《 イアン・ハントリーの娘 からのつづき 》
今から14年前のちょうど今頃は、
毎日のようにニュースで “ホリーとジェシカ” の名前を聞き、2人の画像を見ていたものだ。
お揃いの真赤なマン‐Uシャツを着た、可愛らしい2人の女の子。
無二の親友だった10歳のホリー(左)とジェシカ(右)は、ケンブリッジ州ソーアム(Soham)に住んでいた。
2002年8月4日(日)はホリーの家でバーベキューがあり、ジェシカも参加していた。
当日撮られた上の写真。 背後の時計は午後5時04分を指している。
この時期は午後9時頃まで明るい。 6時過ぎ、2人はお菓子を買いに出掛けた。
ホリーの門限は午後8時だったが、2人は8時を過ぎても戻らなかった。
大規模な捜索が始まった。 ソーアムはにわかにスポットライトを浴び、国中の関心が2人の行方に集まった。
マンチェスター・ユナイテッド も2人の捜索に協力。 (デイヴィッド・ベッカムもいますね。)
ソーアムの中学校(Soham Village College)の管理人をしていたイアン・ハントリー(当時28歳)は、
管理人用の賃貸住宅に、婚約者と一緒に住んでいた。
彼の婚約者のマキシーン・カー(当時25歳)は、ホリーとジェシカのクラスで教師のアシスタントを務めていた。
彼の家の窓にも、行方不明の2人に関する情報提供を呼びかけるビラが貼られている(下左)。
ハントリーは2人と会話したおそらく最後の人物として、テレビのインタビューに応えていた(下右)。
ハントリーはカーを訪ねてきた2人と二言三言交わしたが、カーが不在だったため、2人は去ったと述べている。
動画はこちら。 ハントリーの登場は1:20頃。
ハントリーはこのインタビュー以外にもすすんでマスコミに登場し、レポーターたちに友好的に接していたが、
今ではそれは、捜査の進展状況を探り出すためだったと考えられている。
ハントリーは事件後も何食わぬ顔でいつもと変わらず振る舞い、事件の6日後の夜には父親・兄と一緒に飲みに出掛けていた。
ハントリーの婚約者のマキシーン・カーは、ホリーとジェシカのクラスで手伝っていたため2人をよく知っていた。
インタビューに答える彼女(下左)が、行方不明中の2人のことを過去形で話すことに警察は気づいた。
夏休み前にホリーからもらったという “ありがとうメッセージ” を見せるカー(下右)。
防犯カメラの映像をチェックすると、2人が午後6時過ぎにスポーツ・クラブの入口前を通過していたことがわかった。
(18:24:42と18:13:51と、異なる二つの時刻が表示されているのはナゼ?)
人々の記憶を呼び起こすため、子役を使って再現映像が制作された。
寄せられたいくつかの不審な目撃情報(のちに事件とは無関係と判明)が追及され、必死の捜索が連日続いた。
8月16日、ハントリーとカーは任意で7時間にわたって質問され、供述書が作成された。
その晩2人がソーアム外の別々の場所で警察の監視下にある間、2人が住む家と中学校の敷地内が捜索された。
“重要な品々” を発見した警察は、8月17日早朝、2人を逮捕した。
このとき警察は、ホリーとジェシカがおそらく死亡しているであろうことを、初めて認めた。
その日の午後、2人の遺体が発見された。 行方不明になってから13日目のことだった。
《 ② につづく 》