ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

埼玉県行田市、真名板薬師堂の銀杏3本と高山古墳です!!

2015-11-16 07:40:08 | 巨樹・大木
真名板薬師は、行田市役所の東約5kmのところ

真名板地区は、行田市の東端です

県道32号線の薬師前信号の西側に在ります

駐車場は、薬師堂の北側にありますので、北側道路を入ります

真名板薬師堂前に高山古墳の案内板が出ています

入口です

楼門です

楼門の西側に力石が有ります

薬師堂の前に三本の大銀杏が有ります

説明版です
    行田市指定文化財  真名板薬師の公孫樹    昭和33年3月1日指定
      現在の真名板薬師堂の境内には、江戸時代には新義真言宗花蔵院という寺院がありました。
     しかしながら、明治維新後に花蔵院が廃寺となり、県指定文化財銅造伝薬師如来立像が安置さ
     れている薬師堂と楼門だけが残されて、現在に至っています。
      その薬師堂の前に東西方向に一列に3本植栽されているこの公孫樹は、西側の2本が雄木、
     東側1本が雌木です。樹高はいずれも30m。目通り幹囲は西側からそれぞれ5.6m、5.3m、
     3.6m、根回りは西側の雄木が最も大きく8.2mを計ります。
      樹齢700年とも伝えられている行田市内有数の巨木群です。
     平成23年                            行田市教育委員会




左端



真ん中の銀杏は斜めに生えています




右側

洗心です

六地蔵様です

薬師堂です

説明版です
   埼玉県指定文化財  銅造伝薬師如来立像      平成17年3月22日指定
     像が安置されているこの薬師堂は、江戸時代にこの土地にあった花蔵院という真言宗寺院の
    境内にあって、その差配を受けていた堂であったといわれています(「新編武蔵風土記稿」)
    花蔵院は明治時代初期に廃寺となり、現在は薬師堂のみが残り、この像は両手先が失われてい
    ることから「手なし薬師」として地域の信仰を集めています。
     像の製作時期は鎌倉時代後期であり、この時期の金銅仏は全体的に小作りなものが多い中で
    94cmもの像高を持つ像は珍しいものといえます。また、薬師堂の近くには、この像とほぼ
    同じ時期にあたる「建治元年(1275)銘の板石塔婆(行田市指定文化財)があります。
     平成19年12月                    埼玉県教育委員会
                                 行田市教育委員会



大きな緑泥片岩の板石塔婆です

説明版です
   行田市指定文化財  板石塔婆        昭和34年3月19日指定
     この板石塔婆は、高さ3.51m、幅87cm、厚さ13,7cmの行田市内で最も大きな
    板石塔婆です。
     板石塔婆は、鎌倉時代以降盛んに造られた緑泥片岩等を使った石碑の一種で、一般的には死
    者の霊を供養するために造立されました。
     この板石塔婆は上部に伊字ノ三点、その下に阿弥陀一尊の種子(キリーク)を荘厳体で刻み
    中央の蓮台の上に「南無阿弥陀仏」の銘文、左右に長五輪塔、下部に建治元年(1275)乙
    亥九月の記年銘と銘文が刻まれています。
     銘文の一部がはく落、磨滅していますが、「新編武蔵風土記稿」によれば右側に「右志者奉
    為過住 主君幽儀滅罪生善」と記されていたようです。左側に「尽法界群類平等 利益野仍造
    立如件」、下部には「沙弥西念敬白」と記されており、沙弥西念が主君の滅罪と法界群類の平
    等利益を願い建立した板石塔婆であることがわかります。
     鎌倉時代の特徴をよく具えた六字名号(南無阿弥陀仏)板石塔婆の典型例といえます。
     平成二三年                       行田市教育委員会



埼玉県指定史跡 真名板高山古墳です

古墳入口に石塔が並びます

説明版です
   県指定史跡 真名板高山古墳     昭和四十九年三月八日指定
     この古墳は、東西に主軸をもつ前方後円墳で、旧忍川の沖積地に向かう微高地上に立地して
    いる。
     現在の墳丘の大きさは、全長91、5m、前方部の高さ7,3m、最大幅50m、後円部の
    高さ5,4m、直径40mである。
     墳丘の形状は、かつて大量の封土が除却されたために、大きく変形している。
     築造年代、埋葬施設、副葬品類については明らかではないが、周辺から採集された埴輪片等
    から、六世紀後半の築造と考えられている。
     武蔵最大の規模を誇る埼玉古墳群は南西約4kmにあるが、時期的に平行しており、その関
    連が注目される。
     平成二年三月                    埼玉県教育委員会
                               行田市教育委員会


ツツジの通路を登ります

頂上部を進みます

中央部は細くなっています

後円部でしょうか


左右の斜面の様子です

石碑が有ります


周りの田畑よりだいぶ高い所です、名前の由来でしょうか

では、次へ行きましょう
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