■紅葉を巡り
メリークリスマスです。

八坂神社、紅葉を巡りました。全国的にこの神社を有名にしているのは、恐らくNHKなどで夏の風物詩のように全国ニュースの終わりのほうで紹介してくれる祇園祭、ではないかとおもうのですが、あの祇園祭がここ八坂神社のお祭りでもあるのです。

楼門をくぐりますと、石段が曲がりくねって続いていまして、この辺りは東山と言われる通りの高低差を感じるのですが、その先に本殿があり拝殿なども、巨大な本殿が狭い場所に広がっている。参拝の列は拝殿まで伸びるが、隣から賽銭を投じても、いい。

祇園社、祇園感神院、明治以前はこう呼ばれていまして、この名前ですと八坂まつりではなく祇園祭、と呼ばれます所以を親しみもてるのではないかとおもいます、ここは東山区祇園町北側という四条通の東端に鎮座していまして、祇園の繁華街からも楼門が。

深夜にも煌々と照らされる楼門は、ちょっとほろ酔いの際にも遠景に目立つものでして、そして深夜にも参拝できる神社という事ですから、酔客でもなにかご利益を、と参拝する姿を、私はかなり前から興味深く見ていたのですけれども。

併せて祇園界隈には、ちょっと敷居が高いとおもわれるかもしれませんが、それは一部の一角だけでして、少しも勇気でかなり美味しいものを手軽に頂けるという事もありますので、この界隈も散策の経路から、少し歩けば高台寺に清水寺に知恩院、かずおおい。

紅葉の季節、東山界隈は混雑するところではあるのですが、祇園祭の神幸祭や年末年始と比べれば混雑など微々たるものでして、ちょっとした時間に早めの初詣、というわけではないのだけれども、参拝にかこつけて周りを散策するのは、たのしいもの。

素戔嗚尊、櫛稲田姫命、八柱御子神、この三柱をまつる神社となっていまして、ただそのはじまりはつまり、祇園祭のはじまりは貞観11年こと西暦869年、神泉苑で行われた御霊会を原点としていまして。それが今日まで大切に継承されているということ。

貞観時代というのは富士貞観噴火や貞観地震など、歴史上の大災害が凝集している時代です。平安時代、毎年のように疫病が洛中に黒い影を落とすようになっていました時代ですので、これを祓う神事として祇園祭が始まった歴史があるのですが。

四条通から参拝に向かう際には、目の前の交差点の奥に石階段がありまして、此処の楼門は南楼門というこの神社一番の楼門よりは大きさは小さいのですけれども、目の前の道路とともに、自動車と神社、なにか古都らしい風情を醸し出すようで私は好きです。

興福寺とつづいて延暦寺の影響を受けるなど、実は神社としてよりも寺院として認識されていたようで、のちに延久2年こと西暦1070年、朝廷から鴨川の西岸地域を境内として認められ、不入権、というものを承認されるなど異質な地位にありまして。

神仏習合という歴史的背景はあったのですが、天台宗の延暦寺の末寺という位置づけになり、長くを時代と共に歩みました。ただ、神社としては足利義満の時代に祇園社を比叡山延暦寺から分離させるなどの措置を取ったことで漸く神社として認識されるように。

紅葉の名所か、といわれますと、東山散策のさいの基点に、という印象があるのですけれども、同時に祇園や先斗町からいちばんちかい大きな神社という立地を見ていますと、ちょっとご飯を食べて、若しくは阪急や京阪で移動した際にちょっと寄れる神社だ。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
メリークリスマスです。

八坂神社、紅葉を巡りました。全国的にこの神社を有名にしているのは、恐らくNHKなどで夏の風物詩のように全国ニュースの終わりのほうで紹介してくれる祇園祭、ではないかとおもうのですが、あの祇園祭がここ八坂神社のお祭りでもあるのです。

楼門をくぐりますと、石段が曲がりくねって続いていまして、この辺りは東山と言われる通りの高低差を感じるのですが、その先に本殿があり拝殿なども、巨大な本殿が狭い場所に広がっている。参拝の列は拝殿まで伸びるが、隣から賽銭を投じても、いい。

祇園社、祇園感神院、明治以前はこう呼ばれていまして、この名前ですと八坂まつりではなく祇園祭、と呼ばれます所以を親しみもてるのではないかとおもいます、ここは東山区祇園町北側という四条通の東端に鎮座していまして、祇園の繁華街からも楼門が。

深夜にも煌々と照らされる楼門は、ちょっとほろ酔いの際にも遠景に目立つものでして、そして深夜にも参拝できる神社という事ですから、酔客でもなにかご利益を、と参拝する姿を、私はかなり前から興味深く見ていたのですけれども。

併せて祇園界隈には、ちょっと敷居が高いとおもわれるかもしれませんが、それは一部の一角だけでして、少しも勇気でかなり美味しいものを手軽に頂けるという事もありますので、この界隈も散策の経路から、少し歩けば高台寺に清水寺に知恩院、かずおおい。

紅葉の季節、東山界隈は混雑するところではあるのですが、祇園祭の神幸祭や年末年始と比べれば混雑など微々たるものでして、ちょっとした時間に早めの初詣、というわけではないのだけれども、参拝にかこつけて周りを散策するのは、たのしいもの。

素戔嗚尊、櫛稲田姫命、八柱御子神、この三柱をまつる神社となっていまして、ただそのはじまりはつまり、祇園祭のはじまりは貞観11年こと西暦869年、神泉苑で行われた御霊会を原点としていまして。それが今日まで大切に継承されているということ。

貞観時代というのは富士貞観噴火や貞観地震など、歴史上の大災害が凝集している時代です。平安時代、毎年のように疫病が洛中に黒い影を落とすようになっていました時代ですので、これを祓う神事として祇園祭が始まった歴史があるのですが。

四条通から参拝に向かう際には、目の前の交差点の奥に石階段がありまして、此処の楼門は南楼門というこの神社一番の楼門よりは大きさは小さいのですけれども、目の前の道路とともに、自動車と神社、なにか古都らしい風情を醸し出すようで私は好きです。

興福寺とつづいて延暦寺の影響を受けるなど、実は神社としてよりも寺院として認識されていたようで、のちに延久2年こと西暦1070年、朝廷から鴨川の西岸地域を境内として認められ、不入権、というものを承認されるなど異質な地位にありまして。

神仏習合という歴史的背景はあったのですが、天台宗の延暦寺の末寺という位置づけになり、長くを時代と共に歩みました。ただ、神社としては足利義満の時代に祇園社を比叡山延暦寺から分離させるなどの措置を取ったことで漸く神社として認識されるように。

紅葉の名所か、といわれますと、東山散策のさいの基点に、という印象があるのですけれども、同時に祇園や先斗町からいちばんちかい大きな神社という立地を見ていますと、ちょっとご飯を食べて、若しくは阪急や京阪で移動した際にちょっと寄れる神社だ。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)