『農家女性の戦後史 日本農業新聞「女の階段」五十年』 姉歯暁 こぶし書房
農業専門紙『日本農業新聞』紙面に、農家女性による投稿欄「女の階段」が登場したのは1967年のことだった。それまでペンを手にすることから縁遠かった農家の女性たちが、生活の中での自らの思いをはじめて綴り、社会に向けて問題を提起しはじめた。「農家の嫁」でもあった彼女たちの投稿は、男女差別の問題、嫁姑の関係、子育てからはじまり、やがて減反や農産物輸入自由化などの農政の問題、農薬、後継者不足、農家の経済状況まで多岐に及んだ。家から外出することもままならなかった彼女たちにとって、「女の階段」は、はじめて手にした社会参加への窓であった。
農家女性の暮らしに驚く。都会の女性が核家族化でしがらみから解放されていった時期に、まだ農家女性は村の目にがんじがらめにされていたのだ。農業、家事、介護とすべてを背負い、無償労働。しかし、嫁に自由になる財産や金はない。我が子にかかるお金(衣服代や教育費)も姑からもらうおこづかいから賄わないといけない。姑に言い出せず、我が子の学用品を万引きするという話にはビックリした。
弱い立場の農家の嫁が、投稿によって過酷な暮らしに生きがいを見つけ、仲間を得、社会に目を向けるのはすごいと思った。
しかし、何よりも衝撃だったのは農政。増反、増反と言っていたのに米が余ると減反、減反。一貫性はないし、農家の方を向かずにアメリカの方ばかり見ているし。米価が高い理由を巧妙に生産者のせいだとすり替えようとする。だまされないように政治に関心を持っていないとな。
農業専門紙『日本農業新聞』紙面に、農家女性による投稿欄「女の階段」が登場したのは1967年のことだった。それまでペンを手にすることから縁遠かった農家の女性たちが、生活の中での自らの思いをはじめて綴り、社会に向けて問題を提起しはじめた。「農家の嫁」でもあった彼女たちの投稿は、男女差別の問題、嫁姑の関係、子育てからはじまり、やがて減反や農産物輸入自由化などの農政の問題、農薬、後継者不足、農家の経済状況まで多岐に及んだ。家から外出することもままならなかった彼女たちにとって、「女の階段」は、はじめて手にした社会参加への窓であった。
農家女性の暮らしに驚く。都会の女性が核家族化でしがらみから解放されていった時期に、まだ農家女性は村の目にがんじがらめにされていたのだ。農業、家事、介護とすべてを背負い、無償労働。しかし、嫁に自由になる財産や金はない。我が子にかかるお金(衣服代や教育費)も姑からもらうおこづかいから賄わないといけない。姑に言い出せず、我が子の学用品を万引きするという話にはビックリした。
弱い立場の農家の嫁が、投稿によって過酷な暮らしに生きがいを見つけ、仲間を得、社会に目を向けるのはすごいと思った。
しかし、何よりも衝撃だったのは農政。増反、増反と言っていたのに米が余ると減反、減反。一貫性はないし、農家の方を向かずにアメリカの方ばかり見ているし。米価が高い理由を巧妙に生産者のせいだとすり替えようとする。だまされないように政治に関心を持っていないとな。
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