世界永遠の平和が可能になるのであります。

第二に、科学教育の振興に重点をおいて頂きた度いのであります。
現代に於ける日本科学の水準は極く一部のものを除いては世界の水準から相去る事極めて遠いものがあるということは何人も否定することの出来ない厳然たる事実であります。一度海外に出た人なら第一に気のつく事は日本人全体の非科学的生活ということであります。

合理性を持たない排他的な日本精神で真理を探究しようと企てることは、宛も水によって魚を求めんとするが如きものであります。我々は資材と科学の欠除を補ふ為に汲々としたのであります。

我々 は優秀なる米軍を喰い止める為百萬金にても贖い得ない国民の肉体を肉弾としてぶっつける事によって勝利を得ようとしたのであります。必殺肉弾攻撃体当り等 の戦慄すべき凡ゆる方法が生れました。僅かに飛行機の機動性を得んが為には、防衛装置の殆どを無視して飛行士を生命の危険にさらさざるを得なかったのであ ります。
我々は資材と科学の貧困を人間の肉体を以って補わんとする前古未曾有の過失を犯したのであります。この一事を以ってしても我々職業軍人は罪萬死に価するものがあるのであります。 今の心境と、降伏当 時との心境には大なる変化があるのでありますが、ニュービリヒット収容所に向ふ途中、ヤングの記者スパートマクミラン君が「日本敗戦の根本的な理由は何 か」と質問された時、重要かつ根本的な理由を述べんとするに先達って今迄骨身にこたえた憤懣と■■な要求が終戦と共に他の要求に置き換えられ漸く潜在意識の なかに押込められていたものが突如意識の中に浮び上がり、思はず知らず飛び出した言葉は「サイエンス」でありました。敗因はこれのみではありませんが重大 要因の中の一つであったことは紛れもない事実であります。 若し将来不吉な事でありますが戦争が起こったと仮定するならば、恐らく日本の取った愚かしい戦争手段等は廃人の夢の昔語りと化し短時間内に戦争の終結を見 る恐るべき科学兵器が使用されるであろうことが想像されるのであります。戦争の惨禍をしみじみと骨髄に■して味うた日本人は否全世界の人類は、この恐るべ き戦争回避に心■を打込むに違ひありません。又このことが人間に課せられた重大な義務であります。

あの広島、長崎に投下された原子爆弾は恐怖にみちたものであり、それは長い人間虐殺の歴史に於てかって斯くも多数の人間が生命を大規模に然も一瞬の中に奪われたことはなかったのであります。獄中にあって研究の余地はありませんのでしたが、恐らくこの原子爆弾を防御し得る兵器は、この物質界に於て発見されないであろうと思うのであります。

過去に於ては、如何なる攻撃手段に対してもそれに対する防御は可能であるといわれて参りました。実際このことは未だに真実であります。過去の戦争を全く時代遅れの戦争に化し去ったこの恐るべき原子爆弾を防御し得る唯一の方法が若し有るとするならば世界の人類をして原子爆弾を 落としてやろうといふような遺志を起こさせないような国家を創造する以外には、手はないのでであります。敗戦の将の胸をぞくぞくと打つ悲しい思い出は我に 優れた科学的教養と科学兵器が十分にあったならば、たとへ破れたりとはいへ斯くも多数の将兵を殺さずに平和の光輝く祖国へ再建の礎石として送還することが 出来たであらうといふ事であります。私がこの期に臨んで申し上げる科学とは人類を破壊に導く為の科学ではなく未利用資源の開発或は生存を豊富にすることが 平和的な意味に於て人類をあらゆる不幸と困窮から解放するための手段としての科学であります。

第三に申し上げたい事は・・・特に女子の教育であります・・・
伝うる所によれば日本女性は従来の封建的桎梏から開放され参政権の大いなる特典が与えられた様でありますが現代日本婦人は西欧諸国の婦人に比べると聊か遜色があるように思うのですが、これは私の長い間の交際見聞に基く経験的事実であります。

