人生が100倍楽しくなる、パスターまことの聖書通読一日一生(旧約聖書 新約聖書 聖書通読ブログ)

聖書通読の積み重ねは、モノの見方を変え、人生を前に進む勇気を与えてくれます。ご一緒にしませんか?

人生💯倍の安心😊【聖書】歴代誌第二36章 赦されない罪

2022年11月03日 06時42分25秒 | 歴代誌
36章 悔い改め無き王たち
1.ユダ王国末期の四人の王
2歴代誌は、どのように主の宮が建てられたかという物語から始まっています。最後の章は、どのようにその主の宮が破壊されたかを記録しています(18,19節)。ソロモンによって建てられた主の宮は、カルデヤ人によって焼かれ、破壊され、中の器具、財宝はすべてバビロンへと持ち去られました。そして剣を逃れたイスラエル人は、皆、バビロンへと連れ去られ、奴隷とされていきます。
 どうして、このような不幸が起こってしまったのか。イスラエルの祝福は、イスラエルの態度によらず、ただダビデの契約に基づく祝福であったはずです。つまり、イスラエルが祝福されるのは、ダビデが神と交わした契約のためであって、それは決して変わることのないものであったはずです。私たち自身も、イエスの十字架の契約によって取り消されることのない祝福に与っているはずですが、それが取り消される事態になるというのでしょうか。
これまで歴代誌の著者が書き記してきたことは、ダビデの契約のゆえに、罪を犯し、反逆を重ねた王であれ、神の前に遜ると、赦され回復されることでした。しかし、その巻末において、著者は、ユダ南王国末期に登場する四人の王、つまりエホアハズ、エホヤキム、エホヤキン、そしてゼデキヤが、主の目の前に悪を行い、主の道からそれ、ついに彼らは回復されなかったと記されるのです。そしてこれら四人の王についての記録には、一定のパターンがあります。彼らが悪を行い、捕虜とされ、財宝が没収されていく、これらは、神に対する不信の結果であると描かれているのです。
2.悔い改めを拒む罪
ゼデキヤは、主のことばを告げた預言者エレミヤの前に遜ろうとしませんでした。王も祭司長も、そして民も、神の使者たちを笑いものにし、そのみことばを蔑み、その預言者たちを侮りました(16節)。彼らが滅びたのは、彼らの態度によるものでした。ダビデ契約は永遠に有効です。しかし、その契約を自ら拒否する態度が問題だったのです。確かに主イエスも語られています。「人はどんな罪も冒涜も赦していただけます。しかし、御霊に逆らう冒涜は赦されません。」(マタイ12:31)赦されない罪があるとすれば、それは、悔改めを促す聖霊の働きを拒む罪でしょう。人はどんな罪も冒涜も赦されます。しかし、罪の悔い改めを促す聖霊の勧めを拒みつづけるならば、結局は、聖霊がもたらす罪の赦しの恵みに与ることはないのです。ゼデキヤも、祭司長全員も民も、神から遣わされた使者たちの悔改めの促しを受け入れようとしませんでした。つまり彼らは、自らダビデの契約が守られることを拒んだのです。
私たちは、神の期待を裏切り、主の目の前に悪を行ってしまうことがあるものです。いわゆる刑務所に入るような罪を犯すことはなくても、人間として不誠実である、心において罪(sin)を犯している、と思わされる場面にはいくらでも出会うことでしょう。大切なのは、そこで罪の悔い改めを促される、良心の痛みがあるならば、神にその罪を告白し、赦していただくことです。そして、いつでも赦してくださる神の恵みに感謝し、心の聖さを保つことでしょう。
神は、あわれみ深いお方です。神は、異邦人の王クロスを通して、ユダ南王国が回復するように定められました。私たちも倒されても倒され続けることはありません。神はいつまでも私たちの罪を覚えておられることはない、そこに人の希望があります。ですから悔改めを促されていると思わされる時は、迷わず悔い改め、光の人生を歩むことです。では今日もよき一日となるように祈りましょう。
<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。当時、仮庵の祭りを行うために仮小屋を作る際に、使われた木の枝は、主として何の木であったでしょうか?①なつめやし、②糸杉、③オリーブ、答えは①なつめやしでした。では、今日の聖書クイズです、バビロン帝国に、ユダ南王国が滅ぼされたのは、紀元前何年であったでしょうか?①BC722年、②BC586年、③BC538年、答えはまた明日。では、今日もよき一日となるように祈ります。

