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人生💯倍の幸せ😊【聖書】サムエル記第二24章 神あっての人

2022年07月15日 07時07分02秒 | サムエル記
24章 ダビデの人口調査
1.試みられたダビデ
 24章を読み、不可解に思うのは、ダビデをそそのかして人口登録をさせたのは誰であるのか、ということです。しかしこれは、1歴代誌21章を読むと解決します。そこでは、ダビデをそそのかしたのは、サタンであると明らかです(21:1)。いつもは、ダビデのことばを無視するヨアブが、ここでは良識のある参謀として登場し、ダビデの行為に歯止めをかけようとしていますが、ダビデの激しいことばに退散しています。ともあれダビデは、この行為の後に、良心の咎めを感じました。それは、自分の行為が客観的に国家戦力を把握しようとするものではなく、力の誇示、優越感を満たそうとする行為だった、と気づかされたからです。悔い改めるダビデに、神がその行為を償う、三つの選択肢を与えています。七年間飢饉があること、三か月逃亡者となること、そして3日間疫病が蔓延することです。ダビデは、人の手には陥りたくない、主の手に陥ることにしよう、と答えています。これは選択を神にゆだねたというよりも、明らかに逃亡者となることを拒否しているのです。つまりダビデが選んだのは、飢饉か疫病です。そして飢饉は、蓄えのある裕福な者に有利であるということから、ダビデは疫病を選んだと考えられています。
 いずれにしても、神が打たれたのは、ダビデのプライドでした。ダビデがどんなに自分の力を誇っても、アブサロムに追われて一夜にして権力の座から降ろされたように、神の守り無くしてその力も維持しえないものだ、ということです。そのような意味で、2サムエル記最後のしめくくりが、ダビデの栄光が、まったく神に依存していることを教えるのです。
そこで改めて申命記が歴史書の基礎にあることを考えておきましょう。申命記では、神が王に何を期待しているかが明確に語られていました。それは「王が自分の同胞の上に高ぶることのないようにするため」(17:20)と神の意図も明確です。こうして神は、王たる者の権威は、全く神に依存していることをあらかじめ警告し、サムエル記は、その具体的な事例ともなるエピソードをもって閉じられるのです。申命記の神の戒めがイスラエルの歴史の中にどのように表されたのか、というのがサムエル記、列王記などの旧約の歴史書になるのですから、まず申命記を良く理解しなければ、聖書の歴史書は、正しく読むことができません。ですから、サムエル記を読み理解されることも、ダビデを、そしてイスラエルを祝福された神がいる、契約に忠実であった神がおられるということです。主役はサムエルでも、サウルでも、ダビデででもなく、神なのです。神が、王を起こし、王を降ろされるのです。私たちの栄光は、まったく神の守りとあわれみによるもので、いつでもそれは神に返さなくてはなりません。
2.神の裁き
ただ、ここで脱線にはなりますが、ダビデの思い上がりに対する神の裁きは、どうも厳しすぎるのではないか、と思うところです。罪とそれに対応する罰の重さは、どうも釣り合わないようにも思うのです。しかしそれは、罪の重さを人間的な目から見ているからなのでしょう。人間の罪の深さを、人間は甘く考えている、ということです。
ダビデは自らの罪の後始末について教えられています。祭壇を築きなさいと命じられています。疫病は、祭壇を築き、いけにえをささげ、神の怒りを宥めることで終わったわけではありません。それは、神の一方的な思い直しと憐れみによって、ダビデの行為によらずに終わったのです。しかし、神は、そのあわれみと恵みを確かに認め受ける方法として、祭壇を築き、全焼のいけにえを献げるように命じました。
その命令の本質的な意味は、神の犠牲を理解することにありました。そこでダビデは、その神の意図に共鳴して、自らの応答としてお金をもって祭壇を築く土地を購入したのです。ダビデは言います。「費用もかけずに、私の神、主に、全焼のささげ物を献げたくはない。」献金は、神への贈り物ではなく、神の犠牲への共鳴です。人は、主の計り知れないあわれみによって自分があることを思い献げるものです。神の恩義を感じればこそ出てくる行動です。そのような意味で、キリストの十字架による救いの、素晴らしさ、その恵みの尊さを正しく理解していくなら、私たちの人生は本当に変わらざるを得ないのです。キリストの痛みと苦しみがあったからこそ、今の私たちもあると思えば、それにただで乗っかって、よかったなどとは安逸な暮らしなどはできないことでしょう。神がこれだけのことをしてくださっているのに、私は何もしないでよいのか、という思いになるものですし、そこからこれまでとは違った人生の展開も生じるのです。
大切なのは、正しく神の存在を受け止めること、正しく神が自分になさってくださったことを理解していくことです。それが、人生のあり様を大きく変えていくのです。では今日もよき一日となるように祈ります。

<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。ベツレヘムは、ヤコブの時代には、何と呼ばれたでしょうか?答えはエフラテです(創世記35:19)。ヤコブの妻ラケルがそこに埋葬されています。では、今日の聖書クイズです。エブス人は、エブスに住んでいた人のことを言いますが、エブスは別名何と呼ばれていたでしょうか?①エルサレム、②ヘブロン、③ベエル・シェバ、答えはまた明日、では、今日もよき一日となるように祈ります。

