コルチャック医師の生涯について調べていて、約30年間も彼の片腕を務めたステファニア・ヴィルティンスカについても学んだので、今日は彼女のことを記事にしたいと思います。
(残念ながら、写真の撮影年月日は大半が不明。)
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ヤヌシュ・コルチャック 《実はこれはペンネームで、ヘンリク・ゴルトシュミット(Henryk Goldszmit)が本名》 は、1878年か1879年7月22日にワルシャワで生まれた。生年が定かでないのは、法律家だった父親が出生届の提出を怠ったためである。父親のヨセフ・ゴルトシュミットは、法律家としてワルシャワで成功していたものの、家庭生活はほとんど顧みず、妻セシリアとの結婚生活もあまりうまく行って . . . 本文を読む
仕事がオフだった先日、買っておいたDVD “KORCZAK” を見た。アンジェイ・ワイダ監督の、1990年の白黒映画。(邦題は『コルチャック先生』だが、残念ながら日本ではDVDが出ていないようだ。)
主人公のヤヌシュ・コルチャック(Janusz Korczak)は、実在したポーランド系ユダヤ . . . 本文を読む
「永久凍土の上に建てられた世界最大の都市」ヤクーツクから、車で2日かかってたどり着くロシアの村、オイミャコン。
定住の地としては世界で最も寒い村と考えられているそうだ。1月の平均最高気温は、-42℃。 (-5℃くらいで「寒い」と文句を垂れる自分が恥ずかしいかも・・・)
夜明けのオイミャコン村。
村外れの川にかかる橋。まるでこの地域全体が冷凍庫に入れられたみたい。
オイミャコンに続く . . . 本文を読む
今月16日(水)、テキサス州ヒューストンにあるステーキ・ハウス Laurenzo's での出来事。
キム・カスティロは、家族と共に Laurenzo's に夕食に出掛けた。家族の中には、ダウン症児のマイロ(5歳)もいた。
2年ほど前からそこで働くマイケル・ガルシアは . . . 本文を読む
昨日(20日日曜日)は遅番だった私。午前10時半頃、近所の路面状態を調べるための散歩に出た。
牧草地だった緩やかな斜面に1970年代に開発された住宅地にある我家。簡単に言うと、ヨコに伸びる道路は水平だけれども、タテに伸びる道路は坂になっていることになる。
我家を出て最初の右カーブは、緩やかな上り(下左)。カーブの先はT字路になっていて、ここで右折しなければならない。が、ここで一旦完全に停止して . . . 本文を読む
今日は土曜日。私も仕事がオフだったので、昨日に続いて今日も、三人揃って家でのんびりできました。
オットーは車の車検の予約を入れてあったため、朝8時過ぎ、ダーズリーの修理工場まで車で出掛けました。そこで私は車道の雪かきを始めたのですが、間もなくオットー、歩いて戻って来ました。家から200mほど行って上り坂へと曲がったら、間もなくタイヤがスリップしてそれ以上進めなくなり、道端に車を停めてきたそうです . . . 本文を読む
遅番だった昨日(17日木曜日)。午後に入って間もなく、雪がふわりふわりと舞い始めた。微々たる降りで地面をうっすら染めることすらなかったが、わりと遠くに住む私は30分ほど早く、午後9時を回ってすぐに帰宅するよう勧められ、しっかりお言葉に甘えちゃった。ラッキー!
今日(18日)は夜半過ぎから雪になるとのことだったが、午前4時半頃トイレに起きたときは雪の気配もなかったので、予報は外れたな、と思いつつ . . . 本文を読む
16年前のアンゴラは、地雷による死傷者数が世界一多い国だった。
13歳のサンドラ・ティジカも犠牲者の一人。10歳のときに内戦から逃れようとしていて地雷を踏み、左脚を失った。
1997年1月。ダイアナ妃は地雷撲滅キャンペーンのため、アンゴラの首都ルアンダを訪れた。動画はこちら。
埃っぽい塀に並んで腰掛けたダイアナ妃とサンドラの写真は、世界中を駆け巡った。
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昨日(15日火曜日)は遅番でした。仕事前にチェルトナムで買物をするため、家事を済ませ、9時50分に出発。35分ほどでチェルトナムに着きました。
目抜き通りのプロムナード(下)。最高気温2℃と寒い日で、そのせいか町はわりと空いていました。
買物のあとランチに入ったのは、先月イェートで入り損ねた99ペンス・カフェ。ようやく99ペンス・カフェを試す . . . 本文を読む