今回のおみやげ。
ちゃんと、ちゃんと、おいしくいただきました。
以上、2019・初夏の東北旅行でした。
見てくれてありがとうね。
ハル★
今回のおみやげ。
ちゃんと、ちゃんと、おいしくいただきました。
以上、2019・初夏の東北旅行でした。
見てくれてありがとうね。
ハル★
ホテルのバイキング。
北上川と海運橋にサヨナラを告げる。
『また、きっと来るからね。』
盛岡駅。
新幹線で眠るのは、本当にもったいない。余韻に浸り、地酒で一献。
東京着。
旅行の三日間とも晴天に恵まれ、充実した行程を終えた。
今回で五回目の東北旅行。
飽きるどころか、まだまだ楽しみたい。
これが本当の気持ち。
ありがとう、東北。
ありがとう、盛岡。
そして。
ありがとう、Wさん。
二泊三日の旅行記を19日間に渡ってみてくれて感謝。
もう一日だけ、おまけがあります。
ハル★
前夜は寿司屋だったので、この夜はホテル近くの郷土料理酒場に。
やたら演出感のあるお店。
入店して間もなくイベント開催。
さんさ踊りの実演。
サッコラチョイワヤッセ。
盛岡さんさ踊り(もりおかさんさおどり)は、岩手県盛岡市にて毎年8月1日から4日にかけて行われる祭りである。8月上旬、東北各地で行われる夏祭りで最も早く開催される祭りの一つで、かつては3日間開催だったが、近年は参加団体数が増え続けているため4日間の開催となった。
東北6県の主要な祭りの中では歴史が浅いため、岩手県は、東北三大祭りに対し、東北五大祭りの名称を掲げ、その1つとしてPRを図っている。
ウィキペディアより
ちなみに【さんさ踊り】の由来は。
藩政時代より踊り受け継がれてきた"さんさ踊り"の起源は、三ツ石伝説に由来しています。
その昔、南部盛岡城下に羅刹(らせつ)という鬼が現れ、悪さをして暴れておりました。困り果てた里人たちは、三ツ石神社の神様に悪鬼の退治を祈願しました。
その願いを聞き入れた神様は悪鬼をとらえ、二度と悪さをしないよう誓いの証として、境内の大きな三ツ石に鬼の手形を押させました。(岩に手形…これが"岩手"の名の由来だとも言われています。)
鬼の退散を喜んだ里人たちが、三ツ石のまわりを「さんささんさ」と踊ったのが"さんさ踊り"の始まりだと言われています。
盛岡さんさ踊り実行委員会ホムペより
ずいぶんと凝ったお通し二種
三陸ほや酢の物
三陸ほや刺身
刺身盛り合わせ(しめ鯖・たこ・ホッキ貝)
金婚漬
銀ダラの杉焼き
あえて南部の郷土料理のみを注文。日本酒もおいしかった。
場所をかえて、もう一軒。
夜も遅くなってきたので就寝。
ハル★
さ、今度こそ盛岡に向かいましょう。
なんていいながら、こんな沢があると、つい降りてしまう。
最後の休憩。
ここで宮古市ともお別れして、盛岡駅にレンタカーを返却。
今回は179キロのドライブ。
とにかく天候に恵まれたのが一番。実はこの日の東京は雨だったと、あとから知った。
さて、風呂に入って、盛岡最後の夜の街に繰り出しましょうか。
ハル★
思い出の地、片巣橋付近を散策。
この辺りの地名は岩手県宮古市片巣で、第1地割、第2地割、第3地割…。
閉伊川沿いを走る地域。
ネット上に【岩手県の住所には「地割」という特有の表記が使われているようだが、どのような意味があるのか。大字や字とは違うのか。】
そんな質問があり、その答え。
【地名に関する資料および岩手県内の市町村史を確認。 資料によると、「地割」は小字レベルの階層で、検地番号の「い」「ろ」「は」…に数字をあててそれぞれ「第1地割」「第2地割」「第3地割」…としたもの。この区分ごとに作成された切絵図に付けられた図名・地区名を「字(小字)」に用いたとされる。その後の住居表示変更などで、「地割」を廃して「字」を残した地域や、逆に「字」を廃して「地割」を残した地域も見られた。 ただし、なぜ岩手県で「地割」表記が用いられるようになったかについては確認できなかった。】
