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京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

再論:普天間移設問題、沖縄県知事の名護市辺野古沖埋め立て承認取消し正式表明を受けて

2015-10-13 22:44:32 | 国際・政治
■普天間那覇統合案/九州交代案
 普天間飛行場、アメリカ海兵隊航空部隊の展開する沖縄県唯一の海兵隊飛行場です。

 本日、移設先となる辺野古沖埋め立て工事の許可を沖縄県知事が埋め立て承認取消し正式表明し、移設計画は延期する事となりました。この普天間飛行場ですが、沖縄県の軍用飛行場としては比較的近い場所に住宅街があり、過去には墜落事故も発生しており、ブッシュ政権時代のラムズフェルド国防長官が在沖米軍施設を視察した際、世界一危険な飛行場だ、と発言したことでもともと模索されていました移設の機運が一気に高まりました。

 危険な飛行場、と言われますと一瞬身構えますが、実際に普天間へ足を運んでみますと別に誘導路と滑走路の間に集落がある訳でもなく、滑走路が生活道路になっている訳でもありません、実際、本州では平均的な立地で、京阪神でも中部方面隊のヘリ部隊総元締めである中部方面航空隊の八尾駐屯地は2km圏内に小中高等学校が20以上ありますし、伊丹の大阪国際空港などは文字通り住宅街と市街地に浮かぶ空港、岐阜基地と小牧基地も市街地と住宅街まで普天間以上に隣接しています。

 さてその普天間は移設するという事で政治問題化します、1990年代に移設の話は出ていたのですが海上へリポートとなる方針が定められ、2000年代に入り漸く名護市辺野古のキャンプシュワブ沖を埋め立て建設する方針が画定します。海上飛行場ならば万一墜落事故が発生した場合でも住宅街へ被害は及びません、沿岸部埋立については、沖縄本島は観光事業により多くが埋めたてられ、米軍基地周辺部は数少ない未開発地域で自然が残る地域であったため、メガフロート方式など海上構造物方式が模索されましたが、脆弱性の問題などから現実性が低く、名護市との長年の交渉の結果、妥協を得たかたち。

 この名護市辺野古沖移転が一転したのは、民主党への政権交代時、あまり考えず列挙した政権公約の一つに辺野古沖移転取り消しを盛り込み、民主党政権がこの施策を明示した事で、仕方なく妥協したという構図であった名護市は、移設拒否の姿勢へ一転し、市長選において移設反対派が勝利します、他方、海兵隊航空部隊の移設先問題は、他に移設する場所を考えようにも難しい状況がありました。海兵隊は水陸機動部隊です、海兵隊航空部隊は水陸両用作戦の先鋒を担う空中機動の骨幹となる航空部隊ですので、海兵隊航空部隊は陸上部隊とその訓練地域近くに駐留しなければなりません。

 嘉手納基地統合はどうか?、最初の模索はそもそも嘉手納基地は朝鮮半島と台湾有事等環太平洋地域での有事に戦闘機等350機以上を集約し沖縄周辺の航空優勢を包括する戦略拠点ですので海兵航空部隊を有事に受け入れる余裕はありません、その状況では海兵航空部隊も300機の航空機を集約する訳ですから嘉手納に合計650機を集約しようとすれば嘉手納拡張が必要でしょう。九州移転はどうか?、海兵航空部隊と海兵隊に訓練場はセットです、九州の自衛隊演習場は不足気味で水陸両用訓練を行える場所がありません。グアム海外移転はどうか、緊急展開するにはグアムから朝鮮半島と台湾海峡は遠すぎますしグアムは狭すぎます、結局民主党は代替地を考えていなかったことが裏目に出て鳩山内閣は崩壊しました。

