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人生💯倍の賛美賛美😊【聖書】詩篇15篇 神と共に住まう

2023年02月01日 06時22分09秒 | 詩篇
15篇 神と共に住む
1.背景
 この歳になると、毎朝、定められた場で聖書に向かうことが楽しみに感じます。一日の初めにあるべきところに納まる、そのような感覚があるのです。そして、椅子に座るや否や期待します。今日は、どんなことが私の心の内に響くのか、食事に招かれて、出てくるご馳走を楽しみにするかのような心境です。
 この詩の背景はよくわかっていません。作詞者のダビデは、その初めにまず神の家を愛し、神の家にとこしえに住まうことを願っています。幕屋に住まう祭司のように、いつでも神の側でお仕えしたい、と考えているのです。それは、敬虔に神を愛する者なら、すべて共感しうる願いというべきでしょう。ダビデは、神のもとにあってお仕えし続ける者にふさわしい条件をあげています。
2.神の家にふさわしい者
 第一に、それは正しく誠実な人生を送ること。神と人との前での正しさを意識して歩むことです。
第二に、それは具体的に正しいことばを語ること。真実を語り、人をそしらないことです。「舌を持って中傷せず」、単に悪口を言うというよりも、根拠もなくあれこれ推測で物事を語り、周囲に言いふらし、人の名誉を傷つけることを意味しています。神と共に住まう人は、人を信頼し、見守り続けるような人です。勝手に人を悪い人と決めつけて、悪態をつき、人を痛めつけるようなことはしません。むしろ、おかし気な言動について理解しようとする人、愛をもって身内のような関りを保ち続ける人、さらには積極的に愛を持って、その人を建て上げるように関わっていく人です(3節)。
 第三に、それは神の側に立って物事を評価しようとすることです。神に捨てられた人、つまりは「神に背いた人をさげすむ」という言い方は、何かパリサイ人的なイメージです。しかしここで言っていることは、自分のスタンスを明らかにすることです。自分と他人を比較して、私はあのような輩とは違う、というのではなく、私も同じ弱さを持ち同じ失敗をする可能性があるが、私は神の恵みに信頼し、神の願っておられることに立ち続けようとする意志を明確にすることです(4節)。
第四に、それは約束を守ることです。物事を引き受け、契約を交わしたのであるのなら、後で厄介な問題が起こって、経済的な負担が大きくなったとしても、あるいは時間的な融通が利かなくなり窮地に立たせられたとしても、その責任を放棄しないことです(4節)。人は都合が悪くなれば損得を考えて行動するものです。しかし、神と共に生きる人は、何が正しいかを考えて行動します。それがたとえ、損をするようなことであっても、神の義が現される行動を取るのです。
第五に、それはお金の面で卑しくないことです。「利息をとって」は、「高利をとって」を意味します。高い利息をとって、負債者を窮地に追い込んだりせず、わいろによって義を曲げるようなことをしない。人をお金によって苦しめたりはしない、というわけです。
このような人は、ゆるがされることがないと言います。安全で、平穏で、神と共にある祝福を得る。確かにそうであろうと思いますが、実際にこのようにあり続けるのは難しいものでしょう。しかし難しいけれども、そのように整えられていくことが霊的な成熟なのですし、そのために、イエスの十字架にある罪の赦しの恵みがあるのだと言えます。
つまり、朝の恵みの時は、自分が聖なる者であることを確認し、誇りに思うような時ではなく、イエスの十字架にある罪の赦しがあるために、神の子として受け入れられて、神の幕屋、聖なる山に歓迎されていることを覚える時です。おおよそ神の幕屋には住めそうもない私たちが、そこで罪を告白し、罪の赦しを覚え、キリストの十字架を掲げながら神に近づく幸いに与っていることを、感激を持って過ごす時なのです。イエスがおられればこそ、こうした詩篇を読みながら、いよいよ、この幕屋に宿る者に相応しく整えてくださいと祈ることができるのです。この詩篇は、私たちのことばや行い、他人に対する関わり、お金に対する感覚などを吟味させるものですが、イエスにつながっていればこそ、一つ一つ自分の心からの願い、今日の決意として祈られるものです。ただ聖書の言葉に照らして自分を厳しく見つめるようなことをせず、むしろ神の愛の中で、自身の魂が受け止められており、さらに信仰的に先に進むことを期待されている喜びを味わいたいものです。では今日もよき一日となるように祈ります。

<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。五旬節、いわゆるペンテコステの時に特別に読まれたとされる詩篇は、次のどれでしょうか?①詩篇7篇、②詩篇29篇、③詩篇137篇。答えは②詩篇29篇です。ちなみに、詩篇7篇はプリムの祭り、詩篇137篇は神殿滅亡の記念に読まれた、とされます。では今日の聖書クイズです。王の詩篇と呼ばれる王制について詠う詩篇に関連して、即位の詩篇と呼ばれるものがありますが、それは、次の中のどれでしょうか?①詩篇2篇、②詩篇24篇、③詩篇45篇、答えはまた明日。では今日もよき一日となるように祈ります。

Psalm 15: Dwelling with God
1. background
 At my age, I find myself looking forward to going to the Bible every morning in its appointed place. There is that feeling of being settled where I should be at the beginning of the day. And as soon as I sit down in my chair, I anticipate. It is as if I am invited to a meal and look forward to the feast that will be served, to see what today will bring to my heart.
