ハナママゴンの雑記帳

ひとり上手で面倒臭がりで出不精だけれど旅行は好きな兼業主婦が、書きたいことを気ままに書かせていただいております。

ソーアムの殺人 ①

2016-08-06 23:32:51 | 事件

《 イアン・ハントリーの娘 からのつづき 》

 

今から14年前のちょうど今頃は、

毎日のようにニュースで “ホリーとジェシカ” の名前を聞き、2人の画像を見ていたものだ。

お揃いの真赤なマン‐Uシャツを着た、可愛らしい2人の女の子。

 

無二の親友だった10歳のホリー(左)とジェシカ(右)は、ケンブリッジ州ソーアム(Soham)に住んでいた。

2002年8月4日(日)はホリーの家でバーベキューがあり、ジェシカも参加していた。

 

当日撮られた上の写真。 背後の時計は午後5時04分を指している。

 

この時期は午後9時頃まで明るい。 6時過ぎ、2人はお菓子を買いに出掛けた。

ホリーの門限は午後8時だったが、2人は8時を過ぎても戻らなかった。

大規模な捜索が始まった。 ソーアムはにわかにスポットライトを浴び、国中の関心が2人の行方に集まった。

       

マンチェスター・ユナイテッド も2人の捜索に協力。 (デイヴィッド・ベッカムもいますね。)

 

 

ソーアムの中学校(Soham Village College)の管理人をしていたイアン・ハントリー(当時28歳)は、

管理人用の賃貸住宅に、婚約者と一緒に住んでいた。

彼の婚約者のマキシーン・カー(当時25歳)は、ホリーとジェシカのクラスで教師のアシスタントを務めていた。

彼の家の窓にも、行方不明の2人に関する情報提供を呼びかけるビラが貼られている(下左)。

ハントリーは2人と会話したおそらく最後の人物として、テレビのインタビューに応えていた(下右)。

ハントリーはカーを訪ねてきた2人と二言三言交わしたが、カーが不在だったため、2人は去ったと述べている。

動画はこちら。 ハントリーの登場は1:20頃。

     

ハントリーはこのインタビュー以外にもすすんでマスコミに登場し、レポーターたちに友好的に接していたが、

今ではそれは、捜査の進展状況を探り出すためだったと考えられている。

 ハントリーは事件後も何食わぬ顔でいつもと変わらず振る舞い、事件の6日後の夜には父親・兄と一緒に飲みに出掛けていた。

 

 ハントリーの婚約者のマキシーン・カーは、ホリーとジェシカのクラスで手伝っていたため2人をよく知っていた。

インタビューに答える彼女(下左)が、行方不明中の2人のことを過去形で話すことに警察は気づいた。

夏休み前にホリーからもらったという “ありがとうメッセージ” を見せるカー(下右)。

     

 

防犯カメラの映像をチェックすると、2人が午後6時過ぎにスポーツ・クラブの入口前を通過していたことがわかった。

(18:24:42と18:13:51と、異なる二つの時刻が表示されているのはナゼ?)

人々の記憶を呼び起こすため、子役を使って再現映像が制作された。

  

 

寄せられたいくつかの不審な目撃情報(のちに事件とは無関係と判明)が追及され、必死の捜索が連日続いた。

        

 

 8月16日、ハントリーとカーは任意で7時間にわたって質問され、供述書が作成された。

その晩2人がソーアム外の別々の場所で警察の監視下にある間、2人が住む家と中学校の敷地内が捜索された。

“重要な品々” を発見した警察は、8月17日早朝、2人を逮捕した。

このとき警察は、ホリーとジェシカがおそらく死亡しているであろうことを、初めて認めた。

  

 

その日の午後、2人の遺体が発見された。 行方不明になってから13日目のことだった。

 

 

《  につづく 》

 

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