人生が100倍楽しくなる、パスターまことの聖書通読一日一生5(旧約聖書 新約聖書 聖書通読ブログ)

聖書通読は、モノの見方を変え、イエスと共に前に進む気を起こさせてくれます。ご一緒にしませんか?

使徒の働き28章

2021年05月06日 06時58分12秒 | 使徒の働き
使徒の働き28章 ローマでの宣教
1.マルタ島での出来事(28:1-10)
パウロの一行は、嵐に流されマルタ島に漂着しました。マルタは、フェニキア語で避難所を意味します。まさに彼らにとっては避難所でした。島の人々は、彼らにとても親切にしてくれたのです。時期的には冬に入っていたのですから、2週間も嵐にもまれ、疲れ切っていた者たちにとっては、心沁みる暖かさであったことでしょう。しかし、そこで一つの事件が生じるのです。3節、薪からまむしが這い出し、パウロの手に取りつくのです。それを見た島の人々は、パウロを人殺しと考えました。復讐の女神が、嵐から逃れたパウロに最後のとどめを刺そうとしている、と言うわけです。しかし、何の害も受けず、何食わぬ顔をしているパウロに、彼らは考えを変えて、神であると言い出すのです。また、島の長官プブリウスを始め、島の病人を癒すことで、パウロの一行は尊敬を得て、3ヶ月滞在することになりました。なお興味深いことは、これらの奇跡物語について、ルカは、癒しを意味するギリシア語のイアオマイ(8節)と、医療的な処置による癒しを意味するセラピューオーを使い分けていることです。そして10節、「私たち」と語り、そこに医者のルカもいたことが示唆されています。つまり、神は、福音とご自身の力を証するために、超自然的な癒しに加え医療的な処置も用いられたということなのでしょう。
2.いよいよローマへ(28:11-31)
さて、パウロの一行は、マルタ島を後にしました。乗り込んだ船の船首にはディオスクロイの飾りがついていたと言います。つまりギリシア神話、ゼウスの双子の兄弟カストルとポルクスの像でした。当時は、航海の守護神とされたものです。ルカは軽くギリシアの神にも守られて、とジョークを飛ばしたのかもしれません。翌日北北東150キロにあるシチリア島のシラクサに到着、そこから130キロ北航し、いよいよイタリア本土の南西端、メッシナ海峡に臨む海港レギオンに到着しました。そして、さらに翌日北320キロのポテオリに到着、ここからはもう陸路で、ローマまで180キロ、約1週間の道のりです。こうしてついに彼らは、ローマにやってくるのです。
17節、パウロは三日の後、ユダヤ人の主だった人たちを呼び集め、福音を語りました。朝から晩まで語り続け、神の国をあかしし、モーセの律法と預言者たちの書によって、イエスのことについて説得しようとした、とあります。キリスト教信仰の中心は、イエス・キリストです。それは「鰯の頭も信心から」という中身のないものではありません。ですから、「語られたこと」(24節)に注意深く耳を傾ける者と、そうではない者が出てくるのです。そしてイエスの種蒔きのたとえが教えるように、反応も様々です。パウロは、信じようとしないユダヤ人の現実に、福音が耳を傾ける異邦人に向けられることを宣言します。神の恵みの福音はユダヤ人だけのものではなく、耳を傾ける全ての人のためのものだからです。
こうして30節、パウロは「呼び集めて」福音を語るのみならず「尋ねてくる人たちに」福音を語りました。というのも、今やパウロに町の広場や会堂に出て行って、福音を語る自由はありませんでした。しかし、神がパウロのもとに福音を語るべき人々を送ってくださったのです。それは多くの聴衆ではなかったことでしょう。しかし神がパウロの働きを必要とする人々でした。実際そこには、ピレモンへの手紙を書くきっかけとなったオネシモも含まれていました。大切なのは、神が引き合わせてくださる人としっかり向かい合うことでしょう。ルカは、こうしてパウロが、自由に、存分に神の国とイエスについて語ったことを証しするのです。そしてルカもまた、神が引き合わせてくださったテオフィロに、言葉を尽くして証しするのです。神が引き合わせてくださった人にしっかり向かい合う、これが宣教なのです。では今日もよき一日となりますように祈ります。

