北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都幕間旅情】東寺(教王護国寺)弘法大師空海は嵯峨天皇からこの東寺を下賜され新時代の始まりを今に継ぐ

2022-05-04 20:21:44 | 写真
■古都と称される京都
 満開の桜を見上げますとこの東寺で観桜を見上げるようになりましたのはいつ頃からなのだろうと思い巡らせます。

 東寺といえば五重塔、いや金堂の内部が異世界で素晴らしいのですが、京都駅からも一望できる五重塔は象徴的な建物です。いや、実はこの仏塔の建設、もともとお釈迦様の仏舎利を収めるための堂宇でして、深い意味は無いのですが、日本では多数が現存している。

 桜の満開に包まれた風景が素晴らしい、こういうのも新緑と紅葉と、東寺は五重塔の立地が逆光となりますので、桜花に透ける陽光という情景、逆光が順光の様に構図が採れる季節と云うのは限られています、やはり、桜の開花時期というのは気分が高揚するものです。

 日本にも東寺と同時代には大官大寺に、今は古寺で小寺となっていますが奈良時代には80m以上の五重塔があったといいますし、朝鮮は新羅の皇龍寺には90m近い九重塔があり、百済の弥勒寺も東寺ほどではないもののかなり高い九重塔があったとされ、考えると凄い。

 五重塔、京都の木造建築物としてはもっとも高い高層建築物です。いま京都でもっとも高い建築物は東本願寺の御蝋燭こと京都タワーなのですが、室町時代にあっては107mの七重塔があったという、京都は遙か昔の時代から実は高層建築物の町だったということです。

 古都と称される京都ですけれども、京都の輪郭というものは幾度も変容していまして、いうなれば平安遷都の頃の京都という面影は残っていません、しかし、御所を中心に貴族邸宅と官庁街だけの都市が長続きするわけがありません、変化を受け入れたのが京都だ。

 寺院が多いという京都ですが、そのそも南都こと平城京から平安遷都となりました背景には南都における宗教勢力の政治介入が増大したからでして、このために官寺である西寺と東寺だけが京都に在りました寺院という。しかし、貴族の氏寺は別となっていました。

 氏寺、興味深いのは京都の古刹といいますか歴史在る寺院の多くは始まりが氏寺という流れを伝えるところが多く、しかし氏寺を造営した貴族は大半が現代に歴史を紡いでいません、それは不思議なことに或る時期、時機というべきか、境に変容した寺院が多いのです。

 信仰の寄る辺、いまに現存する古刹は氏寺から町衆の寄る辺へと転換を果たしました寺院だけが、栄えているのですね。これも変化なのだと思う。そしてもう一つ、平安遷都のころには禅寺はありません、それ以前の問題としてまだ地球上に禅宗が生まれていません。

 京都を古都といわれてしまいますと、しかしその古都というのはどの時点と比較して古都というのか、というちょっとした苛立ちを感じるものでして、斯くあるべし、という一般論の根底は単純な論理の反論で一つ突つくと大いなる矛盾が萌芽し突き崩してしまう。

 桓武天皇は軍事と造作と云う施策、首都造営と蝦夷討伐の繰り返しを行っていましたが、これはある意味で中国の影響から日本が小さな中国として地域覇権を確固たるものとしたい願いもあったのかもしれません、しかし、それでは今の日本、無かったのかもしれない。

 徳政相論、桓武天皇は晩年に参議藤原緒嗣との間で徳政相論という軍事と造作の終了を決断します、すると日本は新しい国家像を模索することを強いられるのですが、この頃に一人の時代を変える人物が日本に帰国します、空海は桓武天皇崩御の年に大陸から帰国した。

 弘法大師空海は嵯峨天皇からこの東寺を下賜されるわけですが、ここから、日本の首都は長安の模倣を脱して独自の国家を形成してゆくのですね。京都駅から見える此処東寺は、日本誕生といえば言い過ぎかもしれませんが、大和から日本への分岐点でもあったのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【京都幕間旅情】東寺(教王護国寺)桓武天皇平安遷都に際し羅生門東西に造営した王城鎮護は京都始まりの官寺

