ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

岩手県北上市、相去町岩の目「岩の目のサイカチ」(保存樹)です!!

2024-10-04 18:39:16 | 巨樹・大木
 相去町岩の目地区は、北上市役所の南南西約6kmのところ

 北上市役所東側の県道254号線を南西へ進みます、約800mで和賀川を新九年橋を渡ります

 約2.2kmで「⇐オフィスアルカディア」の標識に従って丁字路を左へ

 約400mでオフィスアルカディア手前の交差点を左(東)へ

 約600mの東北新幹線高架下の一時停止の丁字路を右(南西)へ、県道254号線に戻ります

 約2kmの緩い上り坂の途中の横断歩道の先を左下へ下る道路へ、またすぐの「⇐岩手県企業局相去浄水場」の標識を斜め左へ

 すぐ先の幅広い丁字路を左へ曲がると、橋の手前右側に目的のサイカチです

 手前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 北西側から

 北側から太い幹を見ました

 説明版です
   保存樹木等指定標識
 指定番号    樹木  第44号
 指定年月日   昭和48年10月19日
 所在地     北上市相去町岩ノ目
 樹種      サイカチ
 本数      1本
 由来伝説
  根元から3mで切断されているが平坦地に1本だけあり地元民が強い愛着を持っている。
 所有者住所   北上市芳町1-1
 (占有者)指名 北上市
   この木はみどりのまちづくりのため保存するものです。
         北上市

 北東側端の上から

 南側から見上げました

 少し離れて南南西側から見ました

 では、次へ行きましょう



 2024・9・11・16・40
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岩手県金ケ崎町、三ケ尻渋川堤下「日吉神社の姥杉(町指定)は伐られていました!!

2024-10-04 15:14:22 | 巨樹・大木
 三ケ尻渋川堤下地区は、金ケ崎町役場の北約3kmのところ

 金ヶ崎町役場を東へ出ます、約200mで左(北)へ、県道270号線です

 約700mで左カーブの「アテルイの里へようこそ・千田正記念館2km⇗」ところを斜め右(北)へ

 道成りに約1.8kmで「三ケ尻幼稚園」の看板を右(北東)へ

 約400mで道路左手に日吉神社の鳥居が見えて来ます

 手前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 境内入口鳥居です

 日吉神社社號標です

 手水鉢です

 ニノ鳥居です

 拝殿です


 本殿です

 拝殿前右手境内のイチョウの大木です

 西側から

 北側から

 拝殿前左(西側)境内にもイチョウの木です

 拝殿左(西)に在るはずの姥杉は伐られてしまっていました

 切り口には透明なプラスチックのカバーが掛けられています

 南側から

 説明版には伐られた経緯も記されています
   日吉神社のうば杉
 日吉神社の境内に所在する杉の大木は、地域の人達から「うば杉」と呼ばれ、神社の御神木として崇め親しまれてきました。
 町内に杉の中では、永徳寺境内杉並木と並んで歴史ある大木であることから、昭和48年(1973)8月30日に町天然記念物にしていされました。
 当時は、樹高が24m、直径1.6mで、推定年齢が550年でした。
 安永7年(1778)の風土記御書上によると、奥州の藤原秀衡の下へ身を寄せて高館(平泉)に居た頃に、源義経が中尊寺に寄進された三ケ尻へ日吉の一社(山王社)を文治年中(1185~1189)勧請し建立し、宮國(都か)の杉を植え立てたとあります。
 その杉は今も残り、木の周囲が三丈余(約10m)、高さが十丈余(約30m)程と記されています。
 また、宝暦13年(1763)の風土記では、義経が建立した社は、山王権現宮とあります。
 記録のとおり、杉を植えた人物が義経であれば、奥州に下向し秀衡が亡くなった文治3年(1187)頃でしょうか。
 樹高は安永7年の記録で約30m、昭和48年の調査で24mであることから、現存していた杉は植えかえられたと考えられています。
 しかし、江戸時代の風土記の記録以前から語り継がれてきた源義経や藤原秀衡の歴史とともに、神社の御神木として親しまれてきた「うば杉」は、次の杉へと大切に継承されてきたものと想定されます。
 平成29年(2017)10月2日、台風18号の被害により「うば杉」の幹が大きく傾き、やむなく伐採されました。
 その歴史、それを語り継いできた地域の文化の証を残すため、根を保護して後世に伝えていくこととします。
       平成29年(2017)11月

 本殿西側の境内社・産神の乳富久社です

 金毘羅社です

 では、次へ行きましょう



 2024・9・11・16・15
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岩手県奥州市、水沢佐倉河宮ノ内「鎮守府八幡宮のスギ」(市指定)です!!