日本婦人の自由は、自ら戦い取ったものではなく占領軍の厚意ある贈与でしかないという所に危惧の念を生ずるのであります。

贈与といふものは往々にして送り主の意を尊重するの余り直ちに実用化されないで観賞化され易いのであります。

従順と貞節、これは日本婦人の最高道徳であり、日本軍人 のそれと何等変る所のものではありませんでした。この虚勢された徳を具現して自己を主張しない人を貞女と呼び忠勇なる軍人と讃美してきました。そこには何 等行動の自由或は自律性を持ったものではありませんでした。皆さんは旧殻を速かに脱し、より高い教養を身に付け従来の婦徳の一部を内に含んで、然も自ら行 動し得る新しい日本婦人となって頂き度いと思うのであります。平和の原動力は婦人の心の中にあります。皆さん、皆さんが新に獲得されました自由を有効適切 に発揮して下さい。 自由は誰からも犯され奪はれるものではありません。皆さんがそれを捨てようとする時にのみ消滅するのであります。皆さんは自由なる婦人として、世界の婦人 と手を繋いで婦人独自の能力を発揮して下さい。もしそうでないならば与えられたすべての特権は無意味なものと化するに違いありません。

最後にもう一つ婦人に申し上げ度い事は、
皆さんは既に母であり又は羽となるべき方々であります。母としての責任の中に次代の人間教育という重大な本務の存することを切実に認識して頂き度いのであります。私は常に現代教育が学校から始まっていたという事実に対して大きな不満を覚えていたのであります。

幼 児に於ける教育の最も適当なる場所は家庭であり、最も適当なる教師は母であります。真の意味の教育は皆さんによって適切な素地が培われるのであります。若 し皆さんがつまらない女であるとの謗りを望まれないならば、皆さんの全精力を傾けて子女の教育に当って頂き度いのであります。然も私のいう教育は幼稚園或 は小学校入学時をもって始まるのではありません。可愛い赤ちゃんに新しい生命を与える哺乳開始の時を以て始められなければならないのであります。愛児を しっかりと抱きしめ乳房を哺ませた時何者も味う事の出来ない感情は母親のみの味いうる特権であります。愛児の生命の泉としてこの母親はすべての愛情を惜し みなく与えなければなりません。単なる乳房は他の女でも与えられようし又動物でも与えられようし代用品を以ってしても代えられます。然し、母の愛に代わる ものは無いのであります。

母は子供の生命を保持することを考へるだけでは十分ではないのであります。

■が大人となった時自己の生命を保持しあらゆる環境に耐え忍び、平和を好み、強調を愛し人類に寄与する強い意志を持った人間に育成しなければならないのであります。

皆さんが子供に乳房を哺ませた時の幸福の恍惚感を単なる動物的感情に止めることなく、更に知的な高貴な感情にまで高めなければなりません。母親の体内を駆け巡る愛情は乳房からこんこんと乳児の体内に移入されるでせう。

将来の教育の■分化は、母親の中に未分化の状態として溶解存在しなければなりません。
幼児に対する細心の注意は悉く教育の本源でなければなりません。功まざる母の技巧は教育的技術にまで進展するでせう。

こんな言葉が適当か、どうか、専門家でない私には分りませんが、私はこれを「乳房教育」とでも云い度いのです。

どうかこの解り切った単純にして平凡な言葉を皆さんの心の中に止めて下さいますよう。これ が皆さんの子供を奪った私の最後の言葉であります。」

(終わり)

■部分は、口述筆記原本での文字の判読不能、欠落等を指します。


最期の一撃 第四話 山下大将の第四遺訓で武田氏は次のように結ばれています。

 

マレーの虎と呼ばれ、勇猛果敢な陸軍大将として名を馳せた山下大将の胸中には、道徳的判断力、軍隊のいらない技術力、貞節で自律的な女性、そして無限の愛で優れた子供を育てる母親、それこそが戦争で傷んだ日本を立て直す大切なことして浮かんだ。

現代の日本は一時、山下大将の遺訓通りに進んだが、途中で愚劣な輩に掻き回され、また逆の道を歩いていこうとしているように見える。白人と苦闘した日本、やむを得ない戦争で多くの犠牲を出した日本、その渦中にあって「正しい人、山下奉文」の遺訓は日本の宝である。


そして、続く評論、日本軍人と右翼思想で、日本国民が日本国民を非難するのは辛いので、誰かに責任を転嫁したい・・・その気持ちはわかりますが、やはり今後の平和のことを考え、子供の未来を心配するなら、安易に軍部を非難せず、なぜ戦争に至ったのかを冷静沈着、大人として親としての勇気と覚悟を持つ見る必要があるでしょう。