Chapter 24 David Census
1. Attempt David
After reading Chapter 24, the mysterious thing is who was the one who tempted David to register the population. However, this can be solved by reading Chapter 21 of 1 Chronicles. There, it is clear that it was Satan who motivated David (21: 1). Joab, who usually ignores David's words, appears here as a sensible staff member, trying to put an end to David's actions, but he is dismissed by David's fierce words. Anyway, David felt a blame for his conscience after this act. It was realized that his actions were not to objectively grasp the national strength, but to show off his power and satisfy his sense of superiority. Repentant David is given three options for God to atone for his actions. There is a seven-year famine, a three-month fugitive, and a three-day pandemic. David replies that he does not want to fall into the hands of man, but will fall into the hands of his Lord. This clearly refuses to be a fugitive, rather than leaving the choice to God. So David chose famine or a pandemic. And it is believed that David chose the plague because famine favors the wealthy with his reserves.
In any case, it was David's pride that God struck. No matter how proud of his power, David cannot maintain his power without the protection of God, just as Absalom chased him down from his power overnight. In that sense, the final closing of 2 Samuel teaches that the glory of David is totally dependent on God.
So let's reconsider that Deuteronomy is the basis of history books. Deuteronomy clearly stated what God expected of the king. It is also clear of God's intention, "not consider himself better than his fellow Isrelites" (17:20). In this way, God warns in advance that the authority of the king is totally dependent on God, and the book of Samuel is closed with an episode that is a concrete example of it. How the God's commandments of Deuteronomy were expressed in the history of Israel is the history books of the Old Testaments such as Samuel and Kings, so first understand Deuteronomy well. Without it, Bible history books cannot be read correctly. Therefore, reading and understanding the book of Samuel also means that there is a God who was faithful to the covenant, who blessed David and Israel. The protagonist is not Samuel, Saul, or David, but God. God raises the king and brings him down. Our glory is entirely due to God's protection and mercy, which must always be returned to God.
2. God's judgment
However, although it is a derailment here, I think that God's judgment on David's pride may be too strict. I also think that the weight of sin and the corresponding punishment do not seem to be balanced. But that is probably because we see the weight of sin from a human eye. It means that human beings are lenient about the depth of human sin.
David is taught about the cleanup of his sins. He is commanded to build an altar. The plague did not end with building an altar, offering sacrifices, and calming the wrath of God. It ended without David's actions, due to God's one-sided reconsideration and mercy. But God commanded him to build an altar and offer a burnt sacrifice as a surefire way to acknowledge his mercy and grace. The essential meaning of that command was to understand God's sacrifice. So David, in sympathy with God's intentions, bought the land to build the altar with money in his own response. David says. "I will not sacrifice to the Lord my God burnt offerings that cost me nothing." The donation is not a gift to God, but a resonance to God's sacrifice. A person reminds himself of his existence by the immeasurable mercy of the Lord. It is an action that comes out only when you feel the grace of God. In that sense, our lives must really change if we correctly understand the splendor of the salvation of Christ's cross and the preciousness of its grace. Because of the pain and suffering of Christ, if we think that we are now, we will not be able to live comfortably by riding it for free. It makes me wonder if I should do nothing when God is doing all this, and from there, a different life development will occur.
The important thing is to correctly accept the existence of God and to understand that God has done it to you. That will make a big difference in the way we live. I pray that today will be a good day.

<Quiz corner>
First, yesterday's quiz. What was Bethlehem called in Jacob's day? The answer is Ephrath (Genesis 35:19). Jacob's wife Raquel is buried there. So, today's Bible quiz. Jebusites refer to people who lived in Jebusite, but what was Jebusite also known as? (1) Jerusalem, (2) Hebron, (3) BeerSheba, the answer is tomorrow, and I pray that today will be a good day.

