生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

メタエンジニアリングで考える日本文化の文明化(10) その4

2015年07月13日 08時23分22秒 | メタエンジニアリングと文化の文明化
第6話 メタエンジニアリングによる文化の文明化のプロセスの確立(その4)

1990年代の文化と文明に関する著書

1990年代に発行された文化と文明に関する参考著書を5件列挙します。

いよいよ世紀末の直前となり、文明・文化論と持続性社会論が統合して考えられる次元にはいった。MECIサイクルのConvergingの段階になったと言うことができる。
具体的には、世界中の様々な文化を公平な目で比較するための「文化の内容の細分化」が進み、日本の文化に対するより踏み込んだ解析が進められた。
その中では、「日本文化は普遍性を欠いている」と断言したものもある。潜在する課題のMiningに再び戻ったことになる。しかし、その日本文化の歴史を辿れば、「なぜ極東の小国・日本のみが西洋文明輸入の先がけ、独り近代化し、植民地にならずにすんだのか」とか「日本が西洋とも東洋の他の国とも全く違った独自の文明を持つ証拠」などの文脈に至る。これらからの結論と持続性社会論との融合は、「自然共生型文明(Ecologically Sound Civilization)の復権」ということになり、日本の文化が次の文明への基になるのでは、といった期待感が膨らんでゆくことになる。


1.山口 修「比較文化論―異文化の理解」世界思想社(1995) KMB075



・人々のつくる集団的な活動が、その社会特有な生活のかたちを生み出してゆくことになるのだが、こうしたもの全体を称して文化といっている。

・本来文化には優劣の区別は一切ない。

・第2次世界大戦後になって旧植民地が独立し、西欧以外のいわゆる第3世界が形成されるようになると、当然のことながら新たに自覚するようになった自分たちの国や民族をもとにして自己の文化を主張するようになった。こうした過程を経て、ようやく文化は比較されるものとなり、西欧文化以外のさまざまな文化を、それぞれが独自の価値をもつものとして公平に眺める目ができたのである。

・「文化項目分類」
文化の項目的理解は、伝播主義的研究の進展と関連して発達した。文化の構成内容をより正確に捉えてゆこうとすると、文化の内容をどのように細分化できるかという問題に突きあたる。その問題を最初に取り上げたのは、アメリカのC.ウイスラーで、かれは普遍的文化パターンとして、次の九項目を挙げている。言語、物質文化、芸術、神話と科学知識、宗教、家族と社会組織、財産、政治、戦争の九項目である(1923)。


2.梅棹忠生「日本文化の表情」講談社(1993) KMB357



・どうして日本人は「日本人とは何か」というテーマに熱中するのか。
一つには、日本文化の官能性ということである。その現場で、その素材にふれたとき、はじめてその意味が分かるーそういう例が多い。ということは、逆にいえば、普遍性をこの文化は欠いているということだ。刺身のうまさはやはり江戸前でないとわからない、といったことである。
 ところで、今日のように世界の交通が激しくなると、日本文化はこうこうですと、普遍的な意味を抽象して説かねばならない。こうした不安のうえにたった熱狂が「日本人とは何か、日本文化とは何か」というあきず繰り返される設問である。

・日本文化には現場の素材に密着して感じとられるものが多い。


3.中村雄二郎「日本文化における悪と罪」新潮社(1998)KMB212



・ルース・ベネディクト「菊と刀―日本文化の型」1946の要点の列挙
 ① 西欧的な「罪の文化」と区別されるものに日本の「恥の文化があり、後者のなによりの特色は、各人が自分の行動に対する世間の目をつよく意識していることである。
 ② 「罪の文化」の基礎が罪責性であるのに対して、「恥の文化」は羞恥心が道徳の原動力をなし、恥の基本は誰でも知っている善行の明白な道標に従えず、バランス感覚を欠くことである。
 ③ 「恥の文化」の最高の徳目は「恥を知ること」にあり、恥を知る人こそ徳の高い人であって、それは西洋倫理における「良心の潔白」に匹敵している。


4.清水馨八郎「日本文明の真価」祥伝社(1999)KMB072



・本書では、文化と文明をほとんど同じ意味で使っている。文化は各民族の暮らしの立て方、生き方の総体である。これが救心性を得て、地域を超えて他に影響を与えたり、国々の文化を対比するときには、文明として扱うことにしている。
なぜ極東の小国・日本のみが西洋文明輸入の先がけ、独り近代化し、植民地にならずにすんだのか。当時の西欧の植民地帝国主義の時代に、有色人種の中で独り独立を保持、できたのはなぜか。これらの事実こそ日本が西洋とも東洋の他の国とも全く違った独自の文明を持つ証拠でなくしてなんであろうか。


・日本人vs欧米人
食;  草食文化vs肉食文化
生産; 和服(植物から)vs洋服(動物の毛・皮)
住居; 木、紙の家vs石、煉瓦の家
自然観;自然と調和vs自然を征服
労働; 「手」の文化、勤勉vs「足」の文化、労働忌避、奴隷使役
宗教; 多神教(寛容)vs一神教(排他、独善)

・日本語には、「手」のつく言葉が千以上


5.内藤正明「持続可能な社会システム 10」岩波書店(1998) KMB078



・現状をもたらした歴史的背景
 今後の持続的社会の一つの方向として、自然共生型文明(Ecologically Sound Civilization)の復権を唱える主義に注目するならば、このような歴史的視点から歴史を振り返る必要になってくる。そして、二つの文明のタイプが主としてその発生地の自然環境条件や地球の気候変動との関係で形成され、その後の世界史の変遷過程で、自然共生型の文明が都市型の文明に次第に呑み込まれていったという歴史の経緯を認識しておくことは、「自然共生」の意味と再生可能性を考えるためにも必要であろう。


メタエンジニアリングで考える日本文化の文明化(8) 第6話(その2)

2015年07月11日 08時27分29秒 | メタエンジニアリングと文化の文明化
第6話 メタエンジニアリングによる文化の文明化のプロセスの確立(その2)

1970年代の文化と文明に関する著書

1970年代に発行された文化と文明に関する参考著書を6件列挙します。
20世紀文明の発達と、それをつくりだした科学と技術(エンジニアリング)の加速度についての幅広くかつ公正な見方がひろがり、その背景を探る議論が沸き起こった。そして、反面これで良いのだろうかとと云った疑問も出始めた期間だった。それが、有名な「成長の限界」に繋がってゆく。
また、文化と文明の観点から、それ以前とは異なり、異国の文化に対する研究も公平な視点から行われるようになり、その中で、日本人の考え方と文化についての考察も深まっていった。

1.伊藤俊太郎「文明における科学」勁草書房 (1976)KMB048
彼は、「知のエートス」について、次のように述べている。



・科学の制度化やその専門職業化はどのように進行したか、科学的活動の中心がどの用に移動したか、-などを問題としてとりあげ、科学知識の内容そのものに関わる科学社会学的考察は断念され、・・・

・如何なる文化圏にも、その文化活動を支える基本的な「価値志向」というものがあり、これが他の文化的営為と同様に、科学的営為にも色濃く影響を与えているのだと思う。そしてこれをこそ先ず捉えてゆかなければならない。そこでこの知的営為に関わる「価値志向」をウエーバーの「経済倫理」(Wirtschaftsethik)になぞらえて、「知のエートス」(Wissensethons)となづけておきたい。

このような前置きの後で、古代のギリシャ、インド、中国の普遍的な思想を次のように網羅し、さらに知のエートスを表で表している。

求められる対象 知的営為の目的 世界に対する態度 方法
ギリシャ イデア 観照的認識 世界直視 理論的
インド 涅槃 宗教的解脱 世界超脱 思弁的
中国 道 倫理的実践 世界適合 直感的

この様にやや大胆に整理した後に、「知のエートス」については、次の表に纏めている。

知のエートス 科学の担い手 科学の支持者
ギリシャ meta-physics 哲学者 市民
インド meta-religiosa バラモン バラモン層
中国 meta-ethica 士大夫 為政者
アラビア meta-magica ハーキム 王侯

2.ノベルト・エリアス「文明化の過程」法政大学出版局(1997) KMB079



・科学・技術上の進歩の経験のみでは、進歩の理想化、人間状況のいっそうの改善に対する革新の契機となりえないことは、20世紀において明確に証明されている。今世紀における科学・技術上の実際上の規模と速度は、過去の数世紀における進歩の規模や速度を遥かに凌駕している。20世紀の一般住民の生活水準も、最初の工業化の波を受けた国々では、過去の数世紀に比して高い。健康状態は改善され、寿命は伸びた。しかし、「時代の大合唱」の中では、進歩を価値のあるものとして肯定し、人間状況の改善に社会的理想の核心を認め、確信をもって人類のより良き未来を信じる人の声は、過去数世紀に比して、著しく弱まっている。他方、これらすべての発展の価値を疑い、人類のより良き未来、もしくは自国の未来に対してさえ特別な期待も抱かず、かれらの主要な社会的信念がもっぱら眼前のこと、自国の保全・現存社会体制・過去・伝統・因習的秩序を最高の価値として、それらに集中しているような人々の声が20世紀において高まり、漸次優位を占めつつある。

・「文明化」と「文化」という対立概念の発展の過程について


3.ベン・ダヴィッド(1971)の邦訳本「社会における科学者の役割」「科学の社会学」潮木守一、天野郁夫訳、至誠堂(1974)

・この書物は近時の科学社会学の主要な動向を代表する好著と言ってよいが、この中で著者は科学社会学の方法として、(a)科学と社会制度の関係を論ずる制度論的アプローチと、(b)科学者相互の社会的関係を問題とする関係論的アプローチを区別し、さらに他方において、(a’)その社会的条件の影響が、専ら科学者の行動や科学活動だけに及ぶと考えるか、それとも(b’)さらに科学者自身の中味にまで、つまりその基礎概念や科学理論の内容にまで影響を与えるとするかという二つの立場を区別する。


4.角田忠信「日本人の脳」大修館書店 (1978)