と述べられています。
大東亜戦争を検証し、顕彰し、間違ったものは正していくことが大事であり、後世に繋ぐ正しい歴史でもあると筆者は思うのです。

陛下の叡慮、
満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています。

 


これからの「歴史戦」の指針と山下奉文将軍の遺訓

2021-02-02 16:05:00 | 日記
 

「事実と評価」は異なること

歴史的事実は、探求する過程でその実像が少しずつ明らかになるに連れて、全体像の形状が変わって見えるようになったり、ぼやけていた陰影がより鮮明になって来たり、あるいは別の角度や上下左右から眺めることで、異なった姿と形の画像・映像が見えて来たり、新しい画角で捉えることにより今までと違う側面が発見できたりもします。複雑な外見・形状や、根の深い内部構造を持つ動態的な「歴史の実像」を、少しでもより正確に捉えてその真相に迫る理解を深めてゆくことが、歴史の真摯な探究には必要な研究姿勢と方法態度です。

 一方で、捉え得た「実像」を、あらためてどう解釈し、評価し、批判するかは、その評価者自身の立場、観点、価値観によって、様々に異なるのです。これは言うまでもなく、当然のことであり、例えば同じ「ミロのヴィーナス像」を眺めたとしても、その考古学的な年代と発掘場所が意味する歴史的価値で捉えるのか、時代を超えた美・醜の意味を含む芸術的価値で捉えるのか、それとも神話的に「愛と美の女神」として眺めるのか、或いは腕を失くした壊れた不完全な彫像として眺めるのか・・・ 同じ一つの「実像」を見るにしても、様々なものの見方・考え方があり得るのです。そしてその上で、この「実像」を価値が高いと評価するのか、腕の部分がない欠陥品として価値が低いと批判するのか、とにかく古いものだから価値が高いと見るのか又は低いとみるのか、西洋人の女性を現していて美しいと捉えるのか、はてまた逆にこれを醜いと捉えるのか、千差万別の価値の基準や観点、解釈に基づく様々な評価や批判もあり得るのです。

 「史実」は一つであっても、事程左様にその評価や批判は、その判断や主張をする人の価値基準や解釈の立場によって異なるのであり、もし「A」である史実を「Z」であると、事実ではない事柄を主張するのであれば、それは間違いだと指摘できますが、同じ「A」でも、小文字の「a」だとか、活字体ではなく筆記体だとか、あるいはローマ字読みの「あ」だとか、カタカナの「ア」だとか、アルファベットの最初の文字だから「最初」を意味するとか、「初歩」や「基本」を意味するのだとか、様々な解釈のヴァリエーション(variation)があり得るのです。そして、どれがその正解や真相に近いかは、前後左右の文脈や脈絡から読み解くしかありません。

 戦前、特に昭和前期の日本と近隣周辺領域の歴史も、上記と同様に、同じ一連の歴史的事実に関して様々な視点、異なる描像、それを「白」と見るか「黒」と見るか、そしてその映像を表現するとしても、その陰影やコントラストの程度の違いをどうするのか、或いは色のついたフィルターをレンズにつけて映写するのか、ポジティブでそのまま見るか又は白黒を逆転したネガティブ(ネガ・フィルム)を用いるのか等々の、様々なヴァリエーションがやはりあるのです。

 中国や韓国の描く戦前日本のイメージは、当然のことながらそれぞれのお国の是とする史観に則った描写で表現し、それを正当なものであると主張します。これはもはや純然学術的な「歴史研究」の域を離れ、国際政治上の政争の一部である「歴史戦」に他ならないのです。そしてこれは「歴史的事実」がどうであったかというよりも、「歴史的評価」をどう行うかという問題にウエイトが置かれたものなのです。つまりは「事実」の認定についての異なるデータの採用や、その解釈の違い、そしてどこを強調したり、どの部分に特にスポットライトを当てるのかという点に於いて、各国の国際的政略に基づく意図があるのです。

 古来「勝者の歴史しか残らない」という言葉があるように、戦争に敗北すると、敗者の側から見た歴史は抹殺されて来ました。しかし現代の日本では、様々な視点から描写することが許されています。当然、日本の側から見た「歴史」が描かれてもよいわけです。しかし一方で、問題はその「日本の側に立った視点」とは一体どういう立場からのものかということにあります。