人生💯倍の祝福😊【聖書】サムエル記第二23章 一人ひとりの戦い

2022年07月13日 07時31分06秒 | サムエル記
23章 成長する王
1.ヤコブの神、イスラエルの神
 ダビデの最後のことばには、ダビデが神をどのように仰いだのかがよく語られています。ダビデは神を「ヤコブの神」と呼びました。ヤコブには、ずるがしこいヤコブのイメージがあります。やはり、神にすがる他、生きるすべがない、とする彼の謙虚な思いから、そのように呼んだのでしょう。確かにダビデに必要とされたのは、ヤコブに憐れみを示された神です。そしてまたダビデは、神を「イスラエルの神」と呼びました。ヤコブをイスラエルとして扱ってくださった神への期待があると言えます。
2.神に立てられた王
その神が語られます。王はどのような者であるかと。王は、「義を持って人を治める者」であるし「神を恐れて治める者」です。そのような王は、「太陽が昇る朝の光のようだ」と言います。大切なのは、義しい統治者、神を恐れる統治者のイメージです。国を照らし、命を注ぎ、善政を敷く王のイメージが語られます。まことに、サムエル記の著者は、王たる者、「自分のために」ことを行ってはならないという申命記17章の戒めを、ダビデのことばをもって確認しているのです。サムエル記、列王記は、申命記的歴史と呼ばれるものであり、申命記の戒めを振り返りながら、判を押したようにそれを確認している、わけです。
3.人を成長させる神
大切なのは、戒めはすべて、使徒パウロが言うように養育係として機能したことです(ガラテヤ3:24)。著者はダビデに言わせています「まことに神は、私の救いと願いとを、すべて育んでくださるではないか」(5節)。信仰の成長、いわゆる救いについては、誰もが神の御業として受け止めることでしょう。しかし、ダビデは、私の願いについても神は育て上げてくださると確信していました。願いは、ほぼ無意識レベルのものです。そこが成長しなければ、行動も変わらないでしょう。そして神は、願いをも育て上げてくださる。そしてそれら以外のすべてをも神は育んでくださるという確信。大切なことです。確かに願いも色々。多くは自己中心な願いであったりします。それが育ち、成熟する時に、私たちは、自分にとってもまた他人にとっても、本当に必要なことを願うようになるのです。神が、私たちを養い育ててくださる、日々霊的にも人間的にもあらゆる面で成長させてくださることを覚えるならば、私たちは謙遜になることができます。王として立てられた以上は、王としても神は育ててくださるでしょう。
4.ダビデの勇士たち
 さて、ダビデに仕えた勇士たちの名がリストアップされています。彼らに特徴的なのは、自分の働きにまったく身を献げた姿です。アホアハ人ドドの子エルアザルは、「自分の手が疲れて、手が剣にくっつくまでにペリシテ人を討った」(10節)とされます。また、ハラル人アゲの子シャマは、「兵がペリシテ人の前から逃げた時に、彼一人その畑の真ん中に踏みとどまってこれを守り、ペリシテ人を討った」(12節)と言います。大敵を相手に、全力を尽くし、心身尽きるまで戦った勇士が描かれます。やはりこのような箇所を読むならば、思わされるのは自分自身の奉仕のあり様でしょう。教会の困難な闘いにあって、あたふたと去っていく信徒たちがいる中で、教会に留まり、その教会を支えて、これを完成させようとする者であるのか、と自身を探らされるところです。
現実は、戦いを避けているのみならず、教会にも、神にも無関心ということもあったりするものでしょう。ずいぶん久しく、聖書に向かい、聖書のことばに取り扱われ、自らの内面を見つめ、自らの成長を祈ることから遠ざかっていることはないでしょうか。自らの霊的な成長のために祈りにおいて格闘することもない、また他の人々のとりなしに心を配ることもない、そんなことがあるのではないでしょうか。
 一人一人に、信仰の戦いがあるものです。神の側につく、教会を建てあげることについての霊的な戦いのないクリスチャン生活はありえません。しかし、霊的な戦いのないクリスチャン生活を送ることができますし、そのようにしてしまうことがあるものでしょう。礼拝すること、祈ること、十一献金をささげること、証しすること、賛美すること、教会を守ること、それらと何かがかち合う時にいつもはどう行動しているのでしょうか。私たちはいったい何に踏みとどまり、何と戦い、どのような勝利を得ようとしているのでしょうか。イエスが黙示録で教会のあり様について、種々語られたように、私たち自身の霊的なあり様について見直してみたいものです。そして私たちも神の勇士の名簿に加えられてまいりたいものです。
<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。当時一般に兵士が使っていた盾は、どのような材質で出来ていたでしょうか?①鉄、②青銅、③木または皮、答えは、③木または皮です。当時、金や青銅製の盾は儀式用で神殿で用いられた。金属製の盾は重く、通常兵士たちが使用するのは皮か、皮で覆われた木製の盾であったので、火で燃やすこともできました(エゼ39:9)。では、今日の聖書クイズです。ベツレヘムは、ヤコブの時代には、何と呼ばれたでしょうか?答えはまた明日、では、今日もよき一日となるように祈ります。

Chapter 23: The Growing King
1. God of Jacob, God of Israel
The last word of David often talks about how David looked to God. David called God "the God of Jacob." Jacob has the image of a sly Jacob. He probably called it that way because of his humble feeling that he had no choice but to live by God. Indeed, what David needed was God, who showed mercy to Jacob. And again, David called God "God of Israel." It can be said that there are expectations for God who treated Jacob as Israel.
2. King erected by God
The God is spoken. What kind of person is the king? A king is "a person who reigns with righteousness" and "a person who reigns in fear of God." Such a king says, "It's like the morning light of the rising sun." What is important is the image of a righteous ruler, a ruler who fears God. The image of a king who illuminates the country, devotes his life, and lays good politics is told. Indeed, the author of the book of Samuel confirms in David's words the commandment of Deuteronomy 17, the King, that he must not do "for himself." The books of Samuel and Kings are called Deuteronomy history, and while looking back on the commandments of Deuteronomy, they confirm it as if without a single exception.
3. God to grow people
The important thing is that all the commandments acted as caretakers, as the apostle Paul said (Galatians 3:24). The author tells David, "Isn't God really nurturing all my salvation and desire?" (Ver. 5). Everyone will take the growth of faith, the so-called salvation, as the work of God. But David was convinced that God would raise my desire as well. Desire is almost unconscious. If it doesn't grow, the behavior will not change. And God also raises desire. And the conviction that God will nurture everything else. It's important. Certainly, there are various desire. Many are selfish ones. As it grows and matures, we want what we really need, both for ourselves and for others. We can be humble if we remember that God nourishes us and grows us spiritually and humanly every day. As long as you are a king, God will raise you as a king.
4. David's heroes
By the way, the names of the heroes who served David are listed. What is characteristic of them is that they are completely devoted to their work. Eleazar, the son of Dodai the Ahohite is said to have "struck down the Philistines till his hand grew tired and froze to the sword." (ver.10). Shammah, the son of the Agee the Hararite, says, "When Israel’s troops fled from them, he took his stand in the middle of the field. He defended it and struck the Philistines down (ver. 12).  A hero who fought to the fullest with all his might against a great enemy is drawn. If you read such a passage, you may think of your own service. In the difficult struggle of the church, there are believers who are leaving with a lid, and they are wondering if they are the ones who stay in the church, support the church, and try to complete it.
The reality is that not only are we avoiding battles, but we are also indifferent to the church and to God. Haven't you been away from going to the Bible, being treated by the words of the Bible, looking inside yourself, and praying for your own growth for a long time? Perhaps there are times when we do not wrestle in prayer for our own spiritual growth, nor do we care for the intercession of others.
Each person has a battle of faith. There can be no Christian life without a spiritual battle to build a church on God's side. However, you can and may end up living a Christian life without spiritual warfare. Worshiping, praying, offering tithe, witnessing, praising, protecting the church, how do you always behave when something conflicts with them? What are we going to stay on, what are we fighting, and what kind of victory are we trying to win? As Jesus said in the apocalypse about the state of the church, we would like to review our own spiritual state. And we also want to be added to the list of heroes of God.
<Quiz corner>
First, yesterday's quiz. What kind of material was the shield used by soldiers at that time? (1) Iron, (2) Bronze, (3) Wood or skin, the answer is (3) Wood or skin. At that time, gold and bronze shields were used in temples for ceremonies. Metal shields were heavy, and soldiers usually used leather or leather-covered wooden shields, so they could be burned on fire (Eze 39: 9). So, today's Bible quiz. What was Bethlehem called in Jacob's day? The answer is tomorrow, and I pray that today will be a good day.