2022-05-04 20:00:53 | 写真
■京都を象徴する五重塔
 四月の写真を五月にと思われるかもしれませんが歴史の話題と共に記事も順番じゅんばんなのです。

 東寺。ここは京都市南区九条町にある、といいますかJR東海道新幹線のホームから間近に見える五重塔があります寺院です。京都駅から近鉄線に沿って散歩してみますと、頭上の近鉄線をビスタカーが奈良から到着する、このお寺もこう奈良の平城京から遷都してきた。

 南大門の向こうに金堂が見える、この写真は桜の季節に撮影したものですが、桜の浮いた気分の高揚感というよりは、ここが平安京遷都の一つの起点であると共に現代に至る京都と日本の在り方の基点だという事を考えると、風景も違って見える。この点は後ほどに。

 教王護国寺ともよばれます寺院は、正式には八幡山金光明四天王教王護國寺祕密傳法院といい、彌勒八幡山總持普賢院とも呼ばれています。八幡山金光明四天王教王護國寺祕密傳法院、如何にも長い名称ですが、東寺の扁額のみ掲げられ、世界にも東寺として通ります。

 東寺真言宗の総本山という寺院、その創建年は延暦15年こと796年、平安遷都の頃に遡ります、開基となったのは桓武天皇、そして平安京は正門にあたる羅城門その東西に造営した寺院が東寺と西寺であり、奈良仏教からの距離を置いた平安京の唯一無二の寺でした。

 西寺と東寺ですので唯一無二というよりは唯二無三というべきなのかもしれませんがね。羅城門は現存しない為に想像力を要しますが、しかし、東寺は平安遷都の頃から当地にありますので、ここを起点に想像を巡らせますと、何か原初の古都京都が見えてくるのよう。

 御門。これも不思議なものなのですが拝観受付とかかれているのは案内される矢印をたどりますと総門ではなく北側に案内されます。もちろん山内にて繋がっているのですが日常の散策には総門を潜ります故に、拝観案内は敢えて小さな門に誘導するという見方です。

 西寺と東寺、京都は平安遷都の頃にはこの二つの寺院しか許されなかったといいますので、神社ではなくこの立地にある寺院という意味ではもっとも洛中にあって長い歴史を経ている寺院なのですが、これは観光拝観というよりは日常の拝観を考えているのでしょうか。

 総門に日常のお参りを考える方を誘導しますが、観光客はもう少し小さな門へと誘導するというのは、日参という考え方なのかもしれませんが、回数を多く、お寺との距離感を親近感へ代えてくれる方々を大事にしているのかもしれない、そんなことを思いました。

 羅城門も現存しない最中ではあるのですが、もともと平安京というのは東寺と西寺を両翼の様に広げて造営されていまして、ここから北へと朱雀大路が伸びていて、その先に王城が、という中国の長安を模し桓武天皇が造営した新都となっていました。西寺はもうない。

 東寺。考えれば不思議なものでして拝観料が必要な区域は確かにあるのですが、しかし本堂はじめ中に入って拝観することはできませんけれども、本堂の目前までは拝観料不要の散策路が整備されていて、要するに毎日本堂を目の前で拝観することはできるという。

 桜花満開の季節には、撮影が目的の際にはこう拝観料をお納めして、そしてここが東寺なのですよ、という情景を撮影に参るのですが、正直なところ確かにお堂の中を拝観するというものも寺院巡りの一つのあり方なのでしょうけれども、散策の際は気張りすぎない。

 朱雀大路の喧騒は現代都市の景観に転換していて、しかしこの東寺の造営も理想郷に拘った平安京、つまり長安の模造品造営から日本型の都市へと転換してゆきましたのが、日本という国家が、貧しいながらも独自の道を歩もうとした、その始まりといえるのでしょう。


北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【映画講評】レッドストーム作戦発動(書籍1986)このフィクションは現ロシア軍ウクライナ侵攻の既視感