 辺野古沖しか選択肢なし、これが民主党の結論でした。県外移転として鹿児島県奄美大島、せめて本当の外にと中国の短距離弾道弾射程内にある下地島、模索されましたが、辺野古として沖縄県と再交渉します、が、今度は譲りません。自民党へ政権復帰の後、安倍総理と当時の沖縄県仲井間知事が二者会談を行い、沖縄振興策とともに沖縄が安全である為には移転が不可欠であるとし、仲井間知事は移転を容認する歴史的決断をしました、が。当時の那覇市長であった翁長知事が選挙で選ばれると移設反対を表明、仲井間知事の辺野古沖埋め立て許可を、本日、正式に取り消し、移設工事を沖縄県が一転中断させる、これは本日までの流れ。

 私案として、普天間の那覇移転は考えられないか、当方は長らく提唱しています。現在発着枠が限界となり海上埋め立て工事を進める那覇空港を、日米防衛専用空港とし、那覇空港を辺野古沖に移設してしまうのです。県民要望は新基地建設反対ですので、那覇基地は陸海空自衛隊の共用施設、もともと海軍小禄飛行場で、海兵隊を移駐した場合でも統合ですので新基地建設ではありません。また、手狭となっている事は事実ですので、名護市辺野古に新空港を建設すれば、充分な規模の飛行場を整備できます。那覇市から名護市までは、大阪市から関西国際空港の距離がありますので、沖縄都市モノレール延長等の施策が必要になるでしょうが、併せて沖縄本島北部振興策という県民もう一つの悲願へも寄与する新空港案です。

 那覇基地統合案、これならば、那覇港が近く那覇軍港から那覇空港を通すことで米軍施設への必要な物資搬送を海上と航空基地の連絡も立地上可能です。また、有事の際の立地ですが、第15旅団、南西方面航空混成団、第5航空群、と陸海空自衛隊の中枢があり、更に貨物ターミナル地区を流用すれば、キャンプシュワブそのものを那覇空港地区に移転し名護市周辺の米軍施設の返還も実施、米軍施設跡地をそのまま名護市の仮称沖縄空港に集約し、物流拠点とすることも可能です。滑走路拡張工事が進んでいますので、岩国基地の様に、第二滑走路を米軍専用、第一滑走路を自衛隊が運用する、という区分も可能でしょう。

 一方で、陸上自衛隊へ水陸機動団が創設されますが、沖縄の第31海兵遠征隊を水陸機動団創設予定の相浦駐屯地へ移転し、目達原駐屯地等陸上自衛隊航空部隊、特に水陸機動団支援用航空部隊の駐屯予定駐屯地を米軍へ移管し、沖縄に水陸機動団を駐屯させ、海兵隊が対応する任務の一部を自衛隊が担う、という、安全保障関連法案制定前では非現実的であった方策は検討されるべきかもしれません。もちろん、自衛隊が台湾海峡有事に介入するというものではありませんしあってはなりません、しかし、台湾海峡有事に際し邦人救出へ海兵隊に代わり名護へ駐屯する陸上自衛隊水陸機動団が新しく導入される自衛隊のMV-22により台北へ展開する体制を構築し、邦人救出と共に大陸からの軍事行動への一定の抑制効果を期待することは、皆無では、少なくとも法整備によっては、ない。

 もちろん、第3海兵師団をそのまま全て九州に移転するには限界がありますので、沖縄へ訓練展開する飛行場が必要となりますし、沖縄北部訓練場を運用する関係上、沖縄と米海兵隊は断ち切る事は出来ません、しかし、相浦駐屯地は米海軍両用戦艦部隊が前方展開する佐世保基地にも近く、沖縄に4000名規模の水陸機動団を展開させ第15旅団と併せ師団規模の自衛隊部隊を海兵隊と交代する、佐世保を海兵隊拠点として沖縄にローテーション展開する、海兵隊の抑止力の一部、特に台湾海峡へ向けられているもののごく一部を邦人救出に限ってポテンシャルを発揮する体制を構築する、非常に負担が大きい私案ではありますが、沖縄の基地負担という命題と真摯に向き合うならば、検討の余地はあると、思います。

北大路機関:はるな くらま
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コメント (7)
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