クイズコーナーです。最初に昨日のクイズですが、「地中海は、旧約聖書では、なんと呼ばれているでしょうか?」答えは①西の海(申11:24)でした。当時は、死海を東の海、地中海を西の海と呼んだのです。では、今日の聖書クイズを一つ。パウロがローマ本土に到着し、カプアから北上した道は、なんと呼ばれているでしょうか?①アッピア街道、②オスティア街道、③ドミチアナ街道、答えはまた明日!よき一日となりますように祈ります。



使徒の働き27章

2021年05月05日 07時05分41秒 | 使徒の働き
使徒の働き27章 ローマへの旅
1.難船したパウロの一行(27:1-20)
パウロは、カイサルに上訴したので、ローマへ護送されることになりました。ローマの百卒長ユリアスの率いる護衛に守られ、パウロは、海路2700キロ、陸路180キロにおよぶ長旅に出発しました。主の約束であり、個人的願いでもあったローマ行きは、こうして不思議な形で実現したのです。ただイタリアへの直行便がなかったため、それは沿岸船を乗り継いでの旅となりました。D写本によると、15日間でミラに到着したとあります。ミラはエジプトとローマの直接航路にある要港で、彼らはようやくここからイタリア行きのアレキサンドリアの穀物船に乗り換えることができました。一般にその船の大きさは、長さ55メートル、排水1200トンほどであったと言います。富山県の射水市に大型練習帆船海王丸が保存されていますが、その大きさの約半分くらいと考えたらよいのでしょう。海王丸は、定員168名、パウロの一向が乗った船は、276名乗り込んだとされ、定員の約3倍、かなり無理な乗船だったようです。おまけに、地中海を航海するには難しい時期に差し掛かっていました。地中海は、冬季の嵐のため、11月になると航海は翌3月まで完全に停止され、その前後は、不要不急の航海は避けられたのです。実際、パウロの一行は強い向かい風に妨げられて、イタリアまでの中間地点にあたるクレテ島の「良い港」に到着したのは、約25日後、すでに10月上旬の断食の日を過ぎていました(使徒27:9)。もうこれ以上の航行は無理と思われる状況でしたが、船長たちは、海上が封鎖される前に、もう少し冬を過ごし易い場所へ移動したいと考え、ちょうど良い風が吹いてきたこともあって、同じ島の西側にあるピニクス港を目指して出帆したのでした。しかし翌日には到着するはずが、なんとまもなく暴風に襲われ、14日間も漂流し、約900キロ先のマルタ島に流されてしまうのです。
2.神に守られた一行(27:21-44)
ルカはその漂流の旅を記録しています。それは15節「流されるまま」、船の積荷も船具も捨て(18節)、20節「太陽も星も見えない日が何日も続き、暴風が激しく吹き荒れ…助かる望みも今や完全に断たれようとしていた」状況でした。21節、もう食事をする気にもなれない長い時であったようですね。一語一句が象徴的です。というのも、私たちの人生にも、そんなことばで綴られる日々があるものでしょう。人も組織も信用できない世の荒波にもみくちゃにされて、何も手元には残っておらず、進むべき方角もわからず、落胆する他何もなし、ということがあるものでしょう。しかしそのような状況にあってパウロは、同乗者に語り掛けるのです24節「恐れることはありません」、25節「元気を出しなさい」パウロは、何時も最善にことを勧めてくださる神を信頼していました。実に、十字架を見上げ、神の愛に守られていることを悟った人生は、恐れを知らないのです。イエスの私たちに対する十字架の愛をしっかり受け止めるならば、乗り越えられない苦難はありません
こうして、14日目、舟はどこかの陸地へと近づきました。まだ陸が見えたわけではありませんでしたが、35節、腹が減っては戦は出来ぬ、パウロは、皆に食事をするように促しました。そして彼らは全員無事に陸にあがったのです。
神は実に荒っぽいことをされましたが、不思議にもパウロは特急便でローマの目と鼻の先まで到着したのです。何もこんな方法でなくても、と思うところですが、神のご計画の真意は、天の御国で後日談に耳を傾けるまでにはわからない部分もあることでしょう。ともあれ神の愛に信頼して人生に大胆さを持っていくのがキリスト者です。そしてその大胆さを支え、驚くことをなしてくださるのが、聖書の神なのです。では今日もよき一日となりますように祈ります。
クイズコーナーです。最初に昨日のクイズですが、「アグリッパ王と一緒に現れたベルニケは、アグリッパ王とどのような関係にあったでしょうか?」答えは、③妹でした。では、今日の聖書クイズを一つ。地中海は、旧約聖書では、なんと呼ばれているでしょうか?①西の海、②エーゲ海、③東の海、答えはまた明日!よき一日となりますように祈ります。