2022-05-04 18:11:41 | 映画
■ソ連軍西ドイツ侵攻が題材
 ゴールデンウィークも後半となりましたのでここでベルギービールでも傾けながら一つ読書と云うのは如何でしょう。

 レッドストーム作戦発動。今回は映画講評という題材ではありますが、実際は書籍の紹介です。1986年にトムクランシー氏とラリーボンド氏が共同執筆した小説なのですが、北大路機関を長く読まれている方ですと恐らく読まれた事のある方は、多いのではないでしょうか。そして、これも恐らくなのですが、今の報道を既視感を感じるのではないか、と。

 文春文庫から上下巻が1987年に発行されていまして、もう絶版なのですが文春文庫の青い背表紙の並ぶ外国作家の売り場でトムクランシーとラリーボンドといいますと、スティーブンキングの隣あたりにかなりの幅を占めている時代がありました、売られている期間も長かったものですから、古書店でもWebでも入手は比較的容易であるように思うのですが。

 ソ連軍が西ドイツに全面侵攻する小説です。そうした小説はいろいろ有るのは知っています、しかし何故戦争が始まるのかという部分に説得力を持たせる描写の作品となりますと、実は少なく、戦争に至る背景から実際に開戦するまでの準備まで、かなりの部分が割かれています、手に取ると上下巻なのですが共に500頁以上という読み応えがあるものです。

 ロシア軍がウクライナに侵攻している、現在進行形の戦争が続いている中なのですが、既視感といえる程に、小説の描写と現実の報道が重なっていまして、この描写は未だ無いな、とAFP通信やロイター通信などを見ていますと数日後にほぼ似た事象が現実のものとなっていまして、この現実味は何なのだ、と驚かされるよりも少々怖くなるという小説です。

 偽旗作戦、ソ連の主張ではドイツ人とされる人物がモスクワで爆弾テロを起こし、ソ連政府は西ドイツ政府への警察力を除く武装解除と西ドイツ国内のネオナチを放逐するよう要求し、要求の直後に全面軍事侵攻を開始します。二月にロシア軍がウクライナに主張した内容もネオナチの殲滅とウクライナの武装解除ですので、これも同じだなあ、と思った。

 ソ連軍は西ドイツへ軍事侵攻する際に、これは一読して頂くために内容は伏せますが、別の巨大な目的があり、その死活的利益を確保する為に敢えてNATOと戦端を開くというもの。その侵攻前には大規模な軍事演習を実施し、大量の戦車が遠く離れた目標に125mm滑腔砲弾を叩き込み土煙で標的が見えなくなる様子なども、何か今年報道で視た既視感で。

 それでも、驚いたのはロシア軍と政治将校やKGB軍との関係が、KGBは現在FSBに改組されていますが、ウクライナでの現実と同じ様に、占領地での反ロシアの疑いのある政治家の逮捕やネオナチ容疑者の無差別連行と殺人など、小説だからなあと祖父から聞いた満州での実体験は過去のものだろうと思っていますと、小説と現実報道が重なり驚くのです。

 ロシア軍はキエフ北部でダムを巡航ミサイル攻撃で破壊し、そのダムの結界により自分が渡ろうとしていた河川が氾濫し架橋部隊も流されたというAFP報道が先日ありましたが、実はこの様子も、作中にソ連軍はハノーバーに至るウェーバー川を渡河しようとした際に戦車連隊が大損害を受け、逆上した連隊長が渡る予定の橋梁を砲兵に破壊させる描写が。

 NATOの対戦車ミサイルにより戦車部隊が大損害を受ける描写や、通信能力不足から最前線視察を試みた上級指揮官の相次ぐ戦死、地対空ミサイルの過大評価によりNATOの低空飛行する対地攻撃機に全く手が出ないなど、NATOとソ連のフィクションですが、いまのロシア軍ウクライナ侵攻の現実を驚くほどに予見している、驚くべき小説となっています。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ロシア軍ゲラシモフ参謀総長前線視察中砲撃を受ける-キエフ北部ではロシア軍ダム爆破でロシア軍流される

