■岐阜ファントム記念塗装登場
本日、岐阜基地飛行開発実験団に所属するF-4戦闘機の記念塗装飛行が行われました、今回は速報という事でコンデジにて撮影の写真を速報です。
F-4EJ戦闘機記念塗装機が本日飛行しました、この記念塗装は航空自衛隊最長の運用、1971年から2021年にわたる航空自衛隊F-4戦闘機運用の最終段階を飾るものであり、航空自衛隊ファントム発祥の地である岐阜基地にて有終の美を飾る記念塗装ともなっています。
四機編隊のF-4EJ,そしてF-4EJ改、本日は航空自衛隊のフォトミッションにて飛行したものと考えられ、実際、離陸の様子から着陸の瞬間まで、F-2Bはじめ複数の航空機が随伴し、また、F-2Bの一部はカメラを携行した搭乗員が後部座席に任務に当たっていたのがみえる。
アメリカから到着した当時の特別塗装機が飛行した、この一報は先週木曜日に愛好家が撮影、話題となりました。特別塗装機を含む四機編隊の飛行はそのまま金曜日も実施、こうして期待を込めて岐阜基地周辺には幻の岐阜基地航空祭2020を求め多くが集ったわけです。
百里基地が航空自衛隊ファントム飛行隊発祥の地ですが、岐阜基地はアメリカのマクダネルダグラス社において開発されたEJ型最初の初号機と二号機が到着したその地であり、また初号機である301号機がこの記念塗装機として日本配備当時の塗装を復刻したものです。
301号機、EJ型初号機は日本においてもっとも古いファントムではありますが、飛行開発実験団において評価試験に供されたことで飛行時間は第一線のEJやEJ改ほどではなく、多くのファントムが長い任務を完了し退役したなかでも運用が維持され、今日に至ります。
ファントム。もともとはアメリカ海軍の空母艦載機として開発されたもので、しかし艦隊防空を担うとともにA-6攻撃機やA-4攻撃機に随伴しての航空打撃を担う関係から、制空戦闘機として性能も有しており、当時F-104を運用していた航空自衛隊に注目されました。
EJ型はアメリカ空軍仕様のE型を日本仕様として爆撃照準機や核兵器運用機能を省いたものであり、アメリカ空軍も当時は戦略空軍との予算関係や航空阻止への戦術核兵器有用性から戦闘機というより戦闘爆撃機というべき機体が重視されていた時代に採用されたもの。
F-105戦闘機などアメリカ空軍は戦闘爆撃機を第一線で運用し、またアメリカ本土ではF-102やF-106といった地上管制防空システムと一体運用するミサイルの延長線上のような戦闘機が多数を占めていた中、ヴェトナム戦争という地域戦争を迎えることとなった。
F-4はここまでのF-105がMiG-19やMiG-21といった軽戦闘機の攻撃に格闘戦で対抗できず、またF-102やF-106は本土以遠での運用を想定していなかったために用をなしません、ここで空軍は海軍のF-4をF-110として採用した、これが世界中に採用されたF-4Eという。
アメリカは各国にF-4を供与し、海軍空軍の採用と友好国同盟国への供与により生産数は実に5000機を越えるものとなりました。こうしたなかで航空自衛隊は三菱重工によるライセンス生産を実施、これにより2020年代まで長期間の運用基盤を確保できたわけです。
今回の特別塗装は、いよいよ年内にも最後に実戦部隊として運用が維持されている百里基地第7航空団での運用が終了し、そして間をおかず来年の早い時期には飛行開発実験団での運用も完了する、この転換点にあわせ実施されたもの。見れる期間は長くはありません。
曇天と雨天、全く飛行せずこのまま終了か、と危ぶむも無事午後過ぎから飛行を開始、夕闇迫る頃に美しい四機編隊、随伴の各種航空機とともに着陸する様子を撮影できたのは幸い。最後になりましたが現地でご一緒いただきましたみなさま、ありがとうございました。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
