【シーズン6】人生が100倍楽しくなる、パスターまことの聖書通読一日一生(旧約聖書 新約聖書 聖書通読ブログ)

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詩篇138篇

2013年08月29日 05時13分49秒 | 詩篇
<朝のディボーション>
 表題は「ダビデによる」である。145篇まで続くダビデ詩篇集の最初のものとされるが、2節の「聖なる宮」をエルサレム神殿と考えれば、ダビデの作であろうはずがなく、後代、つまり捕囚帰還後、ダビデ風に作られたものと考えられてもいる。実際、2サムエル記7:18-29にあるダビデの祈りを思い浮かべる、詩篇でもある。
 さてこの時詩人は、宮にはいなかったのだろう。宮に「向かって」礼拝し、神の恵みとまことの故に感謝している。「ご自分のすべての御名のゆえに」は、直訳は「御名の上に」である。意味的には、新共同訳のように感謝の根拠が「すべてにまさって」「みことばを高くあげられた」ことで、誰の目にも明らかなように、神はご自身の約束の数々を確かに果たされたことを意味する。神がおられ、神が確かに、私たちの支えとなり守りとなり、祝福となっておられることが周知される。これこそが私たちの求めるところでもある。「呼んだその日に答えてくださる」(3節)も、感謝の根拠となる。
 そういう意味では、この詩人は、神が自分にかかわってくださった過去を思いめぐらしながら、自分の未来に対する信仰を抱いている。この時、詩人がどのような苦難にあったのかはわからない。しかし、詩人がこの詩の中で求めていることは、
1) 謙遜な者に目を留めてくださること(6節)
2) 四方八方から責められるような苦しみの中で、神が無事救い出してくださること(7節)
3) 敵の怒りに対して、神が報復してくださること(7節)
4) 神が自分自身に対する計画を実現してくださること(8節)
である。
<夜のディボーション>
 そしてこれらを神に求める根拠として詩人が語ることは、「あなたの恵みはとこしえにあります。あなたの御手のわざを捨てないでください」(8節)。つまり、神は恵み深いことと、私たちが神の御手によって造られた者であること、つまり私たちが神によって生み出された者であることだ。実に、神をあわれみ深いお方としてとらえていく。そして自分を生んでくださったお方としてとらえていく時に、私たちは、神への守りと、神による報復と、神のご計画に自分を委ねていくことができる。
 聖書の神は、創世記1:1にあるように、「すべての初めに天と地を創造された」お方であり、私たちを生んでくださったお方である。私たちの父である。ヘルムート・ティリケは、「祈りにおいて何よりも重要なことは、神と父と子という関係に結ばれている、関係の確認である」と語った。詩人も、神とは、父と子である関係を確認して、神への期待を抱いている。
父である神に我が心を率直に語らせていただこう。神の前に遜り無一文の気持ちであることを語らせていただこう。四方八方から責められる窮状において、救い出してくださることを願おう。私たちに対して憤りをあらわにする者、怒りをぶちまける者に神が報復してくださるように、と神の怒りに委ねよう。そしてただ神が私たちに持っておられる計画を実現してくださるように、と願おう。私たちの人生には神の計画がある。私たちの人生はまだ終わりではない。中途崩れで工事無期延期あるいは廃止になるのでもない。神がそれを速やかに成し遂げてくださるように、そして私たちがこの世に生み出された意味を見出し、心に喜びと感謝を抱くことができるように、祈ろうではないか。

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