憲法改正と新憲法制定について考えてみました。
前神戸大学、現在名古屋大学の浦部法穂さんのお話しをもとに、考えたことをまとめてみました。
憲法改正と新憲法制定
(1) 自民党新憲法草案が発表され、改憲論議が活発になってきましたが、憲法改正と新憲法制定とが、整理されないままに、「改憲」という一括りで議論されています。
現行憲法96条で予定しているのは、あくまで憲法改正であり、そのための手続きを定め、改正後も、この憲法と一体をなすものとして公布するとされています。現行憲法を否定するような、改正は予定していません。
憲法改正と新憲法制定とは、まったく次元の異なるもので、自民党新憲法草案に見られるように、前文から書きかえ、その根幹に関わる部分を変えるというものは、これは明らかに新憲法制定であり、部分的な改正ではありません。
新憲法制定とは、革命であるとか戦争や独立などという大変革に伴い、そうした特別な条件の中で行なわれるものです。一般的な憲法改正手続きに基づき、新憲法制定などということは、論理的にありえません。
(2) したがって、現在準備されている「国民投票法案」なるものは、96条に規定される憲法改正のためのものではなく、そのように装いを凝らしているが、実は新憲法制定のための『国民投票法』だと、考えなければなりません。
だからこそ、通常の選挙とは異なる、18歳以上の国民の投票であるとかの、粉飾を凝らして、新憲法制定のための『国民投票法』を、作り上げようとしているのではないでしょうか。
マスメディアは、憲法改正と新憲法制定とを、敢えて紛らわしくすることによって、国民の憲法制定権をふみにじり、憲法改正を装って、新憲法を制定しようとしていることに、加担しようとしているのではないでしょうか。
(3) 自民党の新憲法草案は、その発表を急がされたためか、格調の低いものですが、しかしながら、真正面から新憲法草案として、提起してきています。改正案などといわずに、新憲法草案として提起してきていることは、現在の情勢を踏まえての、自信の表れかもしれません。もしくは、逐条ごとの賛否を問う憲法改正ではなく、一括で○×方式の賛否を問う方法を選択したのかもしれません。
(4) しかし、現憲法を否定し、新憲法を制定するとすれば、96条2項の規定にそって、現憲法と一体のものとして公布することができないという矛盾があり、新憲法制定を真剣に考えている人達は、何らかの工夫がいると悩んでいると思います。
その成立を最優先させ、96条2項を反故にして、改正手続きで新憲法を制定するのか、96条2項を超える何らかの工夫・手法で、正々堂々と新憲法制定とするのか、内部的にはさまざまな検討や、真剣な議論がなされていて、その手法などについて、現段階では全体の意思統一が、できていないのが実情だと思われます。
(5) これからは、改憲議論はもちろんのこと、国民投票を巡っての議論が、さまざまな形で展開されることとなります。そうしたことから、今後の運動の焦点は、憲法改悪を阻止するために、また、国民投票法案を成立させないために、幅広い国民的運動を作り上げてゆくことが、きわめて、重要になります。
(6) そして、最終的には、国民投票での決着にならざるを得ないと思います。新憲法制定のための『国民投票法』としては、4分の3以上の投票率と3分の2以上の賛成とか、もしくは、80%と70%というような、「国民の過半数の賛成での批准」を求めるものとさせることと、そして、その(反動的、保守的、資本主義の先祖がえりのような、新古典主義的、新自由主義的などと表現しなければならない)新憲法の成立を阻止するための、統一的な戦線をどのように構築するか、そうしたことが重要な課題になると考えます。
前文
そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。
これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
96条 2 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。
99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
2005・11・03 harayosi-2
「現在準備されている『国民投票法案』なるものは、96条に規定される憲法改正のためのものではなく、そのように装いを凝らしているが、……との指摘ですが。
これは国民投票法の性質と関係がありません。自民党が念頭に置いているのが新憲法なので一括採択を考えているわけですが、まだ未定です。一括にすれば(新憲法制定であることが国民に周知されれば)「改正」は失敗するでしょう。その恐れに自民党が震えています。だから、まだ民主党案との間で議論があり、内容がかなり変わると見ています。
万が一一括採択のみになった場合、改正反対の人たちが憲法改正の可能性を認めた上で「新憲法制定」はおかしいと首尾一貫して言えるのが、私の不安です。憲法改正そのものを否定している人には、部分改正だろうが新憲法制定だろうが関係ないからです。浦部さんの意見の本質的な矛盾がそこにあります。
もうすこし、そこらへんを理解できるように、ご教示いただけませんか。
いま憲法改正に反対している人たちの多くが改正自体に反対してきました。社民党では、人権条項を加えたいという意見もあったが、それに乗ると改憲勢力の策謀に載せられるので反対を貫くことを決めた、といったニュースが昨年流れたことがあります。このスタンスで、国民投票法自体の成立を拒否しています。「時期尚早」などと言っている現状ですが、戦後60年もたっているのに、国民の改憲の権利が無視されたことを放置することはできません。
浦部さんが新憲法制定を狙う自民党を批判するのであれば、部分的改正自体を認める立場が前提でしょう。そこをあいまいにして、自民党案を批判をするためだけに、新憲法制定という視点で意見を述べているということです。理論的には矛盾しています。浦部さんの本音は知りませんが。
