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【京都幕間旅情】東寺,夜間特別拝観の光が導く金光明四天王教王護国寺秘密伝法院教王護国寺

2017-11-29 20:01:15 | 写真
■東寺,晩秋紅葉の夜間特別拝観
 紅葉が最も映える晩秋の最中、京都駅からふと歩みを進めますと、五重塔、京都を代表する高層建築物があります。

 京都東寺、教王護国寺とも呼ばれる寺院でその五重塔は京都駅からも間近に遥拝することができます。京都といえば東寺の五重塔、というほどではありませんが、京都の玄関口に見える日本最古の高層建築物はこの古都を象徴する情景の一つといえるかもしれません。

 東寺は毎年この時期に夜間特別拝観を行い、市バスから五重塔を見上げ威容に感心する。電燈に煌々と照らされた壮大な伽藍と、仏舎利を奉じ天に突き出る五重塔と共に荘厳な情景をもって拝観者を迎えています。この程、この東寺夜間特別拝観へ、行って参りました。

 教王護国寺とも呼ばれる東寺は、当方も昔はこの尊称こそが正式名称であると思っていたのですが、正式名称を金光明四天王教王護国寺秘密伝法院、といいます。歴史は古く、桓武天皇治世下796年、本尊に薬師如来を迎え平安遷都間もないころに建立された寺院です。

 桓武天皇の平安遷都とともに平安京鎮護期する官寺である事は教王護国寺の尊称が示す通りですが、弥勒八幡山総持普賢院というもう一つの正式名称を冠し東寺は9世紀に当時の嵯峨天皇により弘法大師空海へ下賜され真言密教根本道場として大いに崇敬を集めました。

 平安朝草創期、その正門たる羅城門の東西に当時の朝廷は東寺と西寺を建立しています。西寺については現在、その跡地に西寺石碑が残るのみですが桓武天皇の勅令をもって造寺長官藤原伊勢人が建立にあたっています。金堂や講堂、五重塔の建設は時間を要しました。

 五重塔は国宝指定となっており、その高さは実に54mと我が国草創期の高層建築物に数えられます。伝説となった旧出雲大社の旧本殿を唯一の例外として、空前の超高層建築物であったといえます。ただ、この建立は空海により着手され、その後幾度も焼失を繰り返す。

 こうした伽藍、日中であれば金堂や五重塔の周りの庭園を別として自由に拝観することができるのですが、夜間特別拝観の際には、この東寺全てが拝観料を必要とします。しかし、陽光に照らされた情景と人工の燈火に照らされた情景とは、また違った趣がありますね。

 徳川家光の京都上京に際し現在の五重塔は再建され、1644年に完成しました。それまでに実に四度の焼失を重ねています。金堂は本堂にあたり薬師如来坐像と日光菩薩、月光菩薩の両脇侍像が安置されています。ご本尊は創建当初のもので、建物は豊臣秀頼再建による。

 金剛界大日如来を中心崇め、その周囲に宝生如来、阿弥陀如来、不空成就如来、阿閦如来を配した五智如来をはじめ、不動明王を中心とした五明王像、四天王像、多くの仏像は講堂にも安置されています。これらは21彫像を奉じており日本密教草創期の貴重な彫像です。

 金剛波羅蜜菩薩とその周囲に金剛宝菩薩、金剛法菩薩、金剛業菩薩、金剛薩埵、この彫像はすべて国宝で五大菩薩坐像となり、この位置に配した構図は弘法大師空海の直伝、その配置の意図として様々な仏教的解釈が溢れています。その一端も広く拝観する事ができる。

 東寺は1486年の土一揆によりその伽藍の多くを焼失しており、1596年の慶長伏見地震でも多くの伽藍が倒壊、京都は戦乱に長く悩まされた政経中枢故の難儀がありましたが、慶長伏見地震や天正地震の記録を垣間見ますと過去幾度も巨大地震が襲った事がわかります。

 東寺の夜間特別拝観、燈火が煌々と壮大な五重塔をも照らす技術が出来たのは、この東寺の長大な歴史からはつい最近のことなのかもしれませんが、幾度も焼失や崩壊と荒廃を経つつも当時の彫像を守り、豊かに伝える、信仰の強さと仏教の世界観を感じる心象ですね。

北大路機関:はるな くらま
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コメント (2)
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