使徒の働き26章

2021年05月04日 06時58分19秒 | 使徒の働き
使徒の働き26章 アグリッパの前での弁明
1.パウロの弁明(26:1-23)
アグリッパ王の前で、パウロが弁明を始めます。パウロが語ったことは、なぜ自分がイエスに従うようになったのか、そのいきさつです(2-15節)。パウロの場合は、全く神を知らないところから神を知るようになったという、無神論者の回心ではありません。既にパウロは、天地創造の唯一の神を信じていた熱烈なユダヤ教徒でした。ですから言ってみれば彼は改宗を迫られたのです。自分が信じている神が、イエスを約束の救い主としてお遣わしになったことを受け入れるように迫られたのでした。
それまでのパウロは、十字架につけられるようなイエスは呪われた者であって、約束のメシヤなんかではない、と確信していたのです。ですから、イエスに従う者あれば、これを捕まえて処罰し、死刑にすることすら賛成していました。しかし、ダマスコに向かう途上で彼は、自分が否定してきたまさにイエスと直接出会う経験をするわけです。あの十字架で死んだはずのイエスが復活して生きておられること、そして確かにイエスはまことの神であることを認めざるを得ない出来事に出くわすのです。そして悟らされたのでした。あのイエスの十字架は、旧約聖書に預言された「苦難のしもべ」(イザヤ53:5)を象徴するものであった、と。つまり、確かにイエスは、十字架にかけられて呪われた者となったのだが、それは、私たちの身代わりとなって神の怒りと呪いを受けた姿であった、そのようにして私たちの救い主となられたのだ、と悟るのです。
そしてパウロは、さらにこの復活のイエスに出会った生き証人となることを使命として与えられたのでした。すべては天から、上から与えられるものでしょう。17節、パウロは、イエスに与えられた使命を明確に語ります。第一にそれは、人々の目を開かせること、闇の中にあり、サタンの支配にあることを気づかせ、イエスに心を向かわせること。第二にイエスにある罪の赦しを受けさせること、そして第三に、イエスの恵みと祝福に共に与って行くことです。その使命に立って、ありとあらゆる人々に向かって語ってきた。けれども、ユダヤ人たちは、それを受け入れたがらず、私を捕まえ、殺そうとしたのだ、と言うわけです。
2.弁明への反応(26:24-32)
フェストゥスは、この話を聞いて、パウロは気が狂っている、と考えました。しかし「ユダヤ人の慣習や問題に精通している」アグリッパは、違いました。アグリッパには、パウロの語ることが理解できたのです。彼は、旧約聖書には、約束の救い主について預言されている箇所がたくさんあることをよく知っていました。ですからイエスがパウロの言う通りに、約束のメシヤであるかどうか、それらの預言を思い起こしながら考えることができました。パウロのことばは「わずかなことば」であったとしても、それは、アグリッパにとってイエスを約束の救い主として認めるかどうかを判断する十分なことばであったのです。しかしアグリッパは、決断することを避けて、立ち上がりました。ただアグリッパは、フェストウスと共に、パウロが、「死や投獄に値することは何もしていない」ことは同意するのです。
著者のルカは、21章から約6章に渡って、パウロの裁判を詳しく取り上げてきています。それまでキリスト教会がどのように発展してきたかを語ってきたルカは、この裁判の記事を通して、読者のテオフィロにキリスト者の信仰の本質を明らかにしているのです。キリスト者は色々と噂を立てられているが、彼らはただイエスが復活して今なお生きておられるお方であること、またそのイエスにある罪の赦しが旧約聖書で預言された、神の良き知らせであることを信じているのです。罪の呵責に悩む者があれば、今日語られているわずかなことばは、信仰を持つ機会となるものです。イエスの十字架の苦しみによって、人の罪は確かに神に赦されたのです。では、聖書クイズを聞きたい方は、チャンネルはそのまま。今日もよき一日となるように祈ります。

クイズコーナーです。最初に昨日のクイズですが、「アグリッパ王はヘロデ・アグリッパ1世とどのような関係にありますか?」答えは、ヘロデ・アグリッパ1世の②息子でした。今日の聖書クイズを一つ。昨日に続いて、アグリッパ王のねたです。アグリッパ王と一緒に現れたベルニケは、アグリッパ王とどういう関係でしょうか?①母、②妻、③妹、答えはまた明日!よき一日となりますように祈ります。