 The background of this poem is not well known. The lyricist, David, begins it with a love for the house of God and a desire to dwell in the house of God forever. He wants to serve at God's side at all times, like a priest who dwells in the tabernacle. This is a desire that all who devoutly love God can relate to. David listed the requirements for those who will continue to serve God in His presence.
2. those who are worthy of the house of God
 First, it is to live a life of righteousness and integrity. It is to walk with an awareness of righteousness before God and man.
Second, it is to speak righteous words in concrete terms. It is to speak the truth and not to defame others. It is more than just speaking ill of others, but it means to speak things without evidence, to speculate about things, to talk around others, and to defame others. A person who dwells with God is the kind of person who trusts and keeps watch over others. They do not judge people as bad, swear at them, and hurt them. Rather, it is someone who tries to understand their strange words and actions, someone who maintains a loving relationship with them as if they were one of his or her own, and someone who actively engages in building them up with love (verse 3).
 Third, it is the one who tries to evaluate things from God's side. The phrase "despise those who have been abandoned by God," or "despise those who have disobeyed God," is something of a Pharisee image. But what I am saying here is to clarify my stance. It is not about comparing myself with others and saying I am not like them, but about clarifying my willingness to trust in God's grace and continue to stand for what God wants me to do, even though I have the same weaknesses and may make the same mistakes (v. 4).
Fourth, it is about keeping our promises. If I have undertaken things and made a covenant, I should not shirk my responsibility even if later troublesome problems arise that increase my financial burden or put me in a tight spot due to time constraints (v.4). People will act for gain or loss when things become inconvenient. However, those who live with God consider what is right and act accordingly. Even if it means losing money, they will act in a way that God's righteousness will be manifested.
Fifth, it is not to be mean in terms of money. The phrase "with interest" means "at a high rate of interest." It does not drive the debtor into a corner by charging high interest, nor does it pervert righteousness by bribes. He does not cause others to suffer because of money.
We say that such a person will not be shaken. They will be safe, at peace, and blessed to be with God. I am sure that is true, but it is difficult to keep it that way in practice. But, though it is difficult, it is spiritual maturity to be prepared in this way, and that is why we have the grace of the forgiveness of sins in the cross of Jesus.
In other words, the time of morning grace is not a time to confirm and boast that one is holy, but a time to remember that because of the forgiveness of sins in the cross of Jesus, one is accepted as a child of God and welcomed into the tabernacle of God, the holy mountain. It is a time when we, who could not possibly live in the tabernacle of God, spend time there confessing our sins, remembering the forgiveness of our sins, and being blessed to approach God while holding up the cross of Christ, all with great emotion. It is only in the presence of Jesus that we can read these Psalms and pray that He would finally make us fit to dwell in this tabernacle. These Psalms make us examine our words, our deeds, our relationships with others, our sense of money, etc., but only if we are connected to Jesus can we pray each one as a desire from our hearts and a decision for today. We should not just look hard at ourselves in light of the words of the Bible, but rather, in the love of God, we should enjoy the joy of knowing that our souls are being received and that we are expected to go further in faith. I pray that today will be another good day.

<Quiz Corner
First, yesterday's quiz. Which of the following Psalms is said to have been read specially during Pentecost? (1) Psalm 7, (2) Psalm 29, and (3) Psalm 137. The answer is (2) Psalm 29. Incidentally, Psalm 7 was read on the festival of Purim, and Psalm 137 was read on the anniversary of the destruction of the Temple. Now for today's Bible quiz. Related to the Psalms of Kings, which are psalms about the monarchy, there is a Psalm of Enthronement, which is one of the following? (1) Psalm 2, (2) Psalm 24, (3) Psalm 45, and the answer will be given tomorrow. Then I pray that today will be another good day.