 「右側と真ん中と左側」の相対関係

 戦前の昭和前期の日本では、「皇国史観」と呼ばれる立場からの歴史が語られ、戦後の日本では主に「マルクス史観」と呼ばれる立場からの歴史が語られて来ました。政治学には、「道の右端を歩く者は左側からしか殴られない。道の左端を歩く者も右側しか殴られない。しかし道の真ん中を歩く者は、右からも左からも両方から殴られる。」という諺があります。日本の「史観」は、戦前は右端を歩き、戦後は長く左端を歩いて来たのです。

   もちろん数学的な意味でのど真ん中が常に正しい位置だというわけでは決してありません。例えていえば、山脈が連なる峰の分水嶺となる稜線が、ある時はやや右に、またある時はやや左に移ろいつつも進んで行くように、その辿るべき高く正しい道も時代や情勢によって多少は道筋が変動します。しかしだからと言って、極端に右側に偏っても、また左側に偏っても、最も高くに位置する尾根の道からは外れて滑落してしまうのです。やはり左右のバランスが取れる均衡点のフェアウェイというべき範囲があり、その道を決して踏み外してはならないのです。以前右端を歩き過ぎて右側の谷に滑落してしまったから、今度は極端に左端を歩こうとしても、また今度は左側の谷に滑落してしまいます。

 厄介なのは、右端にいる人から見ると、左端にいる人のみならず真ん中にいる人もひっくるめてみんな左側に見えてしまうし、左端に立つ人から見ると、右端の人も真ん中の人も全て右側に見えてしまうことです。つまり真ん中辺りを歩む人は、真ん中のやや右側を歩く人さえ右端の人からは左だと言われ、真ん中よりやや左側に立つ人も左端の人からは右だと言われるのです。

   話を簡単にするには、最も右端か、或いは最も左端に立てば、自分たち以外は全てが反対側にいるので、単純でわかりやすいのですが、しかし「最良の位置が最も極端にあることは極めて稀で少ない」のが世の中の実相だということに、ある程度の年齢を重ねて実社会を経験されてきた人ならば、大抵は同意されるものと存じます。わたくしたちは、公正に歴史の事実を見つめ「是は是、非は非」として、これに誠実に向き合い、諸国民からの信頼を得つつ、正々堂々と反省すべきは自省し、説明すべきは主張してゆかねばなりません。それを粘り強く、そして根気強く、謙虚な心で真摯に継続して「歴史戦」を戦い抜くことが肝心なのです。

 「中国共産党の視点と戦略」

 最後の海軍大将、井上成美提督(海兵37期、海大22期)は海軍大学校の戦略教官時代に、敵情を把握することの重要性を強調し、限られた情報の断片を組み合わせて分析して推理し、合理的な推定を下す為に、捕物帳などの推理小説や探偵小説を読むことを、学生たちに薦めていたといいます。現代でいう「インテリジェンス」の修養を求めていたわけです。情報はただ単に蒐集しただけでは役に立ちません。集めた情報(インフォメーション)を整理・分析した上で、意味のある役立つ情報をそこから組み立て、読み取って提示することが肝要であり、それが日本語に適訳のない情報用語としての「インテリジェンス」の意味なのです。

 これは意外に「専門性」というよりは、むしろ「高度な平凡性」の観点が必要な作業でもあります。ある相手の意図や真意、目的を探るためには、相手をよく知ること、つまり相手は何もので、何をよしとしていて、何をしたいのか、そして何をしようとしているのか、それにはどのような手段を用いて、何を具体的に行うであろうか・・・ということを、あたかも推理小説を読み解いてゆくように推定してゆくのです。孫子の「敵を知り、己れを知れば、百戦危うからず」という言葉にも通じることだと言えましょう。

   この意味で、中国や北朝鮮といった国々が、どのような広報や宣伝活動を公式の報道機関から行うかを注視し、蒐集・整理・分析することで、それぞれの国の戦略的方向性を窺うことができるのです。しかも共産主義なりその他の政治思想であれ、「~主義・~イズム」というものがはっきりしている場合は、合理的な推測や推定がむしろやり易いのです。

   実は一番困るのは、支離滅裂であったり、感情的な非合理的行動に終始するような相手であり、それはその意図を論理的に推測・推定することが困難となるからなのです。逆に、どのような相手であっても、その相手がこだわっている思想や主張が存在する限りに於いては、ある程度の推測や推定をすることは可能なのです。

