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北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【G3X撮影速報】第10師団創設61周年守山駐屯地祭【3】廃止改編前74式戦車最後の迫力(2022-09-05)

2023-12-25 20:05:04 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■戦車最後の一年
 守山駐屯地での観閲行進の撮影位置に陣取っていましたら今年は観閲行進が行われないと急に慌てて撮影位置を陣地変換したのちのところ。

 74式戦車の行動展示、公道展示というと日大みたいな響きなのですがそう説明するべきか、動的展示です。この74式戦車、長らく陸上自衛隊の主力戦車として君臨し、実に873両も量産されましたが、いよいよ来年三月、あと三カ月ほどで完全に退役するという。

 第10戦車大隊も改編により第10偵察戦闘大隊へ改編され、同時に第10偵察隊も廃止改編されるのですが、併せて戦車と云えば滋賀県今津駐屯地、という標語の様に親しまれた湖北から第10戦車大隊は改編と共に愛知県の春日井駐屯地へと移駐してしまうとのこと。

 10式戦車の1個中隊でも配備されれば多少は74式戦車も後継者に道を譲って円満退役、と花束でも振ってその全廃を祝えるのですが、戦車大隊を置き換えるのは一個中隊の16式機動戦闘車のみ、という。装甲も薄ければ不整地踏破能力も低く、大丈夫なのか考える。

 16式機動戦闘車、この戦車駆逐車の潮流を生んだイタリアのチェンタウロ戦車駆逐車はそのまま、フレシア装甲戦闘車へ改良され、現在は120mm砲を搭載したチェンタウロ2の量産が開始されているため、16式機動戦闘車も120mm砲型への発展を祈るのみ、なのか。

 第10高射特科大隊、こちらは師団に残る部隊です。見栄えのある展示という事で12.7mm重機関銃を空包射撃していました。無人機による都市攻撃を念頭に自衛隊が警備隊区という地域配備を考えるならば、高射機関砲など、実のところもう少し増強せねばならない。

 87式偵察警戒車を先頭に訓練展示が開始されました。唐突かもしれませんが、此処に移動する為にちょっと時間がかかりました、訓練展示は此処から撮影しよう、と目星をつけている場所に少々急ぎ足で移動しまして、ちょっと角度的にいいかなという立地から撮影だ。

 仮設敵が盛んに銃撃を行う。地域配備師団への改編、ということで第10師団は戦車大隊廃止と特科連隊移管という準備を重ねてきましたが、一年前に政府が急に機動師団と地域配備師団に分ける改編を中断し、装備が殆どない地域配備師団を機動運用すると覆した。

 無人航空機。アナフィー無人機が飛来しました、自衛隊はこの装備にかなり重点を置いているというのですが、勿論無用とは言わないのですが、市販で数万円の装備は有事の際には緊急調達ができる、けれどもヘリコプターなんかは簡単に調達できぬことはお忘れなく。

 レンジャーが搭乗したUH-1多用途ヘリコプターが飛来しました、もともとこの多用途ヘリコプターというのは陸上自衛隊に150機ほどあって、全国の方面隊に20機の飛行隊があり、一部の師団にも配備されていたものが1990年代の改編で全ての師団へ配備される事に。

 UH-X問題、しかし、防衛省が当時の富士重工と防衛装備品調達中断問題で空転し関係が悪化したところで川崎重工が新多用途ヘリコプター開発の方向で計画を進めたところ、官製談合の疑いが掛けられ計画が空中分解、ヘリコプター不足が響きどの部隊も定数割れへ。

 現場は頑張っている事は認めるのだけれども、結局役所としての部分が調達失敗を、官は間違いを犯さず、と建前ばかりをkにする為に、下手をすれば周辺事態という厳しい環境にあって、防衛力がどんどん瓦解しているのがここ20年間ほどの連続した状況という。

 大軍拡に反対、という赤い政党等の主張を街頭のポスターで散見する事が有るのですが、なによりも大軍拡以前に建て直さなければ、結局のところは赤い政党と同じ名前の政党が大陸で行ったように、結局投げるものがなくなれば何を投げるか、という事になるのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都発幕間旅情】彦根城,佐和口多聞櫓から始まる金亀山の城郭登城路は防御重視の天下普請城郭の入り口

