大豊町は、昭和20年(1955)3月1日に、 東豊永村・西豊永村・大杉村・天坪村が合併し大豊村が発足しました。村名は大杉の「大」・豊永の「豊」をとって「大豊」と名付けられました。
昭和31年に村の一部(旧天坪村の一部:上穴内・樫谷・繁藤等)が土佐山田町(現香美市)に編入され、昭和47年(1972)4月1日には町政施行で大豊町となりました。
国道32号線や高知自動車道大豊インターチェンジ・JR土讃線の6駅等があって交通には便利なはずですが、現在の人口は約2800人ほど、過去50年の間に4分の1のまで少なくなってしまって過疎化が進んでいます。(交通に不便な本山町や土佐町の人口は過去50年で約半分、共に人口も3000人を超えています)
杉地区は、大豊町役場の南東約2kmのところです
大豊町役場北側に国道439号線を南東へ進みます
約2.6kmで信号を右(南西)へ、国道32号線です
約1.7kmで右手に道の駅大杉が「杉の大杉」への入り口です
道の駅大杉で一休みしてから行きます
約400m坂道を登って行くと、道路右手に駐車場があります
すぐ先左手の「杉の大杉料金所」で見学料を支払って南東向きの八坂神社の参道石段を上ります
一ノ鳥居です
手水舎です
ニノ鳥居です
正面に八坂神社拝殿です
左手に目的の「杉の大杉」です
「特別天然記念物杉ノ大杉」の標柱です
説明版です
杉の大杉 国の特別天然記念物
この杉は、樹齢3000年以上とも言われ、2株が根元で合着している。
●南の杉 根まわり20m、根と幹の境界部17m、樹高60mである。
●北の杉 根まわり16.5m、根と幹の境界部13.5m、樹高56mである。
●昭和38年3月に発刊された高知県文化財保護委員会の「特別史跡名勝天然記念物図録」第96に杉の大杉のことが次の通り採録されている。
「長岡郡大豊町杉というところにある八坂神社境内に2株の大スギがたっているが、南側にあるものを南大スギ、北側にあるものを北大スギといい、両株はたがいに根元でつながっている。
南大杉は北大杉よりも大きく、幹は普通のスギのように円柱状をなさず、南側の半面が3ヶ所で板状の大きな突角をなしている。
南大杉・北大杉とも主幹は高く位置して壮観を呈している。」と銘記されている。
●指定 大正13年11月12日であるが、新法により昭和27年3月29日に国の特別天然記念物に指定される。
昭和29年9月26日の台風9号、昭和45年8月21日の台風10号と2回にわたり大枝折損の被害を受ける。
●伝承 延喜12年(912)杉本太郎なる者が、この巨木のもとに「貴船大明神と共に祇園牛頭大王」の尊像を鎮祀したという伝説もある。
今を去る1000年以前、既に大木であったことが語られている。
大豊町
「大杉碑」の石碑です、文面は・・・
偉大なるかな土佐の杉村の大杉樹齢は三千年に・しり。
雨と戦い、雪と戦い、雲霧と戦い、疾風迅雷と戦いて全勝を占め来れる自然界の老将雄々しくも神々しくも、帝国の歴史と終始して金無・の帝国を代表する杉を仰ぐにつけても万世一系世界無類の我国体を仰がずんばあらず、其の道の博士も見て日本一の大木と云為り。
鳴呼樹木のみをして雄を壇にせしむべけんや
雲をつく たてよりわけの 杉村の 大杉見れば 神代もおもほゆ
大正14年春 大町桂月 撰
飯田霞洞 書
(・はパソコンの辞書に載っていない、判らない文字がありました)
東側から左(南)側の太い方のスギです
南側から、説明版に有った「板状の大きな突角」の部分です
南西側から、太い注連縄が掛けられています
西側から
南東側から右(北)側の細い方のスギです、根元の石の祠は「貴船大明神と祇園牛頭大王」でしょうか
南西側から
西側から
北側から、左半面が傷を補修されています
西側から二本を見ました
北側から
北北東側から、どちらも傷の補修痕が目立ちます
北東側拝殿前から
東側から
本殿です
境内社です
境内社は恵比寿宮でしょうか
