《 ⑧からのつづき 》
帰国前日だった10月27日(土)は、ヘルマンの娘アリツィアに午後のコーヒーと夕食に招かれました。ヘルマンは眼病による視力の衰えから数年前に車の運転をやめていたため、30分ほど離れて住むアリツィアが、ヘルマンと私を迎えに来てくれました。あいにくこの日は一日雨でしたが、それでもドイツの田舎は美しいのです。
インテリア雑誌から切り抜いて . . . 本文を読む
《 ⑦からのつづき 》
カウフホーフ・デパートを出、カールス門広場駅からトラムに乗ってニンフェンブルク城を目指します。車窓から去年訪れた司法宮殿――“白バラ”メモリアル・ホールがある建物――が見えました。(参: ゾフィー・ショルを偲ぶミュンヘン②)
ミュンヘン中央駅です。さすがに大きいです。
トラムはイギ . . . 本文を読む
《 ⑥からのつづき 》
お気づきですか?タイトルから「なう」が消えました。昨日(10月28日日曜日)帰宅したもので。そんな事情で「なう」でなくなってしまったミュンヘンだよりですが、もう少し続きます。
10月26日(金)は天気が良かったので、お土産のお菓子を買いにもう一度ミュンヘンに出ました。午前10時頃のミュンヘン・カールス広場駅のある地下通路です。
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《 ⑤からのつづき 》
永遠の愛の物語をつむぎ続けるヘルマンとルイゼ。居間の一角のルイゼを偲ぶコーナーは、去年と変わらずそのままです。ヘルマンが「お土産は絶対に要らないからね、年寄りにはこれ以上欲しいものはないのだから。来てくれるだけで嬉しいよ。」と何度も手紙に書いてくるので本当にお土産は持たずに来ましたが、去年に続いてまた私のペーパーフラワーだけは持参し、ルイゼの思い出コーナー . . . 本文を読む
《 ④からのつづき 》
ヘルマンの家は、私の憧れの住まい。私は去年に続いて今回も、ヘルマンの書斎のソファベッドで眠らせていただいております。この部屋、トイレに近くて便利なので。
地下のスペア・ルームには、ムスメのベッドまで用意してくださっていました。そうなんです、ムスメも一緒に来られるよう祈っていたんですが・・・ ムスメがヘルマンに最後に会ったのは2006年、 . . . 本文を読む
《 ③からのつづき 》
住み込みヘルパーでの睡眠不足からまだ解消されていなかったため、ミュンヘンに行った翌日の23日(火)は爆睡してしまって目が覚めたら午前9時10分!
すでに朝食を終えていたヘルマン、私のためテーブルをそのままにしておいてくれました。我家とは大違いの美しいセッティングに、思わず写真を撮影。
この ↓ バリバリの‟クリスプ・ブレッド&rdquo . . . 本文を読む
《 ②からのつづき 》
すっかりお腹が満たされた(好物のジャガイモ団子が一個では物足りなくてもう一個追加注文したことはナイショ・・・)ので、つぎは過去に上ったことがなかった新市庁舎 New Town Hall (Munich) の塔に上ってみました。ここは目と鼻の先に立つ聖ペーター教会のように螺旋階段を自力で上らなけらばならない塔とは違い、エレベーターで上れるので体力要らずです。 . . . 本文を読む
《 ①からのつづき 》
ヘルマン宅に到着した翌日(10月22日月曜日)は好天気だったので、ミュンヘンに出かけました。最寄り駅から電車で30分ほどで、ロンドンにとってのピカデリー・サーカス的存在であるミュンヘンのマリエン広場駅に到着。ミュンヘン中心部ではすべての電車も地下鉄と同様地下を走るため、駅も地下になります。
今回は前回のゾフィー・ショルを偲ぶみたいな特別 . . . 本文を読む
10月13日(土)に始まった一週間の住み込みヘルパーの仕事を、無事からは程遠い内容で終えて20日(土)の正午前に帰宅。
荷ほどきしたらすぐにまた荷づくりして、今日21日(日)から去年に続いてふたたび、ミュンヘン郊外に住むヘルマンのお宅に滞在させていただいています。一週間の予定。
オットーにブリストル空港まで送ってもらい、定刻に離陸。さらばブリストル、さらばイングランド。(左上は海ではなくてセヴ . . . 本文を読む
昨日はなかなか大変だったので記事(といっても短くてつまらないものですが😓)更新をすっかり忘れました。 気分転換のため、またカフェで休憩。普段は滅多にカフェなんて入らないのに・・・困る!肥るがな‼️ 帰り道に見た教会。夕暮れってやわらかな色合いですてき。 ただいま19日午前6時過ぎ。お世話している96歳女性がベッドからの転倒をされて、自力では起き上がれないので、4時20分に救急車を . . . 本文を読む