世の中の二乗>75の二乗

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背中の血脈

2011年03月12日 13時44分26秒 | Weblog
3月11日金曜のお昼寝明け、
3歳以上のクラスに入って着替えやおやつの準備をする。
くらくらっとして
スタッフが「あ、地震」と気づく。
すぐやむかと思ったら
その声が、パッと鋭く「地震です」とですます調に変わって、
それと同時くらいにくららんくららんくらいに大きく揺れる。
杉並区阿佐ヶ谷は震度5強。
すぐに子どもを集める。電気を消す。窓を開ける。
集めても揺れはおさまらず、より広い部屋の中心に移動させる。
この段階で子ども大泣き。
が、日頃の避難訓練の成果を発揮し、手を頭の上へもっていっている。えらい。
スタッフの指示で、お昼寝用の布団を子どもの上へかける。
おさまったかと思うとまた揺れる。
長く続く揺れが不気味だった。
子どもが泣きながら「やだね、こんなのきてほしくないね」と言い合っている。
こんなときでもおしゃべりはとまらない。女子のすごさを見る。
余震が来るたびに子どもの顔がさっとこわばる。
着替えが途中の子どもの着替えを済ませる。
落下して危なくならないように音楽コンポを下におろす。ポットを洗い場へ置く。
一階の下駄箱から子どもの靴をビニール袋へかき集めて持っていく。
エレベーターに「地震」の2文字。階段の壁紙に亀裂。
靴下、ジャンバー、帽子をかぶせ、靴を履かせる。
そのまま階段で降りて、中庭に集合。
しばし協議の後、近くの小学校へ避難することに。
4人乗りのベビーカー2台、2人乗りのベビーカー2台、避難用の押し車1台に
0歳1歳2歳を乗せ込んでいく。
外の道には人が出て来ていて、近くの建物が少し崩れたりしている。
そこでまた少し大きめの揺れがくる。
これがたぶん、3時15分くらい。
上には電線があるし、建物の近くは怖いので道の真ん中を
歩ける子と手を繋いで小学校へ向かう。
ベビーカー軍団を引き連れてぞろぞろと結構な緊急避難っぷり。
が、途中、けっこう平然と車が通ったり、自転車が通ったり、
店が普通に営業してる雰囲気だったりともろもろ街中との温度差に出くわす。
小学校に着くと、さすがに全校生徒が運動場に避難しており、
一角を使わせてもらって地べたに座る。
見る見るうちに子どものズボンが真っ白になり、地面に指でうねうねした線を書きだす。
その間も小さな揺れが続く。
校庭の登り棒がゆさゆさなっている。
避難している?様子見に来ている?早引けした?スーツの男の人などが通っていく。
保育所に戻ってとってきたブルーシートと、おやつが届く。
今日はサーターアンダギー。
みな幸せそうに食べる。
そのうちにお迎えが来だす。
これが4時くらい。
電話が全くつながらないため、保育所に避難先を張り紙していた。
私も弟や父や母にかけるがつながらない。
なぜかみゆみゆだけにはつながって、無事だということと部屋の物が落ちたりしたよというのを聞く。
お迎えのお父さんやお母さんは家の状況や大きな揺れの時のことなど
たっぷり話して帰る。
電車が動いていないこと、ガスが使えないことなどこの辺で知る。
暗くなってきて、雲行きもあやしくなり、寒さも出てきたので
小学校の先生に案内されるまま、体育館へ移動する。
5時くらい。
まだまだ多くの小学生と乳幼児が残っている。
体育館でマットを借りて、持ってきたお昼寝用の布団を敷き、
持ってきたバスタオルを毛布代わりにして座る。これで寒くはない。
この時点で、揺れもある程度おさまり、事態は収束に向かうだろうと予想された。
大きな揺れがきても小学校の体育館なら安全だろうし。
問題は子ども全員のお迎えが何時になったら終わるかで、
これは電車がとまっているので確実に長丁場になると思った。
私自身の帰宅もこの段階でけっこう諦めていた。