   この意味で、中国共産党の立脚点や立場、その志向性を踏まえれば、例えば我が国の歴史に関して、彼らが一体どのように「歴史戦」を仕掛けて来ており、今後もどのような主張をし続けてゆくかということを、ある程度合理的に推測・推定することができるのです。

 彼らの場合、その基盤は「中国共産党の権力維持」と「中華思想に根ざす大国としての意識」にあり、その上で「自国の正当性と国際的優位性を求める志向」と「自国権益の拡大・伸長」という基軸があります。そしてわかり易いアイコンとして、彼らが使う「核心的利益」という用語があります。つまりは「~は、核心的利益だ」と彼らが言えば、そこに国家戦略上の重要な価値があることを明示しているのです。

   加えて、南シナ海の島嶼をベトナムやフィリピンなどの周辺各国から奪取して軍事基地化したように、或いは香港を自国領域に完全に組み込むために、とにかく力ずくで既成事実を作り、国際司法裁判所であれ、国際法であれ、国際的世論であれ、何ら意に介さずに、「自分たちは正当であり、自分たちのものである」と主張し続けることで、結局は紛争当事国や国際世論を諦めさせ、その主張を飲み込ませてゆくという長期的な戦略・戦術を駆使し続けているのです。かつてのナチスドイツばりに「ウソも百回言えばホントになる」という流儀なのです。我が国の歴史認識問題についても全く同様です。

   実際に先の大戦で旧日本軍と戦った主要な相手は、今日の台湾である蒋介石総統が率いた国民党政権たる「中華民国」とその軍隊であり、現在の「中華人民共和国」が成立したのは戦後の1949年10月なのです。にもかかわらず、1945年に終了した第二次世界大戦の「戦勝国」として今日振る舞うこと自体にも歴史的欺瞞があると言えるのです。歴史上、第二次世界大戦における連合国軍の「戦勝国」は「中華民国」であり、当時の蒋介石総統は戦後の日本国民に対し、「以徳報怨」の心で臨まれたことも歴史的事実なのです。

 まして戦後の1946年から1948年にかけて行われた、いわゆるA級戦犯の「東京裁判(極東国際軍事裁判)」に検事を派遣して参加していたのも「中華民国」であり、「中華人民共和国」はまだ建国される前の時点です。従ってこの裁判に連合国の一員として参加したのは「中華民国」(今日の台湾)であって、「中華人民共和国」ではありません。こうした「歴史的事実」を一つ一つおさえてゆくこともまた「歴史戦」を戦うには重要な要素となります。

   わが国の首相をはじめ、要人が自国の靖国神社に参拝するだけで、それを非難囂々騒ぎ立てるのは、A級戦犯が合祀されているという理由ですが、そもそも日本は思想信条や宗教の自由がわが国の憲法で保障されている自由民主主義国であり、公人であれ私人であれ、一個人がどのような思想を持とうが、宗教を持とうが、その個人の基本的人権としての権利と自由は認められています。犯罪行為やテロ行為に繋がるものは別として、ある特定の政治思想や宗教に帰依したりしただけで、強制収容所や監獄に入れられるような国家とは異なるのです。

   もちろん国内も含めいわゆるA級戦犯についての様々な立場や見解はあるでしょうが、それもまた我が国が自由民主主義国である以上は、それを支持する人々も批判する人々もその言論の自由は保障されているという意味に於いては、どのような主張をすることも許されており、そしてその主張や立場に関係なく平等に扱われるのです。

 ある特定の政治的主張をするからという理由で投獄されたり、ある特定の宗教を信仰するからという理由だけで弾圧されたりする国家とは異なるのです。また、仮にある特定の個人に罪があったとしても、裁判の結果課せられた刑が執行されれば、その時点でその罪は償われ、消滅します。従って裁判により絞首刑に処せられた人物が実は冤罪の無罪であれ、又は有罪であったとしても、いずれにせよ刑が執行された以上、もはやその罪は償われているわけです。

   ましてその死後、魂となったからには、それはもはや物質的な現世の人間世界の存在ではなく、あの世の世界、神の領域の存在です。あの世に関する考え方は、文化や宗教によって異なります。善人の魂であれ、刑を受けて罪を償った人の魂であれ、無罪なのに冤罪で刑死された魂であれ、死後の魂をどのように慰霊するかは、それぞれ固有の文化の問題であり、宗教上の信仰や信念の問題です。