人生💯倍の賛美😊【聖書】詩篇13篇 恵みに寄り頼む

2023年01月30日 09時46分42秒 | 詩篇
13篇 恵みに寄り頼み続ける
1. 背景
この詩篇は、その始まりと終わりにおいて、著者の思いがまるで違うように感じられます。何がこのような変化をもたらしたのか?不思議に思われます。最初は、満たされぬ思いと限界が語られ、神に訴え続ける中で、著者の心には、神に対する希望と神の救いを歌う思いが沸き起こっているのです。
 1節「主よ、いつまでですか。あなたは私を永久にお忘れになるのですか。いつまで、御顔を私からお隠しになるのですか」これの祈りが、ダビデの生涯のいつ頃に献げられたのか、よくわかっていません。おそらくそれは彼が逃亡生活をしていた時のもの、と考えられていますが、はっきりとした根拠があるわけではありません。ただ、もっともらしいというわけです。実際、ダビデはその時孤独感に苛まれていました。神は私を忘れているのではないか、と神からも見放された思いになっていたのです。ダビデは神の存在を否定しません。しかし、主が自分を気にかけておられることについて確信を持てないでいました。こんなに困っているのに、神は私のことを顧みてくださらない、苛立つ気持ちを押さえられないでいました(1節)。そして、あれこれ考えても、全く何一つ先が見えてこない。何もかも空しく空回りして、ただ時が過ぎていくだけ。待てば待つほどに、神の沈黙と闇は濃くなるばかり(2節)。ただひたすら我慢させられるだけ、悲しみが増すだけである(2節)。他方、敵のすることは、何もかもうまくいく。なぜか神は、自分よりも敵の味方になっているかのようで、彼らは圧倒的な力を誇る(2節)。何とも屈辱的ではないか。いつまでこんな状況が続くのか。耐えられない。そのような状況に何か、自分自身の経験を思い起こす、あるいは今共感する、と言う人も少なくないでしょう。
2.神のあわれみにすがる
 そこでダビデはどうしたのでしょうか?ダビデは、絶望のどん底の中で、なおも神に呼び求めるのです。打ちしおれた中で、敢えて声をあげて、神を呼び求め叫び続けるのです。「私に目を注ぎ、私に答えてください。私の神、主よ。私の目を明るくしてください」(3節)私が敵に打ち負かされて、先に死に、敵が勝ち誇ることのないように、と。自分の心の悩みと叫びを、そのまま神にぶつけています。まさにただ神のあわれみに寄りすがるのみというわけです。行間を読むならばそういうことでしょう。つまり「粘り勝ち」ということばがありますが、神に粘り続ける、それこそ、求められていることではないでしょうか。神は善であり、よきものを拒まれない、神の誠実さに信頼し続ける、信仰者は、その点において正しい者であることが何よりも大切なのです。そしてそのような体質、そのような忍耐力が身につくには、大変な時間を要するものでしょう。誰にも知られず一人で精進する信仰の修練の日々というものがあるのです。そこを忘れて、ただ、神は私の言うことを聞いてくださらない、と毒づくだけの甘い信仰者になってはなりません。
6節、神は「私に良くしてくださる」とあります。英訳(NEB)の聖書では、「私の願いすべてを聞き入れてくださった」と訳しています。つまり神は私の願いを聞くにとどまらず、それをはるかに超えた応答をしてくださると言います。リビングバイブル訳では「身にあまる祝福をいただき、心から主に歌います」とあります。そうであればこそ、私たちは主に歌を歌わざるを得ないという結論も出て来るでしょう。
ですから、祈りの中でいつまでですか、という思いがよぎったとしても、この試練は神の訓練の時であると受け止めて、神を信頼し、今少しと粘って祈り続けることです。神は私たちに究極の解決方法を与えてくださるお方です。その心的態度がしっかり出来ていれば全く打ちのめされた状況の中にあっても、私たちは平安と喜びを持つことができます。信仰の成熟は、普通の感覚では理解できない祝福に与らせる。神は奇蹟の神、天地創造の神です。無から有を生み出すお方、生ける神に呼ばわりましょう。では今日もよき一日となるように祈ります。
<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。ヘブル語のサーカルが、「教示する」を意味するところから、教訓的な歌と考えられているのは、次のどれでしょうか?①マスキール、②ミクタム、③アラモテ。答えは①マスキールでした。マスキールは、13の詩篇の表題となっていて、教訓的な歌と考えられています。では今日の聖書クイズです。詩篇120-134篇など、エルサレムに上る巡礼の旅に歌われた作品群は、何と呼ばれているでしょうか?①賛歌、②都のぼりの歌、③シオンの歌、答えはまた明日。では今日もよき一日となるように祈ります。
Psalm 13: Keep Leaning on Grace
1. background
In the beginning and the end of this Psalm, the author's thoughts seem to be very different. What brought about this change? One wonders. At first, the psalmist speaks of unfulfilled feelings and limitations, and as he continues to appeal to God, the author's heart is filled with hope in God and a desire to sing of God's salvation.
 Verse 1: "How long, O Lord? How long, O Lord, will you forget me forever? How long will you hide your face from me?" It is not known exactly when this prayer was offered during David's life. It has been suggested that it was probably made during his time as a fugitive, but there is no clear evidence for this. It just seems plausible. In fact, David was feeling lonely at the time. He felt abandoned by God, as if God had forgotten him. David does not deny God's existence. But he was unsure of the Lord's care for him. He could not suppress his frustration that God did not care about him in spite of his need (v. 1). And for him, even though he thought about this and that, he could not see anything ahead at all. Everything was spinning in the air, and time was just passing him by. The longer he wait, the more God's silence and darkness grows thicker (v. 2), and the more we are forced to endure, the more sorrowful he become (v. 2). On the other hand, everything the enemy does goes well. Somehow God seems to be on the side of the enemy rather than himself, and they boast of their overwhelming power (v. 2). How humiliating, isn't it? How long will this situation continue? It is unbearable. Many of us would say that something about such a situation reminds us of our own experience, or that we can relate to it now.
2. clinging to God's mercy
 What did David do? In the depths of his despair, David still called out to God. In the midst of his despair, he still cries out to God. O Lord my God, make my eyes bright. Brighten my eyes" (v. 3), lest I be overcome by the enemy and die first, and the enemy be victorious. I am taking the troubles and cries of my heart directly to God. He is simply leaning on God's mercy. If you read between the lines, that is what he means. In other words, the phrase "perseverance wins out," and that is what is required of us to keep on persevering with God. God is good, He does not reject good things, He continues to trust in His faithfulness, and it is of utmost importance that the believer be righteous in that regard. And it will take a great deal of time to acquire such a disposition and such perseverance. There are days of faith practice that you have to devote yourself to alone without anyone's knowledge. We must not forget this and become a spoiled believer who simply says, "God doesn't listen to me.
