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ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

三重県伊賀市、下柘植「霊山寺のオハツキイチョウ」(県指定)です!!

2025-04-23 18:41:35 | 巨樹・大木
 下柘植地区は、伊賀市役所の北東約14km、伊賀市柘植地区市民センターの南約3kmの山の中に霊山寺があります

 伊賀市柘植地区市民センター西側の道路を南へ出ます、約150mで丁字路を左(東)へ、旧大和街道です

 約100mで一時停止の交差点を右(南)へ、約400mで一時停止を右(西)へ、国道25号大和街道です

 約1.4kmの「上柘植」信号を左(南)へ、県道4号線です、約700mで名阪国道の高架を過ぎると伊賀コリドールロードを上って行きます

 約1.2kmで「⇐霊山寺」の案内板を左(南東)へさらに細い坂道を上る様に進みます

 道成りに約1.6kmで霊山寺下の駐車場に入りました、数台の車が止まっています、登山客のようです

 駐車場脇の案内板です

 階段を登って行きます

 大きな霊山寺の看板です

 脇には、三重県指定文化財
   *霊山山頂遺跡(観音立像・寺院跡)平成 2年3月27日 追加指定並びに名称変更
   *アセビ・イヌツゲ群生地     昭和47年6月 1日 指定
     伊賀市指定文化財
   *十一面観世音菩薩        平成 元年4月 1日 指定
   *霊山経塚遺跡銅鏡        平成 元年4月 1日 指定
   *イチョウの大木
   *霊山寺石仏群
   *妙見菩薩

 参道を進みます

 石段を上って

 境内に上がって来ました、目的のイチョウが目に入ります

 手水舎です

 北西下から見上げました

 西向きに本堂です

 本堂南東側に鐘楼です

 北側から
 *伊賀盆地を見下ろす霊山の中腹にある霊山寺境内のオハツキイチョウ。
 オハツキイチョウはイチョウの変種で、葉の上に実を結ぶイチョウのことをいいます。
 学術的に興味深い変種であり、同種の樹木に比べて樹体が大きく、樹容も優れています。紅葉の最盛期には、艶やかに色づき、無数の銀杏が周辺には散乱します。
 平成8(1996)年3月7日に県の天然記念物に指定されました。

 東北東側から、目通り幹囲4.2mの大木です

 南側から見上げました

 では、次へ行きましょう




 2025・4・3・13:30



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三重県亀山市、加太板屋「川俣神社の神木杉」(市指定)です!!

2025-04-23 12:44:31 | 巨樹・大木
 加太板屋地区は、亀山市役所の西隘13kmのところ

 亀山市役所北側の県道302号線を東へ出ます、約200mの「江ケ室交番前」信号を左(北東)へ、まだ県道302号線です

 道成に約1kmの「⇐大津・国道1号線」の標識に従って「羽若町」信号を左(西)へ、国道1号と25号の重複ルートです
 道成りに国道25号ルートへ進みます、約14.1kmの「板屋IC」を降りて右(北)へ

 約200mで左に直角にカーブした国道25号線の旧道に成ります

 約200mで正面に川俣神社の参道が東向きに出ています

 駐車場は更に約200m進んだ境内にあります

 「式内 川俣神社」社號標と川俣城跡の碑です

 鳥居です

 参道を進みます

 ニノ鳥居です

 参道は一度下って

 井戸が有ります

 中を覗くと水が湧いています

 折り返すように三ノ鳥居です

 石段を上ります

 境内に上がって来ました、4番目の鳥居です

 桜が満開です

 エドヒガンザクラのようです

 史跡 川俣神社の標柱です、側面には・・・
 川俣神社は、大比古命(おおひこのみこと)を祭神とする神社で、もとは加太中在家嶋ノ川原の加太川とアマノタ川が合流点付近に位置し、寛文8年(1668)に、川俣城の跡地である現在地に鎮座したものと伝てられる。
 川俣城は、南北朝時代にこの地を領していた鹿伏兎(かぶと)氏が築いた御霊ケ丘(ごりょうがおか)陣屋を、応永21年(1414)に伊勢国司北畠満雅(きたばたけみつまさ)が「川俣城」と名付けたとされ、社殿裏にわずかに土塁が残こっている。