   そもそも中国共産党が信奉されている共産主義思想は唯物史観、唯物論のはずです。つまり神も宗教も魂も死後の世界も一切その存在を認めない、現世における「物」を唯一認める世界観のはずです。従って死によって肉体という物質が消滅したら、もはやそこには何も存在しない「無」であるはずです。従って、わたくしたち日本人が死後の魂をどのように慰霊しようとも、唯物論者であるべき共産主義者にとっては「なんの意味もない行為」のはずです。それを喧々諤々、非難囂々騒ぎ立てて批判するのは、一体なぜなのか、ご自分たちの依って立たれる思想信条や唯物論哲学に基づいてよく分析されるべきではないかと存じます。

   我々日本人が、日本文化や日本固有の伝統的な宗教的心情に基づいて自国内の神社や仏閣に参拝し、もはや現世にはいない魂を自分自身の思想信条、宗教的な信仰心に従って慰霊する行為を、外国の方々からとやかく言われる所以はなく、ましてや唯物論の立場からすればそれは全く無意味な行為なはずであり、もしそれが無意味な行為なら、尚更とやかく言うこと自体も無意味なことなのではないでしょうか。

 共産主義国ではない韓国については、中国とは些か事情は異なるものとわたくしは理解しています。もちろんそれでも尚、あの世の存在である魂の慰霊自体は上述と同様であると思いますが、恐らく韓国の方々にとっては、むしろ生硬な理屈ではなく、その積年の心情としての問題なのだろうと思います。これは以前も本ブログで何度か取り上げた幕末維新期以来の日本と朝鮮半島との関係性の中で生じてきた問題が根深く存在しており、簡単には取り扱うこともできず、また取り扱うべきものではないと思います。ただ日韓関係は決して未来永劫悪化させるべきではなく、道のりはいかに遠く険しくとも少しずつでも歩み寄り、必ず改善してゆかねばならないものだとわたくしは信じています。その意味では、北朝鮮や中国大陸に住む一般民衆の方々に対しても同様です。根本的な問題はあくまで、政治上、外交上、軍事上、思想信条上、言論上の、国家と国家、政府と政府の間の事柄であることは、忘れてはならない点です。

 「山下奉文将軍の遺訓」

 大東亜戦争の緒戦の活躍で「マレーの虎」と言われた山下奉文陸軍大将(陸士18期、陸大28期恩賜)は、大戦末期にフィリピンを防衛する第14方面軍司令官として戦い、敗戦後の昭和20(1945)年9月1日に降伏し、報復の色彩の強い軍事裁判により戦争犯罪人として、昭和21(1946)年2月23日にマニラ南方の米軍刑務所で絞首刑に処せられました。その処刑の直前に立ち合われた教戒師の森田正覚氏が記録した山下将軍の遺言が、本稿末尾のURLに全文収録されています。最後に、この山下将軍の遺訓の一部を謹んで拝読し、今後の「歴史戦」に臨む心構えとしたいと存じます。(文中■部分は、口述筆記原本での文字の判読不能、欠落等を指します。)

・・・私は大命によって降伏した時、日本武士道の精神によるなれば当然自刃すべきでありました。事実私はキャンガンで或はバギオでかつてのシンガポールの敵将パーシバルの列席の下に降伏調印をした時に自刃しようと決意しました。然し其の度に私の利己主義を思い止まらせましたのは、まだ終戦を知らないかつての部下達でありました。私が死を否定することによって桜町(キャンガン)を中心として玉砕を決意していた部下達を無益な死から解放し祖国に帰すことが出来たのであります(私が何故自決をしなかったかということは、ついている森田教誡師に質問され詳しく説明致した所であります。)

   私は 武士は死すべき時に死所を得ないで恥を忍んで生きなければならないということが如何に苦しいものであるかと云う事をしみじみと体験致しました。此の事より■して、生きて日本を再建しなければならない皆様の方が戦犯で処刑されるものよりどれだけ苦しいかということが私にはよく分るのであります。