2024-10-04 06:30:44 | 巨樹・大木
 水沢佐倉河宮ノ内地区は、奥州市役所の北約5kmのところ

 奥州市役所東側の道路(大手通り)を北へ、約300mの「立町」信号からは県道226号線です

 約1.2kmの「⇐北上・国道4号線」の標識に従って「道下」信号を左(北西)へ

 胆沢城址歴史公園が左に広がる先の約3.2kmで斜め右へ「鎮守府八幡宮」の赤い鳥居を潜ります

 約200mで右(東)へ、約500m車が1台やっと通れるような道路を進むと

 鎮守府八幡神社の広い駐車場に入りました

 駐車場脇の木々のかげに「ふるさと名所50遷・胆沢城跡と鎮守府八幡宮」の標柱です

 南向きに鎮守府八幡宮入口です

 鎮守府八幡宮社號標です

 鎮守府八幡宮略記です
    鎮守府八幡宮 略記
 當宮御祭神は国家を鎮護し、学問産業を盛んにし、災いを除き、人の一生を守り給う八幡の大神をまおし、誉田別尊・息長帯姫命・市杵島姫命の三神にまします。
 桓武天皇、延暦20年に坂上田村麻呂をして東奥鎮撫のとき崇敬勧請せらる、宇佐八幡神霊、この地に鎮まり給い、鎮守府八幡宮と号したて東北開拓経営の守護神んとなられ給う。
 国家の崇敬厚く、嵯峨天皇より宸筆の八幡宮印を賜る。
 源頼義・源義家・奥州藤原氏は、共に神威を蒙り報賽するに神領神宝をもってす。
 文治5年、源頼朝は殊に欽仰し神事悉く幕府の御願とし、陸奥・出羽両国の官物をもって諸祭を執行し慣例とす。
 豊臣秀吉及び伊達氏も亦厚く崇敬し社殿を奉納す。
 文化年中、伊達藩奥七郡の総寄進をもって現社殿を造営す。
 明治9年御巡幸のとき、明治天皇の御代拝を賜る。
 朝廷将軍領主庶民の崇敬厚きにより県社に列す。
   祭日  例祭   9月15日
       加勢祭 旧正月 8日

 玉砂利の参道を進みます

 橋を渡ると

 手水舎です

 三ノ鳥居でしょうか

 拝殿です

 本殿です

 拝殿西側の境内社です

 すぐ北側に目的のスギです

 東側から、注連縄が巻かれた御神木です

 根本の祠に説明書きです
   鎮守府八幡宮境内社 若木(若気)社の神木    
     祭神  若木久久能知大神
 この神木は根際の三つの幹がねじれ絡んでいるように見え、上に伸び合わさり一つの樹になっています。 
 このような樹形は他所には無く大変不思議な形をしており、指定樹齢は1150年、幹回りは6ⅿ50cm、推定樹高は29ⅿ。
 杉の巨木としては当地方で最大のものと言われております。
 古来より夫婦和合、子孫繁栄、恋愛成就に特別に強い信仰があり、また悪縁を切り良縁に変える神威が有り、いろんな悪縁切りにも高い御神力があると言われております。
 お宮の扉を開けて拝んでいただくとともに神木の霊気を感じとって自分の身体に樹魂を受け入れ日々の安寧と心に願うことを御祈願下さい。
 お参りの後は扉を閉めて他言しないように。他人に喋るとの望が叶わないと言い伝えられております。

 北東側から見上げました

 本殿西側には稲荷社が南向きに建ちます

 稲荷社北側の境内林のなかにも多くの石祠や石碑が並びます

 では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする