goo blog サービス終了のお知らせ 

ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

徳島県藍住町、矢神春日「春日神社の矢上の大クス」(県指定)です!!

2025-04-29 18:37:34 | 巨樹・大木
 矢神春日地区は、藍住町役場の北北西約1.5kmに、春日神社が東向き参道で鎮座します

 藍住町役場の東側の信号を北北東へ、県道225号線です

 道成りに約1.1kmの「藍住町乙瀬」信号を左(西)へ、県道14号線です

 約500mのコンビニ手前の信号を右(北)へ、道成りにクランクした道路を約400mで左(西)へ

 春日神社の参道です

 境内脇に車を止めることが出来ました

 両部鳥居と随身門です

 手水舎です

 拝殿です

 本殿覆い屋です

 春日神社造営記念碑です
   春日神社御造営記念
 春日の地名は、安閑天皇の2年に春日部の屯倉を置きしに始まり、鎌倉時代に至って、奈良春日大社の御分霊を勧請して、ご祭神は、武甕槌命・経津主命・天津児屋根命・比賣神を奉斎して古来から、私達の遠い祖先の人達は、矢上荘、乙瀬、奥野の総氏神として、郷土の繁栄と平安を朝夕に謙虚な気持で、祈って来ました。
 この度ご社殿の老朽が甚だしい為、御神慮を深く畏みまつり、再建の念、氏子中よりおこり、平成2年1月、ご造営委員会を発足して、時恰も、天皇陛下、御即位ご大典の御慶祝に当り、氏子一同誠意と敬神の念をもって、御本殿並びにその他の御社殿を完成しました。
 ここに永く後世に伝えるものであります。
   「氏人の こころあわせて 神殿の 新築畢えて 神威輝やく」 平成3年10月10日

 目的のクスノキです

 西側から、周りを金網で囲われています

 「徳島県指定天然記念物 矢上の大クス」の標柱です

 説明版です
   徳島県指定天然記念物
     矢上の大クス
       指定年月日 昭和31年2月7日
 矢上の大クスは、樹齢1200~1400年と推定される県内でも最も古いクスノキの巨樹である。
 幹周りは11.95m、高さ約15mを測る。
 文化8年(1811)出版の「阿波名所図会」には「矢上の大樟」として紹介されており、阿波を代表する名木として県下一円に知れ渡っていたと考えられる。
 クスのある春日神社は、建仁3年(1203)に奈良春日大社へ寄進して成立した荘園・矢上庄の鎮守として設けられたといわれている。
      藍住町教育委員会

 北側には大きな洞が有ります

 東側から


 境内社です



 境内のシダレザクラが満開でした

 では、次へ行きましょう




 2025・4・4・12・00
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

兵庫県南あわじ市、福良「道の駅福良の観光船」です!!

2025-04-29 12:56:33 | ドライブ
 福良地区は、南あわじ市役所の南西約7kmのところ

 南あわじ市役所を南東側に出ます、約500mで右(西南西)へ、国道28号線です

 約7.1km道成りに進んで左手に道の駅福良です

 駐車場が一杯だったので東側の福良マルシェ脇の無料駐車場①へ移動しました

 観光案内図です、現在地は中央の赤い☆の所です

 港に帆船が止まっています

 黒い船体の「咸臨丸」です

 鳴門海峡渦潮観光の「うづしおクルーズ」に使用されています

 もう一隻港の北側にも色違い(茶色のい船体)の「咸臨丸」です

 ここ道の駅福良に来た目的のは「国道ステッカー」です、「道の駅 福良 南あわじ観光案内所」でのみ入手可能です


 では、早めの昼食を摂って




 2025・4・4・10・45

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

兵庫県南あわじ市、榎列下幡多「おのころ島神社夫婦松(こえ松)の御神木」です!!

2025-04-29 06:32:24 | 文化財・樹木
 榎列下幡多地区は、南あわじ市役所の北北西約2kmのところ

 南あわじ市役所西側の道路を北北西へ三原川右岸を進みます

 約1.7kmで三原川左岸に渡り更に北北西へ進みます

 約500mで「おのころ橋」を渡り返すと間も無く左手に赤い大鳥居があります

 南側の駐車場に車を止めました

 駐車場の南あわじ市観光案内図です、現在地は中央やや上の位置です
  国生み神話
 日本で最古の歴史書「古事記」の冒頭を飾る「国生み神話」。
 そこには伊弉諾尊・伊弉冉尊の二柱の神様が生まれたばかりの混沌とした大地を天沼矛で「塩コオロコオロ」とかき回すと、矛先から滴り落ちた塩の雫が固まって「おのころ島」ができたと記されています。
 おのころ島で夫婦となった伊弉諾尊・伊弉冉尊は、日本列島の島を次々と生んでいきます。その中で最初に生まれた島が淡路島です。
  天の浮橋(西約400m)
 天と地との間を神が上り下りした道にかかる橋で、伊弉諾尊・伊弉冉尊は天の浮橋に立って天の沼矛を持って、海原をかき回したと伝えられています。
 「淡路常磐草」には「田間の細流に渡せる二三尺許の古石端なり」と記述されています。
  葦原国(西約800m)
 海辺に葦が茂っていて、その中に五穀豊穣の沃土(質の良い土)があるという、古代伝承に基づく日本国の別の呼び名です。
 「淡路常磐草」には「田間に方一二丈許葮葦の叢生したる處小祠あり天照大神を祭る云按するに是亦豊葦原瑞穂國我邦の惣名なるを」と記述されています。

 「磤馭盧島神社」社號標です

 手水舎です

 説明石碑です
   磤馭盧島神社
    御祭神 伊弉諾大神・伊弉冉大神・菊理媛命 合祀
  由緒
 当神社は、古代の御原入江の中にあって、伊弉諾・伊弉冉大神の国生みの聖地と伝えられる丘にあり、古くからおのころ島と親しまれ、崇敬れてきた。
 古事記・日本書記によれば、神代の昔、国土創成のときに、二神は天の浮橋にお立になり、天の沼矛をもって海原をかき回すに、矛より滴る潮が、おのずと凝り固まって島となる。これが磤馭盧島である。
 「二神はこの島に降り立たれ、八尋殿を建て、先ず淡路島を造り、つぎつぎと大八洲を拓かれた」となっている。
 また古書に、誉田大王・淳仁帝の参幸されたことが伝えられている。
  御神徳
 健康長寿・良縁堅結・夫婦和合・子孫繁栄
        昭和54年11月29日 洲本おのころライオンズクラブ 建之

 参道石段を上ります

 右手には「鶺鴒石(せきれいいし)」です

 拝殿です


 本殿です

 こちらにも由緒説明版です
   おのころ島神社由緒
     御祭神 伊弉諾尊・伊弉册尊・菊理媛之命
 古事記・日本書記によると諾册二尊は、当おのころ島にて宮柱を立て、神様と日本の国々をお生みになったと書かれてあり、実に日本の八百萬の神様の親神様であります。
 日本の国土と日本民族と日本の神様の三者の大祖先の神様であります。
 日本の発祥の地、おのころ島神社は日本の原点を省みて、将来の日本を考える、人々にとって忘れることのできないできない尊いお社であります。
   御神徳
 1,夫婦和合の神
 1,縁結びの神
 1,産砂の神
 (1)安産の神
 (1)交通安全の神
 (1)神学の神

 目的の「夫婦松(こえ松)御神木」は、この中にあります


 大きな松の木の幹が横に成っています、御賽銭が載せられています

 八百萬神社です

 八百萬神社由緒・八百萬神社は、おのころ島神社の摂社にて本社の御祭神は国生み神生みをなされた、親神様の御神徳をたたえ、ここにその御子等の神々を、八百萬神としてお祀りしてあります。

 では、次へ行きましょう




 2025・4・4・10・10
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする