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人生💯倍の視野😊【聖書】エゼキエル書47章 いのちの水の川と新しい相続地

2024年01月13日 10時08分41秒 | エゼキエル書
47章 いのちの水の川と新しい相続地
1.命の水の川
47-48章は、新しい神殿を中心としたイスラエルの相続地について語っています。重要なのは、前半に書かれた神殿の敷居の下から東の方へと流れ出るいのちの水と、後半に書かれた相続地の境界についての説明です。
まず水は、どんどん水量が増し(3-5節)、アラバに下り、死海に入ります(8節)。アラバは、ヨルダン川が死海に入る地域を指していますが、本来この地域は、雨期を除いてほとんど水利がなく、乾燥しています。また、死海は、水の出口がありませんから、その水は乾燥と共に濃縮され、塩分の濃い水となり、生き物が生息することのできない、塩の海です。しかし、神殿から流れるその水は、死の海をいのちの海に変える力を持つのです。また、その水が流れる土地は、作物を豊かに実らせます(12節)。それは、実際にはあり得ない状況です。
となるとこの幻は、終末的な内容、つまり、新約聖書のヨハネの黙示録が語っている幻に通じる内容があるのではないでしょうか。ヨハネは言いました。「御使いはまた、水晶のように輝く、いちの水の川を私に見せた。川は神と小羊の御座から出て、都の大通りの中央を流れていた」(黙示録22:1、2)。こうしてエゼキエルの最後の幻は、ヨハネの幻が語る内容と重なっており、象徴的に終末的状況を語っていると考えられるのです。
しかし、エゼキエルがこの書を書いた時の読者、つまり当時のユダヤ人は、そのようには読まなかったはずです。彼らは、これらを同じように象徴的に受け止めながら、捕囚帰還後のエルサレムの回復を豊かに思い描いたはずなのです。つまり、エゼキエルは、捕囚先のバビロンにて、ユーフラテスの豊かな水の流れを見ながら、荒れ果て、乾いた都エルサレムの回復されたイメージを語っている。しかし、その都は、全く新しい都ではなく、古い塩の海のイメージを引きずっています。死海は死海として残るわけです。ただ、エルサレムの回復は素晴らしいものがある、それは実に豊か!そのように回復させる神を見よ!いのちの源である神を仰げ!というのがこの箇所に込められたメッセージでしょう。ヨハネは、このエゼキエルのメッセージを踏まえて、イエスは、さらに素晴らしい恵みを約束された、それは新天新地で、エゼキエルが語った死の海をいのちの海に変えることが起こる、そのような恵みだと語ったと言えるのです。私たちが信じる神は、天地創造の神であり、死をいのちに、闇を光に変える神なのです(ヨハネ7:37,38)。
2.土地の割り当て
次に後半の13節からは、回復された土地の割り当てについて説明されます。不思議です、バビロンにいたエゼキエルは、その版図をメソポタミアにまで伸ばすこともできたことでしょう。しかし神の都を示すその版図は、大ぶろしきに拡大されることもなく、オリジナルのイスラエルの区域に限定されていました。つまり、大雑把に言えば、北側は地中海(「大海」15節)沿いのツロから、ダマスコの南西あたりまで(15-17節)。そして南側は、死海の少し南から、エジプトの川の河口と地中海に至るライン(19節)。西側は地中海(20節)、東側はヨルダン川と死海(18節)です。この地をイスラエルの部族ごとに割り当てる、と言うのです。それは完全に古代イスラエルの回復だけを語るものです。
ただ、そこに集められる住民に注目されます。そこには生粋のイスラエル人だけではなく、改宗した在留異国人も受け入れられています(22-23節)。もはや、新しいイスラエルは、血肉のイスラエルの枠を超えているのです。明らかにそれは捕囚期以前とは違う、他民族多文化的な国家のイメージを伝えています。もはや、肌の色、血筋、ことば、生まれの違いは問題にされず、ただ、いのちの源である神を信じる信仰、そこに一致した者が集められるのです。ルツが継母のナオミの信仰に応答し、唯一まことの神を、我が神、我が主として認めた、そのつながりが全てなのです(ルツ1:16)。そうすれば、「寄留者」と見なされる者もその地を相続できると言います(23節)。つまり、主を信じる者は皆一つの家族であり、自分の分を祝福として受けるのです。ヨハネの黙示録においては、もはやこの地上の地理的境界は問題ではありません。それは新天新地なのです。ただ、そこに所属する者とそうでない者のリミットがあることは確かです。そして、そこに所属する者は、唯一まことの神を、我が神、我が主として認めることは同じです。終末においては一つの家族として祝福を受けるイメージの原型がここにあります。終末の主の恵みに期待を持って今日も歩みましょう。では今日も良き一日となるように祈ります。
<クイズコーナー>           
最初に、昨日のクイズです。イスラエルの安息は、いつから始まり、いつから終わるものでしょうか?①金曜日の朝開けから日没まで。②金曜日の日没から土曜日の日没まで。③土曜日の朝開けから土曜日の日没まで。答えは②金曜日の日没から土曜日の日没まででした。では、今日の聖書クイズです。死海の塩分の含有量は、何パーセントとされているでしょうか?①15%、②30%、③50%。答えは、また明日。では今日も良き一日となるように祈ります。
Chapter 47: The River of Water of Life and the New Inheritance
1. the river of the water of life
Chapters 47-48 speak of Israel's inheritance land centered on the new temple. Of importance is the description in the first half of the chapter of the waters of life flowing out from under the threshold of the temple toward the east, and the description in the second half of the chapter of the boundaries of the inheritance land.
First, the waters flow in ever-increasing volumes (vv. 3-5), descending to the Arabah and entering the Dead Sea (v. 8). The Arabah refers to the area where the Jordan River enters the Dead Sea, which is essentially dry, with little water availability except during the rainy season. The Dead Sea has no outlet, so the water concentrates as it dries and becomes salty, making it a salty sea where no living creature can live. However, the water flowing from the temple has the power to transform the sea of death into a sea of life. And the land through which the waters flow produces crops in abundance (v. 12). This is an impossible situation.
Then, this vision must have an apocalyptic content, which is similar to the vision spoken of in the New Testament book of Revelation. John said. The angel also showed me a river of water, shining like crystal. The river came from the throne of God and of the Lamb, and flowed through the middle of the main street of the city" (Revelation 22:1, 2). Thus, Ezekiel's final vision overlaps with what John's vision tells us, symbolically speaking of an apocalyptic situation.
However, Ezekiel's readers at the time he wrote the book, i.e., the Jews of the time, would not have read them that way. They would have received them in the same symbolic way, but would have envisioned the restoration of Jerusalem after the return of the captives in abundance. In other words, Ezekiel is speaking of a restored image of the desolate and parched city of Jerusalem in Babylon, where the captivity took place, with the rich waters of the Euphrates flowing through it. But the city is not an entirely new city; it drags with it the image of the old salt sea. So the Dead Sea remains as the Dead Sea. But there is something wonderful about the restoration of Jerusalem, it is rich indeed! Behold God who restores it that way! Look to God, the source of life! That is the message of this passage. Based on Ezekiel's message, John could say that Jesus promised even more wonderful grace, the kind of grace that will transform the sea of death into the sea of life that Ezekiel spoke of in the new heaven and new earth. The God we believe in is the God of creation, the God who transforms death into life and darkness into light (John 7:37, 38).
2. allotment of land
The second half of the passage, beginning in verse 13, then describes the allotment of the restored land. It is curious that Ezekiel, who was in Babylon, could have extended his land all the way to Mesopotamia. But his version of the city of God was limited to the original area of Israel, without being expanded into the greater scheme of things. That is, roughly speaking, from Tyro along the Mediterranean Sea ("the Great Sea," v. 15) in the north to about southwest of Damascus (vv. 15-17). And the south side is a line from a little south of the Dead Sea to the mouth of the river of Egypt and the Mediterranean Sea (v. 19). To the west is the Mediterranean Sea (v. 20), and to the east is the Jordan River and the Dead Sea (v. 18). It says that this land will be allotted to each of the tribes of Israel. It speaks completely only of the restoration of ancient Israel.
However, attention is drawn to the inhabitants who will be gathered there. Not only native Israelites but also converted resident aliens are accepted there (vv. 22-23). The new Israel is no longer Israel of flesh and blood. Clearly it conveys an image of a different, other-ethnic, multicultural nation than it was before the captivity. No longer are differences of color, lineage, language, or birth a problem; only faith in God, the source of life, and those who are united in that faith are gathered. It is all about that connection where Lutz responds to the faith of his stepmother Naomi and acknowledges the one true God as my God and my Lord (Lutz 1:16). Then, he says, even those who are considered "sojourners" can inherit the land (v. 23). In other words, all who believe in the Lord are one family and receive their portion as a blessing. In Revelation, the geographical boundaries of the earth are no longer an issue. It is a new heaven and a new earth. But it is certain that there is a limit to who belongs there and who does not. And those who belong there are the same in that they acknowledge the one true God as my God and my Lord. Here is the archetype of the image of being blessed as one family at the end of time. Let us walk today with expectation for the grace of the Lord at the end of time. I pray that today will be another good day.
<Quiz Corner   </div>
First, yesterday's quiz. When did the Sabbath of Israel begin and end? (1) From Friday morning opening until sunset. (2) From Friday sunset to Saturday sunset. (iii) From the opening of Saturday morning to Saturday sunset. The answer was (2) from Friday sunset to Saturday sunset. Now for today's Bible quiz. What is the salt content of the Dead Sea considered to be? (1) 15%, (2) 30%, and (3) 50%. The answer will be given tomorrow. Well, I wish you a good day today.

人生💯倍の視野😊【聖書】エゼキエル書46章 君主と礼拝の規定、料理場

2024年01月12日 09時24分24秒 | エゼキエル書
46章 君主と礼拝の規定、料理場
1.新しい神殿の利用方法
46章は、新しい神殿の利用方法についてです。1節、「内庭の東向きの門」、つまり神殿の正門は、普段は閉じられています。しかし、週と月の最初の日に開放されます。そこで君主、また一般の人々が、それぞれささげ物を携えて礼拝をするわけですが、その際の出入りの方法が定められています。君主は、東門から入り、そこから出ていきます(8節)。しかし一般の民は、北から入った場合は南へ、南から入った場合は北へと整然と流れるように定められています(9節)。神殿の混雑を回避する意図があったのでしょう。これまでの文脈を整理すると、まず40章から新しい神殿の目的と構造(40-42章)、新しい神殿活動のスタート(43章)、新しい神殿に仕える者の定め(44章)、そして新しい神殿の利用方法(46章)、というわけです。
ですから、出入りの方法が説明された後、神殿で献げるべきものが説明されます(11-15節)。三種類のものが献げられます。一つは、主要な祭りと安息日や新月の祭りでのささげ物(11節)、また毎日の朝のささげ物(13-15節)。そして君主によって献げられる定時以外、必要に応じて進んで献げられるささげ物です(12節)。興味深いのは、礼拝が、基本的に献げる行為として語られていることでしょう。礼拝は、神の栄光を仰ぐと同時に、神に自分自身を献げる行為です。毎週、礼拝に集い、私たちは新しい献身を表明しているのです。しかしここでは、毎朝とありますから、朝毎に、新しい献身を表明して一日を始める、これが新しい捕囚後の読者に期待されたのです。それは、現代の私たちにも言えることです。毎週礼拝に出席することで、神に自分自身を献げ直して行く。そのような真剣さがなければ、神に近づく歩みなど難しいことです。
2.君主のささげ物
また興味深いのは、君主が必要に応じて進んで献げるささげ物です。彼は交わりのいけにえを献げるように命じられていますが、それは、基本的に執り成しを目的とします。つまりいつでも彼は、とりなしの必要があれば、神殿に赴くことができました。彼のために東向きの門はいつでも開け閉めされたのです。
そこで16-18節、相続地を相続以外の形で譲渡することを禁止し、君主の財産相続は、身内のみに限られること、また君主も一般の人の土地を没収してはならないことが確認されますが、何か文脈的に唐突です。しかし、これは、とりなし手としての君主の役割を強調する意味があったと思われます。つまり、土地没収に関して思い出すのは、列王記に記されたアハブ王が、ナボテのぶどう畑を力尽くで没収した事件です(1列王21:1-29)。君主は、民のために進んでとりなす者である、もちろん、民の権利を守ることは言うまでもない、ということです。そのような意味で、現代的に適応すれば、牧師、教会役員も、常に教会の羊に気を配り、進んで神の前に出て、とりなしの祈りをする者、であるということではないでしょうか。
3.神殿の聖性
19-24節は、神殿の構造を説明する補足のようで、祭司用(19、20)と一般用(21-24)の料理場が区別されていることを語っています。神殿には祭司だけが食べることのできるささげ物を料理する場と、一般の民が食べることのできるささげ物を料理する場が、別に設けられました。その目的は「民を聖なるものとしないためである」(20節)、つまり神殿の神聖性を意識し、強調するためでした。
やはり、神殿は神のおられるところ、神の栄光の満ちるところです。そして神の栄光が讃えられるところです。そのような場を、人間の不注意や配慮の欠落によって、人間的な場に堕してしまうことのない心構えは重要です。教会もまた、神を中心とした安息と祝福の場です。しかし罪人は、それを用意に人間的な安易な交わりの場に変えてしまいがちです。神のもとに、遜り、皆で心を合わせて神を崇める場としていく。罪深き者であることを覚えつつ、聖なる場、神にお会いできる場に出ることが許されている幸いを肝に銘じて、今週も神の礼拝に向かって整えられ、また教会へと向かいたいものです。
<クイズコーナー>           
最初に、昨日のクイズです。バビロン捕囚から帰ってきたグループで、ネヘミヤに率いられたグループが行ったことは次のどれでしょうか?①神殿の再建、②礼拝の再建、③町の再建。答えは③町の再建でした。では、今日の聖書クイズです。イスラエルの安息は、いつから始まり、いつから終わるものでしょうか?①金曜日の朝開けから日没まで。②金曜日の日没から土曜日の日没まで。③土曜日の朝開けから土曜日の日没まで。答えは、また明日。では今日も良き一日となるように祈ります。
Chapter 46: Monarchs, Rules of Worship, and Cooking Places
1. how to use the new temple
Chapter 46 is about the use of the new temple: verse 1, the "east-facing gate of the inner court," or the main gate of the temple, is normally closed. However, it is opened on the first day of the week and the first day of the month. The monarchs and the general public worship there with their offerings, and there are rules about how to enter and exit. The monarch enters through the east gate and leaves from there (v. 8). The general public, however, is required to flow in an orderly fashion, entering from the north to the south and from the south to the north (v. 9). The intention was probably to avoid congestion in the temple. To put this in context, we can begin in chapter 40 with the purpose and structure of the new temple (chapters 40-42), the start of the new temple activities (chapter 43), the regulations of those who would serve in the new temple (chapter 44), and how the new temple would be used (chapter 46).
Thus, after the instructions on how to enter and exit the temple, the items to be offered in the temple are explained (vv. 11-15). There are three kinds of offerings. The first is the offering at the major festivals and at the Sabbath and New Moon festivals (v. 11), and the daily morning offering (vv. 13-15). The second is the daily morning offering (vv. 13-15), and the offerings that are offered willingly as needed, except at regular times when they are offered by the sovereign (v. 12). It is interesting to note that worship is spoken of as essentially an act of offering. Worship is an act of offering ourselves to God as well as exalting His glory. Every week we gather for worship, we are expressing a new devotion. But here it says every morning, so every morning we begin the day with a new devotion, which is what was expected of the new post-captivity readers. That is true for us today. By attending worship services every week, we go about re-offering ourselves to God. Without such seriousness, it is difficult to walk closer to God.
2. the offering of the sovereign
It is also interesting to note the offerings that the monarch willingly makes as needed. He is commanded to offer the sacrifice of fellowship, which is basically for the purpose of intercession. In other words, at any time he could go to the temple if there was a need for intercession. The east-facing gate could be opened and closed for him at any time.
So verses 16-18, which prohibit the transfer of inherited lands by any other means than inheritance and confirm that the monarch's inheritance of property is limited to his relatives only, and that the monarch also may not confiscate the lands of ordinary people, are somehow abrupt in context. However, this was probably meant to emphasize the role of the monarch as an intercessor. In other words, with regard to the confiscation of land, we are reminded of the incident in the book of Kings in which King Ahab confiscated the vineyards of Naboth by force (1 Kings 21:1-29). The monarch is a willing intercessor for his people, not to mention a protector of their rights. In this sense, the pastor and church officers are also to be attentive to the sheep of the church and to be willing to come before God in intercessory prayer.
3. holiness of the temple
Verses 19-24 seem to be a supplement explaining the structure of the temple and speak of the distinction between the priestly (19, 20) and general (21-24) cooking areas. There were two separate cooking areas in the Temple, one for the priests only and one for the people in general. The purpose was "to keep the people from being holy" (v. 20), i.e., to emphasize and emphasize the sanctity of the temple.
