浦庄諏訪地区は、石井町役場の西約3kmのところ
石井町役場の東側の県道34号石井引田線を南へ
約700mで右(西)へ、国道381号線です
約3kmの「石井町浦庄」信号を右(北)へ

約100mで右(東)へ、間も無く「多祁御奈刀弥神社の鳥居」です

北へ約200mで多祁御奈刀弥神社境内入口鳥居です
鳥居西側の道路脇に
車を止めさせて頂きました

多祁御奈刀弥神社社號標です

手水舎です

多祁御奈刀弥神社由緒石碑です
多祁御奈刀弥神社御由緒
鎮座地 石井町浦庄諏訪213番地の1
御祭神 建御名方神・八坂刀売神
旧社格 式内郷社・延喜式内社
由緒
我等の聖地「諏訪」其の中央に鎮座まします御祭神の建御名方神は、大国主神(大国さま)の御子神で、八重事代主神(えびすさま)は御兄神にあたる。
御鎮座の年代について、今から約1000年前延喜式の神名帳にその名があり、少なくとも千数百年以上前と言われており、我が国最古の神社の一つに数えることが出来る。
又、長野県諏訪市に有る諏訪大社は(宝亀10年・779年)阿波から移遷されたとの説もあり、これをうらづける説として、武勇秀でたれば天照大神に豊葦原中国を奉ることを拒み、戦ひて長野県信濃国に至り戦利あらず、彼地にて崩御、則信濃国諏訪神社尊を奉祀せる、官幣大社なり。
我諏訪は蓋し尊の御住居地なるか、一説に尊の戦ひの初めは出雲に近き阿波国の諏訪にて信濃は最後の地なりと有り。
更に農耕生産、開運招福、特に武将から勝負の神様として称され、戦前戦中氏子が出征する際には、この神社に武運長久を願ったものである。
更に古くは、徳島市佐古町の山上に諏訪神社があり、これは藩主蜂須賀侯が、毎年徳島城より参詣せしが、秋季鮎喰川出水の為困難なるにより、当社の分霊を此の地に移し佐古の諏訪神社を創立せり、殊に寛文年間(1661~1673年)第4世光隆君疱瘡にかかれし際、当社に御祈願あり、奇瑞著しかりし事の説がある。
いずれにしても古き時代より氏子は基より全国の信仰者等多くの参拝の絶えない尊い神社と言われている。
平成24年10月吉日



鳥居脇のイチョウです、注連縄が巻かれています


拝殿前から

拝殿です

本殿です


目的のムクノキは境内西端です



東側から見上げました

御神木(椋)樹齢推定700年の案内板です



南東側から

幹が傷んでいるのは、椋の木の特徴だそうです




北東側から


北側から

拝殿脇から見ました



本殿西側にはエノキの大木です
では、次へ行きましょう

2024・6・9・9・35
石井町役場の東側の県道34号石井引田線を南へ
約700mで右(西)へ、国道381号線です
約3kmの「石井町浦庄」信号を右(北)へ

約100mで右(東)へ、間も無く「多祁御奈刀弥神社の鳥居」です


北へ約200mで多祁御奈刀弥神社境内入口鳥居です

鳥居西側の道路脇に


多祁御奈刀弥神社社號標です


手水舎です


多祁御奈刀弥神社由緒石碑です
多祁御奈刀弥神社御由緒
鎮座地 石井町浦庄諏訪213番地の1
御祭神 建御名方神・八坂刀売神
旧社格 式内郷社・延喜式内社
由緒
我等の聖地「諏訪」其の中央に鎮座まします御祭神の建御名方神は、大国主神(大国さま)の御子神で、八重事代主神(えびすさま)は御兄神にあたる。
御鎮座の年代について、今から約1000年前延喜式の神名帳にその名があり、少なくとも千数百年以上前と言われており、我が国最古の神社の一つに数えることが出来る。
又、長野県諏訪市に有る諏訪大社は(宝亀10年・779年)阿波から移遷されたとの説もあり、これをうらづける説として、武勇秀でたれば天照大神に豊葦原中国を奉ることを拒み、戦ひて長野県信濃国に至り戦利あらず、彼地にて崩御、則信濃国諏訪神社尊を奉祀せる、官幣大社なり。
我諏訪は蓋し尊の御住居地なるか、一説に尊の戦ひの初めは出雲に近き阿波国の諏訪にて信濃は最後の地なりと有り。
更に農耕生産、開運招福、特に武将から勝負の神様として称され、戦前戦中氏子が出征する際には、この神社に武運長久を願ったものである。
更に古くは、徳島市佐古町の山上に諏訪神社があり、これは藩主蜂須賀侯が、毎年徳島城より参詣せしが、秋季鮎喰川出水の為困難なるにより、当社の分霊を此の地に移し佐古の諏訪神社を創立せり、殊に寛文年間(1661~1673年)第4世光隆君疱瘡にかかれし際、当社に御祈願あり、奇瑞著しかりし事の説がある。
いずれにしても古き時代より氏子は基より全国の信仰者等多くの参拝の絶えない尊い神社と言われている。
平成24年10月吉日



鳥居脇のイチョウです、注連縄が巻かれています



拝殿前から


拝殿です


本殿です



目的のムクノキは境内西端です




東側から見上げました


御神木(椋)樹齢推定700年の案内板です




南東側から


幹が傷んでいるのは、椋の木の特徴だそうです





北東側から



北側から


拝殿脇から見ました




本殿西側にはエノキの大木です

では、次へ行きましょう


2024・6・9・9・35
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