 手水舎です

 拝殿前の5番目の鳥居を潜ります


 本殿です

 本殿北側の境内社です

 社叢は天然記念物です、側面には・・・
 川俣神社社叢は、御神木の大杉(幹周6.4m、樹高約36m)や全国的に見ても最大級の大きさと思われるサカキ(幹周1.54m、樹高約18.5m)やイヌガシ(幹周1.63m)を始めとしてアカシデ・アラカシ・イヌマキ・イロハモミジ・ウラジオガシ・エゴノキ・エノキ・カヤノキ・ケンポナシ・ケヤキ・サカキ・サザンカ・シキミ・シダレザクラ・シラカシ・スギ・タブノキ・ツバキ・ツブラジイ・ハゼノキ・ヒイラギ・ヒノキ・ホウノキ・ムクノキ・モチノキ・ヤブニッケイ・ユズリハや希少植生が良好な状態で保存されており、天然記念物として指定し、その保護を図るものである。
 *ウラジオガシの表記はウラジロガシの間違えとおもわれます。 

 本殿南側の玉垣脇から奥に目的のスギです

 注連縄が巻かれています

 北側から見上げました

 御神木(樹齢千年)です

 西側から
 
 南西側から

 南側から見上げました

 では、次へ行きましょう



 2025・4・3・12・25

コメント (2)
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三重県桑名市、東方「照源寺の夫婦マツ」(市指定)です!!

2025-04-23 06:33:39 | 巨樹・大木
 東方地区は、桑名市役所の北北西約1kmのところ

 桑名市役所北側の道路を東へ出て、国道1号線を左(北)へ、次の「中央町」信号を左(西)へ、桑名中央線です

 JR線と近鉄線を陸橋を越えた約500mの信号を右(北)へ、蛎塚益生線です

 約600mの「照源寺 納骨堂」の案内板を左(西)へ

 境内入口です

 境内に車を止めることが出来ます

 右手の松並木が参道です

 説明版です
   照源寺
 当寺は、元和3年(1617)桑名城主となった松平(久松)隠岐守定勝の菩提寺のため、その子定行が寛永元年(1624)創建し崇源寺と号したが、その後照源寺と改称した。
 境内には、県の文化財に指定されている松平家一統の墓所として定勝を初め藩祖定綱夫婦以下およそ25基の墓や、市の文化財に指定されている寛永元年(1624)に建てられた山門、両株の根元からほぼ水平に出ているそれぞれの太い側根が互いに癒着して連立しているクロマツの巨樹「夫婦マツ(別名連立のマツ)」等多数の文化財や金龍桜が見所です。

 東向きに山門です

 説明版です
   照源寺山門一宇(市文)
     昭和36年11月13日指定
     桑名市東方1308 照源寺
 照源寺は寛永元年(1624)桑名城主松平定行候が、その父松平定勝候(前城主で徳川家康の異父弟)の菩提を弔うために創建したもので、当時の遺構で現在残っているものはこの山門(表門)一宇と境内の県史跡松平家霊廟だけである。
 棟高7m10cm、軒先高4m10cm、単層切妻四脚門本瓦葺総欅造、石造の基盤からなっている。

 「史蹟 松平定綱及一統之墓所」の標柱です

 境内に入ると左手に鐘楼です

 右手には稲荷社です

 大きな本堂です

 本堂前右手(北側)の庫裡入口に目的の夫婦マツです

 説明版です
   桑名市指定天然記念物
     照源寺の夫婦マツ 
 クロマツの大樹が約1.6m隔てて東西に並び立ち、太い根が、互いに癒着して連理しています。
 クロマツの大樹が完全なる連理の状態を示しているのは、稀有のことで学術上も貴重なものであります。
 昭和58年にあh、社団法人・日本の松の緑を守る会より21世紀へ引き継ぎたい日本の名松・100選にも選定されました。
   東株   根元 4.1m
        樹高19.0m
   西株   根元 2.8m
        樹高12.0m
   昭和50年3月7日指定
       桑名市教育委員会

 太い方の東株です

 西株です

 根元が連理に成っているはずですが、砂が盛られて見えなくなっています

 東側から見上げました

 本堂前のシダレザクラは咲き始めでした

 本堂南西側に松平家霊廟入口です

 松平家霊廟案内図です

 北側の入り口から北端近くに初代の墓です

 図面の3~14番の墓碑です

 南側の入り口から図面16番の墓碑です

 正面には7番の墓碑です

 南端近くの墓碑です、鳥居のあるのが15番の墓碑です

 では、次へ行きましょう



 2025・4・3・11・00
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