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北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都幕間旅情】上賀茂神社(賀茂別雷神社)皇城鎮護の神社は疾病克服し再開する"葵祭"の歴史行列を待つ

2022-05-11 20:22:37 | 写真
■葵祭-京都に戻る
 葵祭がCOVID-19感染拡大では神事のみ行われ神社の神域をでない祭事となっていましたが今週末に遂に再開し歴史行列として京都に戻ってきます。

 一ノ鳥居を望見しつつその先の静かな社殿に思いはせる、皇城鎮護の神社として、また更に歴史を神話に遡りますと神武天皇が当地を行幸した際の賀茂別雷命が降臨があったともいう、ここは京都市北区上賀茂本山にあります、京都でも随一の歴史を誇ります神社です。

 賀茂別雷神社、そして上賀茂神社として親しまれます社殿です。ここは枝垂桜が美しいところでして、その枝垂桜は一瞬とされる桜花の季節に在って御室桜とともにその季節の大団円を飾るような、しかし桜色が朱色の気風を色濃く印象付けさせる風景がひろがります。

 2022年の5月15日ほど選択を迫られるという日は少ないかもしれません、この日は久々の第3師団祭が兵庫県伊丹の千僧駐屯地で執り行われ、この日は久々の葵祭が京都御所から上賀茂神社にむけて歴史行列の煌びやかさを示す、ついでも神戸川崎艦これイベントも。

 神戸川崎艦これイベントは、榛名さん神戸なのだからといわれそうなのですが、護衛艦はるな建造は三菱長崎でして護衛艦はるな艦上を知っている身としては、戦艦榛名に親近感は湧くものの、神戸といわれるとぴんとこない、というのはその実態なのかもしれません。

 賀茂別雷命を祀る本殿へ。煌びやかな荘厳さを誇るというよりは、率直な信仰の寄る辺という上賀茂神社、皇城鎮護の社殿も現行憲法の国民主権を考えれば国民全体を護る社殿ともいえますわけで、欧州や北米と南米や南アジアほど病魔悲惨ではない状況に感謝します。

 榛名建造は神戸ですが加賀建造も神戸、摩耶建造も神戸です。しかし、護衛艦かが建造と護衛艦まや建造は横浜IHIなものですから、これも感覚というのは不思議なものだなあ、とおもう次第です。それはそれとしまして、COVID-19自粛時代はほんとうに長かった。

 第3師団か葵祭か、双方ともに個人的なご縁もありますので難しいところですが。行事を選べる、そんな季節がもどってきましたのは幸い。なんでも2022年はブラジルでリオのカーニバルが三年ぶりに、という話題でしたが報道をみますと残念な気持ちになったもの。

 国際報道を見ますと昨今はウクライナ情勢、ロシア軍ウクライナ侵攻によるウクライナ戦争が第三次世界大戦への導火線となっている為にその首位を抑えて悲惨な状況を世界に脅威及ぼしていますが、その前の二年間は世界規模のCOVID-19感染拡大の定位置でした。

 いのちの価値観への日本の一体性というものがあるのでしょうか、これは宗教や宗派関係なく神社を参拝するという、ともすれば曖昧とも言われる価値観が、一種の価値観の共同体を醸成し、感染抑止と人命というものへの行動を一つにしたのだろうか、とも考える。

 葵祭は継承に成功しましたが、リオのカーニバルはカーニバルチームによっては少なくないメンバーの方がリオデジャネイロのCOVID-19感染拡大により帰らぬ人となったという、ブラジルの人的被害はかなりの規模となっていましたが、祭りに多少影響したともいう。

 日本はこの点、いや少なくない方がお亡くなりに成られまして、あの東日本大震災の数日間でなくなられた人数を越えたのはショックではありました、ただ、その人数に達するのに数年間という数字をみまして、そして季節性インフルエンザの数字を並べられましたら。

 春の到来というものは、こうした風情を思わせるのだろうなあ。そう考えるのは、感染は続いては要るものの、もう数えきれないような人命が毎日という程考えず済むようなワクチンが普及している最中であるためです。心の開放感というものを感じる訳なのですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】東寺(教王護国寺)五重塔見上げ空海に寺院下賜した嵯峨天皇と願い結んだ長安青龍寺恵果和尚

2022-05-11 20:00:00 | 写真
■桜包む春の五重塔
 平安遷都と平安京造営の時代から今も昔もこの当地に在ります東寺は特別な場所のひとつ。

 東寺と空海、日本史というものを振り返りますと実のところ現代日本では明治憲法の時代からの政教分離が完全に定着しており、歴史としては理解していても実感としての宗教と国家、政治システム論でいうところの政治文化と宗教の関係を認識していないよう思う。

 嵯峨天皇が空海に、官寺として造営されたこの東寺を下賜したことで、先帝桓武天皇の時代に小さな中国を施行していた古代日本が今日の日本国家のひな型である中世日本へ消火する際に大きな転換点となったのではないかと思う、それは密教という文化とともに進む。

 大陸中国は結局のところ国家造営と宗教の関係は、意外にも近代国家の定義としての政教分離と現代中国の近代国家としての民主主義や自由主義の概念とは裏腹に当時には先進的であり、日本は宗教と政治の不思議な距離感が権力の多極化を生んだように思えるのです。

 長安青龍寺は恵果和尚を訪ねた空海、密教の第七祖である恵果和尚は空海の才覚を見抜いたといい、これは空海の渡海までの厳しい修行、天然痘とも直面し富士山の聖武噴火をも目撃し、日本仏教の独自解釈を体現する空海だからこその出会いであったといえましょう。