人生💯倍の祝福😊【聖書】サムエル記第二22章 人生の結論

2022年07月12日 06時55分20秒 | サムエル記
22章 ダビデの歌

1.感謝の歌の意義
ダビデの生涯をまとめるような、感謝の歌が収録されています。これは、詩篇18篇と同じもので、ダビデが王となった人生の出発点、ギルボア山の戦いの直後に作られたものです(1サムエル31)。内容的には、宣言(2-4節)、証言(5-7節)、回想(8-31節)、報告(32-46節)、誓約(47-50節)、賛美(51節)という流れで構成されています。
しかしどうして、改めて出発点に戻るような詩がここに収録されているのか。昨日もお話しましたが、11章以降20章まで、ダビデのがたがたの人生が描かれていました。そして昨日の21章では、ダビデはその人生を立て直し、自分と家族の歩みを正常化させていくわけです。今日の22章は、その最終的な結論として、初心に戻るというところなのでしょう。
実際ダビデほど、神にチャンスを与えられそれを生かし、さらにピンチをチャンスにした人もいません。人生には、チャンスを生かしきれない人間、ピンチにあって、まさにピンチで終わってしまう人間も多いものです。ただダビデの後半の人生は、ピンチにピンチを重ね、がたがたの人生となってしまったことは明らかです。彼は、かろうじて王としての体面を保ちながら生きているに過ぎませんでした。彼は人の羨むような人生を生きたように思われていますが、内実はそうではなかったのです。しかし人間の人生は大方そのようなものかもしれません。他人には幸せに見える人生であってもどこか不幸を背負っている。そのような中で、何が本当の幸せなのか、と言えば、結局世俗的な利得や業績を達成することではなく、また100%幸福な感覚に浸れるということでもありません。ただ、神を知っていること、神に愛されていることを覚えながら生きること、つまり神との関係を持っていることです。それが、ダビデの生涯を綴る著者の結論であったのです。この22章が、ダビデがサウルに代わってようやく王となった1サムエル31章の後でも、あるいはダビデがチャンスを生かし続けて上り調子の人生を歩んでいく2サムエル10章の後でもなく、実に11章から21章にわたって描かれた面目を保つだけになってしまったがたがたの人生の後に、位置付けられていることの意義は大きいのです。
2.神の実在、神の助け
表題ですが、「すべての敵の手」とあり、サウルだけを念頭に置いているわけではありません。ダビデは自分の生涯に、神の御手が力強く働き、神があらゆる敵から自分を解放し、助け出してくださったことを告白しています。そこで初めに、彼は、神が本当に信頼しうる、岩のような方であると宣言します(2-4節)。事実、神は、自分の心の叫びを聞いてくださったのです(5-7節)。そしてダビデの回想が続きます(8-31節)。大切な点は、神が私たちの祈りに動いてくださる、ことでしょう。
私たちを取り巻く困難は、しばしば私たちを圧倒するもので、何もなしえないと思わされることがあるものです。ダビデは語ります。「死の波は私を取り巻き、滅びの川は、私を恐れさせた」比喩的に自分の気持ちを述べたものです。彼が、もう終わりだと思う、そこに「主は、天を押し曲げて降りて来られた」と言います(10節)。私たちがもはや終わりだと思うところで、「主は、いと高き所から御手を伸べて私を捕らえ、私を大水から引き上げられ」(17節)る、と告白するのです。歴史に介入し、私たちの人生に介入される神がおられること、その神が私たちの友となることを私たちは知らねばなりません。
神は「悩む民を救われる」(28節)お方です。「主のみことばは純粋」(31節)このことばに使われた動詞は貴金属が「火の試練に耐える」様を意味します。神の約束は火で試されても、いよいよ真実である、ということです。
3.信仰告白
回想に基づいて、ダビデの信仰告白がまとめられています(32-36節)。神は、私たちの岩であり、私たちを強め、私たちを訓練されるお方である。神は私たちが恥じ入るようなことはされない。むしろ救いだされるお方である。ほむべきかな主、主は生きておられる、と。後に使徒パウロもこの50節を引用して、この真理は旧約のユダヤ人だけのものではなく、すべての人のためのものであると語りました(ローマ15:9)。
なお、ダビデは「主は、私の義にしたがって私に報い、私の手のきよさに従って私に償いをされた」(21-24節)と語りましたが、それは、罪なき完全な人生をイメージしているものではありません。ダビデは間違いなく罪人です。実際使徒パウロも、ローマ書4章において、神に義と認められる人の例として、アブラハムを善人の例、ダビデを悪人の例として取り上げています。アブラハムと違ってダビデは、姦淫と殺人の罪を犯した人物であり、ダビデはまさに神の一方的なあわれみと恵みによって赦されているのです。彼が義と認められたのは、正しい心の故というのではなくて、正しい態度の故です。私たちも、心の姿勢を見てくださっている、神の善に信頼して歩ませていただきたいものです。では今日もよき一日となるように祈ります。

