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申命記25章 主はあなたに約束したとおり

2022年03月23日 07時06分46秒 | 申命記
申命記25章 人の魂と心へ配慮する
1.むち打ちの刑についての規定(25:1-3)
黒人奴隷をテーマにした映画で、むち打ち刑の残虐さについては知っておられる方も多いでしょう。背中の皮膚が裂け、肉が潰れ、どうして人間はこうも残酷になれるものなのかと心痛むものがあります。神は、そのような人間の仕打ちに歯止めを設けられました。たとえ、人がむち打ちで罰せられなければならないとしても、それによって、人が過剰に痛めつけられてはならない、人間としての尊厳に対する配慮を失ってはならない、というわけです。むち打ちそのものが、廃止されるべきであった、という考えもありますが、当時の時代的な制約の中で、物事が適正になされることを教えたものと言えるでしょう。ちなみに、イエスの味わった苦しみは、まさにその人間の尊厳を無視した辱めでした。
2.脱穀する牛に対する規定(4節)
そして興味深いのは、人だけではない動物への配慮が語られるところです。神の民は、神が見ておられるように世界を見る。世界は人間を中心としてはできていません。神がお造りになった世界です。世界の支配者は、神なのであり、神の意向にそって一つ一つ大事にされなくてはなりません。けれども人は、まるで自分がすべての支配者であるかのように勘違いし、自分を中心に物事を考え、物の優劣をつけ、あるものには無関心となり、ぞんざいに扱ってしまうのです。使徒パウロはこの聖句を引用して(1コリント9:9)、霊的な奉仕者に対する心遣いを持つように、勧めました。確かに受けようとする者は、受けることに思いが集中するあまり、与えてくれる人の必要は考えなかったりするものです。自分中心に物事を考えたら、すべてはうまく回らないのも当たり前です。細やかな心遣いをもって必要に気づく、これが神の民の在り方なのです。
3.レビラート婚の規定(5-10)
 次に寡婦となった兄弟の妻の結婚について(5-10)。兄弟が死に、寡婦となった妻に子がない場合、その夫の兄弟が彼女を妻とし、家系を存続する義務があるとします。その義務を果たさない者は、「兄弟の家を建てない男」(9)もしくは「くつを脱がされた者の家」(10)と呼ばれるのです。靴を脱いで裸足で歩くことは奴隷にされることを意味し(イザヤ20:2)、つばきをすることは、屈辱と軽蔑のしるしでした。つまり、靴を脱がされ、つばきをされるなど、恥ずべき存在です。家系を守る、それはユダヤ人には、人生をかけるような問題でした。現代の日本人には、そのような感覚はわかりにくいかもしれません。しかし、日本人も伝統的には「○○家結婚式場」などと書くように、結婚は家のものであって個人のものではありません。日本人にとっても、お家存続、子孫の繁栄は大事なことでした。しかしそれが今崩れてしまっている、子孫を残すというだけではなく、家族そのものを大事にしていく、その精神は大切にしたいものです。
4.妻のはしたない行為に対する刑罰の規定(11-12節)
男同士が争っている場に、どちらかの妻が出て来て自分の夫を打とうとしている男の急所をつかんでしまった場合、彼女の手を切り落さなければならないとされます。急所をつかむ恥知らずな行為が問題ですが、言いたいことは、事情もわからず、ただ自分の夫を守ろうとして、相手の男性を危険にさらしてはならない、ということです。
5.正しい度量衡についての規定(13-16節)
 不当に利益を得ようとして、二つの升を使い分けるなど、そのような不誠実な者は、神に忌み嫌われる、とします。人間、誠実さが一番です。信用を失ったら終わりです。だったら信用を失うようなことは初めからしないことです(15節)。そのような誠実な人が集まった社会は、確かに誰もが求める新しい社会ではないでしょうか。
6.アマレクに対する報復(17-19節)
最後に、アマレクに対する報復が語られます。これは、弱者へのあわれみを忘れたアマレク、そのような者のいない社会を目指す、ということでしょう。弱者に対する配慮、人の名誉を守ること、これは義務ではなく、私たちの心の内に刻み込まれるべき人間としての大事な精神であり、新しい神の民の大原則です。では今日もよき一日となるように祈ります。

<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。律法で死に値すると言った場合、ユダヤ人の間で最も一般的な死刑の方法はなんであったでしょうか?①石打ち、②火刑、③十字架刑、答えは①石打ちでした。(出エジプト19:13、ヨハネ8:5)。火刑は、祭司の娘の淫行の場合(レビ21:9)と特別な場合で、剣や槍を用いて殺す方法もありましたが(出エジプト19:13)十字架刑は使われませんでした。では、今日の聖書クイズを一つ、旧約聖書の中で、実際に履物を脱いで、家名存続の権利を放棄した出来事が描かれているのは、何の書でしょうか?答えはまた明日。では今日もよき一日となるように祈ります。

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<天草さんのフォローアップ>
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