Verse 6 says that God is "good to me. The English translation (NEB) of the Bible translates it as "He has heard all my requests. In other words, it says that God not only hears my requests, but responds far beyond them. The Living Bible translation says, "I have been blessed beyond measure, and I sing to the Lord with all my heart. If that is so, we may conclude that we are compelled to sing to the Lord.
Therefore, even if the thought "How long?" comes to our mind in prayer, we should accept this trial as a time of training by God, trust Him, and persist in prayer for a little while longer now. God is the one who gives us the ultimate solution. If we have that mental attitude, we can have peace and joy even in the midst of a totally overwhelming situation. Maturity of faith gives us blessings that cannot be understood in the ordinary sense. God is the God of miracles, the God of creation. Let us call upon the living God, the One who creates something out of nothing. I pray that today will be another good day.
<Quiz Corner
First, yesterday's quiz. Which of the following is considered a didactic song, since the Hebrew word sarkar means "to instruct"? (1) Maskir, (2) Miktam, and (3) Alamote. The answer was (1) Maskir. The Maskil is the title of 13 Psalms and is considered a didactic song. Now for today's Bible quiz. What is the name of the group of works sung on the pilgrimage up to Jerusalem, such as Psalms 120-134? (1) Hymn, (2) Song of Ascent, (3) Song of Zion, and the answer will be given tomorrow. I pray that today will be another good day.

人生💯倍の賛美😊【聖書】詩篇12篇 必ず夜は明ける

2023年01月29日 07時35分01秒 | 詩篇
詩篇12篇 真実な主のことば
人間の社会は実に不条理に思われることがあるものです。時に、右を見ても左を見ても不真実な人々ばかり、誠実さの一欠けらもないと思わされることもあるものでしょう。しかし、たとえそのように現実を感じることがあっても、神の真実さにかけて、物事がよき結果となることを信じて前に進んでいくのがキリスト者です。
1.背景
この詩篇の背景として考えられるのは、Ⅰサムエル記22:9、23:12、19とされます。それはダビデがサウルの手から逃れようとしていた時に、ダビデの消息を告げ口する者たちがいた状況です。そこで1節「主よ。お救いください。敬虔な人は後を絶ち、誠実な人は人の子らの中から消え去りました。」は、神を恐れ、神を敬う人がどんどん少なくなっていく、そして、信頼できるような人を探してもいない。右を見ても左を見ても、平気で嘘偽りを並べ立てる者たちばかりである、という状況を語っているのです。「へつらい」は、調子の良いことを言うことで、「二心」は、心にないことを言うことに他なりません。問題は、そのような品性の卑しい者が、状況を左右する力を持ってしまう事態に置かれることです。
それは、実に窮地に立たせられることでしょう。自分の知らないところで、自分を追い詰めるような動きがある、物事が動く原理原則として正義が通用しない、悪しき者が思うままに振る舞い、それに歯止めをかける者もいないのです。神すら沈黙し、その状況を許されているかのように思える事態。そんな状況は勘弁したいと思うところですが、それが現実となって生じることもあるでしょう。そのような時には、「主が、へつらいの唇と傲慢の舌とを、ことごとく断ち切ってくださいますように」(3節)と心から叫び祈らざるを得ない気もちになるとは、よくわかることです。
また、人間は弱く、そのような偽りの舌の間で、自らも影響されてしまうことがあります。人の偽りを憎みながら、自らも偽った生き方をしてします。けれども、まことに神を信じる誠実な心を持つ者にとって、偽り続けることは難しいものです。自分から誠実さが失われていくことに耐えがたい思いがするものです。「この唇はわれらものもだ」(4節)、つまり何を言ったっていいじゃないか、と考えている人たちとは違うのです。
2.主は言われる。
5節、このように祈る詩人に主が約束されます。「わたしは彼を、その求める救いに入れよう」(5節)。悩む人が踏みにじられ、貧しい人が嘆く、そのような状況を神は決して放置されることはありません。神は、エジプトで奴隷状態であったイスラエルを救い出されました。また、祭司長や律法学者など、当時の指導者層に憎まれ、十字架に追い詰められ、死に葬られたイエスを、三日目に復活させました。主の救いは、真実な約束です。この世の偽りと欺きの現実がいかに色濃くあろうとも、主の真実は明らかにそれらに勝っています。
確かに、主の言葉は、るつぼで精錬された銀のように、試されたことば、練られたことばであって、それはへつらいの唇でも、口先でも、気休めのことばでもありません。それは、人間のことばとは全く違うものです。歴史的に試されて、繰り返し確かであると証明されたことばです。その真実な言葉を語られる主が言われるのです。「今、わたしは立ち上がる」(5節)そして、踏みにじられた者、貧しい者、嘆く者を助け出そう!と。私は嘘を言わない!と。
希望がないと思う時にこそ、この主の言葉に力づけられましょう。8節、「人の子の間で」は、「この世の人間社会で」の意味に理解してよいでしょう。「卑しいことがあがめられる」、つまり嘘偽りによって国中に不道徳と不条理が蔓延っている状況を語っています。正義が全く踏みにじられ、神も死んだと言われる状況です。しかしたとえそうであっても、神のことばは真実である、神は約束に誠実なお方である、と信頼し、なすべきことを淡々と進める歩みをさせていただきましょう。夜は必ず明けるのです。
<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。詩篇の内容の分類で「メシヤ詩篇」と呼ばれるものは、どれでしょうか?①詩篇22篇、②詩篇42篇、③詩篇119篇。答は、①22篇でした。新約聖書に啓示されているメシヤについて、特に22篇は受難について預言的に述べているとされます。では今日の聖書クイズです。ヘブル語のサーカルが、「教示する」を意味するところから、教訓的な歌と考えられているのは、次のどれでしょうか?①マスキール、②ミクタム、③アラモテ。答えはまた明日。では今日もよき一日となるように祈ります。

Psalms 12 True word of God
Human society can seem truly absurd. Sometimes we look to the right and to the left and see only untruthful people and not a shred of sincerity. However, even when we feel this way, it is the Christian who moves forward with faith in God's truthfulness, believing that things will turn out for the better.