1. Four kings at the end of the kingdom of Judah
2 Chronicles begins with the story of how the house of the Lord was built. The final chapter records how the house of the Lord was destroyed (verses 18, 19). The house of the Lord, built by Solomon, was burned and destroyed by the Chaldeans, and all its utensils and treasures were carried away to Babylon. And all the Israelites who escaped the sword were taken away to Babylon and made into slaves.
"How did this misfortune happen?" Israel's blessing should have been based on the covenant of David, regardless of Israel's attitude. In other words, Israel should have been blessed because of the covenant David made with God that would never change. We ourselves have irrevocable blessings through the covenant of Jesus' cross, but how can it be revoked?
What the authors of Chronicles have written so far is that even kings who sinned and rebelled repeatedly because of the covenant of David were forgiven and restored when they humbled themselves before God. But at the end of the book, the author writes that four kings in the last days of the southern kingdom of Judah, namely Jehoahaz, Jehoiakim, Jehoiachin, and Zedekiah, did evil in the sight of the Lord, turned away from the way of the Lord, and finally they was not recovered. And there is a certain pattern in the records of these four kings. Their evil deeds, their captivity, and their confiscation of their treasures are described as the result of their disbelief in God.
2. Sins of refusal to repent
Zedekiah did not humble himself before the prophet Jeremiah, who proclaimed the word of the Lord. Kings, chief priests, and people mocked God's messengers, despised his Word, and despised his prophets (v. 16). It was their attitude that caused them to perish. The Covenant of David is valid forever. However, the attitude of voluntarily refusing the contract was a problem. It is true that the Lord Jesus also spoke. “Therefore I say unto you, Any sin and blasphemy shall be forgiven to a man, but blasphemy against the Spirit shall not be forgiven” (Matthew 12:31). If so, it would be the sin of rejecting the work of the Holy Spirit to prompt repentance. A person is forgiven of any sin or blasphemy. However, if we refuse the Holy Spirit's invitation to repent of our sins, we will not be able to receive the forgiveness of sins that the Holy Spirit brings. Neither Zedekiah, nor all the chief priests, nor the people would accept the urging of God's messengers to repentance. In other words, they themselves refused to keep the covenant of David.
Sometimes we fail God and do evil in the sight of the Lord. Even if you don't commit a crime that would require you to go to prison, you will encounter countless scenes that make you think that you are dishonest as a human being and that you are committing a sin in your heart. The important thing is that if there is a pain in your conscience that prompts you to repent of your sins, confess your sins to God and ask God to forgive you. And we will be thankful for the grace of God who always forgives us, and we will keep the holiness of our hearts.
God is merciful. God ordained the restoration of the southern kingdom of Judah through King Cyrus of the Gentiles. Even if we are defeated, we will not continue to be defeated. There is hope in man that God will never remember our sins. Therefore, when you feel that you are being urged to repent, do not hesitate to repent and live a life of light. Let's pray that today will be a good day.
<Quiz corner>
First, yesterday's quiz. What were the main branches of the tree that were used in making the booths for the Feast of Tabernacles at that time? (1) dates, (2) cypresses, (3) olives, the answer was (1) dates. So today's Bible quiz, in what year B.C. was the Southern Kingdom of Judah destroyed by the Babylonian Empire? (1) 722 BC, (2) 586 BC, (3) 538 BC, the answer will be tomorrow. I hope you have a good day today.

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人生💯倍の安心😊【聖書】歴代誌第二35章 しなやかな信仰

2022年11月02日 06時59分02秒 | 歴代誌
35章 ヨシヤの祝う過ぎ越しの祭
1.過ぎ越しの祭りの再開
ヨシヤ王は、過越のいけにえを献げた、とあります。何気のない書き方ですが、当時のイスラエル人にしてみれば、それは実に大きな出来事、過ぎ越しの祭りの復活を意味していました。当時、ユダ南王国では、収穫祭が中心に行われていたようです。しかしそれも本来は仮庵の祭り(出エジプト23:16、34:22)と呼ばれるべきもので、かつてイスラエルの民がエジプトから脱出した後、荒野での放浪と仮住まいをした記念として行われるものでした(レビ23:43)。しかし、もはやその歴史的意味が忘れ去られ、近隣諸国の国々が祝う収穫祭と同様に扱われていた、というわけです。
そのような状況で、過越のいけにえが献げられたことは、彼らが自分たちの歴史的原点に立ち返ることを意味しました。過越の祭りでは、家族の人数に応じて、傷のない一歳の雄の子羊が選ばれ、屠られました(出エジプト12:6)。その血は、家の門柱とかもいに塗られ、子羊の肉はその頭も足も内蔵も火で焼かれ、その肉は、種を入れないパン、苦菜と共に食されました。この出来事を通じて、イスラエルの民は、神がエジプトの奴隷状態から自分たちを救い出してくださったこと、そして、約束の地に定住させてくださったこと、さらには、神がアブラハムの契約に忠実であったことを思い起こさせられたのです(ミカ6:4-5)。こうしてヨシヤ王は、まことの神に従う国としての年中行事、いわゆる宗教暦を復活させ、本来あるべき礼拝を回復させました(18節)。
2.過ぎたヨシヤ
ところが、その後に書き加えられたヨシヤ王のエピソードはいささか不可解なものがあります。ヨシヤ王は、エジプトと衝突するのです。この時エジプトは、バビロンの勢いに押されていたアッシリアを助けようと軍隊を北上させていました。ヨシヤ王は、その動きを阻止する、つまりバビロン側についたわけです。そしてヨシヤ王は、戦略的に優位となる地点メギドで、エジプトを待ち構え、撃退しようとしていました。ところがこの戦いに、ヨシヤ王はあっけなく負けてしまうわけです。それは、この時のユダ南王国の戦力は、実に弱かったことを伝えているのです。というのも、彼らは地形的、戦略的に有利で、わずかな軍隊でも勝ちうるメギドという場所で戦っていながら、実質エジプトの軍隊を追い返す力もなかったからです。ユダ南王国は、霊的にも国力的にも末期症状にあったということです。しかしもう一つ重要な考えは、神に大軍も小軍もないのですから、神がヨシヤ王の行動に賛成しなかった、というものです。事実、歴代誌の著者は、ファラオ・ネコのことばが神から出たことばであった、と語っています。つまりヨシヤは神のみこころに逆らって自分の思いで突き進んだ、と言うわけです。
理解しがたいエピソードですが、思い出すのは、伝道者の書のことば「あなたは正しすぎてはならない。知恵がありすぎてはならない。なぜあなたは自分を滅ぼそうとするのか」(7:16)です。つまりヨシヤは、「正しすぎて」しまったということです。正しさを求め、自分の正しさ以外には何も見えなくなってしまう、人間にはそのような弱さがあるものでしょう。信仰的な自分、正しい自分を押し通すような神への従い方への警告です。何事もほどほどに、あるいは、堅くなり過ぎず、しなやかに、と言うべきでしょうか。「すぎる」ことのない、神の警告を聞き過ごすことのない、柔らかな心を持って日々の信仰の歩みを進めさせていただきたいものです。では今日もよき一日となるように祈ります。
<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。エルサレムの第二区は、エルサレムのどちら側にあったと考えられているでしょうか。①北側、②南側、③東側、答えは、①北側です。ヒゼキヤあるいはそれ以降に新しく城壁に囲まれるようになった地域と考えられています。では、今日の聖書クイズです、当時、仮庵の祭りを行うために仮小屋を作る際に、使われた木の枝は、主として何の木であったでしょうか?①なつめやし、②糸杉、③オリーブ、答えはまた明日。では、今日もよき一日となるように祈ります。

Chapter 35 Passover celebrated by Josiah
1. Resumption of Passover
King Josiah offered the Passover sacrifice. It's a casual way of writing, but for the Israelites of that time, it meant a really big event, the resurrection of the Passover. At that time, in the southern kingdom of Judah, it seems that the harvest festival was centered. However, it was originally called the Feast of Tabernacles (Exodus 23:16, 34:22), and was held to commemorate the wanderings and temporary dwellings of the Israelites in the wilderness after they escaped from Egypt. (Leviticus 23:43). However, its historical significance was forgotten, and it was treated like a harvest festival celebrated by neighboring countries.
In such circumstances, the offering of the Passover sacrifice meant a return to their historical origins. At the Passover, a one-year-old male lamb without blemish was selected and slaughtered according to the size of the family (Exodus 12:6). His blood was smeared on the doorposts and walls of the house, and the meat of the lamb was roasted with fire, head, legs, and entrails, and the meat was eaten with unleavened bread and bitter herbs. Through this event, the Israelites learned that God had delivered them from slavery in Egypt, that they had settled in the Promised Land, and that God had been faithful to the covenant of Abraham. (Micah 6:4-5). In this way, King Josiah revived the so-called religious calendar, an annual event for a nation that obeys the true God, and restored worship as it should have been (verse 18).
2. Josiah gone by
However, the episode of King Josiah, which was added after that, is somewhat incomprehensible. King Josiah clashes with Egypt. At this time, Egypt was sending its army north to help Assyria, which was being overwhelmed by Babylon. King Josiah blocked the movement, in other words, sided with Babylon. And King Josiah was waiting for Egypt at Megiddo, a strategically advantageous point, and was going to repel it. However, King Josiah was defeated in this battle. It tells us that the war potential of the southern kingdom of Judah at this time was really weak. For they were fighting in a place called Megiddo, which was geographically and strategically advantageous, and where even a small army could win, they did not have the power to drive back the Egyptian army. The Southern Kingdom of Judah was in a terminal state both spiritually and nationally. But another important idea is that God did not approve of King Josiah's actions because He has neither great nor small army. In fact, the author of Chronicles says that the words of Pharaoh Necho were the words of God. In other words, Josiah went against God's will and pushed forward with his own thoughts.
It's a difficult episode to understand, but it reminds me of the words of Ecclesiastes, "Thou shalt not be too righteous, nor be too wise. Why thou shalt destroy thyself?" (7:16). In other words, Josiah was "too right." Human beings have such a weakness that they seek righteousness and cannot see anything other than their own righteousness. It is a warning against following God by pushing through your religious and righteous selves. Do everything in moderation, or should I say supple without being too rigid? I would like you to keep a soft heart in your daily walk of faith so that you don't go too far, don't let God's warnings go unheeded. I hope you have a good day today.
<Quiz corner>
First, yesterday's quiz. On which side of Jerusalem is the second district of Jerusalem supposedly located? ①North side, ②South side, ③East side, the answer is ①North side. Believed to be the newly walled area of Hezekiah or later. So for today's Bible quiz, what tree was the main branch of the tree that was used to build the booths for the Feast of Tabernacles in those days? (1) dates, (2) cypresses, (3) olives, the answer will be tomorrow. I hope you have a good day today.

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人生💯倍の安心😊【聖書】歴代誌第二34章 改革

2022年11月01日 07時02分06秒 | 歴代誌
34章 ヨシヤの宗教改革
1. ヨシヤ王の宗教改革
ユダ南王国末期の王ヨシヤは、8歳で王となり、16歳で主を求め始め、20歳で宗教改革を始めました。彼の父アモンは、全く神を求めない者でしたが、ヨシヤは父とは違った生き方をしました。彼は、神を信じ、徹底した宗教改革を行っていくのです。何が彼をそのようにさせたのか、不思議です。敬虔な母親エディダの影響があったとも言われますが、確かなことはわかりません(2列王22:1)。あるいは、ユダ南王国を取り巻く国際情勢の変化によるものなのかもしれません。つまり、アッシリア帝国の勢力が一時期弱まり、ナショナリズムが強まり、ヨシヤも本来のイスラエルの伝統に復帰する気持ちに傾いていったのかもしれません。さらには預言者エレミヤの活動が、まさにこのヨシヤ王の改革開始の年に始まっていることから、そのような大預言者の影響があったことも考えられます。
ともあれ、神がヨシヤ王の心を捕らえ、改革の志を支えられました。ヨシヤは、次々と、ユダとエルサレムを聖め、高き所、アシェラ像、刻んだ像、および、鋳物の像を除き去って行きます。彼は人々の面前でバアルの祭壇を取り壊し、それらを粉々にしました。そして、主の宮を修理させています。さらにその過程で、主の律法の書を発見し、それを読み、彼は「自分の衣を裂いて」(19節)一層徹底した改革へと乗り出しました。実に、彼は、改革の必要性を認識し、それに着手し始めたのですが、主の律法の書に出会って、その認識の足りなさに気づいて、さらに動機づけられた点が重要です。つまり敬虔な母に動機づけられたのでも、国際情勢のあおりでもなく、預言者の影響でもなく、神のことばに深く動機づけられていく点です。まことの改革は、まさに神に動機づけられるところから来るものだからです。
2.発見された律法の書
祭司ヒルキヤが見つけた書は、申命記的資料であったと考えられています。というのも、ヨシヤ王の宗教改革の内容が、申命記4:44以下、ことに12-26章に相当すると考えられるからです。ともあれ、彼は神のことばに突き動かされて、改革を進めて行くわけです。今の時代も、そのような動機づけによる徹底した働きが必要とされていると言えるでしょう。
 ヨシヤは、女預言者フルダを呼び寄せました。ヨシヤは、自分の時代に必要とするのは、神のことばの代言者、預言者であると理解したのです。イベント屋でも、政治/経済の専門家でも、武器商人でもなく、彼はまさに神のことばをまことに解き明かす人を求めたのでした。
 実に、聖書を手に取って読む。聖書をまことに解き明かす者こそが、今の日本においても求められています(31節)。それは聴衆を集める説教家とはまた違います。まことの改革に必要とされるのは、神のみことばをまぜものをせずに、ありのままに語る預言者です。人間が作り上げた一つの神学的な立場を喧伝する神学者とも違います。合理的にまとめられない部分はまとめられないままに、荒削りのままに神のことばを語る、神の任命を受けた伝道者です。そして、自己流ではなく、聖書に深く聴き、これを徹底して行う心をもった信徒です。そのようにして、まことに神のことばに従う契約を、皆で共有し、これに従う時に(32節)、神はそのようなご自分の民の歩みを心に留め、働かれると言えるでしょう(27節)。では今日もよき一日となるように祈ります。
<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。列王記の著者が列王記を書くにあたり、参照していない歴史書はどれでしょうか?①ソロモンの事績の書、②イスラエルの王の歴代誌、③ホザイの働き、答は、③ホザイの働きです。列王記は、主として、ソロモンの事績の書(1列王11:41)、イスラエルの王の歴代誌(1列王16:14)、ユダの王の歴代誌(1列王14:29)の三つの資料に基づいて書かれました。ホザイの働きは、歴代誌のみに出てくる資料で、マナセ王に関する記録です。では、今日の聖書クイズです、エルサレムの第二区は、エルサレムのどちら側にあったと考えられているでしょうか。①北側、②南側、③東側、答えはまた明日。では、今日もよき一日となるように祈ります。