After all, the temple is the place where God is and where His glory is full. And it is where God's glory is praised. It is important to be prepared not to allow such a place to be corrupted into a human place by human carelessness or lack of consideration. The church is also a God-centered place of rest and blessing. Sinners, however, tend to turn it into a place of easy human fellowship. Under God, we are to make it a place where we can all worship God in reverence and with all our hearts together. While remembering that we are sinful people, we should keep in mind the blessing of being allowed to go out to a holy place, a place where we can meet God every day, and be prepared for the worship of God this week and head back to the church.
<Quiz Corner> 
First, yesterday's quiz. Which of the following was done by the group led by Nehemiah when they returned from the Babylonian captivity? (1) Rebuilding the temple, (2) Rebuilding worship, and (3) Rebuilding the town. The answer was (3) rebuilding the city. Now for today's Bible quiz. When did Israel's rest begin and end? (1) From Friday morning opening to sunset. (2) From Friday sunset to Saturday sunset. (3) From the opening of Saturday morning until sunset on Saturday. The answer will be given tomorrow. Well, I wish you a good day today.

人生💯倍の視野😊【聖書】エゼキエル書45章 土地の分配と君主の務め

2024年01月11日 20時53分22秒 | エゼキエル書
45章 土地の分配と君主の務め
1.土地の分配
 バビロンでの長い捕囚期間が終わり、エルサレムに帰った人々がまず行ったことは、神殿と町の再建でした。その具体的な状況は、エズラ記、ネヘミヤ記に記されています。まずBC538年、ゼルバベルに率いられた第一回帰還があって、神殿が再建されました。実際に神殿が完成したのは、BC516年か5年とされていますが(エズラ6:15)、その後、BC458年に、エズラに率いられた第二回帰還(エズラ7:1、8-9)があり、礼拝の改革がなされています。そしてBC445年、ネヘミヤに率いられた第三回帰還があり、町が再建されています(ネヘミヤ2:1、6、11)。エゼキエルは、それらの出来事をなぞるかのように神殿の幻を語った後に、新しい国家の土地の分配について語っています(1-8節)。各部族に対する土地の分配については、47、48章で再び取り上げられ、ここでは、まず君主と祭司たちのための土地の分配が語られるのです。
 イスラエルの中心に、まず聖なる区域が確保されます。長さ2万5千キュビト(約11キロ)、幅1万キュビト(約4.4キロ)の長方形で、その中心に聖所が、聖所の回りには空き地が確保されます(1-4節)。その北側に祭司が住む土地が割り当てられ、さらにその北側にレビ人が住む土地が割り当てられ、そこに「20の部屋」が確保されています(5節)。ヘブル語本文を忠実に訳せば「部屋」となるのですが、この箇所については、ギリシア語の七十人訳聖書では「住む町々」と訳されています。文脈からすれば、その訳の方がすっきりします。聖なる区域を挟んだ反対側(南側)に町の所有地、いわゆる公共地でしょうか、が割り当てられています(6節)。そして祭司、レビ人、町の所有地を挟むように、その両側に(東はヨルダン川、西は地中海に至るまでの範囲)、君主の土地が割り当てられています。十分な土地が与えられた君主は民を搾取する必要もなくなるというわけでしょう(8節)。そしてこれらの土地の外側に、各部族が住む場所が定められていくのです(38章)。
2.新しい国の中心事項
9節からは、新しい国の指導者の権利と義務が語られます。君主は「二度とわたしの民を虐げることなく、この地は部族ごとに、イスラエルの家に与えられる」(8節)と言います。これまでは、君主の強欲によって土地が搾取され、民が虐げられることもありましたが、新しく回復されたイスラエルにおいては、もはやそのようなことは起こらないと言います。いや起こしてはならないのです。一度、神の裁きを受け、再生するのですから。聖なる主の臨在を中心とする再生したその町には、もはや不正や暴虐も、主の聖さを汚すようなことがあってはならないのです。
そこで念を押すかのように君主には、権力の乱用が戒められます(9節)。そして、単に悪を行わないだけではなく、正義を貫くように命じられます。実際に、まず公正さの象徴である正しい度量衡を守ることです(10-12節)。そして民を代表して主に奉納物を献げることです(13-17節)。これは、19節からもわかるように、祭司との共同作業なのでしょう。君主はこの新しい国のために、率先して新しい祭りを開かなくてはなりません。新年の祭り(18-20節)、過ぎ越の祭り(21-24節)、仮庵の祭り(25節)と、新しい国は、正義が行なわれる場であると同時に、主の救いを祝い、主に礼拝を献げる場なのです。
それにしても、食べるためにではなく、主に献げるために、たくさんの牛、羊がささげ物とされるイメージに、いささか圧倒される思いを持つのは私ばかりでしょうか。エズラ、ネヘミヤの記録を読むと、彼らは困窮の中にあり、このようなささげ物を命じられても献げることはできない状況にあったように思います。しかし、神あっての今であることを思えばこそ、まず神への感謝(貧しければ貧しいなりの)そして自分たちの日常ということになるのではないでしょうか。
キリストにあって人生を再スタートさせるというのなら、やはり、正しい心をしっかり持つことです。そして、新しい人生を生きるチャンスを与えてくれた神に感謝を献げる、礼拝を大事にし、そこから日々新しく生きるように努めていくことなのでしょう。では今日も良き一日となるように祈ります。
<クイズコーナー>       
最初に、昨日のクイズです。レビ人を構成する部族の内、主として幕屋の板、横木、柱、台座などの運搬を担当したのは、どの部族でしょうか?①ゲルション族、②ケハテ族、③メラリ族。答えは③メラリ族でした。ケハテ族は、幕屋の契約の箱、机、燭台、祭壇等の用具類、ゲルション族は、天幕、垂れ幕、掛け幕、ひも類などの運搬管理を担当した。では、今日の聖書クイズです。バビロン捕囚から帰ってきたグループで、ネヘミヤに率いられたグループが行ったことは次のどれでしょうか?①神殿の再建、②礼拝の再建、③町の再建、答えは、また明日。では今日も良き一日となるように祈ります。
Chapter 45: Distribution of Land and Duties of the Sovereign
1. distribution of land
 The first thing the people did upon their return to Jerusalem after the long captivity in Babylon was to rebuild the temple and the city. The specific circumstances are described in the books of Ezra and Nehemiah. First, in 538 BC, there was the first return led by Zerubbabel, and the temple was rebuilt. The actual completion of the temple is dated to 516 or 5 BC (Ezra 6:15), followed by the Second Return led by Ezra in 458 BC (Ezra 7:1, 8-9), when worship was reformed. Then in 445 BC, there was a third return led by Nehemiah, and the city was rebuilt (Nehemiah 2:1, 6, 11). After describing the vision of the temple as if tracing those events, Ezekiel speaks of the distribution of the land of the new nation (vv. 1-8). The distribution of the land to the various tribes is again addressed in chapters 47 and 48, where the distribution of the land for the monarchs and priests is spoken of first.