閉伊川が地名に関係していると思うんだけど。ちょっと気になる地名。
思い出の場所に、なんだかんだで30分くらい滞在してしまった。
さて、盛岡市に向かいましょう。
ハル★
盛岡に向かう途中、同行者のWさんがひとこと。
『あのお婆さんのところに寄ってみたいな。』
今年で5年目の東北旅行なんだけど、今でもたまに『あのお婆さんのところ。』って会話が出る。
ではその『あのお婆さんのところ。』とは。
それは2015年だから4年前のこと。盛岡から宮古市に向かう途中に寄り道した場所。
その時の画像がこれ。
何気ない場所だったんだけど、ここで休憩した記憶が忘れられない。
その時ここで出逢ったお婆さんとお話しした。
『どこから来なすった?』
人懐っこい岩手訛りの、かわいいお婆さん。
でも実際はこの場所の地名もわからないし、確かな記憶もない。
なので今回も「途中で似たような場所があったら寄ってみようね。」それくらいの感じだった。
似たような景色が続く中、ふと目に入ってきた瞬間、ふたりして『ここじゃない?』と声をそろえた。
そう、まさにここ、ここがあの場所だった。
あとから調べたら、ここは片巣橋とのこと。
すると偶然は重なるもんで、あのお婆さんまで見つけてしまった。
もちろんお婆さんは自分たちのことを覚えているわけじゃないけど、なんか驚きとうれしさで胸が熱くなった。
明日に続く。
ハル★
伝承園をあとにして盛岡方面に。
今回のドライブのお供。
気になる場所で降りて、そして再出発。
最高のドライブ日和。
ちょっと沢に降りてみたり。
盛岡駅から宮古駅をつなぐ山田線。
全区間を直通する列車は1日に4往復のみ。
山田線近くの田園風景。安らぎを感じられる貴重な時間。これも大切。
次回は【想い出の地】編。
ハル★
伝承園の続き。
炭窯の裏手。こんな裏側にはだれひとりいない。
でもね、自分はこんな場所ばかり探してる。
⑦遠野市・曲り家編で見られなかった曲り家をここで発見。
ちなみに「曲り家」を調べてみた。
広義には、長方形平面の直屋(すごや)に対して、L字形平面の家屋をいう。母屋と厩(馬屋)がL字形に一体化していることから、「曲り家」と呼ばれる。こうした伝統的家屋は全国各地に分布しているが、「狭義」とされ、また最も広く知られているのが「南部曲り家」である。南部曲り家と他のL字形家屋との違いについては、突出部に厩を持つ点で共通し、かつ分布域が接触する「中門造」との対比で説明される。中門口(突出部の先端に設けられた入口)をもたないことが、決定的な違いである。
ウィキペディアより抜粋。
その昔当たり前にあった遠野の人々の生活文化を残す貴重な場所。
ここは見学してよかったと素直に感じた。
ハル★
カッパ淵を後に。
その目と鼻の先にあるのが【伝承園】。
伝承園は遠野地方の農家のかつての生活様式を再現し伝承行事、昔話、民芸品の製作・実演などが体験できる施設。
現在伝承園の玄関口として使われているこの建物は、1850年頃に建てられた農家の納屋を移築したもの。
なんと約170年前。これになビックリ。
園内には厠も趣のある作り。
昔の生活空間を感じられる。
民話と伝説の里、遠野自然と共に生きた人々の暮らしを垣間見ることができる。
次回に続く。
ハル★
誰もいないカッパ淵。
ちょっと神秘的。
しばらく眺めていたけど、きょうはカッパはいないようですね
でもカッパおじさんのイラストには出逢えた。
まぶりっと、とは守人のこと、だよね。
川を抜けると、そこは現空間。
ひととき、おとぎの世界に入ったようですね。
平日でよかった。 人がたくさんいたり、こんな感情にはならなかったと思う。
次は近所にある【伝承園】に寄ります。
ハル★