Chapter 34 Josiah's Reformation
1. The Reformation of King Josiah
Josiah, the last king of the Southern Kingdom of Judah, became king at the age of 8, began seeking the Lord at the age of 16, and began the Reformation at the age of 20. His father Amon was a godless man, but Josiah lived differently from his father. He believes in God and goes through a thorough religious reformation. I wonder what made him do that. It is said that he was influenced by his pious mother Edida, but this is not certain (2 Kings 22:1). Or it may be due to changes in the international situation surrounding the Southern Kingdom of Judah. In other words, the power of the Assyrian Empire weakened for a period of time, nationalism strengthened, and Josiah may have been inclined to return to the original Israeli tradition. Furthermore, since the activities of the prophet Jeremiah began exactly in the year when King Josiah started reforming, it is possible that such a great prophet had an influence.
At any rate, God captured the heart of King Josiah and supported his desire to reform. Josiah, in turn, sanctifies Judah and Jerusalem, and removes the high places, the Asherah images, the carved images, and the cast images. He tore down the altars of Baal in the presence of the people and shattered them. And he has the temple of his Lord repaired. In the process, he discovered and read the law of his Lord, and he "ripped his garments" (v. 19) and embarked on a more radical reformation. Indeed, he recognized the need for reformation and began to undertake it, but when he encountered the Book of the Law of the Lord and realized his lack of understanding, he was further motivated. It is important. In other words, it is heaven that is not motivated by a pious mother, is not influenced by international affairs, is not influenced by prophets, but is deeply motivated by the Word of God. For true reformation comes precisely from where God is motivated.
2. Torah Book Discovered
The book found by the priest Hilkiah is believed to have been Deuteronomic material. This is because the content of King Josiah's Reformation is thought to correspond to Deuteronomy 4:44 and below, especially chapters 12-26. In any case, he is driven by the Word of God to proceed with the reforms. It can be said that thorough work with such motivation is needed in the present age as well.
Josiah summoned the prophetess Hulda. Josiah understood that what he needed in his day was a spokesman for the Word of God, a prophet. Not an event manager, a political/economic expert, or an arms dealer, he wanted someone who could truly interpret God's Word.
Indeed, he picks up the Bible and reads. Those who can truly interpret the Bible are needed in Japan today (verse 31). It's not like a preacher gathering an audience. What is needed for true reform is a prophet who speaks God's Word as it is, without mixing it up. He is also not a theologian who promotes a man-made theological position. He is a God-appointed evangelist who speaks the word of God in its raw form, leaving the parts that cannot be rationally put together. And he is not in his own way, but a believer who listens deeply to the Bible and does it thoroughly. In this way, when we all share and obey the covenant that truly obeys the word of God (verse 32), we can say that God is mindful of the footsteps of his people and works (verse 27). I hope you have a good day today.
<Quiz Corner>
First, yesterday's quiz. Which historical book did the author of Kings not refer to when writing the book of Kings? (1)The book of the annals of Solomon, (2)The book of the annals of the kings of Israel, (3)Manuscripts of Hozai,  the answer is (3) Manuscripts of Hozai. The Book of Kings is based on primarily three sources; the book of the annals of Solomon (1 Kings 11:41), the book of the kings of Israel(1 Kings 16:14), and the book of the kings of Judah (1 Kings 14:29). Manuscripts of Hozai is a document that appears only in Chronicles and is a record of King Manasseh. So for today's Bible quiz, on which side of Jerusalem is the Second Ward of Jerusalem thought to have been? ①North side, ②South side, ③East side, the answer will be tomorrow. I hope you have a good day today.

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人生💯倍の安心😊【聖書】歴代誌第二33章 五十歩百歩

2022年10月31日 07時01分49秒 | 歴代誌
33章 マナセとアモン
1.マナセの統治
マナセ王の生涯は実に興味深いものがあります。マナセは、55年という長期に渡って政権を維持しましたが、神のみこころにかなう王ではありませんでした。彼は「主の目の前に悪を行い、父ヒゼキヤが取り壊した高き所を築き治し、バアルのために祭壇を立て、アシェラ像を造り、天の万象を拝み、これに仕えた」(2,3節)と言い、さらに、アシェラ像を主の宮に築き、ベン・ヒノムの谷での儀式を復活させました(6節)。先のアハズ王に並んで、ユダ南王国最悪の王というべき存在でした。彼は父ヒゼキヤの信仰を何一つ受け継ぐこともなく、預言者のことばにも耳を貸さなかったのです。そんな彼を神が裁かれます。まさに彼は、痛い思いをせずに学べない者でした。彼は、鉤で捕らえられ、青銅の足かせにつながれて、バビロンへと引かれていくのです。
一国の王として、さぞ絶望的な状況であったことでしょう。もはや二度と自分の王宮に戻ることも、王権を復活することもあり得ない、全く将来に希望を失う状況であったはずです。しかし、その悩みの中で彼は悔い改めて、主に嘆願し、その父祖の神の前に大いにへりくだって神に祈ったと言います。アハズとは違う点です。神はマナセを王国に戻されました。そしてマナセは、この出来事を通じて、主こそ神であることを知るのです。
実に注目すべきはこの点です。神に逆らい、その逆鱗に触れるような者であっても、その者が悔い改めて、神を求めるならば、神はあわれみ深く取り扱われるのです。そんなのずるいと思いますか?しかし、マナセに比べて自分も五十歩百歩、悪人に変わりはない、この神の恵みに甘える他はない、と思われる状況が私たちにもあるのではないでしょうか。そのような自分の現実に気づいて、恐る恐る神を求めた時に、神が受け入れてくださるというのは、大変感謝なことです。
2.マナセを思う神の心
もちろん、マナセが愛されて回復されることは、マナセにとっては幸いなことでしたが、それまで真面目に神を求めて、マナセに痛めつけられてきた人々にとっては、違和感を覚えることでしょう。神は、マナセの一人のために、主を熱心に呼び求める人々を犠牲にされる、そのように思われることです。神は、主を熱心に呼び求める人々を差し置いて、神を恐れないマナセによくされるのか、納得できないところもあるでしょう。しかしそれは、放蕩息子を受け入れられない、兄息子と同じ心境です。放蕩息子の帰りを待ちわび、ついにその千載一遇の機会を得た父親の気持ちを、理解しえない長男と同じなのです。人生には、神に愛されることを願う人生と神に従うことを願う人生の二つがあります。私たちは神に愛されることを願う人生を求めやすい者です。神に願い事を並べ立て、神が自分の思うとおりに動いてくれる人生を願いやすいのです。しかし、神の側に立ち、神に従う人生を学んでいく必要があります。つまり、父なる神と同じ心を持って、罪人の回復を願うことを喜びとする人生です。そうすればどんな罪人にも期待し、祈り続け、願う者となっていくものなのです。
アモンについては、極めて短く述べられています。その生涯は、父マナセの悪を引き継ぐものであり、彼は悔い改めない王でした。結果その報いを受けることになります。悔い改めるべき時に悔い改めない王として彼は描かれています。悔い改める者を、神が見過ごされることはありません。では今日もよき一日となるように祈ります。
<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。ヒゼキヤを脅かしたセンナケリブは、どの国の王様であったでしょうか?①アッシリア、②バビロン、③ペリシテ、答えは①アッシリアでした。では、今日の聖書クイズです、列王記の著者が列王記を書くにあたり、参照したと思われる歴史書のうち、間違っているものはどれでしょうか?①ソロモンの事績の書、②イスラエルの王の歴代誌、③ホザイの働き、答えはまた明日。では、今日もよき一日となるように祈ります。
Chapter 33 Manasseh and Am

1.Manasseh's reign

The life of King Manasseh is indeed an interesting one. Manasseh held his reign for a long period of fifty-five years, but he was not a godly king. "He did evil in the sight of the LORD, built and restored the high places that Hezekiah his father had torn down, built altars to Baal, made the image of Asherah, worshiped and served all the heavenly creatures" (verse2, 3), erected the statue of Asherah in the house of the Lord, and revived the ceremonies in the Valley of Ben Hinnom (verse 6). Along with King Ahaz, he was the worst king of the Southern Kingdom of Judah. He inherited none of the faith of his father Hezekiah, nor did he listen to the words of the prophets. God will judge him. Indeed, he was one who could not learn without pain. He was taken with hooks, bound with bronze fetters, and led to Babylon.

As the king of a country, it must have been a hopeless situation. There was no way he could ever return to his own palace or restore his sovereignty. But in his affliction he repented and supplicated his Lord and prayed to God with great humility before the God of his fathers. This is different from Ahaz. God brought Manasseh back to his kingdom. And Manasseh knows that the Lord is God through this event.

This is the point that really deserves attention. Even if a person rebels against God and touches his wrath, if he repents and seeks God, God will treat him with mercy. Do you think that's funny? However, there may be situations in which we feel that we are a little different from Manasseh, that we are no different from villains, and that we have no choice but to rely on the grace of God. I am very grateful that God accepts me when I become aware of my reality and fearfully seek God.

2.The heart of God thinking of Manasseh

Of course, it was a blessing for Manasseh that Manasseh was loved and restored. It seems that God sacrifices those who earnestly call on the Lord for one of Manasseh. Some may not be convinced that God would favor Manasseh, who is not afraid of God, over those who earnestly call on Him. But it's the same feeling as his older brother who can't accept the prodigal son. He is the same as the eldest son who cannot understand the feelings of his father who has waited impatiently for the return of the prodigal son and who has finally had the chance to do so. There are two types of life: a life that seeks to be loved by God and a life that seeks to love God. We are desperate to be loved by God. But as we grow in faith, we are taught to stand on God's side and live a life of loving God. It is just like a person who tries to raise his own child and understands the heart of a parent for the first time and becomes a parent. Having the same heart as God the Father, living a life that delights in praying for the recovery of sinners is something that can be done only when one becomes an adult in faith. It is because of the maturity of faith that we expect, pray, and wish for any sinner.

Amon is mentioned very briefly. His life inherited the wickedness of his father Manasseh, and he was an unrepentant king. As a result, he will be rewarded. He is depicted as an unrepentant king when he should have repented. God does not overlook those who repent. I hope you have a good day today.

<Quiz corner>

First, yesterday's quiz. Which kingdom was Sennacherib the king who threatened Hezekiah? ① Assyria, ② Babylon, ③ Philistines, the answer was ① Assyria. So for today's Bible quiz, which historical book did the author of Kings not refer to when writing the book of Kings? (1)The book of the annals of Solomon, (2)The book of the annals of the kings of Israel, (3)Manuscripts of Hozai, the answer will be tomorrow. I hope you have a good day today.

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人生💯倍の安心😊【聖書】歴代誌第二32章 奮い立つ

2022年10月30日 07時29分01秒 | 歴代誌
32章 信仰を奮い立たせる
1. ヒゼキヤの試練
ヒゼキヤは礼拝の改革を成し遂げました。これによって、イスラエルの国は、さらに神の大いなる祝福を得る、ヒゼキヤはそのように思ったことでしょう。しかし事態は逆でした。北の強国アッシリヤがエルサレムに攻め込んできて、ユダ南王国を包囲するのです。
神に信頼し、正しいことをなす指導者であってもその人生に災いが起こることを避けることはできません。ヒゼキヤのみならずアサやヨシャパテも、敬虔な歩みの後に、異国の侵略による苦難に直面させられています(2歴代149-11、20:1-13)。しかしそれは、信仰を挫折させようとするものではなく、その信仰の真価を試すことでした。実際、列王記にある同じ記事(2列王18-20章)と比較するとここには重要な省略があります(2列王19:20-34)。それは、読者の信仰を奮い立たせることに、この章の目的を置くためでした。
2.ヒゼキヤの対応
そこで勝ち目のない戦争に直面させられたヒゼキヤに注目しましょう。彼は、絶体絶命の状況の中でも簡単に諦めてはいません。むしろ彼は、ダビデと同じように、奮い立ちました。そして水源を確保し、崩れていた城壁をすべて立て直しました。さらにやぐらを高くし、外側にもう一つの城壁を築き、兵器を大量に準備しました。
人は困難に直面すると、それだけで心が萎えて、何もできない思いにさせられてしまうことが多いものでしょう。しかし、人生に困難は付き物と心得ることです。驚いてはならないのです。しかも、神がその状況をよく理解しておられるのですから、へたり込んでいないで、主に信頼して最後まで最善を尽くすことでしょう(7、8節)。 
事の勝敗を決するは神である、物事を確実に進めてくださるのは神である、という神に対する信仰をしっかり持つことです。
3.アッシリヤの脅迫
 さて侵略国アッシリヤは、イスラエルの神に対する信頼を脅かすために、二つの議論を吹っ掛けてきました。まず、ヒゼキヤが主の祭壇をたくさん破壊したことが(11-12節)、主の怒りを招いたとします。それは、偶像礼拝の危険性を回避し、礼拝を一極集中化させるヒゼキヤの神に対する誠実さへの挑戦でした(29-31章)。次にアッシリヤは、自分たちの勝利が、敗れ去った敵の神々の無力さ示すものであり、自分の手による功績であるとしました(13,14,15,17節)。主は他の神々と同等、さらには人間以下とされたのです。
4.イスラエルの対応
これを受けて、ユダの指導者たちが祈り始めました。そして転機が訪れるのです(20節)。主は彼らの絶望の淵にある叫びを聞き、救いの手を差し伸べられました(22節)。歴代誌の著者の関心は、祈りに誠実に応える神を示すことです。こうして事態はひっくり返り、ヒゼキヤも、人々に尊敬の目で見られるようになりました。ただ残念なことに、ヒゼキヤはこれを機に高ぶっていくのです。
うまく物事が進んで高ぶる、ヒゼキヤも実に凡人です。しかし、うまく物事が進むのは、私たちの能力以上に、神の恵みの現れであると常に心得たいものです。そして自分が高ぶりの中にある、と過ちに気づいたならば、いつでも神の前に遜る者でありたいものです。神は遜る者とともにおり、遜る者を祝されます。それが後半のメッセージです。危機に立たされた時にこそ、信仰が試され、常日頃の神に対する姿勢の真価が問われます。危機は神の助けによって乗り越えるべきものであると受け止め、日々神と共に前へと進んでまいりましょう。では今日もよき一日となるように祈ります。
<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。ユダ南王国で最も長い統治期間を維持した王様の名前は誰でしょうか?①アサ、②ウジヤ、③マナセ、答えは③マナセでした。マナセは(697-643)、54年間で1位、ウジヤは(792-740)52年間で2位、アサは(911-870)41年間で3位です。では、今日の聖書クイズです、ヒゼキヤを脅かしたセンナケリブは、どの国の王様であったでしょうか?①アッシリア、②バビロン、③ペリシテ、答えはまた明日。では、今日もよき一日となるように祈ります。
Chapter 32 Inspire Faith
1. Hezekiah's Trial
Hezekiah accomplished a reformation of worship. Hezekiah must have thought that by this the nation of Israel would receive even greater blessings from God. But it was the other way around. The northern power, Assyria, invades Jerusalem and lay siege to the southern kingdom of Judah.
Even a leader who trusts God and does what is right cannot avoid disaster in his life. Not only Hezekiah, but also Asa and Jehoshaphat, after their godly walk, are forced to face the afflictions of foreign invasion (2 Chronicles 149-11; 20:1-13). But it wasn't about frustrating faith, it was about testing its true worth. In fact, there is an important omission here (2 Kings 19:20-34) when compared to the same article in the Book of Kings (2 Kings 18-20). The purpose of this chapter was to arouse the reader's faith.
2. Hezekiah's response
Now let us turn our attention to Hezekiah, who was forced to face a war he could not win. He doesn't give up easily even in his desperate situation. Rather, like David, he was inspired. He secured a source of water and rebuilt all the crumbling walls. He raised the tower even higher, built another wall outside, and prepared his weapons in great numbers.
When people face difficulties, they tend to lose heart and feel like they can't do anything. However, it is important to understand that difficulties are a part of life. Do not be surprised. Moreover, since God understands the situation well, he will not give up, but trust in the Lord and do his best to the end (vv. 7, 8). 
We must have firm faith in God that it is God who decides the outcome of a matter, and that it is God who makes sure things go forward.
3. Assyrian threat
Now, the aggressor Assyria has raised two arguments to threaten Israel's trust in God. First, Hezekiah's destruction of many of the Lord's altars (verses 11-12) provoked the Lord's wrath. It was a challenge to Hezekiah's loyalty to God that avoids the dangers of idolatry and centralizes worship (chapters 29-31). Assyria then attributed their victory to the powerlessness of their vanquished enemy gods and to their own hand (vv. 13, 14, 15, 17). He was made equal to other gods and even subhuman.
Four. Israeli response
In response to this, the leaders of Judah began to pray. Then comes the turning point (verse 20). The Lord heard their desperate cries and extended a helping hand (v. 22). The Chronicles author's concern is to show a God who sincerely answers prayers. Things were turned upside down, and Hezekiah also came to be looked upon with respect by the people. Unfortunately, Hezekiah takes pride in this.
Hezekiah, who gets things going well and prides himself, is also very ordinary. However, we should always know that success is a manifestation of God's grace rather than our ability. And if he finds himself in pride, he will always want to humble himself before God. God is with the humble and blesses the humble. That's the second half of the message. It is precisely when we are faced with a crisis that our faith is tested and the true value of our daily attitude toward God is tested. Accept that the crisis should be overcome with God's help, and let's move forward with God every day. I hope you have a good day today.
<Quiz corner>
First, yesterday's quiz. Who is the name of the longest reigning king in the Southern Kingdom of Judah? (1) Asa, (2) Uzziah, (3) Manasseh, the answer was (3) Manasseh. Manasseh (697-643) is first in 54 years, Uzziah (792-740) is second in 52 years and Asa (911-870) is third in 41 years. So for today's Bible quiz, which country was Sennacherib the king who threatened Hezekiah? (1) Assyria, (2) Babylon, (3) Philistine, the answer will be tomorrow. I hope you have a good day today.

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