2022-05-04 07:00:53 | 国際・政治
■臨時情報-ウクライナ情勢
 ロシア軍機連続領空侵犯事件に揺れる欧州では重ねて突き付けられる天然ガス供給停止への懸念から大きな動きが在りました。

 EU欧州連合は5月2日、臨時の加盟国エネルギー相会談を開催しました。これはポーランドとルーマニアに対するロシアからのガスパイプラインによる天然ガス供給が全面的に停止された事を受けてのもので、EUでは今後更なるEU加盟国へのロシアからの天然ガス供給停止を念頭としたもので、EU全体の相互融通や天然ガス備蓄などを議論したとのこと。

 ロシア産天然ガスへの依存度は高いままとなっていますが、代替エネルギーとしてはUAEアラブ首長国連邦やアメリカで生産される天然ガスがあるものの、中東や大西洋から欧州へのガスパイプラインは整備されておらず、LNG液化天然ガス化して流通させる必要があります、しかし、LNG精製施設は過剰稼働状態、価格も高騰している厳しい現実もある。

 ロシアの対独戦勝記念日である5月9日まで一週間を切りましたが、ロシア軍のゲラシモフ参謀総長がウクライナの東部ドンバス前線視察中に位置をウクライナ軍に標定され、危うく戦死するという際どい状況があったようです。AFP通信は確認ができないという但し書き付きで、ゲラシモフ参謀総長が砲撃により負傷したとの一部報道を紹介しています。

 ゲラシモフ参謀総長、ロシア軍は5月9日の対独戦勝記念日までに確たるウクライナでの勝利を示す為の攻撃を継続していますが、芳しくありません、具体的には二月の開戦後、補給線を無視した攻撃で大損害を被った事から攻撃に慎重となっていますが、これが逆に機械化部隊の機動力を削いでいるかたちであり、参謀総長視察は前線督励が目的といえる。

 参謀総長一行が移動する際に通信状況などが増大しますと、砲兵隊を支援する通信部隊は標定が可能となります、これは1945年6月にも沖縄戦において前線督励中の第10軍司令官バックナー司令官が通信量増大から指揮所移動を我が第32軍に標定され、砲兵の一斉射撃を受け戦死しています。これと似た状況がウクライナでも起りかけた際どい瞬間でした。

 ロシア軍はウクライナ第二の都市ハリコフ近郊から大規模な撤退に転じました。ハリコフは開戦劈頭にロシア陸軍最精鋭部隊とされる第一親衛戦車軍が投入され、危機的状況となりましたが、第二次大戦のハリコフ攻防戦以来の粘り強いウクライナ軍抵抗により防御が実現していました。その後第一親衛戦車軍団はキエフに転進、攻撃衝力を使い果たした。

 ハリコフはウクライナ東部でありロシア国境が近いことからロシア語話者など親ロシア系住民が多く居住しているものの、結局のところロシア文化への親和性と現在のプーチン独裁体制下のロシアへの帰属意識は同義ではなく、根強い抵抗によりロシア軍は後退した構図です。一方、ロシア軍は南部と東部ドンバス地域において依然として攻撃を継続中です。

 ロシア軍の稚拙な作戦運用は改めて知られるところですが、ウクライナ首都近郊デミディウにおいて興味深い事例が在った様です、それはロシア軍がダムを破壊した事で下流に居たロシア軍架橋部隊が押し流されたという事です。1938年の中国軍黄河結界作戦失敗と似ている、キエフ北方を流れるイルピン川沿いのデミディウ村ではロシア軍の渡河を阻止するべく橋梁を破壊しダムから放水を行った。

 ダムからの放水は河川の水位を上げ浮橋などの架橋部隊による渡河を阻止する目的で行われたとの事ですが、ロシア軍は2月27日にダムをミサイル攻撃により破壊、この結果ダムは決壊し、ロシア軍架橋部隊をも押し流し、事実上自滅したとのこと。デミディウは5月に入っても浸水からの排水が続いていますが、ロシア軍の無計画さを示す一例といえます。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする