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ヨハネの福音書8章

2021年03月26日 06時57分32秒 | 福音書
ヨハネの福音書8章 世の光であるキリスト
1.姦淫の女の罪の赦し(8:1-11)
 8章の最初の逸話は、色々と議論のあるところですね。新改訳2017の聖書では、7:53~8:11までが各個で括られていて、欄外の注釈を見ると、古い写本のほとんどがこの部分を欠いている、と記されています。実際にこの箇所が写本に現れるようになるのは、5世紀頃、かなり後の時代で、収録されている場所も定まっていません。ヨハネの福音書7:36の後、7:52の後、巻末、さらにはルカの福音書21:38の後、と様々です。そこで、この逸話は、その正確な位置はわかりませんが、写本家たちが福音書の一部であると認識して伝え続けてきたものとされています。では、この逸話の信頼性はどうなのか。内容は、いかにもイエスらしいもの、また、ユダヤ人がやりそうなこと、というわけで、創作ではない実話とされています。ただ、現在の位置では、明らかに仮庵の祭にイエスが語られた説教に割り込む形になっていますt。
そこでこの逸話ですが、ミシュナーというユダヤ人の法律によれば、姦淫を犯した者は絞殺刑でした。石打の刑は、婚約していながら姦婬を犯した女に対する処罰です。ですからこの女は、結婚前だったということなのでしょう。さらに申命記によれば、男も一緒に処罰されなくてはなりませんでしたが(申命22:22-24)、ここにいるのは女だけです。つまりこれは明らかにキリストを罠に嵌めようと仕組まれたものであったのです。イエスが殺しなさいと答えるなら、神の愛と赦しを主張するのがあなたの教えではないかと鼻先であしらわれ、さらに死刑執行の権限を持つローマ当局にも睨まれることになります。しかし、逆に赦しなさいと答えようものなら、律法を犯すと強い非難を浴びたことでしょう。イエスは言いました。「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの人に石を投げなさい」確かに人を裁くのは神のみです。罪深い人間が、同じ罪人を裁く、この矛盾に、人は死刑執行の重さに悩むものでしょう。その場にいた者たちはイエスのことばに良心を探られ、身を引いていきます。そして、最後にイエスとこの女だけが残りました。注目すべきは、イエスには罪を赦す権威があった、ということです。イエスには、罪を裁く権威もありました。しかし罪の赦しを語るところが、イエスを救い主と思わされるところですね。
2.まことの神イエス(8:12-59)
 12節からは、先の7章のイエスの説教の続きで、7:52から続くものです。イエスは先に、ご自身がいのちの水であると語りました。次に「世の光」であると言います。これもまた仮庵の祭の儀式と関連しています。イスラエルの民は、出エジプト後、空に立つ火の柱に導かれて旅をしました。その出来事を思い起こすため、彼らは黄金の燭台を作り、火を灯し、この祭りの時を過ごしたのです。イエスはその二つのイメージにご自身を重ねて、ご自身を「光」であると言います。つまりご自分の民を先導する神そのものであると主張しているのです。しかし13節、ユダヤ人の宗教家は、さっと、それは違うと反論していますね。21節以降、イエスの正体についての押し問答が続きますが、48節彼らは、イエスを侮辱し、53節、皮肉り、終いには59節、暴力を振るおうとしました。58節イエスは言います「アブラハムが生まれる前から、「わたしはある」つまり存在する。イエスが昇天された後、半世紀を超えてイエスを語ろうとするヨハネ、彼が伝えたかったのはイエスがまことの神である、ということなのです。

最後に、今日の聖書クイズを一つ、20節、「イエスは献金箱の近くでこのことを話された」とある献金箱は、神殿のどの場所にあったのでしょうか?①異邦人の庭、②婦人の庭、③イスラエルの庭、どれでしょう?

昨日のクイズの答えは、②秋でした。今日の答えはまた明日。では、今日もよき一日となるように祈ります。



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