では、次へ行きましょう
2024・6・14・14・20
昭和31年に村の一部(旧天坪村の一部:上穴内・樫谷・繁藤等)が土佐山田町(現香美市)に編入され、昭和47年(1972)4月1日には町政施行で大豊町となりました。
国道32号線や高知自動車道大豊インターチェンジ・JR土讃線の6駅等があって交通には便利なはずですが、現在の人口は約2800人ほど、過去50年の間に4分の1のまで少なくなってしまって過疎化が進んでいます。(交通に不便な本山町や土佐町の人口は過去50年で約半分、共に人口も3000人を超えています)
杉地区は、大豊町役場の南東約2kmのところです
大豊町役場北側に国道439号線を南東へ進みます
約2.6kmで信号を右(南西)へ、国道32号線です
約1.7kmで右手に道の駅大杉が「杉の大杉」への入り口です
道の駅大杉で一休みしてから行きます
約400m坂道を登って行くと、道路右手に駐車場があります
すぐ先左手の「杉の大杉料金所」で見学料を支払って南東向きの八坂神社の参道石段を上ります
一ノ鳥居です
手水舎です
ニノ鳥居です
正面に八坂神社拝殿です
左手に目的の「杉の大杉」です
「特別天然記念物杉ノ大杉」の標柱です
説明版です
杉の大杉 国の特別天然記念物
この杉は、樹齢3000年以上とも言われ、2株が根元で合着している。
●南の杉 根まわり20m、根と幹の境界部17m、樹高60mである。
●北の杉 根まわり16.5m、根と幹の境界部13.5m、樹高56mである。
●昭和38年3月に発刊された高知県文化財保護委員会の「特別史跡名勝天然記念物図録」第96に杉の大杉のことが次の通り採録されている。
「長岡郡大豊町杉というところにある八坂神社境内に2株の大スギがたっているが、南側にあるものを南大スギ、北側にあるものを北大スギといい、両株はたがいに根元でつながっている。
南大杉は北大杉よりも大きく、幹は普通のスギのように円柱状をなさず、南側の半面が3ヶ所で板状の大きな突角をなしている。
南大杉・北大杉とも主幹は高く位置して壮観を呈している。」と銘記されている。
●指定 大正13年11月12日であるが、新法により昭和27年3月29日に国の特別天然記念物に指定される。
昭和29年9月26日の台風9号、昭和45年8月21日の台風10号と2回にわたり大枝折損の被害を受ける。
●伝承 延喜12年(912)杉本太郎なる者が、この巨木のもとに「貴船大明神と共に祇園牛頭大王」の尊像を鎮祀したという伝説もある。
今を去る1000年以前、既に大木であったことが語られている。
大豊町
「大杉碑」の石碑です、文面は・・・
偉大なるかな土佐の杉村の大杉樹齢は三千年に・しり。
雨と戦い、雪と戦い、雲霧と戦い、疾風迅雷と戦いて全勝を占め来れる自然界の老将雄々しくも神々しくも、帝国の歴史と終始して金無・の帝国を代表する杉を仰ぐにつけても万世一系世界無類の我国体を仰がずんばあらず、其の道の博士も見て日本一の大木と云為り。
鳴呼樹木のみをして雄を壇にせしむべけんや
雲をつく たてよりわけの 杉村の 大杉見れば 神代もおもほゆ
大正14年春 大町桂月 撰
飯田霞洞 書
(・はパソコンの辞書に載っていない、判らない文字がありました)
東側から左(南)側の太い方のスギです
南側から、説明版に有った「板状の大きな突角」の部分です
南西側から、太い注連縄が掛けられています
西側から
南東側から右(北)側の細い方のスギです、根元の石の祠は「貴船大明神と祇園牛頭大王」でしょうか
南西側から
西側から
北側から、左半面が傷を補修されています
西側から二本を見ました
北側から
北北東側から、どちらも傷の補修痕が目立ちます
北東側拝殿前から
東側から
本殿です
境内社です
境内社は恵比寿宮でしょうか
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