1. Background
The possible background for this Psalm is I Sam 22:9, 23:12, 19. It is a situation in which David was trying to escape from the hand of Saul, and there were those who told him of David's disappearance. So verse 1: "O Lord! Save us, O Lord! The pious have ceased to follow, and the faithful have disappeared from among the sons of men." are becoming fewer and fewer people who fear and honor God, and they are not looking for someone they can trust. It speaks of a situation in which one looks to the right and to the left and sees only those who tell lies and falsehoods with impunity. To "heckle" is to talk nicely, and "double-mindedness" is nothing more than to say what is not in one's heart. The problem is that such a person of low character has the power to influence the situation.
That would be a real quandary. There are things going on that will drive you into a corner that you don't know about, justice is not the principle by which things work, the wicked do as they please, and there is no one to put a stop to it. A situation where even God is silent and seems to allow the situation to continue. We would like to avoid such a situation, but there will be times when it becomes a reality. At such times, it is understandable that we feel compelled to pray and cry out from the bottom of our hearts, "May the Lord cut off the lips of arrogance and the tongue of arrogance" (verse 3).
And, we human beings are weak, and we ourselves can be influenced by such false tongues. They hate the deceitfulness of others and live deceitfully themselves. But it is difficult for those with sincere hearts who truly believe in God to continue to be false. It is unbearable to lose one's integrity. This is not the case with those who think, "These are our lips" (v. 4), that is, it doesn't matter what they say.
2. the Lord says.
In verse 5, the Lord promises the psalmist who prays this way. I will bring him into the salvation he seeks" (v. 5). God will never leave such a situation where the afflicted are trampled upon and the poor mourn. God delivered Israel from slavery in Egypt. He resurrected Jesus on the third day, who was hated by the leaders of the time, such as the chief priests and the scribes, and was driven to the cross and buried to death. The salvation of the Lord is a true promise. No matter how strong the reality of the world's falsehoods and deceptions may be, the Lord's truth clearly outweighs them.
Indeed, the Lord's words, like silver refined in a crucible, are tested and seasoned words; they are not words of humility, or of talk, or of comfort. They are not words of humility, or of the lips, or of the lips, or of the mind, but words that are completely different from human words. They are words that have been tested historically and proven repeatedly to be true. It is the Lord, who speaks these true words, who says, "Now I stand. Now I will arise" (v. 5) and rescue the trampled, the poor, and the sorrowful! And He says, "I will not lie! I will not tell lies! And.
Let us be strengthened by these words of the Lord just when we think there is no hope. v. 8, "among the sons of men" may be understood to mean "in the human society of this world. It speaks of a situation in which immorality and absurdity prevail throughout the land through lies and deceit. It is a situation in which justice is completely trampled upon and God is said to be dead. But even so, let us trust that God's Word is true, that God is faithful to His promises, and let us proceed with what needs to be done in a straightforward manner. The night will surely dawn.
<Quiz Corner>
First, yesterday's quiz. Which of the Psalms are called "Messianic Psalms" in the classification of their contents? (1) Psalm 22, (2) Psalm 42, and (3) Psalm 119. The answer was (1) Psalm 22. The Messiah revealed in the New Testament, especially Psalm 22, is said to prophetically describe the Passion. Now for today's Bible quiz. Since the Hebrew word sarkar means "to instruct," which of the following is considered a didactic song? (1) Maskil, (2) Miktam, and (3) Alamoth. The answer will be given tomorrow. Then I wish you a good day.