使徒の働き25章

2021年05月03日 06時59分34秒 | 使徒の働き
使徒の働き25章 フェストゥスの裁判
1.後任フェストゥスによる裁判(25:1-12)
総督フェリクスが去り、新しくフェストゥスが後任としてやってきました。それに合わせて、ユダヤの宗教家たちは、パウロを訴えて、もう一度エルサレムで裁判をする機会を設けるように頼みます。彼らはパウロを殺す機会を狙っていたのでした。しかし2年経ってもなおパウロを忘れず、このようなことを願うとは、それだけキリスト教の影響が強くなっていたのではないでしょうか。フェストゥスは、彼らの訴えを取り上げましたが、ユダヤ人の言いなりにはならず、場所については、パウロが拘留されているカイサリアを指定しました。神は、エルサレムへ移動する途中で殺そうと狙っていたユダヤ人の悪意から、パウロを守られたのです。
さて、裁判において、ユダヤ人たちは、多くの重い罪状を申し立てたが、それを証拠立てることはできなかった、と言います。本来なら、そこで裁判は終了し、パウロは釈放されるはずでした。しかしフェストゥスは、ユダヤ人の機嫌を取ろうと、ユダヤ人が本来希望したエルサレムでの裁判を、パウロに促すのです。パウロは、これを拒否し、カイサルに上訴することになります。ローマ市民であったパウロのこの訴えを、フェストゥスは、取り上げざるを得ませんでした。こうして、パウロのローマ行きが決まって行きます。
2.アグリッパとフェストウスの対話(25:13-22)
数日後、アグリッパ王とベルニケが、カイサリアに来て、パウロの一件を語りあったことが記録されています。しかしながら、このフェストゥスとアグリッパとの間の私的な会話の情報をルカはどのようにして入手したのだろうか、と不思議です。おそらくこれもまた先の23章の千人隊長の手紙と同じで、ルカが想像力をはたらかせ、限りなく現実に近い、いわゆるありそうな作文をしたのだ、と考えられています。ただ、ここで注意すべきことは、フェストゥスの口を通して、ルカは、争われていることが、犯罪ではなく宗教的信条の問題だったことを明確にしていることです。信条の中心は、死んでしまったイエスが生きていること、イエスが復活したことでした。そして「彼は死に当たることは何一つしていない」ことを強調しています。つまりルカは少なくとも直接的な読者であるテオフィロに対して、パウロが戦っていることは、宗教的な信条の問題であることを理解させ、死に当たることは何一つしていないことを訴えたかったのでしょう。実際、使徒の働きは、パウロがローマ到着後の2年目、つまり、カイサルのもとでなされていた裁判の審理中に書き終わっているのです。となれば、ルカはローマの高官であったテオフィロに対し、キリスト教の由来と性格を説明し、キリスト教に対する誤解を取り除き、パウロの裁判が有利に展開するよう、カイサルに働きかけてもらうことを期待して、この使徒の働きを書いたという説は、よく理解できることなのです。
3.アグリッパによる裁判(25:23-27)
23節、アグリッパによる裁判の席が設けられます。初めに、フェストウスが、アグリッパとの対話の内容を繰り返しています。彼は何一つ死罪に値することはしていない、と。カイサルに訴えることになったが訴える理由がない、と。不思議なものですね、何か過ちがあったというわけでもなく、単なる妬みや、憎しみによって一人の人間が貶められていく。世の中には、このようなものがたくさんあるのではないでしょうか。そのように人は貶められると、勢いを削がれ、もはや思うようにならない無駄な月日が流れていくように感じられるだけであるかもしれません。しかし、人の運命は、人間通しのやりとりが全てではないのです。どんなレッテルを張られ、一つの社会から追い出されようと、神の前に良心を責められることがなければ、堂々としていればよいのです。わかる人にはわかること、そして神は正しいことをなさるお方です。神の時を待つことです。


最初に昨日のクイズですが、フェリクスの妻、ドルシラは、誰の娘であったか、答えは②ヘロデ・アグリッパ1世でした。聖書には書かれていないので、難しかったですね。
では、今日の聖書クイズ「アグリッパ王はヘロデ・アグリッパ1世とどのような関係にありますか?」ヘロデ・アグリッパ1世の①本人、②息子、③父。どれでしょうか?
答えはまた明日!よき一日となりますように祈ります。