 In the center of Israel, the sacred area is first set aside. It is a rectangle 25,000 cubits (about 11 km) long and 10,000 cubits (about 4.4 km) wide, with the sanctuary in its center and open space around it (vv. 1-4). To the north of it is allotted the land where the priests live, and further north of that is allotted the land where the Levites live, where "twenty rooms" are set aside (v. 5). The Hebrew text, if translated faithfully, would be "rooms," but for this passage, the Greek Septuagint translates it as "cities wherein they dwell. In context, that translation is cleaner. On the other side (south side) of the holy area, the land belonging to the city, or what might be called public land, is allotted (v. 6). Then, on either side of the area between the land owned by the priests, Levites, and the town (extending east to the Jordan River and west to the Mediterranean Sea), the monarch's land is allotted. The monarch, given enough land, would no longer have to exploit his people (v. 8). Outside of these lands, each tribe is assigned a place to live (chap. 38).
2. Central Issues of the New Kingdom
Beginning in verse 9, the rights and duties of the leaders of the new nation are discussed. The monarch says, "Never again shall my people be oppressed, but this land shall be given to the house of Israel, tribe by tribe" (v. 8). In the past, the land was exploited and the people were oppressed because of the greed of the monarch, but in the newly restored Israel, he says, such things will no longer happen. No, it must not happen. Once they are judged by God, they will be regenerated. In that regenerated city, centering on the presence of the holy Lord, there must no longer be any injustice, no tyranny, no defilement of the Lord's holiness.
So, as if as a reminder, the monarch is warned against the abuse of power (v. 9). He is commanded not merely to do no evil, but to do justice. Indeed, the first thing he is to do is to observe the righteous measure, a symbol of fairness (vv. 10-12). Then it is to offer an offering to the Lord on behalf of the people (vv. 13-17). This is probably a joint effort with the priests, as we can see from verse 19. The monarch must take the initiative in opening a new festival for this new nation. The New Year (vv. 18-20), Passover (vv. 21-24), and the Feast of Tabernacles (v. 25), the new nation is not only a place where justice is done, but also a place to celebrate the Lord's salvation and offer worship to the Lord.
Am I the only one who is somewhat overwhelmed by the image of so many cows and sheep being offered as sacrificial offerings, not for eating, but for offering to the Lord? When I read the records of Ezra and Nehemiah, it seems that they were in the midst of poverty and could not offer such an offering even if they were commanded to do so. However, considering that God is the reason they are here today, they must first be thankful to God (if they are poor, they must be poor) and then go about their daily lives.
If we are to restart our lives in Christ, then we must have the right mindset. We should give thanks to God for giving us a chance to live a new life, cherish worship, and strive to live a new life every day. I pray that today will be another good day.
<Quiz Corner   
First, yesterday's quiz. Which tribe of the Levites was mainly responsible for carrying the boards, sidings, pillars, and pedestals of the Tabernacle? (1) The Gershon tribe, (2) the Kehate tribe, and (3) the Merari tribe. The answer was (3) the Merari. The Kekhateh tribe was in charge of the transportation and management of the Tabernacle's covenant box, table, candlestick, altar, and other tools, while the Gershon tribe was in charge of the transportation and management of the tent, draperies, hanging curtains, and strings. Now for today's Bible quiz. Which of the following was done by the group that returned from the Babylonian captivity and was led by Nehemiah? (1) Rebuilding the temple, (2) Rebuilding worship, (3) Rebuilding the city. The answer will be given tomorrow. Now, I pray that today will be another good day.