自民党は、憲法調査会憲法改正プロジェクトチームで作業を進めるが、「新しい憲法草案」を約束したと言い、「新時代にふさわしい新たな憲法を求める国民的気運は、かつてない高まりをみせている」と認識している。しかし、問題は国民の気運が新憲法制定でないことである。改正内容を見ても多様であり、論点が拡散していることがその証拠である。新憲法制定という、自民党などが共有している特定の方向性が国民の中にないからである。国民の気分は、「そろそろ手直しも必要なんだろう」という軽いものでしかない。
自民党などの新憲法推進勢力はさかんに「制定後58年間、ただの一度も改正されたことがない憲法は、世界中を見渡してみても、日本だけで、極めて異例なこと」という言い方を続けてきた。が、これは憲法の部分的改訂を何度もやるものだ、と言う意味である。逆に言うと、この主張が意味することは、安定状態の中で憲法を全面改定している国などないのである。つまり、部分的憲法改正の気運が盛り上がる中で、新憲法制定を唱えることが、実は部分的改訂を考えている国民的意志の否定となっている。このことを自民党も意識していないし、「護憲」派も全く気づいていない。
憲法は、国民が共有し認めるところの体制の基本的ルールである。政争で決めるべきものではない。今の改憲も護憲の勢力も、政争として憲法改正を見ている点で同じ穴の狢である。憲法をより良く改正する努力は国民の明文の権利とである。全国民的規模で一致できる範囲内で、憲法改正を位置づける人々がいつ現れるのだろうか。
96条2項に規定された憲法改正について、私は否定しているわけではありません。
憲法改正は、改正された部分を含め、現憲法と一体を成すものとして公布する、とされています。したがって、現憲法の理念や精神を否定するような改正はありえないのです。
憲法制定以降、さまざまな改憲議論がありましたが、正確には憲法改正のための議論ではなく、新憲法制定を目指すものだったというべきでしょう。それは憲法の平和主義を否定する「9条の改正」などが中心でしたから。
その点では、中曽根臨調行革以来の、「お座敷をきれいにして新しい憲法を安置する」という方向、その後の経過はいろいろあったとしても、その延長線上に、「自民党新憲法草案」となったわけで、憲法改正ではなく新憲法制定ということでは、ハッキリしています。
しかし、ことはそんなに単純ではなく、自民党内でもいろいろあるようですし、マスメディアに代表されるように新憲法制定と憲法改正を、あえて誤解・混乱させようとしていることなどがあり、政府与党間でも、また、民主党との関係でも、さまざまな展開があると思われます。
さらに、国民投票法についても、96条にもとづく投票方法を決めるというものではなく、実際は「新憲法制定のための国民投票法」が、企図されているのではないでしょうか。これも、今後の展開を注視していかなければならないと思っています。
確かに、実際は「新憲法制定のための国民投票法」が、企図されている という現状でしょう。しかし、自民党内の議論も一つではありません。新憲法制定という題目を考えているだけ、というのが現状です。
ポイントは、マスコミと世論の動きです。マスコミが「あえて誤解・混乱させようとしている」とは思えません。戦後政治の流れが改憲対護憲という図式だったわけですから。問題は、国民世論の状況が変わって、いまや憲法改正か新憲法制定かという図式に変化し始めたわけです。
そのことに、慎重な憲法改正を望む人たちが明確に気づいていないことです。今までの護憲路線をひきずったままなのです。本音はいろいろ不満があるのに戦術的に「護憲」路線でいる人たちもたくさんいます。この古い図式を、憲法改正か新憲法制定かの図式にのせて、本当に今の憲法を根本改訂したいのか、国民にしっかり考えてもらうことが必要でしょう。よろしくお願いします。
私には、難しいことは良くわかりませんが、ちょっと聞かせてください。
こちらで言っていることは、現憲法下では、新憲法は作れないと言うことでしょうか。
そして、憲法改正も今の憲法の理念や精神を否定する改正はできないと言うことでしょうか。そうなると自民党憲法改正草案は、今のままでは駄目だと言うことでしょうか。ご教授お願いします。
官僚的にお答えします。お見込のとおり。(笑)
現憲法で、新憲法の制定は予定していません。あくまで、現憲法の精神・理念を生かした改正を予定しているだけです。そのための96条があります。
その96条で、現憲法の精神や理念を否定する「新憲法制定」ということは論理矛盾です。それを強引にやろうとしていることから、「クーデターだ」と表現されている方が、多くいらしゃるのではないでしょうか。
まやかしの国民投票法案の成立は、阻止しなければなりませんが、かりに、国民投票で新憲法を制定するならば、「国民の過半数」の支持を得なければならないと考えています。
もやもやしていたものが、解けた感じです。
そしてわざわざ私のところまでに、コメントいただき
感謝です。
これからもよろしくお願いします。
新憲法の制定と憲法96条の関係について、私も同意見です。
ただ、いわゆる「憲法改正の限界」について
「現憲法の精神や理念を否定する」ので「9条の改正」はできない、とは思いません。
私は反対ですが、修正条項方式であれば、9条を改正することは可能だと思います。
・・・もっとも「国民主権」の否定は(憲法制定権力との関係で)不可能だと考えるべきですが。
「精神や理念」も大事ですが、96条の「この憲法と一体を成すものとして」という部分がもっと強調されてもいいと思います。
・・・国民投票法案とも関係しますし。
以下は宣伝になってしまいますが、おくればせながら、私もサイトを立ち上げました。
「自衛隊は合憲なのだから、憲法を変える必要はない」
http://www.ne.jp/asahi/tokibae/diary/kenpou/kenpou.html
憲法改正手続については【論点3-1】にまとめるつもりだったんですが・・・まだ概要しかできてません。
よろしければ一度ご覧になってください。