 金剛界の灌頂と伝法阿闍梨位の灌頂を授けた恵果和尚は、空海との出会いが同時に寿命の果てる時機との重なりを予見していたとも考えられ、早過ぎる修行進捗を弟子に訝しられつつ、阿闍梨付嘱物を託しこの世を去りました。その体現者として空海は帰国しました。

 平安京は、桓武天皇の長安模倣都市政策をその晩年に脱却する指針が示され、同時に日本が中国型の集権国家からの脱却、言い換えれば現代日本の政治も個人も企業も集団も、責任を分散させようとする悪弊とも重なるのですが、多極化多様化へ舵を切ったように思う。

 西寺と東寺ではなく東寺だけを下賜した背景には、相互に牽制させる、一種現代の三権分立的な、権力の分散による複合的な合意形成と保険的な意見集約機能をここでも求めたのかもしれません、なにか全部集め合理化するが倒れる際は一蓮托生、を離れたようみえる。

 金堂は東寺が空海に下賜されましたた弘仁14年こと西暦823年までには完成していたとされます、ここに空海は本尊の薬師如来坐像と日光菩薩そして月光菩薩の両脇侍像を並べ、密教の姿を体現したのですね。不思議に思われるかもしれませんが、ここにも多極化が。

 密教はその後に真言宗として体系化されますが、比叡山の天台宗とも南都奈良仏教とも相関関係を醸成しまして、一枚岩ではない多極化を生む。そして政治と宗教の距離感と一体化への隔壁も生む事となり、いわば一枚岩でないからこその倒れない国家観が醸成された。

 立体曼荼羅、空海はここに宗教世界の具現化をめざし、講堂須弥壇中央には大日如来を中心とし如来像五仏の五智如来、東方に金剛波羅密多菩薩中心とする菩薩像五大菩薩と五菩薩、西方には不動明王を中心とした明王像五大明王を配置しました。そしてその広がりは。

 須弥壇東西端は梵天と帝釈天像を配置し須弥壇四隅に四天王像を並べるという、絵画に在る世界観を立体化します。その彫像には国の支援があるものでして、国家宗教として国が重視した天台宗とともに真言宗も、続いてといえる程の短期間の間隔で支えた事がわかる。

 五重塔と桜の花々、金堂はじめその内部では撮影する事は出来ず、立体曼荼羅は静かに広がりを見せているのですが、しかしこうした満開花々と今の京都を見ますと、考えればいまの日本と云うのは空海の時代に目指した理想を体現できたのかな、とも考えるのですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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T-14アルマータ戦車-対独戦勝記念日モスクワ軍事パレード2022登場も量産目処立たず七年目の試作車

2022-05-11 07:01:40 | 先端軍事テクノロジー
■臨時情報-ウクライナ情勢
 T-14アルマータ戦車が初めて登場した際には全体的な不気味さから自衛隊の戦車で如何に対抗するかを考えさせられたものですが。更なる量産の遅れへ経済制裁は効果を示すのか。

 5月9日に行われた対独戦勝記念日モスクワ軍事パレードでは、今年も最新鋭戦車T-14アルマータ戦車が登場しました、これはロシア戦車としては重量級の55tという戦闘重量を有し、戦車や装甲戦闘車に自走砲や汎用装甲車を共通車体で構成するアルマータ共通装甲プラットフォームの一要素として主力戦車型がT-14アルマータ,ということになります。

 T-14アルマータ今年も登場、しかし疑問なのはこの車輛が発表されたのは2015年のモスクワ軍事パレードであり、間もなく量産開始と発表され今年で七年となるものの未だ実戦配備に向けた量産が開始されません、そして高い防御力を有すると主張されるものの、そうした防御力の高い車両が必要とされているウクライナへは未だ一両も投入されていません。

 アルマータ共通装甲プラットフォームはパレードでは最新装備であると強調されているものの、結局ロシアの技術力は無人砲塔戦車であるT-14を完成させられない水準ではないか、若しくはウクライナ侵攻前の経済水準で在ってもなお冷戦時代に製造されたT-72と改良型のT-90を置換えられる戦車を開発し揃える事が出来ないのではないか、憶測してしまうのですね。

 ロシアはウクライナ侵攻による経済制裁をうけ国内製造業が既に顕著な影響がでているとされる報道がありました、これはロシアが自動車部品の供給停止を受け驚くべき事にイランからの自動車部品を模索しているとの報道でして、事実であればロシアは現在、過去の自動車工業は既になく、イラン以下の自動車製造能力しか有していないことになります。

 イランの自動車製造水準は世界自動車市場を見れば高いものではありませんが、ここまで追いつめられているということでしょう。問題は既に自動車産業において顕著な影響がでているのですが、自動車産業以外の分野における影響が未知数という点です。例えば戦車や装甲車はロシア国内で維持生産がどこまで可能なのか、先端部品の照準機などはどうか。

 中国ではなくイランから輸入している、興味深い点はここにあります。開戦一ヶ月で、ロシアと中国の閣僚級会談が行われた際、ロシアが中国へ軍事物資を要請したと伝えられ、ロシア側が否定する一幕がありましたが、高い自動車産業を育成している中国から政治的背景があるにせよ自動車部品さえ輸入できないと考えますと、戦車はどうなのか、となる。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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