使徒の働き24章

2021年05月02日 06時57分19秒 | 使徒の働き
使徒の働き24章 フェリクスの裁判
1.フェリクスの裁判(24:1-21)
パウロがカイサリアに護送された後、大祭司アナニア、数人の長老、そしてテルティロという弁護士の集団がパウロを訴えるためにやってきました。テルティロは、パウロを訴えて言います。パウロは「ペストのような存在」つまり駆除されるべき疫病のような人物である、と。実際パウロは、あのナザレ派のリーダーで、ユダヤ人の間で騒動を起こし、神殿を汚そうとしたので逮捕したのだ、と言います。新改訳の注を、本文として認めるなら、テルティロは、パウロを逮捕した際に、千人隊長のリシアが割って入ったので、こうしてフェリクスの手を煩わせる結果に相成りましたと弁明しているのですね。
10節、総督のフェリクスは、パウロの言い分に耳を傾けます。パウロは答えました。まず、パウロは自分がエルサレムに来てまだわずか12日であり、群衆を騒がせ、社会秩序を乱したなど事実無根、その証拠はありません、と(11-13節)。また、パウロは、自分たちは分派と呼ばれているが、彼らの旧約聖書の信仰とさほど変わるものではない、と(14-16節)。さらに神殿を汚した事実もない、と言うのです(17-18節)。実際パウロがエルサレムにやって来た目的は別でした。彼は異邦人の間で開拓した教会から集めた多くの献金を、エルサレム教会に送り届けていたのです(1コリント16:1-4)。また彼が神殿に上ったのは、まさに彼自身についての誤った噂、つまりユダヤ人の伝統に対する敵対者というものに対処するためでした。彼はエルサレム教会の指導者たちのアドバイスに従って、一保守的なユダヤ人として律法を守っていることを示すために、ユダヤ人の習慣に沿って身を清め、さらにナジル人として誓願を立てている四人の男性のために頭を剃る費用を提供したのです(21:23-26)。このような時に、彼はユダヤ人の指導者たちに発見され、訴えられたのだ、と言うのです。最高法院での騒ぎは、復活についてのユダヤ人の教派的な対立の問題について一方の側(復活はある)に立った議論をしたので、あんなことになってしまいました、と弁明しています。
2.フェリクスの関心(24:22-27)
パウロの語ることに耳を傾けていたフェリクスは、判決を延期しました。それは、事件の事実関係を、千人隊長リシアに聞いて裏を取る必要があると考えたからでしょう。少なくともこの時点で彼は実に公正な裁判を進めています。さらに彼は「この道についてかなり詳しく知っていたので」本腰を入れて、問題を追及する気になったのかもしれません。後に彼は、妻のドルシラを連れて再びパウロを呼び出し、イエスを信じる信仰についての話を聞きました。しかし、パウロが「正義と節制とやがて来るべきさばき」について語るのを聞くと、恐ろしくなってそれ以上のことを聞こうとしなかったようですね。確かに、聖書は神のさばきを語りますが、それで終わりではありません。聖書がより重要なこととして語るのは、神のさばきが、イエスの十字架の死によって取り去られたこと、全人類に罪の赦しが提供されていることです。フェリクスは、恐ろしさによって耳を閉ざしてしまったので、一番大事な部分を聞き逃してしまったわけですね。また、フェリクスは、実際のところ目に見えない価値よりも、お金を愛する貪欲な人間でした。彼はパウロを幾度も呼び出しましたが、それは実際には賄賂欲しさのためでした。ただそれが二年にも及んだというのであるから、フェリクスの金を貰いたい忍耐は、たいしたものです。けれども、パウロに金銀はなく、あるものは福音のみ、イエスの十字架による罪の赦しのメッセージのみであったのです。結果パウロは、牢に留置されたまま2年も時を費やしてしまいます。しかしそれは、神がフェリクスの回心を期待してパウロと共に費やされた時でもあるのでしょう。一人の人間にかける神の忍耐も相当です。では今日もよき一日となるように祈ります。

今日の聖書クイズ(中級):フェリクスの妻、ドルシラは、誰の娘であったでしょうか?①大祭司アナニア、②ヘロデ・アグリッパ1世、③ピラト
昨日のクイズの答えは、①タルソ、今日の答えはまた明日!