東和町北成島5区は、花巻市役所の東南東約9km、花巻市役所東和総合支所の南西約4kmのところ
花巻市役所東和総合支所西側の県道43号線をJR釜石線の線路を潜って南西へ
約300mで国道283号線(土沢バイパス)の信号を過ぎると県道39号線です
約500mで東北横断自動車道東和インターチェンジ入口を過ぎて、自動車道の下を潜って
道成りに約3kmで
熊野神社参道入口です
手前の大きな「熊野神社毘沙門堂」の看板を北へ入って坂道を約700m(標高差約80m)上ります
熊野神社・毘沙門堂前の駐車場に入りました
成島ふるさと山宝道の案内図です
新奥の細道説明版です
毘沙門天のみち
この道は、毘沙門山から、燈籠並木、舘山公園、萬鉄五郎記念美術館を通り東和町役場までの6.5kmのみちです。
毘沙門山には木像の一本造りとしては日本一の高さを誇る兜跋毘沙門天立像があります。
そこを下ると、300年程前から受け継がれてきた手すき和紙の工芸館があります。
舘山公園は、桜といわて紫ツツジの名所で市街が一望できます。
宮沢賢治ゆかりの地「成島熊野神社」案内板です
熊野神社・毘沙門堂入口です
徒歩での参道を見下ろしました、汗をかきそうですね
熊野神社社號標です
毘沙門堂の寺号標です
「⇐順路」の表示に従って進むと
参道石段を上がって進むと、赤い両部鳥居前に出ます
手水舎です
拝殿です
本殿です
説明版です
岩手県指定有形文化財 三熊野神社
三熊野神社の本殿は、向拝流棟造りで、御祭神は熊野の三神で伊弉冉之命(いざなみのみこと)、事解男命(ことさかおのみこと)、早玉男命(はやたまおのみこと)を祀っています。
言い伝えによると、延暦年中(782~806)征夷大将軍坂上田村麻呂がエミシ征伐の時、この地で紀伊の熊野三山に戦勝祈願をしたところ難なく平定することができ、熊野三山の神威を祟び熊野の三神を勧請し、三熊野神社を建立したと伝えられています。
康平5年(1062)に源頼義が安倍貞任を追撃しここに立ち寄った時、熊野神社に鏑矢を収めて戦勝祈願をしたところ安倍氏を破り奥羽を平定する事ができたと伝えられています。
中世には、和賀領主より社領70石を寄進され、元和4年(1618)に南部利直公より社領23石をいただいています。
県内では数少ない古代建築様式をもつ建造物であることから昭和54年に県の有形文化財に指定されています。
拝殿脇前に指定神社看板の脇に「⇐樹齢千年と云う千年杉・爺杉」の案内板です
西側の鎮守の森の中に太い幹は見えました
目的の「千年杉・爺杉」です
南側から、樹高35m、目通り幹囲5.9mの巨木です
西側から見上げました
南側の森の中にも、大きなスギが有ります、目通り幹囲は4.5m(目測)程の大木です
熊野神社拝殿前に戻ります
背の高いスギです
手前にハート型の椅子状の台が置かれています
説明版には
「不来方の(お城の)草に寝ころびて 空に吸われ(し) 十五の心」啄木
*(石川啄木の歌です、明治43年11月発刊の「スバル」に収録の110首の内の1首です)
古代杉の根本に寝ころび、天空を仰ぎ見ることにより、自らの生命力、勇気と自信が湧いてきます。
各々に感じたことを尊重して、人生を謳歌することをおすすめします。宮司
古い大きな切株に注連縄の結界が作られています
まだまだ細いスギですが御神木です
手形の板が掛けられています
説明版です
この古代杉は、千年以上の年輪を重ね古来より幾多の困難と風雪に耐えてきた”御神木”であります。
この生命力、あるいは目に見えぬ活動力、エネルギーは人間形成に大きな力を与えてくれるものです。
自らこの手形に自分の手を添えて念じて、パワーをいただくことをおすすめします。宮司
大きな屋根の下には、泣き相撲の行われることで有名な土俵が有ります
平成23年3月11日に発生した東日本大震災の地震によって参道に落ちて来た「さざれ石」です
境内社には狐の置物がありますので稲荷社の様です
熊野神社から北東へ進むと御堂です
手水鉢もさざれ石の様ですね
毘沙門堂です
では、次へ行きましょう
2024・9・12・13・20