<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。重さを量る度量衡として三種類のシェケルがあります。王のシェケル、普通のシェケル、聖所のシェケルですが、その中で最も重いのは何のシェケルでしょうか?答えは王のシェケルでした。王のシェケルは、約13グラム、普通のシェケルは、11.4グラム、聖所のシェケルは、約10グラムとされます。では、今日の聖書クイズです。当時一般に兵士が使っていた盾は、どのような材質で出来ていたでしょうか?①鉄、②青銅、③木または皮、答えはまた明日、では、今日もよき一日となるように祈ります。

Chapter 22 David's Song
1. Significance of the song of gratitude
Contains a thank-you song that summarizes David's life. It is the same as Psalm 18, created shortly after the battle of Mount Gilboa, the starting point of his life when David became king (1 Samuel 31). In terms of content, Declaration (verses 2-4), testimony (verses 5-7), recollections (verses 8-31), reports (verses 32-46), oaths (verses 47-50), praises (verses 51). It is cだびomposed of the flow.
But why is there a poem here that returns to the starting point? As I said yesterday, from chapter 11 to chapter 20, David's rattling life was depicted. And in chapter 21 yesterday, David will rebuild his life and normalize the course of himself and his family. The final conclusion of Chapter 22 today is to return to the beginning.
In fact, no one has been given a chance by God to take advantage of it and even have a pinch as an opportunity as David. In life, there are many people who cannot take full advantage of their chances, who are in a pinch and end up in a pinch. However, it is clear that the latter half of David's life was a rattling life, with a pinch and a pinch. He barely lived as a king. He seems to have lived an enviable life, but the truth is that he wasn't. But human life may be like that for the most part. Even a life that looks happy to others has some misfortune. Under such circumstances, what is truly happy is not to achieve worldly gains or achievements, nor to be 100% happy. However, living while remembering that you know God and that you are loved by God, that is, having a relationship with God. That was the author's conclusion about David's life. This chapter 22 is not after chapter 31 of Samuel, where David finally became king on behalf of Saul, or after chapter 10 of Samuel, where David continues to take advantage of his chances and goes up in his life. It is of great significance to be positioned after the life of the sword, who has only kept the faces drawn from chapter to chapter 21.
2. God's existence, God's help
The title says, "The Hands of All Enemy," and it's not just Saul in mind. David confesses that in his lifetime God's hand worked powerfully and God freed him from all his enemies and rescued him. So first, he declares that God is truly credible, rock-like (verses 2-4). In fact, God heard the cry of his heart (verses 5-7). And David's recollection continues (verses 8-31). The important point is that God will move to our prayers.
The difficulties that surround us are often overwhelming and can seem like nothing can be done. David says. "The waves of death swirled about me; / the torrents of destruction overwhelmed me. (ver. 5) "He parted the heavens and came down;" (ver. 10). Where we think it is over, he confesses, "He reached down from on high and took hold of me; / he drew me out of deep waters. " (ver.17). We must know that there is a God who intervenes in history and intervenes in our lives, and that God becomes our friend.
God is the one who "saves the troubled people" (verse 28). "The word of the Lord is flawless" (ver. 31) The verb used in this word means that precious metals "endure the trials of fire." God's promise is that even if it is tested on fire, it is finally true.
3. Confession of faith
Based on his recollections, David's confession of faith is summarized (vers. 32-36). “And who is the Rock except our God? It is God who arms me with strength.” God does not make us ashamed. He is rather the one to be saved. “Therefore, I will praise you, O LORD, among the nations.” Later, the apostle Paul also quoted this verse 50, saying that this truth was not only for the Jews of the Old Testament, but for all (Romans 15: 9).
David said, "The LORD has dealt with me according to my righteousness; / according to the cleanness of my hands he has rewarded me. " (ver. 21-24), which is a complete life innocent. It is not the image of. David is definitely a sinner. In fact, the apostle Paul also takes Abraham as an example of a good man and David as an example of a bad man in Romans chapter four as examples of those who are justified by God. Unlike Abraham, David was the one who committed adultery and murder, and David was forgiven by God's one-sided mercy and grace. He was justified not because of his right heart, but because of his right attitude. We also want to trust in the goodness of God, who sees the attitude of our hearts. I pray that today will be a good day.

<Quiz corner>
First, yesterday's quiz. There are three types of shekels for weighing weights and measures. The king's shekel, the ordinary shekel, and the sanctuary's shekel, but what is the heaviest of them? The answer was King Shekel. The king's shekel weighs about 13 grams, the ordinary shekel weighs 11.4 grams, and the sanctuary shekel weighs about 10 grams. So, today's Bible quiz. What kind of material was the shield used by soldiers at that time? (1) Iron, (2) Bronze, (3) Wood or skin, the answer is tomorrow, and I pray that today will be a good day.


人生💯倍の祝福😊【聖書】サムエル記第二21章 我に返る

2022年07月11日 07時33分13秒 | サムエル記
21章 日常を取り戻したダビデ
1.破られた契約
イスラエルに、飢饉が起こり、それが三年続きました。国王のダビデは、このような時には、主からのメッセージがあると考えました。ダビデは間違っていませんでした。神のみこころを問うダビデに、過去の契約に違反のあったことが示されました。ヨシュアの時代、イスラエルたちは、ギブオン人に欺かれて和平の契約を結んでいます。彼らはエルサレムから数キロしか離れていないのに、遙か遠くからやってきたようなふりをして、イスラエル人の聖絶を逃れる契約を結んだのです。それは詐欺的でしたが、永久の契約として結ばれたものでした(ヨシュア9:15)。しかし、イスラエル最初の王サウルが、この契約を破ってしまっていたのです。ギブオンは、サウルのギブアの近くにあり、サウルは、外国人であるエモリ人が主の宮で仕えていることを不愉快に思い、契約がなされていたにも関わらずギブオン人を殺していたのです。契約が破られたことへの償いが必要とされていました。
そこでダビデは、自分たちが何をすべきかを探りました。賠償には、お金ではなくいのちが要求され(民数記35:33)、ダビデはギブオンの人々の要求を受け入れ、死んだサウルに代わって、サウルの七人の息子を引き渡すのです。それは実に痛ましい行為でしたが、主の前に立てられた永遠の契約を全うすることになります。
2.エピソードの意義
唐突に出てきたエピソードですが、これは何を語ろうとしているのでしょうか。ダビデが置かれた状況からすれば、タガが外れて、揺らぎかけている王国を立て直すために、ユダとイスラエルを分裂させる芽をことごとく摘んだとも考えられます。つまり、ビクリの子シェバに代わって、求心力となる者がイスラエル側に起こることを事前に阻止したというわけです。しかし聖書は、これをダビデの保身として描くことをせず、あくまでも、永遠の契約が破られたことへの償いとして描くのです。
そこで注目すべきことがあります。ダビデが、荒んだ生活を抜け出て、王としての日常に戻ったことです。ダビデは、国の利益損失を考えて、神にその解決を求め出しました。彼が、契約を破ったサウルの息子たちを処罰すれば、契約違反への償いは十分したことになります。しかし、ダビデは、荒布を脱いで、死んだ息子たちの死体を守り切った女リツパに心を動かされて、さらなる行動を取っています。つまりその犠牲を、彼はまことに大事なものと考えたのです。ですから、先王一族を丁重に葬り、彼らに敬意を表しました。彼らは契約を破ったのですから当然の処罰を受けたのかもしれませんが、契約の償いのために、そして国家を救うために尊い犠牲になったことをよくよく心得た、ということです。そこで、それまで放置されていたサウルとその子ヨナタンの骨を見つけ出し、サウルの父キシュの墓に葬りました。ダビデは、彼らにできることはなんでもしよう、と考えたのでしょう。神の前に正義がなされることのみならず、ダビデは礼が尽くしたのです。ダビデの良心も、情も、正常に戻った、ということではないでしょうか。
実際その後のダビデは、戦闘に当たって、エルサレムに残るのではなく、必ず大将として出陣しました。そして、部下がもう出陣を制するまでそうしたところに、全て、王国として正常な機能が取り戻された、というべきでしょう。
ダビデが、イスラエルの国に生じた全ての問題を、王として、適正にかつ人間愛をもって処理していった時に、神はこれを喜び、「この国の祈りに心を動かされた」とされコロナ禍も長くなりました。ここに何か神のみこころがある、と考えることは、古臭い、迷信めいたことのように思われるかもしれません。しかし、神の御前に破られている契約はないものか、と考えてみたいものです。正義を失っていないか、礼儀を失っていないか、考えたいところです。そして、私たちが神と結んだ契約は愛の契約であるとすれば、神と人を愛するということで破られていることはないのか、確認したいところでしょう。そして、必要な悔い改めがあれば悔い改めをして、なすべきことをする、そして祈る、神がその祈りに心を動かされないはずがありません。では今日もよき一日となるように祈ります。
<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。タマルが兄アムノンに作ってあげた団子の鍋料理は、今日でいえば、どのようなものであったでしょうか?①マツァボール、②クスクス、③シャクシューカ、答えは、①マツァボールです。これは、過ぎ越しの祭りに使われるマツァで団子を作ってチキンで味付けしたスープ、②クスクスは、ショートパスタに玉ねぎ、トマト、キュウリを混ぜたサラダです。シャクシューカは、玉ねぎやパプリカ、そしてトマト缶を一緒に煮込んだ家庭料理です。では、今日の聖書クイズです。重さを量る度量衡として三種類のシェケルがあります。王のシェケル、普通のシェケル、聖所のシェケルですが、その中で最も重いのは何のシェケルでしょうか?答えはまた明日、では、今日もよき一日となるように祈ります。

Chapter 21 Mature King
1. Broken contract
Famine broke out in Israel and lasted for three years. King David thought that there was a message from his Lord at such times. David wasn't wrong. David, who asks God's will, has been shown to have violated past covenants. In Joshua's day, the Israelites were deceived by the Gibeons and signed a covenant of peace. Even though they were only a few kilometers away from Jerusalem, they pretended to be far away and signed a covenant to escape the sanctification of the Israelites. It was fraudulent, but it was signed as a permanent covenant (Joshua 9:15). But Saul, the first king of Israel, had broken this covenant. Gibeon was near Gibeon in Saul, and Saul was unpleasant that the foreign Amorites were serving in the temple of the Lord, and he was killing the Gibeons despite the contract. is. Compensation for the broken contract was needed.
So David explored what they should do. Compensation requires life, not money (Numbers 35:33), and David accepts the demands of the Gibeon people and hands over Saul's seven sons in place of the dead Saul. It was a painful act, but it would fulfill the eternal covenant made before the Lord.
2. Significance of the episode
It's an episode that came out suddenly, but what is this going to say? Given the situation in which David was placed, it is possible that the tag was removed and all the buds that split Judah and Israel were picked in order to rebuild the swaying kingdom. In other words, on behalf of Sheva, the son of Bikri, the centripetal force was prevented from happening on the Israeli side in advance. However, the Bible does not portray this as David's self-protection, but merely as a compensation for the breach of the eternal covenant.
There is something to be noted there. David escaped from his rough life and returned to his daily life as king. David sought a solution from God, considering the loss of profits in his country. If he punishes Saul's s
ons who broke the contract, the compensation for the breach of contract would be sufficient. However, David is moved by Ritsupa, a woman who has taken off the sackcloth and protected the bodies of her dead sons, and is taking further action. So he thought the sacrifice was really important. So he politely buried the former Kings and paid homage to them. They may have been punished for breaking the contract, but they were well aware that they had made a precious sacrifice to atone for the contract and to save the nation. There, he found the bones of Saul and his son Jonathan, who had been left unattended, and buried them in the tomb of Saul's father, Kish. David would have thought of doing whatever they could. Not only was justice done before God, but David was thankful. Isn't it that David's conscience and emotions have returned to normal?
In fact, after that, David did not stay in Jerusalem in the battle, but always went out as a general. And it can be said that all of them have regained their normal functioning as a kingdom until his subordinates have already won the battle.
When David, as a king, dealt with all the problems that arose in the kingdom of Israel properly and with human love, God was pleased with it and was "moved by the prayers of this kingdom." Corona (Covid-19) has also become longer. Thinking that there is something God's will here may seem old-fashioned and superstitious. However, I would like to wonder if there is a contract that has been broken before God. I want to think about whether I have lost justice or courtesy. And if the covenant we have with God is a covenant of love, we would like to make sure that it has not been broken by loving God and man. And if there is a necessary repentance, repent, do what we should do, and pray, God cannot be moved by that prayer. I pray that today will be a good day.