人生💯倍の視野😊【聖書】エゼキエル書43章 戻られる神、祭壇の火入れ

2024年01月10日 21時34分44秒 | エゼキエル書
43章 戻られる神、祭壇の火入れ
1.神の栄光が戻ってくる
神殿の全貌が明らかになった後、エゼキエルは、再び正門である東向きの門に連れていかれました(1節)。そして、かつてケバル川のほとりで見た幻を、再び目撃するのです。すでにあれから約20年の歳月が経っていました(40:1)。つまり、エゼキエル書も、一気に書き下ろされたものではないのです。それは、時間をかけて、少しずつ明らかにされた神の啓示を書き溜め、編集されたものです。聖書を理解する、ということも、おそらく、それぐらいの時間がかかると考えた方がよいのかもしれません。単純にわかったつもりにならず、時間をかけて繰り返し読む中で、少しずつ見えてくる部分がある、ということです。
 ともあれその幻は、かつて立ち去った神が、再び神殿に戻って来たことを告げるものでした。10章を読み返してみましょう。そこでは主の栄光が神殿を離れ去っていく幻が与えられています。それは、主の裁きでした。そしてこの43章では、新しい神殿に再び神が帰ってきているのです。それは主の恵みがあることを告げるものです。そして、新しい神殿が再び神の住まいとされることによって、その神殿が聖別されるべきことが告げられます(7節)。そこで淫行を行ってはならない。つまり、偶像崇拝、いわゆる宗教的姦淫を行ってはならない、ということです。また、その境内に王たちを葬ってはならない、と言います。つまり聖と俗を区別せよ、神殿は「最も神聖」(12節)な場所である、というのでしょう。教会も同じです。そのような意識をしっかり持たなくてはなりません。
ただ、大切なことは、教会を聖なる場としてくださるのは、神ご自身である、ということです(36:25-28、37:23)。私たちが教会を聖いものにしようとする努力は、しばしばパリサイ人的なものとなり、互いに他人が、聖書的に生きているか生きていないか、批判的な目で見て、裁き合い、あるいはマウントを取り合う残念な結果になります。なぜでしょう。教会の聖さは、自分自身にかかっているのだということを理解しようとしないためではないでしょうか。人間の救いは、これで十分だと思うことのない、終わりのない、一生の深さを持つものであることがわかっていないためなのでしょう。パウロのごとく、自身の救いの完成に苦悶する、それは一度切りのことではありません。まことの神の聖めの恵みは、いよいよ深く味わうべきものなのです(ピリピ3:12-16)。
2.祭壇の火入れ
11節以降は、主の栄光が戻られた神殿での活動を、どのように再スタートすべきかを教えます。重要なのは祭壇です。祭壇は、石造りで、土台の上に2つの台座、その上に炉が置かれる、三層の造りになっていました。形は正方形で、それは上に積み重なるにつれて、一辺が16キュビト、14キュビト、12キュビトと小さくなるジグラット構造になっています。高さは、全部で10キュビト、約5メートルですから、かなりの大きさで、ソロモンが造った祭壇と同じ高さです(2歴代4:1)。祭壇の炉までは東に面した階段を上って行きます。それを上る者は、主の栄光の臨在のある本堂の正面に向かうことになります。
このように造られた祭壇をまず聖別しなくてはなりません(18-27)。それは献身を象徴する「全焼のささげ物」、そして、無意識に犯された罪のきよめを象徴する「罪のきよめのささげ物」を献げることで、7日かけてこれを行うとされます。祭壇の火入れ式は、五種類あるささげ物の内、二つ「全焼のささげ物」と「罪のきよめのささげ物」を献げることでした。こうして祭壇を使う準備ができ、「わたしはあなたがたを受け入れる」(27節)と神は語られます。大切な点です。神に聖別され、受けいれられるためには、神の方法に従うことです。つまり神がこうして欲しいのだ、ということに気を使わなくてはなりません。祈り一つにしても、弟子たちが主の手ほどきを求めたように、神の方法に聞くのが信仰生活というものです。自分流を捨てて、教えられやすい心を持って教えを受けることです。礼拝のあり方、教会の奉仕の在り方、献金の献げ方、人間関係の取り方、改めて聖書からしっかり教えられていくことでしょう。
教会が命を吹き返すとしたら、「まず塊より始めよ」で、自らの救いの完成に真摯に取り組む人がいればこそです。では今日も良き一日となるように祈ります。
<クイズコーナー>           
最初に、昨日のクイズです。一竿の長さとして正しいものはどれでしょうか?①王のキュビト×6、②通俗のキュビト×6、③1スタディオン。答えは①王のキュビト×6でした。一竿は、長さの単位で、1竿は王のキュビト(通俗キュビト+手幅)×6で、約312センチ、1スタディオンは、距離の単位で、約185メートルです。では、今日の聖書クイズです。神がモーセに作るように命じた祭壇の材質は何であったでしょうか?①土か石、②青銅、③鉄、答えは、また明日。では今日も良き一日となるように祈ります。
Chapter 43: The Returning God, the Firing of the Altar
1. the glory of god returns
After the entire temple is revealed, Ezekiel is taken once again to the east-facing gate, the main entrance (v. 1). He then witnesses again the vision he once saw on the banks of the River Kebar. It had already been about 20 years since then (40:1). In other words, the book of Ezekiel was not written all at once. It is a compilation of God's revelation revealed little by little over time. Perhaps it is better to think of understanding the Bible as taking about the same amount of time. It is not simply that we think we understand, but that there are parts of the Bible that become clear little by little as we take time to read it over and over again.
 Let's go back to chapter 10. There we are given a vision of the glory of the Lord leaving the temple. It was the Lord's judgment. And here in chapter 43, God is returning again in the new temple. It heralds the presence of the Lord's grace. And it announces that the new temple is to be sanctified by being made God's dwelling place again (v. 7). No whoredoms shall be committed there. This means that idolatry, or so-called religious fornication, must not be practiced there. He also says that kings should not be buried within its precincts. In other words, the temple is the "holiest" place (v. 12). The same is true of the church. We must be aware of this.
But the important thing is that it is God Himself who makes the church holy (36:25-28; 37:23). Our efforts to make the church holy often result in Phariseeism, the unfortunate consequence of judging or mounting each other with a critical eye, looking at one another and others, biblically alive or not. Why is this? Perhaps it is because they refuse to understand that the holiness of the church depends on itself. Perhaps it is because they do not understand that human salvation is never enough, that it is never ending, that it has a life-long depth. Like Paul, we agonize over the completion of our own salvation, and it is not a one-time thing. The sanctifying grace of the true God is something to be savored deeply at last (Philippians 3:12-16).