 


人生💯倍の賛美😊【聖書】詩篇11篇 拠り所

2023年01月28日 07時23分54秒 | 詩篇
1篇 主の御顔を仰ぎ見る
1.背景
ヨブ記、詩篇と続けて読んできて、考えさせられるのは、信仰の在り方です。つまりどんなに危機的な状況にあろうと、泰然自若として静かに神により頼んでいく姿勢です。人は、危機に際しては動揺しやすいものですし、追い詰められた状況では、神を疑い、信頼すべき神に毒づくこともしてしまうのです。静かに神により頼んでいく姿勢をしっかり養い育てていくのが、霊的な成熟というべきものです。
ダビデがこの詩を詠んだのは、サウルに命を狙われていた時であったとされます。1節「鳥のように、自分の山に富んでいけ」は、サウルが、ダビデを投げ槍で突き刺して殺そうとした事件(1サムエル18:11、19:10)を背景としているようです。
2.拠り所が壊される
 実に、絶体絶命という危機、望みがないという状況に人は追い込まれることがあるものでしょう。3節「拠り所が壊されたら、正しい者に何ができようか」とあります。拠り所は、自分の全存在がかかっている場、ダビデにとっては神の正義そのものでしょう。それが失われたなら、結局自分の正義を振りかざしても、何にもならないというわけです。確かに、その通りでしょう。サウルは、国家の最高権力者であり、彼自身が法であり秩序でした。そのサウルの圧倒的な権力と力にはかなわない。サウルの力にねじ伏せられ、踏みにじられて終わりでした。いくら善良で正しい者であったとしても、その正しさなど通用せず、臍を噛みながら、難を逃れて敗走するまで、これが現実です。
3.信仰を告白する
 しかし、拠り所が壊されることはありません。神の正義は、空想でも理想でもないのです。4節「まぶたは人の子らを調べる」は、目を細めて、詳細に調べるという擬人的な表現です。神はただ世の中に起こっていることを知っているのではなく、物事を見通し、よく理解されている、ということです。ちょうど、主がソドムとゴモラを滅ぼそうとされた時に「わたしは下って行って、私に届いた叫びどおりに、彼らが実際に行っているかどうかを見よう。わたしは知りたいのだ」(創世記18:21)と語ったように、神は、私たちの生活の場に下りてこられるお方。自ら現場を歩き回り、裏付け調査をして、正しいことをなさるのです。
 大切なのは、心揺さぶられるような時に、慌てず、静かに神により頼む心をしっかり持つことでしょう。そしてダビデの祈りのことばを自らの祈りのことばとして祈ることです。「神のみこころは暴虐を好む者を憎む。主は悪者どもの上に網を下す。」「主は正しく、正義を愛される」、「直ぐな人は、御顔を仰ぎ見る」と信仰を告白しつつ祈るのです。
 信仰者は、危機においてこそ、その持っている信仰の真価を試されるものです。誰もが諦めてしまうところ、誰もが逃げてしまうところで、静かに神により頼んでいけるかどうか、そこが問われているのです。そして、その試練の受け止め方、対処の仕方に成長することが霊的成熟と言えます。
この詩篇は、最初に信じる者の拠り所がどこにあるかを示し、その拠り所が決して壊されるものではないこと、信頼に値するものであることを熟考させます。つまり、「主に私は身を避ける」(1節)そして「主は正しく、正義を愛される」(7節)ここにしっかり固く立つことを教えるのです。いついかなる時も、主の誠実さを静かに信頼できる者とならせていただきましょう。人は、いつでも主のまなざしを受けていることを思い起こす必要があります。主が御顔を向けておられることを覚えなくてはなりません。その主の御顔を仰ぎ、主に応答することが信仰であり、礼拝です。信仰に生きるなら、いかなる状況にあっても「まだまだ、諦めるのは早い」と心得たいものです。では今日もよき一日となるように祈ります。
<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。詩篇の内容の分類で、「知恵の詩篇」と呼ばれるものはどれでしょうか?①詩篇1篇、②詩篇20篇、③詩篇46篇。答は①詩篇1篇でした。②詩篇20篇は王の詩篇、③詩篇46篇は、シオンの歌と呼ばれるものです。では今日の聖書クイズです。詩篇の内容の分類で「メシヤ詩篇」と呼ばれるものは、どれでしょうか?①詩篇22篇、②詩篇42篇、③詩篇119篇、答えはまた明日。では今日もよき一日となるように祈ります。
Chapter 11: Foundations
1. Background
After reading Job and Psalms in succession, I am reminded of how faith should be. In other words, no matter how critical the situation may be, we must remain calm and rely on God. In times of crisis, it is easy for people to become agitated, and when cornered, they may doubt God and even poison the very God they should be trusting. It is a matter of spiritual maturity to cultivate and nurture an attitude of quiet dependence on God.
David composed this psalm when Saul was trying to kill him, and the first verse, "Be rich on your mountain like a bird," seems to be based on the incident in which Saul tried to kill David by piercing him with a spear (1 Samuel 18:11; 19:10).
2. the stronghold is destroyed
 In fact, people are sometimes driven to the brink of extinction or hopelessness, as verse 3 says, "What can the righteous do when their stronghold is destroyed? The stronghold is the place where one's whole being is at stake, and for David, it would be God's justice itself. If that were lost, then he would be nothing, after all, even if he were to wield his own righteousness. Indeed, that would be true. Saul was the supreme authority of the nation, and he himself was the law and order. He was no match for the overwhelming power and might of Saul. He was twisted and trampled by Saul's power and that was the end of it. No matter how good and righteous he was, his righteousness was no match for Saul, and he could only escape defeat by biting his navel.
3. confess your faith
 But the stronghold is not destroyed. God's justice is neither fanciful nor ideal; verse 4, "the eyelids examine the sons of men," is an anthropomorphic expression of squinting and examining in detail. It means that God does not just know what is going on in the world; He sees things and understands them well. Just as when the Lord was about to destroy Sodom and Gomorrah, "I will go down and see if they are actually doing what the cry that came to me said they were doing. As He said, "I want to know" (Genesis 18:21), God is the One who comes down to the places where we live. He walks around the field Himself, does corroborative research, and does what is right.
 The important thing is not to be in a hurry when we are shaken, but to quietly and firmly ask God for help. And we should pray the words of David's prayer as our own words of prayer. God hates those who love tyranny. The Lord will cast a net over the wicked." The Lord loves the just and the righteous," and "The upright will look up to His face.