・日本では認識過程をロゴスとパトスに分けるという考え方は、西欧文化に接するまでは遂に生じなかったし、また現在に至っても哲学・論理学は日本人一般には定着していないように思う。日本人にみられる脳の受容機構の特質は、日本人及び日本文化にみられる自然性、情緒性、論理のあいまいさ、また人間関係においてしばし義理人情が論理に優先することなどの特徴と合致する。西欧人は日本人に較べて論理的であり、感性よりも論理を重んじる態度や自然と対決する姿勢は脳の需要機構のパターンによって説明できそうである。西欧語パターンでは感性を含めて自然全般を対象とした科学的態度が生まれようが、日本語パターンからは人間や自然を対象とした学問は育ち難く、ものを扱う科学としての物理学・工学により大きな関心が向けられる傾向が生じるのではないだろうか?明治以来の日本の急速な近代化や戦後の物理・工学における輝かしい貢献に比べて、人間を対象とした科学が育ちにくい背景にはこの様な日本人の精神構造が大きく影響しているように思える。 (P85)

・左脳ばかりを使って論理のみをいじくりまわしていると、どうしても模倣になってしまい勝ちで、やはり何か新しいものを生みだすのは右の脳も使ってやらないといけない。(中略)それには西洋音楽を聴くことですよ。邦楽では語りが中心だし、自然に密着していますから、やはり充分な効果はない。全く異質という意味で、西洋楽器の音はよい刺激になります。 (副題「右の脳を活用しよう」(P22)

・西洋文明の危機が叫ばれているが、それは西洋人の窓枠を通しては、新しい時代に即した想像が生まれ得ない苦悩の表明ではあるまいか。数ある文明国の中で、異質の、しかもまだ充分に創造性の発揮されていない文化の枠組みを持つのは、実は日本以外にはないのである。
しかし、このことを日本と西洋の優劣というような価値観に結び付けて必要以上に劣等感に悩まされたり、逆に自信を持ちすぎることもない。必要なのはこの違いを如何に活かすかということである。著者は日本人が、日本人の窓枠の異質性にめざめて、借りものでない自分の頭で考え抜くときにはじめて日本人の独創性が発揮され、その所産は世界の文化に貢献できる可能性のあることを信じたい。 (P378)


5.芳賀綏「日本人の表現心理」中公叢書 (1979)



人文科学や社会科学を追求する上でも、「語らぬ」「わからせぬ」「いたわる」「ひかえる」「修める」「ささやかな」「流れる」「まかせる」というのが日本人のコミュニケーションの特徴であり、これに対する知見も持つことが大切であるなどと述べられている。


6.D.C.バーンランド「日本人の表現構造」サイマル出版会(1973)



人間の人格構造について、「未知なる自己」(U)、「私的自己」、「公的自己」という3重の同心円モデルを提唱し、それによって個人レベルの異文化コミュニケーションの摩擦のメカニズムを説明している。そして実験によって、日本人は比較的「私的自己」が厚く「公的自己」が薄く、逆にアメリカ人は比較的「私的自己」が薄く「公的自己」が厚い。そのためアメリカ人にとって快適な心的距離のコミュニケーションを行うと、日本人は自分の「公的自己」を突き破って「私的自己」の内までアメリカ人の自己が入ってくることになり、不愉快なコミュニケーションと感じるなどと説明されている。

次回の(その3)では、1980年代の8冊を紹介しようと思います。

メタエンジニアリングで考える日本文化の文明化(9) 第6話(その3)

2015年07月11日 08時03分13秒 | メタエンジニアリングと文化の文明化
第6話 メタエンジニアリングによる文化の文明化のプロセスの確立(その3)1980年代の文化と文明に関する著書

1980年代に発行された文化と文明に関する参考著書を8件列挙します。

この期間では、文明と文化の具体的な関係の解明、文明の成長と衰退のサイクルの特定、独特の文化や文明が育った原因などが、更に徹底的に研究されました。そして、人類の歴史以来800年サイクルで文明が入れ替わり、西暦2000年がその節目であることまで指摘されてしまった。
21世紀が文明の転換期であることが、一般論としての基礎を築きはじめた年代と云えるのではないでしょうか。

1.司馬遼太郎 「歴史の世界から」中央公論社1980 (KMB215)



・「競争原理を持ち込むな」
儒教と云うものは、社会体制そのものであり、生活規範であり、極端にいえば人間を飼いならす原理であり、システムであるのでしょう。日本人は律令時代といえども、儒教とそれにともなう官僚制度とを、滑稽なほどの粗雑さで取り入れただけで、本当の儒教というものは、僕らが考えているものとは随分と違うんですね。
 世界中のたいていの民族は・・・

・「織田軍団か武田軍団か」
絶対原理を一つ持っていて、その絶対原理で人間を作り変えてしまう。そうでなければ人間は猛獣で手に負えない動物だと思っているらしい。中国では儒教でもって人間を飼いならしているし、ヨーロッパではキリスト教でそうしている。回教圏もむろんそのことは強烈に行われてきた。

・儒教体制のもとでは汚職が付きものです。一人の大官の足元には何十人という親類縁者がカキ殻の如くにくっついて利益を得ようとしています。大官はそれを拒否することはできないし、今日することはむしろ主義ではない。ところが、困ったことに資本主義というものは官吏が清潔でなければならない。

・これまで二千年間、儒教という原理で社会的存在としての人間の猛獣性、つまり無用の競争性の毒牙を抜いてきたものを、今度は短期間で新しい原理でやらなきゃならない。二千年間読んできた「論語」という孔子語録を「毛沢東語録」に切り替えるためには、八億が一見集団発狂したような勢いで繰り返し高唱してゆくという時期が要る。
⇒知識人のグループは儒教を捨てきれない。
⇒集団ヒステリー現象を作り出して、叩き出した。

2.司馬遼太郎「アメリカ素描」読売新聞社(1986)



・ここで、定義を設けておきたい。文明は「たれもが参加できる普遍的なものも・合理的なもの・機能的なもの」をさすのに対し、文化はむしろ不合理なものであり、特定の集団(たとえば民族)においてのみ通用する特殊なもので、他に及ぼしがたい。つまり普遍的でない。



3.伊東俊太郎「東京大学公開講座33、人間と文明」東京大学出版会 (1981)KMB048




・文化と文明の言葉の由来
日本において“文明”を最初に論じた書物は福沢諭吉の「文明論之概略」(明治8年 1875 年)といってよい。ここで福沢が“文明”という言葉をどのような意味で用いたかというと、それは英語の「シヴィリゼイション」(civilization)の訳であるとことわり、「文明とは人の身の安楽にして心を高尚にするを云うなり、衣食を豊かにして人品を貫くするを云うなり」といい、「又この人の安楽と品位とを得せしめるものは人の知得なるが故に、文明とは結局、人の知得の進歩と云て可なり」としている。

・文化・文明の五つの段階
  人類がこれまで経験してきた巨大な文明史的転換期とは次の五つである。
  ①人類革命、②農業革命、③都市革命、④精神革命、⑤科学革命
  そして現在は、五番目の「科学革命」がひとつの袋小路に入って新しい文明の形態が模索されている六番目の大きな転換期だろうと思う。

・「文明」と「反文明」、「反文明」のフロンティア(初期と現代のアメリカ)


4.有賀喜左衛門著「文明・文化・文学」お茶の水書房(1980)KMB048



・外国文明と日本文化、文明と文化の意味
私が文化と考えているものは特定の民族が示している個性的な生活全体を意味しているのであります。これは通例いわれているように政治や経済、社会を除外したものではないと重ねていっておきます。だから特定の民族の歴史的、社会的、心理的、情緒的特質が認められるのであります。
(中略。この間に、資本主義や共産主義が国によって異なった形態で存在することを例証として挙げている。)単純に言えば、特定の民族の文化は、他の民族に伝播させることができるのでありますが、伝播させることのできる文化は特定の民族から抽出することのできる側面であり、普遍化することのできる要素に限られているのであって、この民族の生活全体として他の民族に移し植えることはできないのであります。

・文化という言葉も文明という言葉も日本においては元来翻訳語あら生じた言葉でありますから、日本の英和辞典をみても。cultureとcivilizationの双方に文化とも文明ともあって、この意味を区別しがたいのでありますが、私は、cultureに文化という日本語を、civilizationに文明という日本語をあてたいと思います。

・外国文明の受け入れは通例諸民族から多面的におこなわれるのであります。例えば、明治の初期に日本が受け入れた西欧文明を見ても、民法はフランス、憲法はドイツ、資本主義はイギリス、フランス、民権運動はフランス、文学は初めイギリス、造船は初めフランス等々というような選択がありました。


5.高坂正堯「文明が衰亡するとき」新潮新書(1981)



・巨大なものの崩壊
 経済的な要因にローマの衰亡の原因を求める説は多い。それは20世紀における支配的な説と言ってよいだろう。その中でも、紀元2世紀以降のローマ経済の停滞と穏やかだが着実な委縮を重視するものもあるし、5世紀における急激な崩壊を強調するものもある。
 奴隷が新しく入ってくることも少なくなった
 消費水準は高まった
 国家は福祉政策をとるようになる
 富の少数者への集中が進んだ

・変化に対応する能力
 プラトンの指摘したことはやはり正しいのではないだろうか。通商国家は異質の文明と広範な交際をもち、さまざまな行動原則を巧みに使いわけ、それらをかろうじて調和させて生きている。しかし、そうすることは当時者たちに、自信もしくは自己同一性(アイデンティティー)を弱めさせる働きをもつ。自分を大切にするものが何であり、自分が何であるか徐々に怪しくなる。すなわち、道徳的混乱がおこる。

・ヴェネチアの衰退を説明したストーリーが興味を引く。
海洋国家であり、かつ通商国家であり独特の文化も栄えたヴェネチアは少し以前の日本と似通った面が多くある。衰退の過程は次のように記されている。

① 所有するガレー船の数が減少し始める。これは、建造費が急激に上昇してしまったためである。
② 船価の上昇は、ヨーロッパ全体の繁栄が進んできたことによる木材(特に堅い材質の高級材)価格の急上昇による。
③ 海洋貿易の成功神話の弊害の露出。
歴史では、大航海時代の幕開けはオランダによるアフリカ周りの航路の開発が定説だが、実際にはその直前にヴェネチア自身がこの機会を拒否したとある。

・オランダ人がアフリカ周りの航路で大きな収益を上げ、ヴェネチア人から香料貿易を取り上げる少し前の1585年、スペインとポルトガルを統治していたフィリップ2世は、リスボンとアントワープでの香料貿易の独占権をヴェネチアに提供しようとしたのである。
   この提案は、自分たちが行って余り収益が上がらなかったため、海運の上で名声が高かったヴェネチアに事業を委任しようという考慮に依るものであろう。また、スペイン、ポルトガルは当時すでに財政難に悩んでいたので、権利を売って手堅い収入を得たかったのかもしれない。しかし、ヴェネチアは結局この申し出を受けなかった。そこにも、既にある方向で成功しているものが新しい冒険に乗り出すことの難しさを見ることができる。新しい事業はつねにリスクを伴う。また、それよりは全体的な体質変化に通ずることが多い。既成勢力は反対する。
しかし、なんといってもヴェネチアの文化の国際的貢献の最大のものはパドヴァ大学である。その基本精神は多元主義と自由であった。それはパドヴァ大学が競争講義という制度を持っていたと云う事実に端的に現れている。同一の主題について二人の教授が任命され、同じ時間に講義することを要求された。学説が競争にさらされ、教条とはなり難かったことは明白である。
(中略)
残念ながら、十七世紀に入るころから、ヴェネチア人はそうした強さが失われていったように思われる。それは有名なガリレオ・ガリレイの地動説に対してパドヴァ大学の同僚たちがとった態度に良く現れている。ガリレオはフィレンツエの生まれであったのだが、1592年にパドヴァ大学の教授に任命され、知的活動のひとつの中心となった。地動説の主張に至る彼の業績は、自由で合理主義的なパドヴァ大学の雰囲気なしにはありえなかったであろう。しかし、彼が望遠鏡によって木星の衛星などを発見し、やがて地球は動いているという説を持つにいたったとき、パドヴァ大学の他の教授たちはその説を否定したいという気持ちに動かされた。ガリレオは1610年にパドヴァ大学を去る。


6.司馬遼太郎「韃靼疾風録」中央公論(1987) 「あとがきにかえて」より、



 文明というのは、それをどの民族にも押しひろげうるというシステムであるらしい。文化のようにこみ入ってはいない。また他からみれば理解しがたいほどに神秘的なものでもなく、文明は大きな投網のように大ざっぱなものである。儒教の場合も、服装を正しくして、長幼の序を重んじ、両親に孝であればそれだけでよい。大ざっぱであればこそ、諸文化の上を越えてひろびろとゆきわたることができ、そういう普遍的な機能をもって文明というのである。それだけのもので、それ以上のものではない。ところが、文明が爛熟すれば文明ボケして、人間が単純になってしまうらしい。文明人というのは「文明」という目の粗い大きな物差しをいつも持っていて、他民族の文化を計ろうとする。くりかえしいうが、文化は必ず特異で他に及ぼせば不合理なものであり、普遍性はない。ないからこそ、文化なのである。それを文明の尺度で計ろうとするのは、体重計で身長を計ろうとするのに似ている。


7.村山 節「文明の研究」-歴史の法則と未来予測」光村推古書院(1984) KMB211



・本の帯に記された書評より、
長大周期のバイオ・サイクルの実在;人間の持つ大きな生命力は自然の力を活用して、壮大な文明を培ってきた。いま、この驚くべき巨大な法則の中に、六千年の諸文明の営みが見事に包括され説明されている。宇宙的リズムに連動するバイオ・サイクルは、人類がこの地上で美しく雄大に一定の周期で悠久に進化して、すばらしい社会をつくれることを意味している。この新しい発見は道の文明の創造を暗示しながら、21世紀以後の文明の方向を示しているように見える。

・文明も春夏秋冬、四季のサイクルを持っているんです。(1サイクル800年、四季のリズムで1600年)壮大なロマンにふれてみてください!

<<第一文明サイクル>>
●西の文明  原始エジプト文明 BC3600~2800  
    人類の建築土木技術の発達、エジプト古王国のピラミッド
    ナイル川の潅漑工事、外国人侵入 エジプト衰微
 [裏 原始シュメ-ル]   

<<第二文明サイクル>>    
●西の文明  エジプトおよびエーゲ文明 BC2000~1200
     衣服・食生活の向上、夏 クレタ文明興隆(エーゲ文明開花)
      秋ミケーネ文明・エジプト新王国、エーゲ文明                  [裏 アジア未開時代 東洋の冬と春]

<<第三文明サイクル>>
●西の文明 ギリシャ・ローマ大帝国文明 BC400~AD400  
     キリスト教の発展 科学技術発展、パックスロマーナ
     ギリシャを中心に芸術・哲学・科学が花開

<<第四文明サイクル>>
●西の文明 ヨーロッパ文明 AD1200~2000       !
   物質文明・機械文明 生産力拡大         



そして現在は、只今激変期
 新たなる民族大移動発生か、民族大移動でドイツは心配、バブル崩壊・アメリカが痛手、金融大国日本も狂乱の中で踊っている、イスラム教の台頭と云う訳だ。
また、現在の文明サイクルはこれまで3サイクルを経て西東・西東・西東・西(東) 4サイクルの前半を終えようとしている。すなわち5600年の 西と東の文明の興亡交替の歴史を持っている。


8.並木信義「現代の超克」ダイヤモンド社(1987)KMB382



・間もなく歴史は二十一世紀を迎える。おそらく二十一世紀から二十二世紀へかけての世界は、十六世紀以降の一連の流れが最高潮に達し、新たな時代への脱皮を遂げる画期となるであろう。われわれにその転換方向が見定められるであろうか。

・われわれにとって、経済は回転軸にすぎず、問題は、感性であり、思想であり、哲学であり、宗教であり、社会諸制度である。

・欧米に経済の面ではキャッチアップを終えたわれわれの次の課題は、文化、社会、科学技術、諸制度の面で、先進国の現状を超克し、東西南北各地域を対象にして、世界全体に普遍的に妥当する文明の原理を発見することでなければならない。

・現代はまた、人間社会を律する二つの哲学、つまり、共同体協調の制度学派的見方と、個人主義的合理性追求の私的自由主義的見方のうち、著しく後者に比重が傾いている時代である。人間社会にはこの両者の適当なバランスの維持が重要である。現在のように、私的合理性追求社会は、経済的投機旺盛程度にとどまらず、家庭生活に及ぶまで浅薄な経済理論的割り切りが行われるに至る。(中略)人間社会は、1990年代に入ると、おそらく前者の方向への転換が見られ始めるであろう。家族、経営、国家、国際社会のすべてにおいて、現在のあり方は一方の極にある。目に見えぬ動きながら、穏やかに、確実に、歴史は他の方向に転進しつつある。そして転進の未来にほのかに見えるのは、人類の現代史の第3期せある。この方向こそが、現代日本の超克、そして現代世界の超克を可能にするであろう。

次回の(その4)では、1990年代に発行された5冊を紹介します。

メタエンジニアリングで考える日本文化の文明化(7) 第6話 (その1)

2015年07月09日 08時15分08秒 | メタエンジニアリングと文化の文明化
第6話 メタエンジニアリングによる文化の文明化のプロセスの確立(その1)font>


日本工学アカデミーにおける根本的エンジニアリングの研究は、そもそもは技術立国に伴うイノベーションの推進にその目的があったのですが、メタエンジニアリングと云う方向で視野を広げてゆくと、更に大きなイノベーションとしての新たな文明つくりに挑戦する、というテーマに行きつきます。
21世紀初頭の社会は20世紀に端を発した多くのイノベーションで溢れています。自動車、航空機、インターネットなどが代表ですが、これらは全てハイデッガーが述べたようにエンジニアリングの賜です。むしろ、溢れすぎていて多くの弊害が生まれてしまいました。そこで、持続性社会への方向転換が必要になったわけですが、文明とか文化のレベルで見ますと、20世紀後半からは、しきりに現代西欧科学技術文明の行き詰まり論が叫ばれています。

文明が健全な方向に育って行くのは、「優れた文化の場」です。文化は文明よりも長く続くものと考えるのが一般的ですが、ローカルであり不合理性を含んでいます。一方で文明はトインビーや司馬遼太郎等が述べたように、発生・成長と衰退がありますが、普遍性と合理性を備えたものです。

メタエンジニアリングのMECIサイクルは、持続的なイノベーションを創生するための一つの方法論なのですが、その応用として、「最高のイノベーションは優れた文化の文明化」と云う命題を掲げてみました。そして、従来の比較文明論をエンジニアリング的に前進させて、「文化の文明化へのプロセスの確立」についての研究を始めたいと思います。

なぜメタエンジニアリングを用いるかというと、エンジニアリングには次の機能があるからです。
① 様々な科学に基づく技術を用いて、人間社会に役立つものを新たにつくりだす
② 不合理性を取り除き、合理的なものを創造する
③ 新たなスキームの実現の為の具体的なプロセスを設計し、それを実行する手段を見つける

もう一つの理由は、現在のイノベーション重視の風潮に流されて、大衆受けを唯一の目的として新製品を設計している現在のエンジニアリングに対する危惧です。便利・簡単・安価、あるいは刺激的などのキーワードで開発されたものは、将来の文明に正の価値を与えられるでしょうか。40年間のエンジニアとしての経験から、どこまで文化や文明に踏み込めるかのチャレンジでもあります。
まったくの、大それた研究テーマなのですが、半老人には良い脳トレになることを期待しています。

 そこで、手始めとして20世紀から今までに発行された文明と文化に関する書籍を検討してみることにします。10年単位で纏めてみますと、21世紀が文明の交代期であることが見えてきます。

参考文献の数(今後、多少の増減あり)
1960年より前;  3
1960年代の文献; 2
1970年代の文献; 6
1980年代の文献; 8
1990年代の文献; 5
2000年代の文献;13
2010年代の文献;12


1945年までに発行された文化と文明に関する著書と、そこからの引用

 第1次世界大戦を経て、世界の主要大国では、ほかの国の文化に注目する流れができましたが、それはあくまでも後進の文明に対する興味本位のものでした。日本は、注目された国のひとつですが、松山の坂の上の雲ミュージアムの最上階にある当時の英米の新聞記事や、アインシュタインが日本を訪問なしたときに書かれた記事を見ると、同じような目で見られていたことが明白になります。しかし、当のアインシュタイン博士の見方は、違っていました。


1.アインシュタイン「日本を去るにあたって述べたメッセージ」(1923)(清水馨八郎「日本文明の真価」祥伝社(1999)「アインシュタインの予言」からの引用)


 近代日本の発展ほど世界を驚かせたものはない。一系の天皇を戴いていることが今日の日本をあらしめたのである。私はこのような尊い国が世界に一か所ぐらいなくてはならないと考えていた。世界の未来は進むだけ進み、その間幾度か争いは繰り返されて、最後の戦いに疲れるときが来る。その時人類は、まことの平和を求めて、世界的な盟主をあげなければならない。この世界の盟主成るものは、武力や金力ではなく、あらゆる国の歴史を抜きこえた最も古くてまた尊い家柄でなくてはならぬ。世界の文化はアジアに始まって、アジアに帰る。それにはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない。我々は神に感謝する。我々に日本と云う尊い国をつくっておいてくれたことを。


2.金子 務「アインシュタイン・ショック、第1部 大正日本を騒がせた四十三日間」
河出書房新社(1981)1922.11.17~12.29のアインシュタインの日記



・訪日当時アインシュタインが日記をつけていたことは間違いなかった。(中略)この現物のマイクロコピーがプリンストン大学のアーカイヴに保管され、しかるべき研究者には見せる用意がある、私もしくは代理人にそこで読んではどうか、と教えてくれた。

・博士は車内備え付けの机に向かって原稿の訂正を始め、いつの間にやら姿が見えなくなっていた。こうして書き上げたのが、「日本における私の印象」と題された日本感想記である。

・個人がそれぞれ感情表現を抑圧するという躾は、ある内的な貧しさ、自分自身の抑圧を生じるだろうか?私はそうは信じない。かような伝統の発達は、確かにこの国民に固有な繊細な感じや、ヨーロッパ人よりもずっと勝っていると思われる同情心の働きによって容易にされた。・・・どれほどしばしば日本人は荒々しいことばをあえて使い得ないことで、それを謙虚にまた不正直であると解されていることであろう。

・私がここで「芸術」というのは、美的な意図あるいは副次的意図をもって、人間の手で永続するもの、を目指して制作しているものを指している。この点で私は瞠目と驚嘆の念から逃れることができない。自然と人間とは一体様式以外の何物をも生まないほどに一つに結ばれている。実際にこの国に由来するすべてのものは、愛らしく、晴れやかであり、抽象的でも形而上学的でもなく、常に自然によって与えられたものとかなり密接に結びついている。

・すべてが日本人には形および色彩における体験であって、自然に忠実である。しかし常に形式化が先行する限りにおいて、自然から遠ざかる。明晰性と単純な線とを何よりも愛好する。絵画は強く全体として感得せられている。

・なお私の心にある一つのことがひっかかっている。確かに日本人は、西洋の精神的所産に驚嘆し、成果と大いなる理想とをもって学問に沈潜している。しかしながらその場合にも、西洋よりも優れて持っている大いなる宝、すなわち生活の芸術的造形、個人的欲求の質朴さと寡欲さ、および日本的精神の純粋さと静溢さを純粋に保たれんことを。
 
・予が、1か月に余る日本滞在中、特に感じた点は、地球上にも、また日本国民の如くに爾く謙虚にして且つ篤実の国民が存在していたことを自覚したことである。世界各地を歴訪して、手にとってまったく斯くの如き純真な心持の好い国民に出会ったことはない。(中略)故に予はこの点については、日本国民がむしろ欧州に感染しないことを希望する。

                  
1960年までに発行された戦後の文化と文明に関する著書と、そこからの引用

第2次世界大戦が終了すると、従来の西欧の植民地が徐々に独立を始めた。それと呼応するかのように、世界のあらゆる民族の文化や文明の研究が進んだ。しかし、まだ研究の対象は未開文明を中心とする文化人類学的なものが多く、広範な文明論には至っていなかったように思われます。

1.掘 嘉望「文化人類学」法律文化社(1954) KMB091



・人類学が、我が国の大学で講義科目として広く採用されるようになったのは、ようやく戦後のことである。そして、人類学の体系的な叙述が、ハースコウィツやギリンなどのより新しい規模で提起されたのも、また、その頃であった。

・大学で哲学の研究を出発とした自分が、実証科学としての人類学の著を世に送るにいたった曲折を省みて、感概深いものがある。

・近世のヒューマニズム思想が、開けゆく人間と世界の知見を実質的背景として形成された事実は、人類学の全体的理解にとって基本的な方向を示すものであろう。


1960年代に発行された戦後の文化と文明に関する著書と、そこからの引用

1960年代に発行された文化と文明に関する著書の代表例を示す。この頃から、文明について時間的・空間的に包括的に研究を深めようという潮流が生まれ、それを受けて日本国内でも文明論が一般的にも語られるようになった。

1.A.トインビー「歴史の研究」経済往来社(1969)strong>元本は、1934~1972にわたって順次発行された4000頁の大著。



トインビーは、1925年にロンドン大学の教授を辞して、王立国際問題研究所(チャダムハウス)の研究部長に迎えられた。そして、年1回発行される「国際問題大観」の編集の傍らこの著書を執筆した。(吉沢五郎「トインビー 、 人と思想」清水書院1982 より)

・日本文明は、西洋物質文明に感化されて衰退に向かっている。

・第2編 文明の発生
第3編 文明の成長 第13章 問題の性質
第4編 文明の衰退
第5編 文明の解体

・文明の衰退の問題は、成長の問題よりも明白である。(中略)二十八のうち、十八までがすでに死滅し、埋葬されてしまったことがわかる。今日生き残っている十の社会は、わが西欧社会、近東地方における正教キリスト教社会本体、ロシアにおけるその分派、イスラム社会、ヒンズー社会、シナにおける極東社会全体、日本におけるその分派、それにポリネシア人、エスキモー、遊牧民の三つの発育停止文明である。この十の現存社会をさらにくわしく観察すると、ポリネシア人と遊牧民の社会は今や臨終の状態にあり、他の八つの社会のうち七つは、程度の差はあってもすべて、八番目の社会、すなわちわが西欧文明のために、絶滅するか、さもなければ吸収されるかの脅威にさらされていることが判明する。
 
・文明の衰退の性質は、少数者の創造的能力の喪失、それに呼応する多数者の側におけるミメシスの撤回、その結果生じる社会全体の社会的統一の喪失の三点に要約することができる。

(ミメーシスとは西洋哲学の概念の一つ。直訳すれば模倣という意味であり、これはプラトンの提唱した自然界の個物はイデアの模造であるというティマイオスという概念からの由来である。アリストテレスがこの概念を受け継ぎ、ミメーシスこそが人間の本来の心であり、諸芸術の様式となっているとした。ミメシスとも。(Wikipediaより)


2.谷川哲三「「歴史の研究」の邦訳の意義」経済往来社(1969)トインビーの「歴史の研究」の第1回配本に挟まれたニュースペーパー



・トインビーの「歴史の研究」は、現代という時代に対する切実な関心から生まれたものである。彼自身、偉大な歴史家の好奇心は、常にその時代にとって実際的な意義を有する何らかの問いに答える仕事に向けられてきたと言っているが、トインビーの場合もまさしくそれである。自分がその一員である西欧文明の前途、これが彼にとって最大の関心事であった。既に「西欧の没落」を予言している恐るべき書も出ている。そのシュペングラーの書にトインビーは衝撃を受けた。そこにトインビーの独自の文明論が生まれたので、「文明から次の文明へと文明が相続される文明の親子関係を設定する彼の独創的な考え方も、独自な角度からこの問題に答えようとしたものである。

・現代を見るトインビーの視点は三つの事実の認識の上に立っている。その第1は、現在、西欧文明は現存する文明の中で、解体期の明白な兆候を示していない唯一の文明だという事実である。他の6つの文明、すなわち正教キリスト教文明の主体とロシアにおけるその分派、イスラム文明、ヒンズー文明、東亜文明の主体と日本におけるその分派とは、いずれも多少の程度の差こそあれ解体期に入っている。
第2は、その現存する6つの文明は、世界中に行きわたった西欧文明のー特に技術文明の波の中に多かれ少なかれ飲み込まれているという事実である。第3は、人類の歴史において初めて全人類というものが意識されたばかりでなく、共通の運命にさらされているという事実である。

次回は,1970年代の著書(6例)を紹介いたします。

メタエンジニアリングで考える日本文化の文明化(6) 第5話 優れた日本の品質文化の文明化

2014年03月10日 12時36分25秒 | メタエンジニアリングと文化の文明化
第5話 優れた日本の品質文化の文明化

日本発の特徴ある優れたイノヴェーションの創出は、優れた日本文化の文明化から生まれる。メタエンジニアリングは、その場にこそ必要なものになるであろう。優れた日本文化の文明化についての具体的な試みを示してみよう。
なお、これまで気楽に「文化」「文明」という言葉を使ってきているが、参考までに三省堂・大辞林では、それぞれ次のように説明されている。

文化〔culture〕
① 社会を構成する人によって習得・共有・伝達される行動様式の総体。
② 学問・芸術・宗教・道徳など、主として精神的活動から生み出されたもの。
③ 世の中が開け進み、生活が快適で便利になること。
④ 他の語の上について、ハイカラ・便利・新式などの意を表す。

文明〔civilization〕
① 文字を持ち、交通網が発達し、都市化がすすみ、国家的政治体制のもとで経済状態・
技術水準などが高度化した文化をさす。
② 人知がもたらした技術的・物質的所産。


・日本的品質管理文化の文明化

どうも「文化」というと地域性と不合理性というイメージ、「文明」というと普遍性と合理性というイメージが、それぞれ背後について回っているように思う。こうした語感からすると、昨今、日本的品質管理は、まさに「日本的」という言葉通り、文化的な色彩を強めていると言えよう。
私がこれを強く感じたのは、ジェットエンジンンの鋳造品の日本の輸入検査基準である。それを日本は諸外国の基準より厳しいものにした。その結果、検査コストがアップすると同時に、頻繁に不良品が発生する事態が起こった。海外メーカーの通常の検査をパスした品物が引っ掛かってしまうからである。鋳造品に欠陥はつきもので、その検査基準は長年の経験に基づいて決められていた。しかし、日本の構造設計技術者たちが応力計算をしたり、最新の破壊力学を適用したりしたら、それでは駄目だったということで、厳しくした。しかし、長い実用化の歴史の中で育った経験値と、たった1回の数値計算の結果と、いったいどちらにより多くの合理性があるというのだろうか。私の頭の中では明白であった。
これには二つの問題が含まれている。第一には、部分的な事柄にこだわって、全体を見渡す視野に欠けること。第二には、管理することにこだわって、Control をするという意識に欠けることである。

「品質管理」とは、Quality Control の和訳なのだが、第二次大戦後に米国から輸入されてから、日本独自の発展を遂げて世界一といわれるまでに成熟した。しかし、反面Control という意味から離れ、絶対的完全品質を要求する管理手法になってしまった。
Control とは、目的を達成するべく調整することであり、絶対品質の要求が、過剰品質とコストアップ要因の原因となったケースが散見されるようになってきた。狂牛病対策のために打ち出された、輸入牛肉の検査基準の際にも感じた。勿論、政治的な判断要素が加味された上での決定なのだが、品質管理の専門家は沈黙していたように思う。一方、放射性セシウムの玄米からの検出検査については、確率論を全く無視した安全宣言で混乱を生じさせた。これらの基本的な原因は、Quality Controlが統計学を用いて許容範囲になるようにコントロールすることという基本的な考えから離れ、絶対品質を追求するための管理手法という考え方に偏ってきたためではないだろうか。
つまり、統計学という数学をもちいてコントロールを行う技術的な行為を、規定を守ることを目的とする管理手法に位置付けてしまっているように思う。日本の品質管理分野で最も有名なW エドワーズ・デミング博士(William Edwards Deming)は、かつて面会を求めた日本の専門家に対して「私は品質管理の専門家ではなく、統計学の専門家である」といわれたそうである。

もう一つの疑問は、いわゆる「品質コスト」の考え方に日本独特のものを感じる経験が度々あったことだ。日本で活発になったTQM(Total Quality Management)では、品質コストを合計したものが総品質コストであるとして、総品質コストを最小にする活動をよいとしている。総品質コストとは、予防コスト+評価コスト+内部失敗コスト+外部失敗コスト で表される金額なのだが、この中で、内部失敗コストと外部失敗コストは、経営者にとっては管理不可能な費用として非自発的原価と呼ばれている。 一方、予防コストと評価コストは、経営者が管理可能な費用として、自発的原価と呼ばれる。
従来の考え方は、自発的原価と非自発的原価の間にはトレード・オフの関係があり、予防コストや評価コストを高めていくと、内部失敗コストと外部失敗コストは減少していくので、失敗コストが多い場合には、管理可能な費用を増しても総コストは少なくなる。しかし、品質が向上して失敗コストが激減すると、ある時点で総コストはむしろ増加をしてしまう。

しかしTQMでは高度な品質管理により、高品質を求めることは長期的には一方的に総品質コストを減らすことができるとしている。このために、延々と品質管理活動が強化されるのであるが、果たしてそれは世界の通常の企業にとって合理的なのであろうかといった疑問を持たざるを得ない。一概に結論を出すわけにはゆかないが、ここにもQuality Control を品質管理と和訳した日本的な文化が強く存在しているように思える。

繰り返すが、日本は、戦後間もなく米国から品質管理を教わり、徹底的な導入を行った。そして、自らの伝統的な品質文化と融合をさせて、新たな品質管理を文明化したではないだろうか。それは奈良時代の仏教伝来を思わせる。そして、それ以降、今日まで、品質管理のイノヴェーションは持続的発展を遂げてきている。しかし、もし、日本に「独自の優れた品質管理の文化」がなかったならば、このような持続性は生まれようもないだろう。
しかし、文明化されたものも、ある限定された範囲でのみ極端に成長をすると、ある種の非合理性が入り込み、再びローカル文化に戻ってしまう。日本の現在の品質の多くに、例えばスーパーに並ぶ野菜や果物などに、それを強く感じる。メタエンジニアリングは、こうした現在の日本の品質管理のあり方を世界の文明として再生させることに役立てる必要があるだろう。

現在の日本的な品質管理文化を文明化し、より合理的かつ普遍的なものへと変えてゆく道筋に根本的エンジニアリングが関与できる「潜在化する課題」が数多くあるように思う。それは、数学を用いた工学的な技術をもっと広範囲かつ根本的に見直すことから始まるだろう。


・日本的ハイブリッド文化の文明化

第2のテーマとして、日本的ハイブリッド志向を考えてみる。
優れた日本文化の特徴の一つは、独特のハイブリッド文化だと思う。見渡すと事例はどんどん出てくる。漢字と仮名文字の併用、神仏混淆、ハイブリッド自動車などは代表例だろう。私の住まいの近くのJR 小海線では、数年前からハイブリッド電車が走っている。



ハイブリッドシステムでは、発電用のディーゼルエンジンでつくった電気と、列車のやねに積んだちくでんち(蓄電池)の電気を使い分け、モーターで車輪を動かしています。http://www.jreast.co.jp/nagano/wakuwaku/hybrid/hibrid_koumi.html

日本の文化の特異性は何であろうか。二項合体という言葉がある。神仏混淆、和魂洋才、文字の音読みと訓読み、ひらがなとカタカナの混用など色々ある。多神教などを例に、多項合体という人もいる。そして、日本文化の特異性は、対立や相克を解消する不徹底さの許容にあるとされている。
日本では品質文化の中にもハイブリッド文化が入り込んできている。例えば「イチゴの味覚」である。イチゴの品質にこだわる日本人の感覚は異常である。昔、英国の片田舎でイチゴ狩りを楽しんだ。小高い丘をバケツ一つを持って歩き回り、野原に雑草のように生えているイチゴを摘み取る。品質のバラツキは大きいが、すべて本来のイチゴの味がする。
それに対して日本では、イチゴと言えば、形、大きさ、色が揃っていないと売り物にならないとされ、その上、現在、200 種類以上ものイチゴが栽培されるようになっているそうだ。最近の評判は、
岐阜県が力を入れている「濃姫」という品種だと聞いた。そして、その感想というのは「味が濃いが、すっきりとしている」、「酸味と甘みのバランスが丁度良い」といったものだった。



岐阜県農業技術センター
http://www.cc.rd.pref.gifu.jp/g-agri/breed/vegetables/pdf/nouhime-pr.pdf

日本では、すでにイチゴは、色や形を通り越し、こうした微妙なハイブリッド感覚により評価されるようになっているらしい。
これらは、ある意味では不合理である。しかし、日本人はその不合理を乗り越える能力を持っている。最近、漢字に興味を持つ外国人が増えているそうだが、世界的に発展する望みはまずないであろう。しかし、ハイブリッド自動車は世界で認知される存在になりつつある。

つまり、ハイブリッドが合理的であるとの回答が存在するということである。そのハイブリッドの回答を見つけ出し、独特の技術力により、それに真の合理性を持たせることができるのは、私は世界中で日本民族だけであるような気がしてならない。そして私がメタエンジニアリングに期待するのは、デジタルとアナログのハイブリッドである。

 この回の文面は、私の原稿を友人の前田君が編集したものをブログ用に直したmのです。

メタエンジニアリングで考える日本文化の文明化(5) 第4話 イノベーションの負の遺産

2014年03月09日 09時00分43秒 | メタエンジニアリングと文化の文明化
第4話 イノベーションの負の遺産

イノベーションを、その結果が社会にもたらす正と負の価値という観点で考えてみよう。イノベーションはその正の価値によって急速に社会に浸透してゆく。しかし、人間が考えだした技術であるので、必ず負の側面が存在する。負の価値という表現は少々おかしいが、正と負の大きさを比較するのだから、ここでは同じ表現にする。

この様な観点から、もう一度「MECI サイクル」を見ると、

Exploring:こうした課題を解決するに必要な科学・技術分野を俯瞰的にとらえる、あるいは創出するプロセス
⇒ 必要な科学・技術分野とを俯瞰的にとらえる時点で、捕える範囲に逸脱は無かったのだろうか?もっと広く考えるべきではなかったか?

Mining:地球社会が抱える様々な顕在化した、あるいは潜在的な課題やニーズを、問い直すことにより見出すプロセス
⇒ もう一度問い直すことに戻ると、何が足りなかったのか?それは何故なのか?

となるのだが、第1の方向は、この「EとM」の段階で新たなイノベーションの社会的価値を見極めることにある。そこで、負の価値という観点でこの二つのプロセスを捉えると、全く別の方向が頭に浮かぶ。

「イノベーションの神話」(Scott Berkun著 村上雅章訳、 出版 O’REILLY)という本がある。原題「The Myths of Innovation」で、2010 年に改定が行われているが、改訂版の翻訳本はまだ出版されてはいない。




この中では、イノベーションに関して様々な観点から面白い表現が記されている。そのことは、初めに書かれている推薦の言葉から容易に推定される。

“The naked truth about innovation is ugly,funny, and eye-opening, but it sure isn’twhat most of us have come to believe. With this book, Berkun sets us free to try and change the world.“
http://books.google.co.jp/books?id=UFqWi2Ek8f8C&printsec=frontcover&hl=ja&source=gbs_ge_summary_r&cad=0#v=onepage&q&f=false



その発想過程は、「メタエンジニアリング」に通ずるところが多々ある。そしてイノベーションの負の価値をも明確に示している。

一例は、かつて全世界のマラリアを始めとする様々な病原菌を媒介する小さな虫に使われた殺虫剤、有名なDDT の話だった。日本でも、太平洋戦争直後の国内のあらゆる場所で、子供たちが進駐軍から白い粉を頭から浴びせられる写真が評判になった覚えがある。ダニやシラミ退治のためだったと報道されていた。このDDT は間もなく発がん性物質の可能性の疑いにより世界中で生産中止になったのだが、この著書ではまるで、「風が吹けばおけやが儲かる」風の話が述べられている。

DDT の広範囲における使用がペストの大流行の原因になったと云うのである。DDTの世界的な使用とペストの大流行は時代が異なるので、不審に思って調べると、以下のブログがあった。

「空から猫が降ってくる」http://omegapg.org/?p=236



1950 年代の前半、インドネシアのボルネオ島に住んでいるダヤック族の間で、マラリアが蔓延していました。マラリアという伝染病は、感染すると吐き気や高熱などの症状を引き起こして、感染した人を死に至らしめることもあります。
この事態を重くみた世界保健機関(WHO)は、マラリアの病原菌を媒介している蚊を駆除するために、DDTという殺虫剤をダヤック族の村に散布しました。そしてWHO の思惑通り、この作戦は見事に成功しました。散布したDDT は蚊を駆除し、マラリアに感染するダヤック族の人々は劇的に減りました。
すると今度は不思議なことに、ダヤック族の人々の間でチフスやペストの伝染病が蔓延しました。事態はマラリアの時と同じくらい、もしくはそれ以上に深刻です。よく調べてみると、その原因は大量発生したネズミでした。大量発生したネズミがチフスやペストの伝染病を撒き散らしていたのです。なぜネズミが大量発生したかというと、WHO が蚊を駆除するために撒いたDDT は、蚊だけでなく他の多くの虫も駆除してしまっていたのです。WHO が撒いたDDT で死んだ虫をヤモリが食べて、ヤモリがDDT に汚染されました。DDT に汚染されたヤモリを猫が食べて、多くの猫が死んでしまいました。猫はネズミの天敵です。ネズミを食べる猫が大量にいなくなったために、ネズミが大繁殖したのです。この事態を深刻に受け止めたWHO は、今度はダヤック族の村めがけて、パラシュートでたくさんの猫を送り込みました。これは、WHO が行った「猫降下作戦」です。




この作戦によってネズミの数は減り、チフスやペストの伝染病はおさまり、ダヤック族の村には平和が戻ったとのことです。これは、本当にあった有名な話です。ご存知の方もいらっしゃるかもしれません。
空から猫が降ってくると言うと、何かの怪奇現象のように聞こえます。しかし、この出来事が起きるまでには筋の通った過程がありました。DDT を散布したことが原因となり、その結果として虫がDDT に汚染されました。DDT に汚染された虫をヤモリが食べたことが原因となり、その結果としてヤモリがDDT に汚染されました。DDT に汚染されたヤモリを猫が食べたことが原因となり、その結果として猫が死にました。猫が死んだことが原因となり、その結果としてネズミが増えました。ネズミが増えたことが原因となり、その結果として猫が空から降ってきました。このように、空から猫が降ってくるという出来事が起きるまでには、何かが原因となってその結果が生まれ、その結果が何かの原因となってまた新しい結果が生まれ、その結果が何かの原因となってまた新しい結果が生まれ、という原因と結果が連続する過程を見ることができます。     


「イノベーションの神話」では、続けて自動車事故による世界中での年間死亡者数の問題について述べている。日本国内でも年間1万人を超えた年が何年間も続いたのだが、その間の事故を減らす対策は、概ね交通システムに関するもので、自動車自体への対策は十分ではなかったように思われる。最近になってようやく自動車自身に様々な工夫を取り入れる風潮が現れたが、根本的な事柄はなんら解決されていないと指摘する。さらに電気自動車に触れて、電池式自動車はおそらく急激に広がるだろうが、世界中で電池の大量生産、それに続く電池の大量廃棄が始まると有害物質問題がクローズアップされるとしている。
 
導き出される結論は、イノベーションはいずれ世界中を席巻することになるのだから、初めから公害等が起こらない工夫を全ての面にわたって充分に配慮すべきであるというである。

ある発明がその正の価値の大きさに注目されて、プロセス・イノベーションが急激に起こり、全世界に行きわたるようになる。そうすると、初めから存在した負の側面が覆い隠されてしまい、それに対する対策が不可能なまでになる過程が見えてくる。

イノベーションは、ある文化の中で発生するのだが、それが全世界に広がり、ある時間が経過すると文明になる。文明にまで高められたものが、真のイノベーションと言えるものなのだろう。
イノベーションが負の価値を背負ったままでは、遠い将来にその時代のエンジニアリングレベルは
いったいどう判断されることになるのだろか?これはイノベーションを自身の業務として目指す科学者や技術者に聞いても意味ないことだろう。



ある発明がイノベーションにまで成長するためには長い年月を必要する。プロセス・イノベーションとビジネス・イノベーションの期間が必要だからである。しかし、この間に「メタエンジニアリング」によって、十分に「負の価値」についてのエンジニアリング的な検討を行うことができる。そして、だからこそ、「メタエンジニアリング」による検討が重要視されることになると考える。

この回の文章は、私の原稿を友人の前田君が編集してくれたものを、ブログ用に直したものです。次回からは、優れた日本文化の文明化についての具体例をいくつか示そうと思う。

メタエンジニアリングで考える日本文化の文明化(4) 第3話 優れた日本文化の文明化

2014年03月07日 08時12分00秒 | メタエンジニアリングと文化の文明化
第3話 優れた日本文化の文明化

先に挙げた司馬遼太郎の文明論には、
「普遍性(かりに文明)というものは一つに便利と云う要素があり、一つにはイカさなければならない。たとえばターバンはそれを共有する小地域では普遍的だが、他の地域へゆくと、便利でないし、イカしもせず、異常でさえある。」とあった。
つまり、「普遍的であってイカすものを生みだすのが文明である」というわけなのだ。イカすものとは何であろうか。



 この論理は一見おかしなことのように見えなくもないが、具体的に考えると良く分かることのようだ。例えば、ある国家なり民族が活気なり繁栄なりを望んで、新たなものをその地域全体に導入しようと考えたとしよう。その際に、優れた文明であればスムースに進められるが、特定の文化であれば、いかに優れていても容易ではなかろう。そのことは、はっきりとした意思表示であっても、無意識的な流行の形であっても、大きくは変わらないように思われる。

 この端的な例がソニーのウォークマン伝説の中にある。少し長くなるが、工学アカデミーの専門部会で委員の小松氏が話された内容を、ご本人の了解のもとに引用させて頂くことにする。

「メタエンジニアリングの場のあり方」、 小松、2011.12.5
ソニー「GENRYU源流」より、ウォークマン

ウォークマンのイノベーションは大きく2段階に分けられる。
・コンパクトカセットの普及
・歩きながら聴けるステレオ・ウォークマンの開発
これらの開発がMECIのサイクルに沿って進んだか否かを書かれている内容から調べてみる。

1. コンパクトカセットの普及
1) 潜在的課題、ニーズは1950~1960年代に普及していたオープンリールのテープレコーダーを使いやすくするという、メーカーならごく当たり前の発想で、一般消費者のニーズとも合致していた。
2) しかし、必要な技術の俯瞰的把握・創出、この場合は使いやすさを実現可能な「技術の選択」になるが、1958年にアメリカのRCAが磁気テープを「カートリッジ」に収めたものを考案し、それに刺激されて世界中でケースに収めた磁気テープを開発し始めた。実現するうえで技術的に致命的に困難な問題はなかったと思われる。アイデアがあれば実現は容易というべきか。しかし、オープンリール方式とは使いやすさが格段に違い、子供やお年寄りでも操作ができる大きなイノベーションにつながった。
3) 科学・技術分野の融合については詳しい記述がない。カートリッジ試作、商品化におきな技術的困難はなかったためと思われる。
4) 次の段階であるImplementationにおいて標準化というハードルがあった。今回の場合、多くのカセットが開発される中で、1963年ドイツのグルンディッヒ社からソニーに「DCインターナショナル」というカセットを規格化しようという提案があった(ソニー以外へも提案はあったと思われる)。続いて、オランダのフィリップス社より「DCインターナショナル」より少し小さい「コンパクトカセット」の提案があった。フィリップスは既に発売に踏み切っていた。ソニーとして小型という点からコンパクトカセットを選びたかったが、フィリップスは1個25円のロイヤリティを要求してきた。これは飲めないので交渉を続けついに特許の無償公開にこぎつけた(フィリップスが無償で折れた理由は不明)。
5) 標準化が終わればImplementationは完了である。カセットレコーダーは1966年ころから各社で発売され始めた。当初は音質が良くなかったので学習用に導入されたが、音質が改善されハイファイサウンドを録音再生できるまでになった。まだオープンリールの時代であった1965年の日本の磁気テープ生産は35億円であったのが、1981年にはオーディオテープだけで1,300億円になった。

2. 歩きながら聴けるステレオ・ウォークマンの開発
1) 1978年ころ、ステレオ型のカセットレコーダーは普及が進んでいたが、ポータブルタイプはまだイヤホンを使ったモノラル型のみであった。ソニーは1977年にモノラル型の小型テープレコーダー「プレスマン」を発売していた。1987年にはポータブル型のステレオ型録再機を発売し、井深は日頃から海外出張にこれを持参していたがやはり「重くてかなわない」という思いであった。そこで、海外出張を控えたある時、大賀副社長にプレスマンをステレオ再生専用機に改造してくれないかと持ちかけ、依頼を受けた事業部長は早速改造し、井深はこれが大変気に入った。帰国後、井深はそれを盛田に紹介すると盛田も気に入り早速商品化の話になった。ターゲット顧客は学生で、価格は学生に手の届く33,000円に決めた。しかし、カセットレコーダーから録音機能を取り再生専用とするコンセプトでは「絶対に売れない」との意見が大半を占めていたので井深、盛田がやろうと決めなければできない話であった。これが、Miningプロセスである。Miningがイノベーションのキーである場合は特別な感性、条件が必要とされるようだ。
2) Exploring、Convergingのプロセスでのポイントは、偶然に超軽量、小型ヘッドホンが別の部隊で開発されていたことで、歩きながらステレオを楽しむというウォークマンのコンセプトに合致した。そのほかは音質の改善など一般的な技術開発はあったものの特に致命的な問題はなかったと思われる。
3) Implementationの最初はマスコミ発表であるが、マスコミの反応は冷やかでほとんど無視され、発売当初1か月の売り上げはたった3,000台というありさまであった。そこで、営業スタッフや新入社員が山手線、銀座の歩行者天国などでデモし、通りがかった人にヘッドホンを差し出して聴いてもらった。評判は口コミで徐々に広まり、初期ロット3万台は発売翌月で売り切れた。その後は増産に次ぐ増産で、ヘッドホンステレオという新たな市場を作り出し、発売10年で累計5000万台、13年で1億台を達成した。

以上が、小松氏のレポートである。

この話の中では、イノベーションと文明に関する多くのことが凝縮されている。先ずは、イノベーションの条件である推進する組織のトップの強い意志である。これが第1の絶対条件だと思う。イノベーションを起こすためには巨大な投資が必要であり、多くの場合それに伴うリスクをヘッジする手段は無い。トップの強い意志が無かったために、優れた発明や新製品が小さな市場の場での実現に留まってしまったケースは無限にあるように思われる。
 次に文化の文明化の二つの条件となる、①合理性と、②イカしている、なのだが、これが見事に反映されている。

「ソニーは1977年にモノラル型の小型テープレコーダー「プレスマン」を発売していた。1987年にはポータブル型のステレオ型録再機を発売し、井深は日頃から海外出張にこれを持参していたがやはり「重くてかなわない」という思いであった。そこで、海外出張を控えたある時、大賀副社長にプレスマンをステレオ再生専用機に改造してくれないかと持ちかけ、依頼を受けた事業部長は早速改造し、井深はこれが大変気に入った。」 
のくだりである。
 
ポータブル型のステレオ型録再機からステレオ再生専用機への改造である。当時は、たとえ小型テープレコーダーであっても、録音機能は必須のものであるとの認識が当時の開発陣にも技術者にも強くあったようだが、再生専用機にするという合理化とそれによって容易に持ち歩きができる小型化が実現したことと、更に銀座でのデモンストレーションにより、イカシテルとの評判を得たことだろう。そこで、普遍性が生まれたのだ。司馬遼太郎の「普遍的であってイカすものを生みだすのが文明である」という定義が見事に的中していると思う次第である。

 文化は、いかに優れていてもそのままでは文明化はしない。グローバル的な視野で「イカすもの」への変化をもたらすものは、優れたアイデアなのだが、ソニーの例のように個人的なセンスが大きな役割を果たすことができる。しかし、文化に「普遍性」をもたらすものは、エンジニアリングの役目であるように思える。しかも、通常の専門化されたエンジニアリングではなく、視野を人文科学や社会科学に大きく広げたエンジニアリングなのであろう。

メタエンジニアリングで考える日本文化の文明化(3) 第2話 文化に対するメタエンジニアリングの役割

2014年03月06日 19時52分10秒 | メタエンジニアリングと文化の文明化
第2話 文化に対するメタエンジニアリングの役割

メタエンジニアリングは、如何なるものを価値観の中心に据えて考えるべきであろうか。日本工学アカデミーの提案では、日本発のイノベーションの継続を目指したものだったのだが、社会科学的に考えれば、イノベーションの継続は、もはや経済発展だけのものであってはならない。それは、現代の人間世界が抱えることになった様々な解決困難な大問題をさらに大きくするだけのことになるであろう。

メタエンジニアリングによる価値観は、より根本的であるべきで、そこにのみメタエンジニアリングたる所以があると考える。それは、文明の継続と進化であろう。
文化と文明、文明と人間、文明における科学など過去に多くの著書が発表されている。そして、現代において文化と文明に最も大きな影響力があるのは、エンジニアリングである。このことは、20世紀初頭にハイデッカーが喝破したとおりに進んでいる。個々のエンジニアリングは現代文明をつくりだしたが、同時に現代の諸問題もつくりだした。

技術者がものごとをデザインする際に、文化や文明を意識することは皆無であった。かのアインシュタインでさえ、核兵器が将来の人類の文明に与える影響を深くは考えなかったのではないだろうか。しかし、逆説的に考えると、全ての文明がエンジニアリングの結果であるとするならば、エンジニアリングが先ず考えるべきことは、文明への影響であると云うことになる。そして、そのことを実践する手段がメタエンジニアリングの重要な一分野であろう。

文明と文化については、先に述べたように司馬遼太郎のアメリカ素描の文章が多くの識者によって引用されている。しかし、それはある見方であってほかの見方も多く存在する。先ずは、それらを少し調べてみることにする。世界中(とくにキリスト教圏)で使われている文明ということばと、日本での認識には微妙な違いがあることに気づかされる。

「文明と人間」東京大学公開講座33(東京大学出版会)1981には、伊藤俊太郎氏(科学史)の文章で、この様に述べられている。





「日本において“文明”を最初に論じた書物は福沢諭吉の「文明論之概略」(明治8年 1875)といってよい。ここで福沢が“文明”という言葉をどのような意味で用いたかというと、それは英語の「シヴィリゼイション」(civilization)の訳であるとことわり、「文明とは人の身の安楽にして心を高尚にするを云うなり、衣食を豊かにして人品を貫くするを云うなり」といい、「又この人の安楽と品位とを得せしめるものは人の知得なるが故に、文明とは結局、人の知得の進歩と云て可なり」としている。」とある。



これは、司馬遼太郎の定義とは大いに異なる。ついでに「文明開化」という言葉に触れて、西周がcivilizationを当時「開化」と訳し、両方が並存して「文明開化」の語が生まれたとしている。その後、日本における考え方の変遷と、諸外国特にヨーロッパにおける認識の歴史を述べた後で、やや結論的に「文化・文明の二つの考え方」として纏めている。そこを引用する。
「結局、これまでの話で“文化と文明”については二つの考え方があることがおわかりいただけたのではないかと思う。一つは文化と文明は本質的に連続したものであり、文明は文化の特別発達した高度の拡大された形態であるとするものである。したがって最初の原始的な状態は“文化”であり、それがある高みにまで発展して、広範囲に組織化されたものになると“文明”になるという考えかたである。(中略)もう一つの“文化と文明”に対する考え方は、“精神文化”と“物質文明”というように、これが連続的なものではなく、かえって対立したものとしてとらえるものである。つまり哲学、宗教、芸術の様な精神文化と、科学、技術というような物質文明は本質的に異なっており、一方は内面的なものであり、他方は外面的なものであり、一方は個性的なことであり、他方は普遍的なものであり、一方は価値的なものであり、他方は没価値的なものである、というような対立でとらえてゆく。」とある。

「文明・文化・文学」有賀喜左衛門著、(お茶の水書房)1980では、次のように述べられている。
「私が文化と考えているものは特定の民族が示している個性的な生活全体を意味しているのであります。これは通例いわれているように政治や経済、社会を除外したものではないと重ねていっておきます。だから特定の民族の歴史的、社会的、心理的、情緒的特質が認められるのであります。(中略。この間に、資本主義や共産主義が国によって異なった形態で存在することを例証として挙げている。)単純に言えば、特定の民族の文化は、他の民族に伝播させることができるのでありますが、伝播させることのできる文化は特定の民族から抽出することのできる側面であり、普遍化することのできる要素に限られているのであって、この民族の生活全体として他の民族に移し植えることはできないのであります。」
これは、司馬遼太郎の定義と同じ意味に捉える事ができる。



ここで、全ての解釈に共通することは、グローバル化のためには普遍性が必要であり、それは文化の文明化であると云うことであろう。文化に留まっていたのでは、いかに優れたものであっても、それのみでは文明に至らずに、その中の普遍的なもののみがグローバル化が可能になると云うことなのだ。また、それが可能なものは、優れた文化からのみ発することも自明である。そして、今後はこの役割もエンジニアリングの一端と考えなければならない時代になってしまっていると云うことではないだろうか。

さらに、「科学技術と知の精神文化」副題―科学技術は何をよりどころとし、どこへ向かうのか(社会技術研究センター編、丸善プラネット)2011の中で、村上陽一郎氏が次のように述べている。

「文明とよばれるには、文化にプラスアルファとなる「X」がなければならないのではないでしょうか。この「X」が、工業化や民主化のようなヨーロッパ近代の社会組織に係わるものとすれば、古代エジプト文明も、古代ローマ文明も、古代中国文明も、メソポタミヤ文明も、「文明」と呼ばれなくなるはずです。(中略)では、civilizerあるいはcivilizeという動詞、つまり「市民化する」とか、もう少し別の意味を用いれば「都市化する」と云う言葉は、どういう成立過程があったのでしょう。(中略)
すると、先ほどの「X」にあたるものはどういうものになるのでしょうか。「文化」になにがプラスされれば「文明」とよばれるようになるのでしょうか。私の仮説では、自然に対する攻撃的な支配が文明のもつ一つの特徴になると思います。つまり、自然を自然のままほおっておくのはむしろ悪であり、人間が徹底して自然を管理したり、矯正したりすべきという考え方が「X」に来るわけです。」
とある。
氏は、東大教授(教養学部、先端研)の後に、東洋英和女学院大学学長を務められ、科学史と科学哲学の第一人者とされている方だ。
これは、ハイデッガーの「技術に問う」と共通する考え方があるように思う。

この様な色々な文明に対する科学的な見方をとおして感じられることは、やはり、エンジニアリングが文明というものに対してもっと積極的に考察を深めるべきであると云うことでないだろうか。

日本の文化は世界的に見ても素晴らしいものだとの観念がある。それは、正しいと思う。しかし、文化と文明の違いを明確にすると、いかに優れた文化でも、普遍的でなければ文明にはなりえないと云うことなのだ。そこで、自己の文化における普遍的でない部分は何なのか、普遍的なものにしてゆくためには、何を考えて改善してゆくべきなのかと云う課題が見えてくる。この様な条件を総合的に考えてゆくと、メタエンジニアリングこそが、この様な「潜在する課題の発見」に最も適した、唯一の方法論であるように思われるのだが、いかがなものであろうか。
 このような思考過程で、「日本の品質文化」や「日本の省エネ文化」を考えてみた。これらは、日本発の「品質文明」や「省エネ文明」に育ててゆくべきものだと、つくづく思う次第です。


メタエンジニアリングで考える日本文化の文明化(2) 第1話 正しいイノベーションは文化の文明化から

2014年03月05日 11時10分13秒 | メタエンジニアリングと文化の文明化
第1話 人にとっての正しいイノベーションは文化の文明化から

メタエンジニアリングの実践の第一歩はイノベーションに繋がりそうな「潜在する課題の発見」であろう。その一つを司馬遼太郎の著書の中に見ることができる。

「アメリカ素描」司馬遼太郎、読売新聞社、昭和61年発行

司馬遼太郎は、著書の中で文明と文化について触れることが多い作家である。彼の定義は一貫しているのだが、その中でも「アメリカ素描」の冒頭の文章が分かりやすい。また、そのことに関連してイノベーションに通ずる一文があったので、敢えて紹介する。P17からの引用;(昭和60年ころの諸事情であることを念頭に)



「アメリカへゆきましょう、と新聞社のひとたちが言ってくれた時、冗談ではない、私にとってのアメリカは映画と小説で十分だ、とおもった。それにアメリカは日本にもありすぎている。明るくて機能的な建築、現代音楽における陽気すぎるリズム、それに、デトロイトの自動車工場の労働服を材料にみごとに“文明材”に仕立てたジーパン。
ついでながら“文明材”と云うのはこの場かぎりの私製語で、強いて定義めかしていえば、国籍人種をとわず、たれでもこれを身につければ、かすかに“イカシテル”という快感をもちうる材のことである。普遍性(かりに文明)というものは一つに便利と云う要素があり、一つにはイカさなければならない。たとえばターバンはそれを共有する小地域では普遍的だが、他の地域へゆくと、便利でないし、イカしもせず、異常でさえある。
ところが、ジーパンは、ソ連の青年でさえきたがるのである。ソ連政府はこの生地を国産化してやったそうだが、生地の微妙なところがイカさず、人気がでなかったといわれる。
普遍的であってイカすものを生みだすのが文明であるとすれば、いまの地球上にはアメリカ以外にそういうモノやコト、もしくは思想を生みつづける地域はなさそうである。そう考えはじめて、かすかながら出かける気がおこった。」


