ヘブル人への手紙5章 大祭司に勝るキリスト
1.大祭司キリスト(5:1-11)
ヘブルの著者は、キリストの卓越性について語ってきました。1、2章では、天使に勝るイエス、3、4章では旧約時代の指導者モーセに勝るイエス、そして5、6章では旧約時代の宗教的権威である大祭司アロンに勝るイエスが語られます。
その初めに、イエスがまず大祭司として完全であったことを語ります。二つの点が重要です。一つは、大祭司は、自分が代表する人々に同情できることです(2-3節)。彼は人々のために神に仕える者ですが、罪人の弱さをよく理解し、その立場に立ってとりなしの出来る者でなくてはならないのです。また、彼は自ら買って出てその職務に就く人ではなく、神に召されてその地位に任命された人でなくてはなりませんでした(4節)。イエスの場合は、これが問題でした。というのも、イスラエルで大祭司となる家系はレビ族であり、イエスはユダ族の出身です。それなのにどうしてイエスは大祭司になりうるのか。ヘブルの著者は、イエスもまた神の任命を受けた者であることを示すため、詩篇2:7を引用して説明します。つまり、イエスは、アロンのようにではなく、メルキゼデクのように神に召された大祭司であった、と。突如メルキゼデクという人物が出て来ます。それは後の7章で詳しく述べられますが、もともとは旧約聖書の創世記14:17-24と詩篇110:4に登場してくる人物です。その箇所を読むと、彼は、イスラエルがエルサレムを支配する前にエルサレムを支配していた王でした。しかも、イスラエルの父祖であるアブラハムに祭司として認められた人でした。つまりイスラエルに関わる祭司として、イスラエルにはアロン系の祭司が起こる前に、メルキゼデク系の祭司もいたのであり、イエスは言ってみれば、アロン系ではなくメルキゼデク系の祭司なのだ、というわけです。
2.
さて、ヘブルの著者はこのメルキゼデクが、実にイエスに対する信仰を解き明かすのによい例なので、色々と語りたいのだが、読者がそれを受け止める力がないことを指摘しています。本来なら、信仰をもってもう随分となるので、他の人を教える力があるはずなのに、事実は、人を教えるどころか、むしろ神のことばの初歩をもう一度教えてもらう必要がある状況にある。それは一体どういうわけか、ということです。固い食物をどんどん食べてよい頃なのに、離乳食、いやまだ乳を飲んでいるような状況にあるのは、どういうことか、というのです。
固い食物、乳、一体どういう状況を語っているのでしょうか。実は、先に学んだコリントの手紙でも、コリントの教会に同じような問題があったことが指摘されていました(1コリント3:1以下)。コリントの教会では、分派分裂の問題があって、人々は、神の言葉に集中するよりも、神のことばを語る人に注目していました。パウロの話は面白い、いいや、アポロの方がよい。キリストよりもキリストを語る人々に熱中する状況、それは、神を知らない、霊的な目が開かれていないからこそ起こる状況です。もう一度神様を知るところから始める、神様との関係を回復するところから始める。それは初歩の初歩であり、何年も信仰生活を続けて来た人がやることではない、というわけですね。14節、堅い食物は、善と悪を見分ける感覚を経験によって訓練された大人のもの、つまり、神様との関係がしっかりできている人は、善と悪を見分けられるようになります。この世の目まぐるしい動きに、振り回されず、何が正しいことか、何が間違っていることなのかを判断できるようになり、人間として狂いのないしっかりとした生き方が出来るようになります。そのように訓練された人は、さらに、神の使命に生きる、つまり固い食物を食べる次の段階に進むことができるのです。では、今日もよき一日となるように祈ります。
<クイズコーナー>
最初に昨日のクイズですが、「イスラエルの祭司制度には、大祭司、祭司、レビ人の三階級がありますが、これらを担ったのは、イスラエル12部族の内どの部族でしょうか?答えは、③レビ族でした。では、今日の聖書クイズを一つ。イスラエルの偉大な大祭司アロンが神に召された場所は、どこでしょうか?①ホル山、②ネボ山、③タボル山、答えは、また明日。では今日もよき一日となるように祈ります。
<天草さんのフォローアップ>
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