<Quiz corner>
First, yesterday's quiz. What was Tamar's hot pot dish of dumplings for his brother Amnon today? (1) Mazza ball, (2) Couscous, (3) Shakshouka, the answer is (1) Mazza ball. This is a soup made from dumplings made from Mazza, which is used for the Passover festival, and seasoned with chicken. ② Couscous is a salad of short pasta mixed with onions, tomatoes, and cucumbers. Shakshouka is a home-cooked dish of onions, paprika, and canned tomatoes. So, today's Bible quiz. There are three types of shekels for weighing weights and measures. The king's shekel, the ordinary shekel, and the sanctuary's shekel, but what is the heaviest of them? The answer is tomorrow, and I pray that today will be a good day.

人生💯倍の幸せ😊【聖書】サムエル記第二20章 不都合な事情

2022年07月10日 08時17分11秒 | サムエル記
20章 将軍ヨアブの脅威
1.将軍ヨアブ
イスラエルの歴史は、サウル、ダビデ、ソロモンという三代にわたる統一王国時代の後、北と南に分裂する分裂王国時代に入っていきます。しかし、分裂の兆しは、すでにダビデの時代からあったことでした。サウル王亡き後、ダビデは、北側と南側の統一に力を注ぎますし、アブサロムのクーデターの後、イスラエルの人、ユダの人々という二つのグループの亀裂が大きくなったことが示唆されるのです。
 しかもこの20章のエピソードで注目すべきは、実質的なイスラエルのリーダーに変化が生じていることです。もはや、軍隊の主導権を握るのは、ダビデではなく、部下のヨアブでした。しかも彼はことごとくダビデの命令に背いた男です。アブネル(2サムエル3:27)、アブサロム(2サムエル18:14)、そしてアマサまで殺し(2サムエル20:10)、ダビデが任命したアビシャイを制して、今やイスラエルの全軍を指揮しているのです。ダビデは、新たな脅威を感じ、身震いする思いであったのではないでしょうか。実際、後にダビデは、ソロモンに「彼の白髪頭を安らかによみに下らせてはならない」(1列王2:6)、ヨアブを抹殺するように命じています。
2.2サムエル10-20章の意義
 しかしながら、なぜ著者は、このようなダビデにとっては不都合な歴史を11章からずっと細々と書いているのでしょうか。本来王の年代記というのなら、王の偉業を伝えるのが目的で、このような醜聞と言うべきものは割愛すべきものです。ですから、この部分、つまり11章から20章まではカッコ付けで、飛ばして読むべきもので、10章から21章に続くのが本来の文書と考える学者もいます。しかし、著者が、このような種々の醜聞を敢えて書き加えたところに、聖書の意図があると考えるべきでしょう。そして11章から続くダビデの薄汚れた人生の結論としてこの20章が伝えていることは、既に述べたように、ダビデは王としての地位とその面目を保ったものの、国の実質的支配権はヨアブに掌握されてしまった、ということです。ですから、著者は23節以降、ダビデ王国の行政組織をまとめ、その要人を紹介するのですが、それは初期のもの(9:15-18)とは異なっています。もはや、ダビデもダビデの子どもたちも除外されているのです。
 では、これら王に不都合なエピソードを書き連ねる意図は何なのか。たとえばシェバという人物について言えば、彼は部族的な対立に付け込んでイスラエルの新しい指導者として躍り出るわけですが、その栄誉も三日天下で終わってしまったと言います。また次のエピソード、アマサについて言えば、彼はダビデに敵対したアブサロムの将軍ですから、アブサロムと共に消え去るはずでした。ところがヨアブに代わるダビデの軍団長として抜擢されます。けれども最終的には老獪なヨアブに殺されて、単なる脇役で終わってしまうのです。またヨアブについて言えば、彼は人間的には何の機会も与えられず冷遇されたにも関わらず、実に器用に立ち回り、イスラエルの全軍を自らの指揮下に置くのです。これは人生の成功例なのかと思わされます。しかし長い文脈を追っていくと、彼も最終的には殺されてしまいます。つまり彼は策略的に賢く立ち回りましたが、結局何も残さない詰まらない結末を迎えるのです。そして町の平和を維持し、救った一人の知恵ある女は、名前も紹介されずに終わっています。最後の極めつけが、クリスチャンなら英雄として語るダビデ。彼の人生の成功も、それは表向きのことで、現実は醜聞にまみれ、体裁を保っただけの人生が詳しく記録されるのです。そこでこうした個々のエピソードに注目する読み方では、表層的に、その人の一面をとらえて良い悪いのようなメッセージしか作れません。しかしそうではなく、より巨視的な目を持って、一つ一つのエピソードを全体として読むならば、聖書は、欲を丸出しにして生きる人間社会の混迷を描いていると理解できます。そして成功と思われるものも成功ではないし、失敗と思われるものも、実際には、人に気にされもしない地球の片隅の出来事だと言っているのです。つまり、地位を得る、人の上に立つ、財を得る、そんなところに人間の幸せはない、そんなところを目標として生きている人間の人生は空しいと言っているのではないでしょうか。となれば、本当の幸せとは何かということにもっと思慮深くあるべきなのです。そして、目先の出来事や動き、また人々が求めるような物や地位に振り回さないことです。そして自分を見失わず、自分自身であり続けること、平凡であっても、大切にすべき関係を大切にし、喜びを味わい生きること、そのためにいつも正しいことを教えてくださる神と共に生きることです。では今日もよき一日となるように祈ります。