その後で司馬は、
「ここで、定義を設けておきたい。文明は「たれもが参加できる普遍的なものも・合理的なもの・機能的なもの」をさすのに対し、文化はむしろ不合理なものであり、特定の集団(たとえば民族)においてのみ通用する特殊なもので、他に及ぼしがたい。つまり普遍的でない。」
としている。

ここで、ジーパンに即してイノベーションを考えると、イノベーションは特定の固定化された文化のみからは生まれずに、それが何らかのプラスアルファで文明化したときにイノベーションとしての可能性が生まれると云うことではないだろうか。

 文化の文明化とは、ある文化に多くの他の文化が混入して出来上がってゆくものである。古くは、古代エジプトやローマ、黄河文明も最終的には多民族の融合により生まれた。トインビーが云う日本文明も、奈良時代までの諸民族の文化の混入により出来上がったものと思う。明治の初期を文明開化と云うのが、正にあたっている。一方で、鎌倉文化や江戸文化などは、それ自体は前者よりも内容的に優れているのだが、文明とは呼ばれない。

 イノベーションの持続的発生は、従って文化の文明化のプロセスの中で可能になるように思われる。幸いにして、日本には文明化が可能な優れた文化が沢山あるではないか。「潜在する課題の発見」の入口が、そのあたりにも多数あるのだろう。

 司馬の本の後半には、品質について似たようなことが書かれている。
「近代工業以前ながら、日本には江戸期、大工や指物師の世界で“文化”としての品質思想は濃密に存在した。(中略)、それらはあくまでも個々の情熱と自負心と技量に依存した“文化”であって、法網のように普遍性のある“文明”ではない。第二次大戦下のアメリカは、品質管理というこの課題を、お得意の思想として“文明化”したのである。」

 この文章にも日本的イノベーションの入口が見える。日本は、戦後間もなく米国から品質管理を教わり、徹底的な導入を行った。それは、奈良時代の仏教伝来を思わせる。そして、自らの品質文化と融合をさせて、新たな品質管理を文明化したではないか。そして、それ以降今日まで、品質管理のイノベーションの持続的発展を実現している。もし、日本に「独自の優れた品質管理の文化」が無かったならば、そのような持続性は生まれようもない。

しかし、文明化されたものも、ある限定された範囲でのみ極端に成長をすると、ある種の非合理性が入り込み、再びローカル文化に戻ってしまうのではないだろうか。日本の現在の品質の多くに、例えばスーパーに並ぶ野菜や果物などに、それを強く感じる。メタエンジニアリングは、それらを再び、世界の文明として再生させることにも役立てなければならない。

日本発の特徴ある優れたイノベーションの創出は、優れた日本文化の文明化から生まれる。メタエンジニアリングは、その場にこそ必要なものになるであろう。現代のイノベーションは世界のどこででも通用するものでなければならない。日本国内だけのヒット商品は、世界市場ではいずれかの国の同等商品に勝てないケースが益々多くなるであろう。「イカシテル」を認識することからスタートしてみよう。

文化は、限られた地域でのみ特別な価値を持つもので、他から見ると不合理なところが存在する。文明は、優れた文化から発展するのだが、文化に較べて普遍的な価値を持ち、かつどの地域においても不合理さが感じられず、「イカシテル」と感じられる。

最近、「クールジャパン」という言葉をよく聞かされる。日本発の文化が特定の外国人に「イカシテル」と感じられているようである。しかし、「ジャパン」という字が付く限りは、まだ普遍的ではないという意味が含まれているように思う。
つまり、日本発の特徴ある優れたイノベーションの創出は、優れた日本文化から生まれるのだが、生まれたのちに他から見ると不合理なところを排除して、かつより普遍的な価値(単に、品質や便利さのみではなく、イカシテルなど)を付加しなければならない。この二つの引き算と足し算の実行は、通常のエンジニアリングでは不可能で、社会科学や人文科学を含むメタエンジニアリングが求められるという訳である。

日本の文化の特異性は何であろうか。二項合体という言葉がある。神仏混淆、和魂洋才、文字の音読みと訓読み、ひらがなとカタカナの混用など色々ある。多神教などを例に、多項合体という人もいる。そして、日本文化の特異性は、対立や相克を解消する不徹底さの許容にあるとされている。



一方で、そのような日本文化に根差す日本文明は、西洋物質文明の行き詰まりの先にある、唯一の超古代から続いた独立文明であるという考えかたが広がりつつある。かつてそのようなことをアインシュタインが日本を去るにあたって述べたとも言われている。トインビーの有名な「歴史の研究」で示された、「日本文明は、西洋物質文明に感化されて衰退に向かっている」という説を否定して、更なる発展を持続するためにこそ、メタエンジニアリングは用いられるべきであろう。

メタエンジニアリングで考える日本文化の文明化(1) はじめに 日本文化の文明化とは何か

2013年11月13日 15時27分25秒 | メタエンジニアリングと文化の文明化
はじめに 日本文化の文明化とは何か

平成23年3月に東日本大震災が起こった。私は、その時に日本橋のある高層ビルの中に居た。異常に長い地震がおさまった後に、帰宅を急いで地下鉄の駅に向かったが、勿論全線不通であり、そのまま地下道をとおって日本橋の三越に向かった。そこでなら安全に時間が過ごせると思ったからだ。それから大きな余震が起こり、その度に場内放送は、適切な指示を客と従業員に知らせていた。非常事態にあたっての準備がきちんとできているとの印象を受け、日本の優れた百貨店文化を感じた。


 
 東京大学の工学系教官が震災直後にワーキンググループを作り、それから3ヵ月後に緊急に学生その他に示した文書が出された。この様な事態に直面して改めて工学の在り方を纏めたものである。「震災後の工学は何をめざすのか」、東京大学大学院工学系研究科緊急工学ビジョン・ワーキンググループ、平成23 年5 月9 日発行(全27P)(註1) は、特に目新しいものではなかったが、その中で「社会への実装・普及」にまで言及しているところが、一歩進んでいるように読み取れた。しかし、その中の次のような記述に疑念が湧いた。
 「学問の領域が伝統的な一つの基盤工学のディシプリンに収まらずに、複数の学問領域が融合したり複合しあってできる新たな学問領域のことを意味します。そして、一度確立した学際領域や複合領域は自立して総合工学として発展していくものもあります。例えば、原子力工学は半世紀前に学際研究として誕生し、その研究対象であった原子力発電システムは巨大複雑系システムに発展し、原子力工学は学際化した巨大複雑システムの工学として進化してきました。私はこの文章を読んで、まず現在の学際とか連携とかに物足りなさを感じた。米国では、Converging Technologyと称して、イノベーションなど実社会に貢献を始めているのだが、日本の学際については、多くの学会で長期間叫ばれはているが、大きな成果が出たことはあまり聞かない。そんなときに、ある学際的な学会で高名なパネラーの一人が「私は自然科学者なので、社会科学者や人文科学者の言葉が良く分からない」との発言を聞いた。考えてみると、大学の工学部ではそのような教育は皆無であり、大学院ではなおさらのことだった。そして福島原発の事故から、前述の「原子力工学は半世紀前に学際研究として誕生し、その研究対象であった原子力発電システムは巨大複雑系システムに発展し、原子力工学は学際化した巨大複雑システムの工学として進化してきました」が、社会システム全体としての考え方の面で不十分であったことが明らかとなった。つまり、このことは総合工学として誕生したものが、いつの間にか社会的には総合ではなくなっていたことを意味している。

一方で、メタエンジニアリングは自然科学者である工学者や技術者が、その工学脳を用いて、社会科学や人文科学の領域にまで入り込んで「潜在する問題の発見」を第1段階とすることを明示している。そして、その問題に対しては、学際や連携から更に進んで,ひとつの個人、一つの組織などの統合化されたなかで積極的に新たな思考をはじめ、かつ纏めることを明示している。

 現代社会におけるものごとは全てが複雑化の傾向にある。そのなかにあってエンジニアリングは基本的な計画から詳細な設計に至るまで深くかかわりがあるケースが多い。それどころか、かつて20世紀最大のドイツの哲学者ハイデッガーが「技術論」で述べたように、更に大きな責任を背負っているのである。

「近い将来に、技術が全てを凌駕することになるであろう。何故なら、人間は常により良く生きることを望み、より少ない犠牲でより多くの利益を得ようとし続ける。これが実現できるのは、哲学や政治や宗教などではなく、技術である。世界中の良いものも、悪いものも全て技術が創り出すことになる。」 
21世紀は人類文明の危機であると云われ始めているが、文明の危機から救うものは何であろうか。前述の言葉を介せば、それもまた技術であろう。少なくとも、経済や政治や宗教のみで救えるものではない。すべてに、技術すなわちエンジニアリングが具体的、かつ主導的な役目を果たすことになるであろう。

文明は、複数の優れた文化の中から生まれてくると思われる。そこで、メタエンジニアリングという考え方から、優れた日本文化の文明化の糸口を探ってゆきたいと考えた。

昨年、「根本的エンジニアリングで考える日本文化の文明化」(全101頁)という小冊子をまとめた。目次は以下である。

序章 Meta-Engineering, 新しい工学への考え  9

第1章 文化の文明化とはなにか        18

 第1節 根本的エンジニアリングの二つの方向
 第2節 根本的エンジニアリングと文化の文明化
第3節 すぐれた日本文化の文明化と根本的エンジニアリング
第4節 文化に対する根本的エンジニアリングの役割
第5節 すぐれた日本文化の文明化
第6節 もう一つの方向
第7節 根本的エンジニアリングの価値

第2章 日本文化の文明化という課題 53

第1節 日本の品質文化について
第2節 日本のハイブリッド文化について
第3節 日本の省エネ文化について

第3章 文明の衰退と根本的エンジニアリング 64

第1節 ヴェネチアの衰退からの教え
 第2節 現代デジタル文化は文明の衰退か
 第3節 環境問題と根本的エンジニアリング
おわりに                    89
附録 その場考学的サイクル論  90      

これらに加筆・訂正を加えて、このカテゴリーを進めてゆこうと思う。

(註1)
この提言書は、その後大幅に追記をされて書籍として発行された。
「震災後の工学は何をめざすのか」東京大学大学院工学系研究科 編、内田老鶴圃(1972)