本日、岐阜基地飛行開発実験団に所属するF-4戦闘機の記念塗装飛行が行われました、今回は速報という事でコンデジにて撮影の写真を速報です。
F-4EJ戦闘機記念塗装機が本日飛行しました、この記念塗装は航空自衛隊最長の運用、1971年から2021年にわたる航空自衛隊F-4戦闘機運用の最終段階を飾るものであり、航空自衛隊ファントム発祥の地である岐阜基地にて有終の美を飾る記念塗装ともなっています。
四機編隊のF-4EJ,そしてF-4EJ改、本日は航空自衛隊のフォトミッションにて飛行したものと考えられ、実際、離陸の様子から着陸の瞬間まで、F-2Bはじめ複数の航空機が随伴し、また、F-2Bの一部はカメラを携行した搭乗員が後部座席に任務に当たっていたのがみえる。
アメリカから到着した当時の特別塗装機が飛行した、この一報は先週木曜日に愛好家が撮影、話題となりました。特別塗装機を含む四機編隊の飛行はそのまま金曜日も実施、こうして期待を込めて岐阜基地周辺には幻の岐阜基地航空祭2020を求め多くが集ったわけです。
百里基地が航空自衛隊ファントム飛行隊発祥の地ですが、岐阜基地はアメリカのマクダネルダグラス社において開発されたEJ型最初の初号機と二号機が到着したその地であり、また初号機である301号機がこの記念塗装機として日本配備当時の塗装を復刻したものです。
301号機、EJ型初号機は日本においてもっとも古いファントムではありますが、飛行開発実験団において評価試験に供されたことで飛行時間は第一線のEJやEJ改ほどではなく、多くのファントムが長い任務を完了し退役したなかでも運用が維持され、今日に至ります。
ファントム。もともとはアメリカ海軍の空母艦載機として開発されたもので、しかし艦隊防空を担うとともにA-6攻撃機やA-4攻撃機に随伴しての航空打撃を担う関係から、制空戦闘機として性能も有しており、当時F-104を運用していた航空自衛隊に注目されました。
EJ型はアメリカ空軍仕様のE型を日本仕様として爆撃照準機や核兵器運用機能を省いたものであり、アメリカ空軍も当時は戦略空軍との予算関係や航空阻止への戦術核兵器有用性から戦闘機というより戦闘爆撃機というべき機体が重視されていた時代に採用されたもの。
F-105戦闘機などアメリカ空軍は戦闘爆撃機を第一線で運用し、またアメリカ本土ではF-102やF-106といった地上管制防空システムと一体運用するミサイルの延長線上のような戦闘機が多数を占めていた中、ヴェトナム戦争という地域戦争を迎えることとなった。
F-4はここまでのF-105がMiG-19やMiG-21といった軽戦闘機の攻撃に格闘戦で対抗できず、またF-102やF-106は本土以遠での運用を想定していなかったために用をなしません、ここで空軍は海軍のF-4をF-110として採用した、これが世界中に採用されたF-4Eという。
アメリカは各国にF-4を供与し、海軍空軍の採用と友好国同盟国への供与により生産数は実に5000機を越えるものとなりました。こうしたなかで航空自衛隊は三菱重工によるライセンス生産を実施、これにより2020年代まで長期間の運用基盤を確保できたわけです。
今回の特別塗装は、いよいよ年内にも最後に実戦部隊として運用が維持されている百里基地第7航空団での運用が終了し、そして間をおかず来年の早い時期には飛行開発実験団での運用も完了する、この転換点にあわせ実施されたもの。見れる期間は長くはありません。
曇天と雨天、全く飛行せずこのまま終了か、と危ぶむも無事午後過ぎから飛行を開始、夕闇迫る頃に美しい四機編隊、随伴の各種航空機とともに着陸する様子を撮影できたのは幸い。最後になりましたが現地でご一緒いただきましたみなさま、ありがとうございました。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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