<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。ヤコブの12人の子どものうち、「ろば」と称されたのは、誰でしょうか?答えはイッサカルです。死を前にした祝福で、ヤコブは、イッサカルを「たくましいろば」と表現しました(創世49:14)。ろばが粗食に耐え、長命で、暑い地方でも強く、たくましい有用な家畜であったからだと思われます。では、今日の聖書クイズです。タマルが兄アムノンに作ってあげた団子の鍋料理は、今日でいえば、どのようなものであったでしょうか?①マツァボール、②クスクス、③シャクシューカ、答えはまた明日、では、今日もよき一日となるように祈ります。

Chapter 20 Threat of General Joab
1. General Joab
The history of Israel goes into the divided kingdom era, which divides into the north and the south, after the three generations of the unified kingdom era of Saul, David, and Solomon. But the signs of division were already from the time of David. After the death of King Saul, David focused on the unification of the north and the south, and after the coup d'etat in Absalom, it is suggested that the cracks between the two groups, the Israelites and the Judah, grew.
Moreover, what should be noted in this episode of Chapter 20 is that there is a change in the actual leader of Israel. It was no longer David, but his subordinate Joab, who took control of the army. Moreover, he is a man who disobeys David's orders. He killed Abner (2 Samuel 3:27), Absalom (2 Samuel 18:14), and even Amasa (2 Samuel 20:10), conquering David's appointed Abishai and now commanding the entire army of Israel. It is. Perhaps David felt a new threat and was trembling. In fact, David later ordered Solomon to "don't let his white-haired head go down in peace" (1 Kings 2: 6), killing Joab.
2. Significance of Samuel Chapters 10-20
However, why does the author write such a history that is inconvenient for David in detail from Chapter 10? Originally, the chronicle of the king is intended to convey the feat of the king, and such an ugly thing should be omitted. Therefore, some scholars think that this part, that is, chapters 11 to 20, should be skipped and read, and that chapters 10 to 21 should be followed by the original document. However, it should be considered that the intent of the Bible lies in the fact that the author dared to add these various ugliness. And what this chapter 20 conveys as a conclusion to David's dingy life, which continues from chapter 11, is that, as already mentioned, David is his position as king and his honor.
However, Joab has taken control of his country. Therefore, after verse 23, the author summarizes the administrative organization of the Kingdom of David and introduces its dignitaries, which is different from the early ones (9: 15-18). David and his children are no longer excluded.
Then, what is the intention of writing episodes that are inconvenient for these kings? For example, when it comes to a man named Sheva, he takes advantage of tribal conflicts and jumps out as a new leader in Israel, but his honor ends in three days. As for the next episode, Amasa, he was a general of Absalom who was hostile to David, so he should have disappeared with Absalom. However, he was appointed as David's corps commander to replace Joab. However, in the end, he was killed by the old Joab and ended up playing a supporting role. And as for Joab, he is really dexterous and puts the entire army of Israel under his command, despite being treated coldly without any human opportunity. This seems to be a successful example of his life. But if you follow his long context, he will eventually be killed too. In other words, he tactically and wisely walked around, but ended up with an unobtrusive ending that left nothing behind. And one wise woman who maintained and saved the peace of the city ended without her name being introduced. The final culmination is David, who speaks as a hero if you are a Christian. The success of his life is also ostensibly, the reality is ugly, and the life that just keeps the appearance is recorded in detail. Therefore, with a reading that focuses on these individual episodes, you can only create a message that looks good or bad by capturing one side of the person on the surface. But instead, if you read each episode as a whole with a more macroscopic eye, you can understand that the Bible depicts the turmoil of a human society that lives with greed. And what seems to be success is not success, and what seems to be failure is actually an event in a corner of the earth that is not bothered by humans. In other words, I think we are saying that there is no human happiness in such places as gaining a position, standing on top of others, and earning goods, and that the life of a human being living with such a goal is empty. Then we should be more thoughtful about what true happiness is. And don't sway to the events and movements of the immediate future, or the things and positions people want. And don't lose sight of yourself, stay yourself, cherish the relationships you should cherish, even if they are mediocre, live with joy, and live with God who always teaches you the right thing to do. I pray that today will be a good day.

<Quiz corner>
First, yesterday's quiz. Of Jacob's twelve children, who was called the "donkey"? The answer is Issachar. In the blessing of death, Jacob described Issachar as a "strong donkey" (Gen. 49:14). It is believed that the donkey was a useful livestock that withstood rough food, had a long life, was strong even in hot regions, and was strong. So, today's Bible quiz. What was Tamar's hot pot dish of dumplings for his brother Amnon today? (1) Mazzaball, (2) Couscous, (3) Shakshouka, the answer is tomorrow, and I pray that today will be a good day.