   若し私が戦犯でなかったなら皆さんからたとえ如何なる恥辱を受けませうとも自然の死が訪れて参りますまで生きて贖罪する苦難の道を歩んだでありませう。

   兵は国の大事にして死生の地、存亡の道なり、察せざるべからず、と孫子もいったように兵はまさしく凶器であり、大きな罪悪でありました。この戦争を防止するため私はあらゆる努力を払いました。然し悲しいかな私の微力よく之を阻止することが出来なかったことはまことに慙愧に耐えない次第であります。

   マレー侵略、シンガポール攻略、国民の血を湧かした丈に恐らく皆さんは私を生粋の侵略主義者、軍国主義者の最たるものであると目して居られるでしょうがそれは当然であります。一身を軍職に捧げた職業軍人であります。今更何をか之に加えましょうか。然し私も軍人であると共に一■日本国人民としての意識も又相当強く動いて居りました。亡国と死者とは永久に再生はないのであります。

   兵事は古えより明君賢将の深く慎み警むる所でありました。一部の■者がひとの事を断じて国民大衆を多く殺傷し残れる者を今日の如く塗炭の苦しみに落入れたことは等しく軍部の専断であり国民諸君の怨嗟悉く我等に集中するを思う時私は正に断腸の思がするのであります。

   ポツダム宣言によって日本が賢明ならざる目論見によって日本帝国を滅亡に導いた軍閥指導者は一掃され、民意によって選ばれた指導者によって平和国家としての再建が急がれるでしょうが、前途益々多事多難んることが想像されます。建設への道に安易なる道はありません。軍部よりの圧力によったものとは云えあらゆる困苦と欠乏に堪えたあの戦争十箇年の体験は必ず諸君に何物かを与えるに違いないと思います。新日本建設には、私達のような過去の遺物に過ぎない職業軍人或は阿諛追従せる無節操なる政治家、侵略戦争に合理的基礎を与えんとした御用学者等を断じて参加させてはなりません。

   恐らく占領軍の政策として何等かの方法が取られるでありましょうが将に死に就かんとする私は日本の前途を思うの余り一言申し添えたいと思うのであります。踏まれても、焼かれても強い繁殖力を持った雑草は春が来れば芽を吹きます。国悉く破れて山河のみとなった日本にも旺盛なる発展の意志を持った日本の皆様は、再び文化の香り高い日本をあの1863年丁独戦争によって豊沃なるヌレスリッヒ、ホルスタイン両州を奪はれたデンマークが再び武を用いる事を断念し不毛の国土を世界に冠たる欧州随一の文化国家に作り上げたように建設されるであろう事を信じて疑いません。私共亡国の徒は衷心からの懺悔と共に異国の地下から日本復興を祈念いたします。新に軍国主義者共を追放し自ら主体的立場に代られた日本国民諸君、荒された戦禍の中から雄々しく立上がって頂き度い。それが又私の念願であります。私は朴訥なる軍人であります。

   私の刑の執行は刻々に迫って参りました。もう40分しかありません。この40分が如何に貴重なものであるか、死刑因以外には恐らくこの気持の解る人はないでしょう。私は森田教誡師と語ることによって、何時かは伝はるであろう時を思い、皆さんに伝えて頂くことに致します。聞いて頂きたい・・・・(中略) 

   自由なる社会に於きましては、自らの意志により社会人として、否、教養ある世界人としての高貴なる人間の義務を遂行する道徳的判断力を養成して頂きたいのであります。此の倫理性の欠除という事が信を世界に失ひ■を萬世に残すに至った戦犯容疑者を多数出すに至った根本的原因であると思うのであります。此の人類共通の道義的判断力を養成し、自己の責任に於て義務を履行すると云う国民になって頂き度いのであります。

   諸君は、今他の地に依存することなく自らの道を切り開いて行かなければならない運命を背負はされているのであります。何人と雖も此の責任を回避し自ら一人安易な方法を選ぶ事は許されないのであります。こゝに於いてこそ世界永遠の平和が可能になるのであります。

 


「もはや日本は競争相手ではない」韓国の妄想

2021-02-02 15:36:06 | 日記
勝又壽良のワールドビュー
@oGxbAl74XtEQ0Fw
好評を頂いている「勝又壽良の経済時評」の姉妹版。勝又壽良が日々の世界経済ニュースをより平易に、かつ鋭くタイムリーに解説します。中国、韓国、日本、米国など世界の経済時評を、時宜に合わせ取り上げます。