2. the burning of the altar
Verses 11 and following tell us how we should restart activities in the temple now that the Lord's glory has returned. The key is the altar. The altar was a three-tiered structure of stone, with two pedestals on the base and a furnace on top of the pedestals. It is square in shape and has a ziggurat structure with each side becoming smaller (16 cubits, 14 cubits, and 12 cubits) as it is stacked on top of each other. The total height is 10 cubits, or about 5 meters, so it is quite large, the same height as the altar that Solomon built (2 Chronicles 4:1). To reach the furnace of the altar, one goes up the staircase facing east. Those who ascend it will be facing the front of the main hall where the Lord's glorious presence is located.
The altar thus built must first be consecrated (18-27). This is supposed to be done over a period of seven days by offering the "whole burnt offering," which symbolizes devotion, and the "sin cleansing offering," which symbolizes the cleansing of sins committed unknowingly. The altar burning ceremony involved the offering of two of the five offerings, the "burnt offering" and the "cleansing offering. Thus the altar is ready for use, and God says, "I will accept you" (v. 27). An important point. To be sanctified and accepted by God, we must follow God's way. In other words, we must be attentive to what God wants us to do. Even in prayer, as the disciples sought the Lord's guidance, we must listen to God's ways in our life of faith. We must abandon our own way of doing things and receive instruction with a heart that is easily taught. The way of worship, the way of church service, the way of giving offerings, the way of relationships, and so on, will be firmly taught from the Bible once again.
If the church is to come back to life, it will only do so if there are people who are sincerely committed to the completion of their own salvation, "First of all, start with the mass. I pray that today will be another good day.
<Quiz Corner   
First, yesterday's quiz. Which is the correct length of one rod? (1) king's cubit x 6, (2) common cubit x 6, (3) one stadion. The answer was (1) king's cubit x 6. One rod is a unit of length, and one rod is the king's cubit (common cubit + hand width) x 6, which is about 312 centimeters, and one stadion is a unit of distance, which is about 185 meters. Now for today's Bible quiz. What was the material of the altar that God commanded Moses to build? (1) clay or stone, (2) bronze, (3) iron, and the answer will be given tomorrow. Well, I wish you a good day today.

人生💯倍の視野😊【聖書】エゼキエル書42章 祭司たちが使う建物と聖域

2024年01月09日 10時43分07秒 | エゼキエル書
42章 祭司たちが使う建物と聖域
1.神殿に付属する建物
 42章は、祭司たちが使う2つの建物について語られます。まずその構造について。今日も、3Dアニメーションがあるので紹介しておきます(https://bit.ly/2SXFCl5)。内容は、明日の43章の部分まで含まれています。
まず1節、エゼキエルは、神殿中央の内庭から北側の外庭へ連れて行かれます。するとそこに、神殿本体に並ぶ二つの建物があるわけです。神殿本体との間隔は20キュビト、長さは100キュビトの長方形の建物です。そして、また幅10キュビトの通路を挟んでさらにその外側に、半分の長さ、つまり50キュビトの長方形の建物があります(8節)。いずれも三階建てで、バルコニーが設けられているので、上の階に行くほど、部屋の幅は狭くなっています。これと同じような建物が、神殿本体の南側にもあるのです。
次に建物の用途が説明されます。神殿本体に近い建物の部屋は、「主に近づく祭司たちが最も聖なるささげ物を食する所」です。そこで、祭司が、献げられた穀物のささげ物、罪のきよめのささげ物、代償のためのささげ物の中から、祭司に与えられたものを食べるのです(13節)。また、そのささげ物を保管し、祭司の装束を着替える場所としても使われます(14節)。
大事なのは、神が毎週時と場を定めて教会の礼拝に招いてくださる、その神礼拝のための場所とは別の場所が区別されて設けられた、ということでしょう。毎週日曜日は聖日と区別されますが、物理的な場所についても、礼拝を献げる場所とそれ以外の場所を区別して設ける意識に教えられます。本当に尊いものを尊いものとする、神の偉大さを思えば、そうでしょう。ただ日本の住宅事情を思えば、そんな贅沢をと思うこともあるかもしれません。日本の場合、礼拝堂を別にしている教会はあまり多くはなく、むしろ、小さく、普通の住宅を改造して作ったものであったりもします。ですから、礼拝堂も、交わりの場も、イベントを行う場もすべて共用であったりします。そのような会堂を持つこと自体、実は血のにじみ出るような大変な苦労があったということがあります。しかし、大聖堂を持つ教会もゼロからスタートしたのです。まだ先があると考えることも大切でしょう。礼拝だけの場を設ける、目指すべき本来の在り方がある、そのように皆で祈って、献げて、教会を発展させ、地域に生けるまことの神がおられることを物理的に証ししていく、これはチャレンジです。
2.聖なる場所
さて15節、エゼキエルは再び東向きの門(正門)に連れ戻され、そこから外庭の外に出ていきます。今度は、神殿全域の規模が測定されるのを、まるでドローンを飛ばして、その上空のカメラから見ているかのような説明をしています。「東側を測ると、測り竿で五百竿」とあります。1竿は、6キュビト(40:5)、1キュビト52センチですから、約1.5キロメートルです。しかし、大切なのは、実際の長さや大きさではなく、区切られた聖域があることを理解することでしょう。ここでも、聖なるものと俗なるものとが区別されているのです。確かに、この神殿が、捕囚期後に再建される神殿というよりも、終末的な意味のある、ヨハネ黙示録に描かれた新天新地を象徴するものであるとしたら、その区別の意義は重要です。ヨハネは、天の都の寸法を測り、それが、一万二千スタディオンであった、と言います。一スタディオンは約185メートルとされますから、約2,220キロ、日本列島がすっぽり入るぐらいの大きさです。はて、そこに、入れる人はわずかと考えるなら、それもわかりますが、人類史上に現われた人類に対する十字架の恵みの大きさを考えると、わずかでもないはずですから、やはりこれも、聖と俗を区別する程度の象徴的な表現に過ぎないわけです。
聖なるものを聖とし、そこで礼拝を献げるという意識。コロナ時代に、教えられたことは、対面礼拝かオンライン礼拝かの対立というよりも、オンライン礼拝か、礼拝のオンライン配信かの対立でした。対面であっても、オンラインであっても、礼拝者としての意識が問われたのです。そしてとかくオンラインの場合は、礼拝というよりも、礼拝のオンライン配信の視聴になってしまう問題がありました。礼拝は、神の聖域にあって心から献げるべきものです。今度の日曜日は、そのような心をしっかり持って神の聖域に参列させていただきたいものです。では今日も良き一日となるように祈ります。
<クイズコーナー>           
最初に、昨日のクイズです。エゼキエルが見たケルビムが持っていた四つの顔に入らないものはどれでしょうか?①ケルブ、②鷲、③雄牛。答えは③雄牛でした。ケルブ、人間、獅子、鷲の四つです(エゼキエル10:14,21)ただし、黙示録でヨハネが見た御座の生き物は、人間、獅子、鷲、雄牛のイメージで語られています(黙示録4:7)。では、今日の聖書クイズです。一竿の長さとして正しいものはどれでしょうか?①王のキュビト×6、②通読のキュビト×6、③1スタディオン、答えは、また明日。では今日も良き一日となるように祈ります。
一竿は、長さの単位で、1竿は王のキュビト(通俗キュビト+手幅)×6で、約312センチ、1スタディオンは、距離の単位で、約185メートル
Chapter 42: Buildings and Sanctuaries Used by Priests
1. buildings attached to the temple
Chapter 42 discusses two buildings used by the priests. First, its structure. There is a 3D animation that I will show you today as well (https://bit.ly/2SXFCl5). The content includes up to tomorrow's part of chapter 43.
First, in verse 1, Ezekiel is taken from the inner court in the center of the temple to the outer court on the north side. There, he sees two buildings that line up with the main body of the temple. They are rectangular buildings, 20 cubits apart and 100 cubits long. And on the outside, across a 10 cubit wide aisle, there is a rectangular building half as long, or 50 cubits (verse 8). Both buildings are three stories high and have balconies, so that the rooms become narrower as you go to the upper floors. A similar building is located on the south side of the main temple building.
Next, the use of the buildings is explained. The rooms in the building near the main body of the temple are "where the priests who approach the Lord eat the most holy offerings. There, the priests eat what is given to them from among the grain offerings, the cleansing offerings for sins, and the atonement offerings (v. 13). It is also used as a place to keep the offerings and to change the priest's garments (v. 14).
The important thing to remember is that the place was set apart from the place for divine worship, to which God invites us each week at a specific time and place for church services. Every Sunday is distinguished from the Holy Days, but we are also taught to be conscious of the distinction between the physical place where worship is offered and other places. This is true when we consider the greatness of God, who makes what is truly precious precious. However, considering the housing situation in Japan, one might think such a luxury. In Japan, there are not many churches that have a separate chapel. Therefore, the worship hall, fellowship hall, and event space are all shared. In fact, having such a church building itself was actually a bloody hardship. However, churches with cathedrals also started from scratch. It is important to consider that there is still more to come. There is a place for worship only, the original way of being that we should aim for, and this is a challenge for all of us to pray, dedicate ourselves, develop the church, and physically witness the presence of the living and true God in the community.
2. holy place
Now, in verse 15, Ezekiel is brought back again to the east-facing gate (the main gate) and from there out into the outer garden. This time, he explains that the entire temple area will be measured, as if he were flying a drone and watching from a camera above it. It says, "On the east side, measuring rod and five hundred rods," and one rod is six cubits (40:5), or one cubit 52 centimeters, which is about 1.5 kilometers. The important thing, however, would be to understand that there is a delimited sanctuary, not its actual length or size. Here, too, the sacred and the profane are distinguished. Certainly, the significance of this distinction is important if this temple is to symbolize the new heaven and new earth depicted in Revelation, which has apocalyptic significance, rather than a temple to be rebuilt after the captivity period. John measures the dimensions of the heavenly city, which he says was 12,000 stadia. One stadion is said to measure about 185 meters, which is about 2,220 kilometers, or about the size of the Japanese archipelago. If you think that there are only a few people who can enter the stadion, that is understandable, but considering the magnitude of the grace of the cross that has appeared in human history, it must not be even a few, so this is just a symbolic expression to distinguish the sacred from the profane.
The consciousness of holiness and the offering of worship there. During my time at Corona, what I was taught was not so much a conflict between face-to-face worship or online worship, but rather between online worship or online delivery of worship. Whether in-person or online, it was a question of consciousness as a worshipper. And there was always the problem that, in the case of online, it was more a matter of watching an online delivery of worship than worshiping. Worship should be offered from the heart in God's sanctuary. This Sunday, I hope that we will be able to participate in God's sanctuary with that in mind. I pray that today will be another good day.
<Quiz Corner   
First, yesterday's quiz. Which of the four faces of the cherubim that Ezekiel saw did not fit into the four faces of the cherubim? (1) A cherub, (2) an eagle, and (3) a bull. The answer was (3) a bull. The four are a cherub, a man, a lion, and an eagle (Ezekiel 10:14, 21) However, the creatures of the throne that John saw in Revelation are spoken of in the image of a man, a lion, an eagle, and a bull (Revelation 4:7). Now for today's Bible quiz. Which of the following is correct as the length of one rod? (1) Cubits of a king × 6, (2) cubits of a passage × 6, (3) one stadion, and the answer is, I'll see you tomorrow. Well, I wish you a good day today.