 It is in crisis that the true test of a believer's faith comes. The test is whether or not we can quietly ask God for help where everyone else would give up, where everyone else would run away. And to grow in the way we accept and deal with those trials is spiritual maturity.
The psalmist first shows us where the believer's stronghold is and reminds us that this stronghold is not broken and is worthy of trust. In other words, it teaches us to stand firm: "In the Lord I will avoid myself" (v. 1) and "the Lord is just and loves righteousness" (v. 7). Let us be quiet and trusting in the Lord's faithfulness at all times. One needs to remember that one is always under the Lord's gaze. One must remember that the Lord has turned His face toward him. Looking up to His face and responding to Him is faith and worship. If we live by faith, no matter what our circumstances are, we should know that we are not ready to give up yet. I pray that today will be another good day.
<Quiz Corner
First, yesterday's quiz. Which of the Psalms is called a "Psalm of Wisdom" in terms of content? (1) Psalm 1, (2) Psalm 20, and (3) Psalm 46. The answer was (1) Psalm 1. Psalm 20 is a royal psalm, and Psalm 46 is called the Song of Zion. Now for today's Bible quiz. Which of the Psalms is called a "Messianic Psalm" in the classification of Psalm content? (1) Psalm 22, (2) Psalm 42, (3) Psalm 119, and the answer will be given tomorrow. Now, I pray that today will be another good day.


人生💯倍の賛美😊【聖書】詩篇10篇 あなたは助け主

2023年01月27日 06時01分35秒 | 詩篇
10篇 あなたがお助けになる
1. 背景
 10 篇は、9篇の続きであるとも、別物であるとも、考えられているものです。伝統的にローマカトリック教会は、ギリシア語の七十人訳聖書およびラテン語のウルガタ訳聖書に倣って両者を一つに数えていますが、プロテスタント教会では、別個のものとみなす傾向にあります。ただし、10篇に表題がないことや、先に述べたようにいろは歌としての連続性があること、そして9篇は神の確かな勝利、10篇はやがて滅びる悪者の現在の勝利、をテーマにしている、と捉えてみると、内容的に対になっている作品と考えられます。
2.悪者の繁栄
最初に詩人は、悪者が栄える様子を描き出しています。悪者はこの世で成功し、自己満足に陥り、ますます自分の欲望を誇り、金だけを目的とした人生を生きていきます(3節)。神など求める気持ちはまったくなく、そもそも神などいないのだと主張します(4節)。ですから物事が次々と成功するのは、自分の力の故である、と高慢に陥っているのです(6節)。そしてその口には、偽りと欺きがあり、弱い者を、いや、弱められた不幸な人を狙って餌食にすらしています(8節)。結局、このような悪者の犠牲になる不幸な人は、その歴然とした力の差に「砕かれ、崩れ、倒れ」てしまうのです(10節)。悪者は言います。「神は忘れている。何も見ていやしない」(11節)。
古代に書かれたものなのに、今の時代を描いているかのようです。金や権力を握る悪者が結局、弱い者を踏みにじっていく。弱い者の苦労の上に、力ある者が胡坐をかいて、のうのうと生きている。それは、昔も今も変わりません。ごく身近なところで見聞きもし、経験することと思われるものです。
それにしても、なぜ邪悪な者は栄えるのでしょう。なぜ貧しい者は益々貧しくなり、敬虔な者は苦しめられるのか?これは、ヨブ記にも取り上げられた疑問であり(ヨブ記24章)、いつの時代にも繰り返される質問です。
3.祈り
後半は、悪者に虐げられた者、苦しめられている者の祈りです。このような矛盾に満ちた状況の中でいかに祈るべきか、祈ることばを教えています。詩人は祈ります。「主よ。立ち上がってください。神よ。御手を上げてください。どうか、貧しい者を忘れないでください。」神が沈黙し、祈りのことばが空しく闇に吸い込まれていくように思われる時であっても、望みがないとは思わずに、敢えて神は真実であると信頼して祈るのです。詩人は告白します。14節「あなたは見ておられました。労苦と苦痛をじっと見つめておられました。」神は私たちを忘れてはおられない、と神に対する信仰を明確にするのです。そして、告白しましょう。「不幸な人は、あなたに身をゆだねます。みなしごは、あなたがお助けになります。」神の実際の介入を信じ続けるのです。リビングバイブル訳は、「ああ主よ。貧しい者はあなただけが頼りなのです」と訳します。祈る言葉としてはこちらの方が心境にピッタリという感じです。
ただ実際問題として、「神は忘れている、何も見ていない」と心がつぶやき、叫ぶ中で、敢えて「神は見ておられる、神は介入される」と祈るなど、心の負担は大きいものがあります。どのようにして不信仰な心の向きを逆回転するのか。それができたら苦労はありません。いいえ、無理だと考えましょう。そして子どもがどのようにして親とまともな言葉を交わせるようになるかを考えてみたいのです。アーアー、ウーウーと喃語をしゃべる状態から、「ママ」、「パパ来た」と関係を意識し、意味のあることばを口にするまでに、子どもはたくさんの親からの語り掛けを受けています。信仰も同じです。神の語り掛けを、毎日繰り返し、大量に受けない限り、信仰的、信頼的な応答は決して生まれてはきません。信仰的になろう、と無理な背伸びをせずに、まずは、ゆっくり、静まって、神の語り掛けのシャワーを浴びることです。まさに「継続は力なり、聖書を一日一日と読み進むなら、不思議にも自然に養われていくものがあるものです。」と言うべきでしょう。時間が必要なのです。あの偉大な使徒パウロも、自分の弱さを気にしていました。これがなければもっと宣教を進められる、と考えるものがありました。そして3度の苦闘の末、彼は、その弱さは、神の宣教の妨げになることは少しもないと気づいているのです(2コリント12:10)。信仰的なことば、信仰的な姿勢が養われていく時が必要です。忍耐をもって神と心を交わす時を大事にしてまいりましょう。では今日もよき一日となるように祈ります。
<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。冒頭の単語がアルファベッド順に並べられた技巧的な詩篇で、最も長いものはどれでしょうか?①詩篇25篇、②詩篇111篇、③詩篇119篇。答えは詩篇119篇でした。では今日の聖書クイズです。詩篇の内容の分類で、「知恵の詩篇」と呼ばれるものはどれでしょうか?①詩篇1篇、②詩篇20篇、③詩篇46篇。答えはまた明日。では今日もよき一日となるように祈ります。
Psalms 10 You are here to help
1. background
 Psalm 10 is considered both a continuation of Psalm 9 and a separate work. Traditionally, the Roman Catholic Church counts them as one, following the Greek translation of the Seventy and the Latin translation of the Urgata Bible, while the Protestant Church tends to regard them as separate. However, if we consider the fact that Psalm 10 does not have a title, that it has continuity as a colorful song as mentioned earlier, and that Psalm 9 is about God's certain victory and Psalm 10 is about the present victory of the wicked who will eventually perish, then they are considered to be paired works in terms of content.
