私が初めてカメラを購入し写真を写し始めたころは無煙化の波が幹線から地方に押し寄せ SLを北と南に追い詰め北海道と九州本州の一部のローカル線で最後の活躍をしている時でした(いわゆるSLブームが始まったころ)ブームの波をあおるように雑誌や週刊誌に次々とSL特集が組まれ 地方の幹線からは電化やDL化によるSL廃止のニュースが流れていました その様なと時にカメラを購入した鉄道好きだった私が 蒸気機関車にカメラを向けることには何の躊躇いもありませんでした。丁度呉線電化でC62が廃車 一部のC62が海を渡り北海道へ そして鹿児島本線や日本海縦貫線も電化が進み「間もなく鹿児島本線からも大型蒸気が引退」のニュースが流れてくると矢も立ても居られず初めて鹿児島まで撮影に行きました。
1970年02月21日撮影 鹿児島本線 鹿児島機関区
鹿児島に着くと直ぐに機関区を訪れ事務所で撮影の許可(備え付けのノートに住所・氏名を記入し許可証代わりの腕章)を貰い機関区の中を自由に撮影しました。今と違い当時は許可を貰うときに「移動中の機関車には注意して下さい 機関車や機械の上や中には入らないで下さい。」と口頭で注意を受けるぐらいで後は何も言われませんでした 全ては自己責任で済ませられた時代だったのでしょう。機関区に入るとまずB20 10号機関車を探しました B20形機関車の現役の釜はこの10号機一輌のみで ここ鹿児島機関区のアイドル的存在で 細いボイラーと不釣合いな大きなプレートをつけて チョコマカと動き回る様子はとてもユーモラスでした 後に梅小路蒸気機関車間に動態保存され今も元気に過ごしているのを見ると嬉しく思います。
1970年02月21日撮影 鹿児島本線 鹿児島機関区
次に目に付いたのがこの8620形の48674号機です 鹿児島機関区の入れ替え専用機で バック運転時の視界を良くする為でしょうが テンダーの両サイドをC56形のようにななめに切り取っています 前部を警戒色に塗り煙突も化粧煙突からパイプ煙突に改造されていますが デフレクターはつけず前後左右のナンバープレートは形式入りの美しいものが揃っていました。
1970年02月21日撮影 鹿児島基本線 鹿児島機関区
給水塔の横には本線用の大型蒸気ハドソンC60 37とパシフィックC57 60の姿がありました 両機とも給水・給炭を終え何時でも出区できる状態です C57 60号機の前では乗務員の方がテストハンマーで各部を叩きながら点検をされているのが印象的でした。鹿児島機関区ではこの他 指宿枕崎線用のC12形や宮之城線用のC56形が所属していましたが 両方共出区しているのか見受けられませんでした。
1970年02月21日撮影 鹿児島本線 鹿児島機関区
鹿児島に着くと直ぐに機関区を訪れ事務所で撮影の許可(備え付けのノートに住所・氏名を記入し許可証代わりの腕章)を貰い機関区の中を自由に撮影しました。今と違い当時は許可を貰うときに「移動中の機関車には注意して下さい 機関車や機械の上や中には入らないで下さい。」と口頭で注意を受けるぐらいで後は何も言われませんでした 全ては自己責任で済ませられた時代だったのでしょう。機関区に入るとまずB20 10号機関車を探しました B20形機関車の現役の釜はこの10号機一輌のみで ここ鹿児島機関区のアイドル的存在で 細いボイラーと不釣合いな大きなプレートをつけて チョコマカと動き回る様子はとてもユーモラスでした 後に梅小路蒸気機関車間に動態保存され今も元気に過ごしているのを見ると嬉しく思います。
1970年02月21日撮影 鹿児島本線 鹿児島機関区
次に目に付いたのがこの8620形の48674号機です 鹿児島機関区の入れ替え専用機で バック運転時の視界を良くする為でしょうが テンダーの両サイドをC56形のようにななめに切り取っています 前部を警戒色に塗り煙突も化粧煙突からパイプ煙突に改造されていますが デフレクターはつけず前後左右のナンバープレートは形式入りの美しいものが揃っていました。
1970年02月21日撮影 鹿児島基本線 鹿児島機関区
給水塔の横には本線用の大型蒸気ハドソンC60 37とパシフィックC57 60の姿がありました 両機とも給水・給炭を終え何時でも出区できる状態です C57 60号機の前では乗務員の方がテストハンマーで各部を叩きながら点検をされているのが印象的でした。鹿児島機関区ではこの他 指宿枕崎線用のC12形や宮之城線用のC56形が所属していましたが 両方共出区しているのか見受けられませんでした。