無理して歩いて帰るのも夜道は怖いし疲れるし、
じゃあここで一泊した方が安全安心、きっとご飯もでる。
そう踏ん切りをつけてなるべく体力を消耗しないように勤める。
むやみに携帯を使わないことにする。どうせつながらないし。
ニュースはラジオが体育館に持ち込まれているし、
他のスタッフがひっきりなしにワンセグや情報を見ているのでそれを見せてもらう。
その辺で千葉でガス爆発があったとか、東北の津波がすごい被害を出しているとかを知る。
そんなこと関係なしに子どもははしゃぎまくり。
今後の長丁場とか一切考えなしの行動。さすが。
赤ちゃんたちを横にさせているのを見て、こりゃあいい、と思い、
大して眠くないだろうけど横にさせる。
ごろごろしてた方が体力の消耗が少ない。
この間もぽつぽつとお迎えが来る。
小学生たちのほうもお迎えが来る。
小学生のほうは親が来るとマイクで子どもの名前を呼ばれる。
呼ばれた子は周りから「おおー」と小さな歓声を受ける。
まるでその子が英雄になったように。
そして下を向いて少しはにかみながら、
お母さんとは目を合わせずに体育館を出て行く。
6時くらい。
買出しに出たスタッフが戻り、子どもにパンやおにぎりを食べさせる。
おにぎりをちぎって渡し、丸パンを渡し、にこにこしながら食べているのを見ると、
変な話だけど、びっくりするくらいすごく安心したのだった。
子どもには食べさせなきゃいけないと思わせる何かがあるものなのか、
それは義務というか、使命感というか、
とにかく、目の前の子どもが食べ物を満足そうに食べいているということだけで保護者は安心するもんだなあと思った。
だから、戦時中とか、食料が足りないときっていうのは、
子どもに食べさせてやれない、そのことも辛いことの一つだったんじゃないかと思った。
アンパンマンのことが少しわかった気がする。
7時過ぎ、一度保育所に帰って着替えをすることに。
ついでに頼まれものの備品を取りに戻る。
3人でなぜか急ぎながら保育所へ。
街の様子はあまり変わらない。
レストランとかも普通に営業している。ガスは?止まったんじゃなかったのか?
戻るついでに駅の様子を見に行くと、
駅のシャッターが閉まっている。
これはすごいインパクトだった。
ザ・非常事態という感じ。
バスは動いているみたいだけど、目眩がするような長蛇の列。
タクシーなんて一台も見かけない。みんな出払っているのだ。
帰って、そのことを伝えるとみんな驚いていた。
おそらくお父さんお母さんは仕事場から歩いてここまで来るしかなさそうである、
そうするとものすごく到着が遅くなる。
ということが徐々にスタッフの間にも浸透してくる。
東北に実家があるスタッフはメールや電話を何度も試みている。
いくつかの中継点を経て(品川の妹、千葉の伯母さん、実家)無事を確認したり、
ツイッターで情報を集めたりしている。
おおむねご家族無事のよう。
家族のいるスタッフは旦那さんと連絡が取れたり取れなかったり。
固定電話と固定電話ならつながるという状況。
8時くらい。
体育館から教室へ移動。
子どもの人数も減ってきているし、教室なら暖房がよく効くということから。
1の3の教室へ。
床にマットを引き、支給された毛布を上にかける。
他にも避難してきた親子や一人暮らしらしい人がいる。
テレビがついている。
休みなしに地震関連のこと。同じ映像が何度も流れる。
端にある日本列島がショッキングな色でパカパカ光っている。
「炊き出しやってます。ドライカレーです、インディカ米の」という、
プラスチックの入れ物にみっちり詰め込まれた黄色い米を渡される。
大人は「多い」だの、「辛すぎる」だの言っていたが、
大きい子どもは大事そうに食べていた。
たぶん子どものほうが気を使っていたのだ。
よっぽどえらいなあと思う。
ここでも子どもは横になり、大人はその近くで同じような情報を口伝えする。
東京タワーの先が地震で曲がったみたいだよ、と変な噂が流れる。
テレビの端に流れる「ディズニーランドは明日休み」の文字について、感想が飛び交う。
その合間、たまにお迎えが来る。
一人、「渋谷から走ってきました」というお父さん。
汗をだらだら流しながら、1歳の息子をおぶって帰っていった。
都心ではレンタカーを借りたり、自転車を買ったりする人が多くいたという。
「それで、自転車はもう売り切れていたのでハンズでこれ買ってきました」というお母さん。
手にはキックボードを持っていた。
六本木からこれに乗ってきたという。3歳の娘を抱いてこれで帰るという。
その後も遠くから歩いてきたお父さんやお母さんが到着。
みんな疲れているだろうに、満面の笑顔で入ってくる。
ヒーローのように出迎えられる。
6時間かけて歩いて1歳の息子を抱きかかえた瞬間腰が抜けてしまったお母さん。
おたくの息子さん、さっきテレビ見ながら指差して笑ってましたよ。
親と子のギャップがものすごい。
それでもめそめそしている子よりは
こういう状況でもあっけらかんとしていられる子の方がこちらも救われる。
家族のいるスタッフや迎えが来るスタッフが帰り、
何もしないでいる時間がどんどん過ぎる。
電気が消されて、3時くらいになってからのお迎えや、
「旦那と連絡が取れない」と言って帰宅するスタッフ、
まわりのざわざわした話し声や人の出入り、
たびたびくる弱い揺れ、
つけっぱなしのテレビの不穏な情報、
花粉と埃っぽい毛布によるくしゃみと鼻水、
そういうのに影響されて1時間おきくらいに弱く目覚めては弱く寝るの繰り返しで朝が来た。
朝6時。
子どもはあと一人になっていた。
残っているスタッフは私入れて5人。
炊き出しの炊き込みご飯を朝食にする。インスタントの味噌汁も飲む。
電車が動き始めたというのと、
明るくなったのというので、教室内の人たちがどんどん帰っていく。
赤ちゃんみたいに犬を抱っこしてきたお姉さん、
都心から歩いて帰る途中、阿佐ヶ谷で力尽きて一晩休んだサラリーマン、
みんな一礼と笑顔を向けて出て行った。
施設長ともう一人が荷物を保育所にもどして片づけや掃除をすることに。
あとの3人は子どもの面倒。
そのうち一人が栄養士さんで、その人指導の下、
子どもはなんと朝からバームクーヘンとみかんジュースを飲む権利を与えられる。
わあ、すごいやすごいや。
一気にテンションが上がって、教室中を走り回っていた。
本当に偶然だが、その教室は去年卒園した子の使っている部屋らしく、
その子が書いたヒヤシンスの絵とか、名前が書いてある机とかがあった。
こんなところで、こんなものが見れると思わなかったので、
うれしいというのと、少しうれしいと思ったのに罪悪感を覚える。
保護者から差し入れてもらった折り紙を嬉々として折っている最中、
最後の一人のお母さんがへろへろの顔で到着。
子どもの姿を見て涙ぐんでいる。
が、子ども、折り紙に夢中。
お母さんの姿を見ても「ああ来たの」とかなんとか言って
ハートを折る手をやめない。
すごい温度差。
でも最後までえらかったね。よく頑張りました。
手を振って別れる。
荷物を保育所にかたして、少しして帰る。
電車は混み混み。しかもゆっくり動く。
ぎゅう詰めになった状態で、
後ろのスーツのお兄さんの脈が背中にあたって感じ取れる。
どっどっどっどっどっどっ
血管の中を液が流れて、管が細くなったり太くなったりするのがわかる。
太くなった中を血液が通っていく感じもする。
それは流動、みたいなことで、
その流動、というのをこういうときの朝にこういう形で知れるのはなかなかおもしろいなあと思ったのだった。
バスに乗ったら、街並みは至って普通の土曜日で、
部屋に帰っても、呆気ないほど何も変化がなかった。

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