2. prosperity of the wicked
First, the poet describes the prosperity of the wicked. The wicked succeed in this world, become complacent, and live a life that boasts more and more of their own desires and is only about money (v. 3). They have no desire for God, and they claim that there is no God in the first place (v. 4). He is proud of his own power, which is the reason for his successes (v. 6). And in his mouth is deceit and deception, even preying on the weak, nay, targeting the weakened and unfortunate (v. 8). In the end, the unfortunate victims of these evil men are "crushed, crumbling, and falling" because of the obvious difference in their strength (v. 10). The wicked say. God has forgotten. He sees nothing" (v. 11).
Though written in ancient times, this passage seems to be describing our own times. The wicked who hold money and power eventually trample the weak. The powerful sit on top of the hardships of the weak and live comfortably. This was and still is the case today. We see, hear, and experience this in our daily lives.
Why do the wicked prosper? Why do the poor become poorer and poorer, and the pious suffer? This is a question that is also addressed in the Book of Job (Job 24), and it is a question that is repeated in every generation.
3. prayer
The second half is the prayer of those oppressed and tormented by the wicked. It teaches how to pray in the midst of such contradictory circumstances and the words to pray. The psalmist prays. O Lord! Arise, O Lord. Lift up your hands, O God. Lift up your hands. Please do not forget the poor." Even when God is silent and the words of our prayers seem to be empty and absorbed into the darkness, we do not think that there is no hope, but we dare to pray, trusting that God is true. The psalmist confesses, v. 14: "You were watching. You have gazed upon our toil and pain." We make clear our faith in God that He has not forgotten us. Then confess. The unfortunate man yields himself to You. The orphan, you will help him." Continue to believe in God's actual intervention. The Living Bible Translation says, "Oh Lord. The poor have only You to rely on." As a prayer, this seems more appropriate to our state of mind.
However, as a matter of fact, it is a great burden on the heart to pray, "God is watching, God will intervene," while the heart is murmuring and crying out, "God has forgotten, He sees nothing. How do we reverse the direction of our unbelieving hearts? If we could do that, there would be no difficulty. No, let us assume it is impossible. And we want to consider how a child can learn to have a decent language with his or her parents. From babbling "aaah" and "woo-woo" to saying "mommy" and "daddy's here" with an awareness of the relationship and meaningful words, a child has received a lot of talking from his or her parents. The same is true of faith. Unless we receive God's speaking to us repeatedly and in large quantities every day, a faithful and trusting response will never emerge. We should not try to be faithful, but first of all, we should slow down, be still, and take a shower of God's words to us. Continuity is power, and if you read the Bible day by day, you will find that some of the things you read will grow in you naturally and mysteriously. It should be said, "Continuation is power. It takes time. Even the great apostle Paul was concerned about his own weakness. There were things that he thought without which he could have done more missionary work. And after three struggles, he realized that his weakness was not in the least bit an obstacle to God's mission (2 Cor. 12:10). We need a time when faithful words and faithful attitudes are cultivated. Let us cherish the time when we can have a heart-to-heart talk with God with patience. I pray that today will be another good day.
<Quiz Corner
First, yesterday's quiz. Which of the following is the longest psalm, a technical psalm in which the words at the beginning are arranged in alphabetical order? (1) Psalm 25, (2) Psalm 111, and (3) Psalm 119. The answer was Psalm 119. Now for today's Bible quiz. In the classification of the contents of the Psalms, which one is called the "Psalm of Wisdom"? (1) Psalm 1, (2) Psalm 20, and (3) Psalm 46. The answer will be given tomorrow. Now, I pray that today will be another good day.