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申命記26章 あなた方からの民となること

2022年03月24日 07時03分02秒 | 申命記
申命記26章、初物と10分の1の奉献
これまでは、新しい神の民がいかなる人間関係に生きるべきかを語ってきました。この26章は、新しい神の民が、神に対してどうあるべきかを語っています。
1.初物を献げること(1:1-12)
 そこでまず教えられることは、地の産物の初物を携えて礼拝することです。イスラエルの民は、荒野の40年というもの、神が天から下すマナによって奇跡的に養われてきました。それが約束の地に入ってからは、農耕によって生活が成り立っていくのです。彼らは神の奇跡に依存していた生活から、自分たちの手で耕し、実を得る生活へと移行していくのです。しかし、それは、もはや神の業を必要としなくなったということではありません。実際、彼らの生活は、神が恵みの雨を降らせないのなら成り立ちえないものでした。今日のビジネス社会といえども同じで、神が様々な商取引の人間関係を守り、導いてくださるからこそ、私たちの生活は支えられているのです。私たちは戦略的にあれこれ考え、物事を進めますが、それを祝される神がおられるのでなければ、戦略も成り立たない、そのような遜った思いがなければ、仕事上の失敗は避けられないでしょう。神の恵みに守られて、今月も守られている、収穫を得ている、仕事が進んだ、という思いを、しっかり初物を携えて礼拝することによって表明することは大切なのです。
ですから教会の献金も、漫然と献げるのではなくて、入学、進級、出産、就職、転職、病気回復、という人生の節目、節目で、しっかり神の恵みを感じ取りながら応答する形で献げていくことです。献げられる金額も、献げようとするお金そのものを気持ちで表すように準備して、祈りを持って献げる、これが応答の一つの形です。献げ物は、人格を持った神に対してなされるものなのですから、それなりの心遣いをもってしたいものです。
2.三年毎の10分の1(12-15)
次に、三年毎の10分の1のささげ物が教えられます。それは、収穫物をレビ人、在留異国人、みなしご、やもめに分かちあうものです。人への心遣い、ことに、要援護者のみならず、神に仕える者への心遣いが教えられます。貧しい者、困窮した者に対する配慮というものは誰もが考えるものです。しかし、要援護者ではないレビ人、つまり彼らの礼拝を成り立たせる働きをする者への心遣い、これが意外と忘れられているのです。彼らは土地を持たず、収入の術を持たない、否、皆が神を礼拝することができるように、ただそのために働いているのですから、その働きから収入を得るように考えられる必要があるのです。今日で言えば、牧師・伝道師の生活を考えることでしょう。彼らはまさに、皆が神に礼拝を献げ、神に心を向けるための働きに専心しているのですから、彼らあって神を礼拝することも成り立っているのですから、神を礼拝する者は、彼らの必要を考えなくてはなりません。彼らは日々の献げものから必要を受けていましたから、この三年毎の10分の1というのは、それでは足りない必要をまかなう工夫であったと考えられます。
3.モーセの第二の説教の結び(16ー19)
最後に、神の恵みの契約の更新が確認されています(16-19節)。神にとって、私たちは「宝の民」であり、主の命令を守る者は、すべての国々の上に高くあげられるとされます。ただ現実は「傷ついた者のたましいは助けを求めて叫ぶ。しかし、神はその愚痴に心を留められない」(ヨブ24:12)と思わされることが多いものでしょう。しかし出エジプトが現実であるとするならカナン入国の恵みもそうです。神は私たちを、窮状と労苦と圧迫の中にあっても、必ずや力強く導き出されます。ですからさらに勝利を重ねる祝福を注いでくださることを信じていきたいものです。では、今日もよき一日となるように祈ります。
 
<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。旧約聖書の中で、実際に履物を脱いで、家名存続の権利を放棄した出来事が描かれているのは、何の書でしょうか?答えは、ルツ記です。死んだ人の名を、その身内の者たちの間から絶やさないために、ボアズは、ルツと結婚しますが、ボアズの先にその権利がある人が、これを放棄したというエピソードがあります(ルツ4:10)では、今日の聖書クイズを一つ、乳と蜜(デバシュ)の流れる地の蜜は、一般に何の蜜と考えられているでしょうか?答えはまた明日。では今日もよき一日となるように祈ります。

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<天草さんのフォローアップ>
パスターまことの聖書通読一日一章をフォローし、さらに掘り下げにチャレンジしている、天草さんのサイトはこちら⇒「天草幸四郎」http://progress-to.jugem.jp/
私の願いは、聖書が国民の愛読書になることです。



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