花巻市役所東和総合支所西側の県道43号線をJR釜石線の線路を潜って南西へ
約300mで国道283号線(土沢バイパス)の信号を過ぎると県道39号線です
約500mで東北横断自動車道東和インターチェンジ入口を過ぎて、自動車道の下を潜って
道成りに約3kmで
熊野神社参道入口です
手前の大きな「熊野神社毘沙門堂」の看板を北へ入って坂道を約700m(標高差約80m)上ります
熊野神社・毘沙門堂前の駐車場に入りました
成島ふるさと山宝道の案内図です
新奥の細道説明版です
毘沙門天のみち
この道は、毘沙門山から、燈籠並木、舘山公園、萬鉄五郎記念美術館を通り東和町役場までの6.5kmのみちです。
毘沙門山には木像の一本造りとしては日本一の高さを誇る兜跋毘沙門天立像があります。
そこを下ると、300年程前から受け継がれてきた手すき和紙の工芸館があります。
舘山公園は、桜といわて紫ツツジの名所で市街が一望できます。
宮沢賢治ゆかりの地「成島熊野神社」案内板です
熊野神社・毘沙門堂入口です
徒歩での参道を見下ろしました、汗をかきそうですね
熊野神社社號標です
毘沙門堂の寺号標です
「⇐順路」の表示に従って進むと
参道石段を上がって進むと、赤い両部鳥居前に出ます
手水舎です
拝殿です
本殿です
説明版です
岩手県指定有形文化財 三熊野神社
三熊野神社の本殿は、向拝流棟造りで、御祭神は熊野の三神で伊弉冉之命(いざなみのみこと)、事解男命(ことさかおのみこと)、早玉男命(はやたまおのみこと)を祀っています。
言い伝えによると、延暦年中(782~806)征夷大将軍坂上田村麻呂がエミシ征伐の時、この地で紀伊の熊野三山に戦勝祈願をしたところ難なく平定することができ、熊野三山の神威を祟び熊野の三神を勧請し、三熊野神社を建立したと伝えられています。
康平5年(1062)に源頼義が安倍貞任を追撃しここに立ち寄った時、熊野神社に鏑矢を収めて戦勝祈願をしたところ安倍氏を破り奥羽を平定する事ができたと伝えられています。
中世には、和賀領主より社領70石を寄進され、元和4年(1618)に南部利直公より社領23石をいただいています。
県内では数少ない古代建築様式をもつ建造物であることから昭和54年に県の有形文化財に指定されています。
拝殿脇前に指定神社看板の脇に「⇐樹齢千年と云う千年杉・爺杉」の案内板です
西側の鎮守の森の中に太い幹は見えました
目的の「千年杉・爺杉」です
南側から、樹高35m、目通り幹囲5.9mの巨木です
西側から見上げました
南側の森の中にも、大きなスギが有ります、目通り幹囲は4.5m(目測)程の大木です
熊野神社拝殿前に戻ります
背の高いスギです
手前にハート型の椅子状の台が置かれています
説明版には
「不来方の(お城の)草に寝ころびて 空に吸われ(し) 十五の心」啄木
*(石川啄木の歌です、明治43年11月発刊の「スバル」に収録の110首の内の1首です)
古代杉の根本に寝ころび、天空を仰ぎ見ることにより、自らの生命力、勇気と自信が湧いてきます。
各々に感じたことを尊重して、人生を謳歌することをおすすめします。宮司
古い大きな切株に注連縄の結界が作られています
まだまだ細いスギですが御神木です
手形の板が掛けられています
説明版です
この古代杉は、千年以上の年輪を重ね古来より幾多の困難と風雪に耐えてきた”御神木”であります。
この生命力、あるいは目に見えぬ活動力、エネルギーは人間形成に大きな力を与えてくれるものです。
自らこの手形に自分の手を添えて念じて、パワーをいただくことをおすすめします。宮司
大きな屋根の下には、泣き相撲の行われることで有名な土俵が有ります
平成23年3月11日に発生した東日本大震災の地震によって参道に落ちて来た「さざれ石」です
境内社には狐の置物がありますので稲荷社の様です
熊野神社から北東へ進むと御堂です
手水鉢もさざれ石の様ですね
毘沙門堂です
では、次へ行きましょう
2024・9・12・13・20
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