猪去上平地区は、盛岡市役所の西南西約10km、盛岡市役所都南総合支所の西北西約9kmのところですが、
薬師神社は薬師岳標高約415mの山頂部にあります
盛岡市役所都南総合支所西側の道路を(北)へ、約300mで左(西)へ、国道46号線です
約1.4kmで運送会社の手前の信号を右(北)へ入って直ぐの信号を斜め左(北西)へ
約700mで盛岡バイパスの下を潜って、更に道成りに2.2kmで県道13号の信号を過ぎて
約700mで斜め左(西)へ、約500mで東北自動車道の下を潜ります
約1.6kmで道路が右に鍵の手にカーブします、約200mの変形十字路を右(北)へ、約200mで自販機の先を左(西)へ
道成に約1.3kmの盛岡ハイランドカントリークラブの看板の先で左(西)へ
約800mで道路左(南側)に

箱ヶ森登山コース案内図です、左下側に薬師山です

左隣の「太田薬師コース」案内図です、こちらのコースを往復します

少し戻ると、「薬師神社のクロビ」天然記念物標柱です

標柱の前の橋を渡って南東へ入ります
リンゴ園を左に見ながら、電気柵に沿って細い道路を上がって行きます

奥に鳥居の見える広場に出ました

広場の北東側からは

リンゴ園越しに盛岡市内を見下ろしました

説明版です
太田の里・まるごとマップ⑰
上平(うわだい)遺跡(上平展望台)
この周辺の遺跡発掘調査は、昭和61年(1986)から平成5年(1993)にかけて実施され、約8000年前の縄文時代早期の土器や石器をはじめとして遺構や遺物が出土したことから、縄文時代の集落跡と考えられます。
このほかにも、縄文時代早期・中期・後期・晩期、弥生時代(約2000年前)、平安時代(約1100年前)、室町時代(約500年前)の遺構・遺跡が見つかっています。
縄文時代は温暖な気候が続き、山の幸などの食料が豊富だったことから、人口が増加した時代と考えられ、集落は台地や丘陵の上に営まれていました。
この付近では、上鹿妻のオミサカ遺跡、猪去地区の桜台(御所桜のあるところ)、八幡館、多面野木遺跡、蟹沢山、などの丘陵の辺縁部に見られます。
縄文時代から弥生時代、平安時代、中世、戦国時代そして現代と、人々hあこの高台から盛岡の街の移り変わりを眺めてきたことでしょう。

車を止めた所から約1.2km、標高差約250mの登山に成りました、気温の高い中でストック1本にカメラだけぶら下げて登りました

薬師神社一ノ鳥居です

参道を進むと

説明版があります
盛岡市指定天然記念物
1、名称 薬師神社のクロビ
2、所在地 盛岡市猪去字上平89番地 薬師神社境内
3、指定年月日 昭和56年7月1日
4、説明
クロビは山地の尾根筋に生育するヒノキ科の常緑針葉高木である。
当神社の勧請と関係のあるものとして、アカマツとともにこの地域の領主猪去蔵人の植栽したものと伝えられている。
岩手県における最大木は石鳥谷町のサカサヒバと俗称されているもので、第2位は釜石市鵜住神社のもので本樹は第3位である。
平成7年測定によれば、目通り幹囲2.6m、枝張り10.7m、樹高21mで、樹齢は400年以上と推定されている。
5、所有者 盛岡市猪去字上平89番地 薬師神社
〈薬師神社〉 通称「猪去峯のお薬師さん」と呼ばれ少名彦命を祀る。例祭日は6月8日
平成7年3月 盛岡市教育委員会

神楽殿です

両部鳥居はニノ鳥居です

薬師山頂上まで約800mの表示板です

送電線巡視の表示板です

緩く登って行きます

頂上まで約300mの表示板です

緩く上っていきます

少しずつ登山道が急になった来ると階段が出て来ます

送電線巡回表示です

右手に送電線の鉄塔です

送電線に下は、陽当たりが良いのでヤブっぽくなっています

しっかりした段が付けられています

柵に囲まれた石碑があります、右側には獅子頭の様です

登山道の崩れている場所には補助ロープが架けられています

空が開けてきました、間も無く頂上です

薬師神社社殿です

軒下の額です

境内にも神楽殿のようです



目的のクロビです

立札ですが文字は消えてしまっています



南側から



東側から



北側には杉の大木です、根元には出羽三山の石碑です

大松の切株に屋根が架けられています

説明版です
太田の里・まるごとマップ⑱
峯薬師神社
薬師山(海抜407.5m)の山頂に鎮座する峯の薬師神社は、大同元年(806)現在地に祀られたと伝えられています。
大東亜戦争終戦前は太田村の村社でした。御神体は徳川時代の作と伝えられる薬師如来像です。
明治44年(1911)に社殿が再建された際発見した棟札様のものに「峯の薬師如来は天笠の月氏国医師善逝の御姫浄瑠璃光女と申奉る、此地神国に降来し玉ひて薬師菩薩と号す。一切の諸病を療し民衆を救わんがため、大同元丙戌此」とありました。
明治初年に起きた廃仏毀釈運動に際し、少名彦名命を奉祀して従来の薬師如来を薬師神社と改称しています。例祭日は6月第一日曜日です。
なお神木の大松と盛岡市指定の天然記念物クロビは、猪去氏2代目に猪去蔵人(天文末年頃 1550)手植えとされ、またその下にある出羽三山の碑の周辺に置かれている一つ一つの穴あき石は、目、耳、鼻等人体の穴の病気平癒を記念して願いを込めて奉納したものです。
「太田の昭和史」より

説明版に在った「穴あき石」のようです
長くなってしまいました、戻って次へ行きましょう
