生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

その場考学との徘徊(76)淡路島での4日間(その1)

2024年05月12日 10時13分20秒 | その場考学との徘徊
ブログ;その場考学との徘徊(76)         

題名;淡路島での4日間(その1) 場所;淡路島 月日;2024.4.7~9
テーマ;古事記と現代社会の共存
                                               
・旅の目的
桜の満開の時期に、淡路島で4日間を過ごした。目的は、3つあった。
① 古事記のおのころ島に滞在すること
② 鳴門の渦潮を船からみること
③ 今は、リゾートの島となっている現状を、少し体験すること

・往復については、
往路;無料航空券で、羽田から伊丹空港へ
 そこから、淡路島の中心の洲本バスセンター行きの高速バスで、ホテルまで直行
帰路;ホテルから新幹線の新神戸までの直通バス
 そこから、新幹線で東京へ戻る

・大日程
 第1日目;洲本の街歩き
 第2日目;レンタカーで駆け巡る
 第3日目;路線バスの旅
 第4日目;3日夜までに決める

・第1日目の詳細

 羽田からの飛行は、AirbusA350-900という大型の最新機種。下は曇りで見えないのだが、3次元画像で、どこを飛んでいるかはよく分かる。しかし、雲の上の富士山と南アルプスは、実物がよく見えた。



 伊丹空港で驚いたのは、淡路島へのバスだった。通常のリムジンバス乗り場に、そのバスは来ない。案内所で聞くと、空港ビルの外れの別のビルに停留所があるという。かなり歩いて、そこまで行くと、看板があるだけ。バス会社に連絡をすると、予約がないと、乗れないかも知れない。つまり、満員でなくても、そこから乗る人の予約がないと、通過するそうだ。
 幸い、二組が乗車したので、なんとか乗ることができた。最悪は、淡路島までレンタカーを考えた。



 車内は、結構混んでいた。夕方の通勤時間帯ならばともかく、日曜日の昼下がりでは、通常の空港リムジンでは考えられない混雑だ。

 しばらくして、原因が分かった。いくつものトンネルを抜け、明石海峡大橋を渡ると、「ニジゲンノモリ」という停留所がある。そこで、大部分の乗客が降りてしまった。
 子供ずれ、外人客など色々だ。そこは最新のテーマパークで、ドラゴンクエストや、ゴジラの実物大のアトラクションがある。「ゴジラが淡路島に上陸」との宣伝文があった。
 後にTV番組の「Youは何しに日本へ」で、アメリカ人が「ゴジラに食べられるために来た」といっていた。最近のゴジラは海外での人気が高い。
 そこから淡路島縦断は、ガラガラ。終点の「淡路バスセンター」で降りたのは我々だけだった。バスは何と「ニジゲンノモリ」のラッピングカーだった。日曜日の昼前という、とんだ時間に混んでいたのを、納得した。



 洲本バスセンター内の観光案内所は、なんでも親切に教えてくださった。島内の南北へ向かう路線バスも、時刻表が数種類あるのだが、目的地を決めれば、計画は立てやすいし、本数もかなりある。
 近くのレストランで昼食を摂り、ホテルに向かうことにした。ホテルには、別途送迎バスの時刻表があるのだが、連絡をすれば、いつでも臨時に迎えを出して貰える。これは年寄には大変ありがたい。

 チェックイン時刻には間があるので、城山に登ることにした。登山道が二つあり、山道と普通の路だという。
せっかくなので、山道を選んだ。木々の間から、時々海が見える。
 頂上らしき処は二つあって、一つは城の天守閣がある。しかし、私が登ったところは、公園で、数組が幼児を遊ばせながら花見をしていた。桜の木は大きくないのだが、記念樹に見えた。どうも、北海道のどこかと姉妹都市のようだ。


 
 この疑問は、すぐに分かったのだが、先ずは、下におりてホテルにチェックインをした。部屋は、一人なのだが、ツインになっている。淡路島は、土地が広い。



後で知ったのだが、どうやら特別フロアーだったようで、エレベータ横にラウンジがあり、飲み物と新聞が置いてある。
 翌朝の朝刊は、5時からの朝風呂の後には、もう4紙置いてあった。東京の我が家よりは、早いのでびっくりだ。

ホテルを出て、街歩きを始めた。最初は、ホテルの前の松林。海風に晒されるので、独特の曲がった幹が面白い。



 すぐに、「国指定名勝 旧益習館庭園」という処に出た。観光案内所で、今日は特別公開をしているので、見に行かれたら、とおすすめのあったところだ。
 閉園5分前だったが、ゆっくりと回遊をさせていただいた。

大きな岩がほどよく配置されていた。




 江戸時代の後期に、淡路島は蜂須賀家の領地だったが、実質は城代家老の稲田氏が治めていた。
明治維新時に、蜂須賀家は将軍家と結び、稲田氏は朝廷と縁があった。そのために事変が起こり、結局両家は罰を受けたのだが、稲田氏は、明治政府から北海道の静内に移住して開拓をするとの命令が下された。先ほどの山頂の記念樹の意味が、ここでようやく分かった。
 この庭園の横には、小さな桜並木があり、奥には、山頂に向かう別の登山道の階段が見えた。



 住宅街の路地をジグザグに進むと、10分ほどで街に出る。「洲本レトロ小道」との名前が付けられた路地があり、のぞいてみた。残念ながら日曜日はどこも閉店。わずかに、「淡路島でのドラマの撮影スポット」なるパネルの展示列があり、それを楽しむくらいだった。  




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