2023-12-25 07:00:45 | 旅行記
■正月飾りの彦根城探訪記
 彦根城を探訪しますと既に城郭は正月飾りを並べ年末年始の師走風情を醸していました。

 滋賀へ彦根へ。年末という事で彦根城へ行って参りました。京都が高校生駅伝で混雑しているとともに最近の高校生駅伝が支援の第7普通科連隊参加が少ないから、というわけではないのですけれども。若干雪景色を期待したものの素晴らしい快晴に恵まれている。

 佐和口多聞櫓という、彦根駅から彦根城に向かいますと掘割の向こうに、ここから城郭への山は広がるのですが、入り口に当るところに大きな櫓がありまして、その向こうに複合式望楼型 三重三階天守閣がみえてくるという、これからの登城の気分を盛り上げてくれる。

 琵琶湖畔の彦根城、散策には最適だ、大名屋敷こそ残念な事に廃藩置県後に廃城となった際の混乱で失われてしまったけれども、天守閣と複数の櫓が健在であり、なによりも石垣と掘割が巡らせる情景は、そうどれだけ歩きまわても飽きる事はない、美しい城郭なのだ。

 東海道線彦根駅、新快速が停車すると共に駅舎には化粧煉瓦が施され、そして近江鉄道と日日本旅客鉄道の駅舎を一歩街へ歩み進めますと、迎えるのは井伊直政の騎馬像そのひと。そう、ここは井伊さんの彦根、というべきなのでしょうか、街とお城が愛されていて。

 城郭は駅から、福山城と三原城のようなお城が駅の真横のつもりでアーケードを進んでいますと案外歩く、しかし、アーケードのその先に天守閣が見えまして、もう少しでお城なのだなあ、と思うと意外に近いのかもしれません。しかし城内は活気にあふれている。

 連郭式平山城の彦根城は井伊直継が西暦1622年、元和8年に築城した城郭なのですけれども、城内が活気にあふれているというのは、観光客が多い、ひこにゃんがいる、いくつか理由があるのですけれども、もう一つ、城郭に高校や大学が置かれているということも。

 現在もつかわれている城郭、といいますと持射浮かべるのは皇居、そしてこのほかにも静岡県庁が置かれる駿府城や福井県警本部の置かれる福井城というもの、新幹線駅として使われているような三原城のその一つなのでしょうが、学校が置かれている城郭が彦根で。

 金亀山、彦根城の天守閣はこの山頂にあります。けれども山頂と仰々しい表現は言うものの、高低差は50mくらいといい、まあ要するに京都駅ビルの大階段ほどの高低差も無いわけです、ただしながら石階段を上ってゆく先、妙に高い様にも思えてくるのは不思議だ。

 城郭は、井伊直政、彦根藩初代藩主が関ヶ原の戦いにおいて勲功を挙げ、しかし西軍島津義弘の撤退戦に際して正面突破を受けた、烏頭坂の戦いで井伊直政は重傷を負い、この勲功が関ヶ原に近い彦根の地、近江は湖南地方を中心に所領として徳川家康から与えられる。

 上り難い城郭は防御を念頭に置いた、これは何しろ江戸時代があれ程に長く安定した時代が続くとは思われていませんでしたから、先ずは江戸の防御を、その為には東海道と北陸道の結節点に位置する彦根は戦略的に重要であるとして、頑強な城郭を造営することに。

 天下普請という、幕府直轄の築城となりました彦根城は、要するに安易な城郭では困るとの幕府の決意とともに造営されたわけですから、この石階段が上り難いのも仕方がないのだよなあ、と納得し、こうして天秤櫓がみえるところまでのぼってきましたわけです。

 天秤櫓、井伊年譜という歴史書によればこの櫓は今は無き、再建天守閣はあるけれども、長浜城から移築されたものといいまして、本丸南腰曲輪を防衛しています。二層二階の櫓は廊下橋という有事の際には落とされて障害を構成する構造で、その先に天守閣がある。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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