昨年7月以降、韓国の日本への経済的恐怖はピークに達していた。

半導体の重要3素材の輸出手続き規制が、韓国経済を押し潰すという騒ぎであった。

あの悲観論が噓のような超強気の日韓技術力格差逆転論が登場してきた。しかも、5年以内にそれが実現するというのである。

2020年12月08日

『レコードチャイナ』(12月7日付)は、「5年以内に日韓の技術力が逆転する? 経済研究院の見通しに韓国ネット『もはや日本は競争相手ではない』」と題する記事を掲載した。

韓国『ファイナンシャルニュース』(12月3日付)は、「日本の失われた30年、猛追者韓国が5年以内に技術力も上回る」と題した記事を掲載した。

記事によると、韓国経済研究院が韓国の9大輸出主力産業について日韓の世界シェアを調査した結果、2000年は1位産業の数が日本6、韓国2だったが、昨年は日本1、韓国1と並んだ。24年には日本の1位産業が皆無になると予想している。

(1)「9大主力産業の全てで日本のシェアは20年間下落を続けている。とりわけメモリは、基幹技術を保有しているにもかかわらずサムスン電子、SKハイニックスに押されて6%台まで落ち込んでいる。自動車、鉄鋼、造船、電子も韓国企業の成長の中、相次ぎ1位の座を追われているといい、「20数年前の日本の主力産業が、今では韓国の主力産業となった」としている」

韓国のメモリ半導体シェアが高まったと自慢している。これは汎用品である。高級品の半導体分野では、日本に及ばないのが現実である。もともと、日本の半導体技術を窃取したのが、韓国半導体のスタートである。造船は、人件費が勝負の産業である。韓国の自動車が、日本を抜いたと聞いたこともない。要するに、このパラグラフの主張は根拠不明である。

(2)「韓国を100と仮定して9大主力産業の技術競争力を比較すると、2000年の日本は113.8でかなりの優位にあったが、現在は102.8と、日韓の差は縮まっているという。

24年ごろには日本の同数値は97.4まで下がり、日韓の技術力が逆転するとの予想を示している。ただ、自動車(117.4)、繊維(116.3)、石油化学(108.3)、一般機械(107.1)などでは依然、日本が優位だとの見通しだ

韓国技術レベル=100として、次の4業種の日本は韓国を大きくリードしている。

自動車  117.4

繊維   116.3

石油化学 108.3

一般機械 107.1

日本は上記の産業において、韓国を上回っている。

自動車や繊維の技術レベルにおいて大差である。

それにも関わらず「日韓に技術水準が逆転」とは、全く辻褄の合わないことを主張している。

(3)「記事は、「19年に日本が韓国に対し素材・部品・装備の輸出規制を施行したことで、当初は韓国内に懸念が広がったが、現在はむしろ『災い転じて福となす』という状況だ」と伝えている。

日本の輸出規制以降、SKマテリアルズが超高純度フッ化水素ガス、ソルブレインが液体フッ化水素の量産を始め、米デュポンは韓国内のフォトレジスト(感光材)生産工場に投資。

これらにより、フォトレジストとフッ化水素の日本輸入依存度は6.1%と33.0%まで下がったという。

記事は「輸出規制措置は日本経済にとってブーメランとなった」とも指摘している」

半導体3素材を国産化できたとしても、品質の均一化、コストの安さ、納期の確実性という3つの要因がそろわなければ、国産化に成功とは言えない。

サムスンが、日本詣でを続けているのは、韓国の国産化という「代物」が、日本製品と十分対抗できない証である。

(4)「ただ、韓国が日本を追い上げたように、最近は中国が韓国を脅かしていることから、「日本経済状況を反面教師として、不確実性に備えるべき」との声も上がっている。

現代経済研究院は「今の韓国の環境で、日本の轍(てつ)を踏む可能性は低いが、長期低成長の局面に入れば、日本が経験した問題点を韓国も免れることはできないだろう」と話しているという」

余りにも調子に乗った記事である。韓国経済が、人口動態面で日本よりも深刻な事態に落込んでいることに全く無頓着な記事である

日本の技術貿易収支は、世界2位の黒字国である。

技術を輸出して多額の黒字を得ているのだ。ちなみに1位は、米国である。

韓国は、最大の技術貿易赤字国である。この韓国が、どうやって日本の技術レベルを追い抜くのか。誇大妄想と言うほかない。