江刺伊手小中田地区は、奥州市役所の東北東約16km、奥州市役所江刺総合支所の東南東約12km、奥州市役所藤里地区センターの東南東約4kmのところです
奥州市役所藤里地区センター北側の県道156号線を東へ進みます
道成りに約1.8kmで、国道397号線に合流するように信号機を左(東)へ
道成りに約2kmで赤い枠の「戸隠神社⇒」の案内板を右(南東)へ
約800mで「源龍水・戸隠神社の杉⇒」の案内板を斜め右(南)へ
約600mで戸隠神社参道入口です
標柱と案内板に表参道は急な385段の為裏参道に廻る様にと記されています
参道石段を見上げると厳しそうです
道路の先に「戸隠神社入口⇒」の看板が見えます、行ってみました
看板から右へ急な砂利道を上ります
住宅(宮司宅)脇に「宮司宅裏駐車場へ」とあるので、右から回り込む様にさらに砂利道を更に上り駐車場に入りました
裏参道入口です、社殿まで50mです
最初の石段は踏み面が水平でないので歩きにくいですが、登り切ると参道には人口芝マットが敷かれています
境内に入ります
境内に入ると左手一段高くに目的のスギが見えました
南西側から
南東側から見上げました
天然記念物標柱です
説明版です
スギ(戸隠神社)
・樹齢 700年(伝承)
・樹高 35m
・根回り 7.34m
途中から幹が二つに分かれている。
地域のシンボル的なスギである。
青森・岩手県はスギの天然林分布の北限地帯でもある。
胆江地方林業振興協議会
*目通り幹囲は6.0mの巨木です
南東向きに拝殿です
本殿です
説明版です
戸隠神社
御祭神 手力雄命(たちからおのみこと)
御由緒
延暦年間(782年~806年)第50代桓武天皇の御宇征夷大将軍、坂上田村麻呂守護神として勧請にして、後の蝦夷平定に際し信濃から討征に参加した配下の者が創建したとも伝えられてている。
古代この地は、江利郡四郷の一つ信濃郷と呼ばれていた。
又第70代御冷泉天皇の時代(1045年~1067年)鎮守府将軍源頼義・義家親子前九年後三年の両役に於いて当社に立願したと伝えられている。
古くより日本三社の一つといわれている。
明治6年水澤県第16大区郷社に列せられたが、同8年5月伊出村村社に改められる。
明治40年4月弊帛供進社に指定される。
本社は長野県戸隠村の戸隠神社である。
昭和54年岩手県神社庁より三級社に、平成6年三級上の認定を受ける。
平成11年12月神社本庁、岩手県神社庁より第9期神社振興対策神社の指定を受ける。
御神徳
天照大神が天の岩戸にお隠れになった時、無双の力を以て天の岩戸を開いたという力技神様、五穀豊穣の神様、虫歯の神様として信仰されている。
お祭り
例大祭 4月23日 秋祭り 9月23日 虫歯平癒祈願祭 6月4日
戸隠神社 江刺市伊手字小中田54番地
第9期神社振興対策神社の指定記念
平成13年6月建立
*第70代天皇は後冷泉天皇ですので、書き間違いですね
御札やお守り・ご朱印は宮司宅で頂けます
石祠です
石碑ですが読めません
隣に説明版です
祈念の碑について
この碑は、明治28年日清戦争終戦を機に暮らしの安寧を願い、伊手村民子、総代有志が戸隠様へ石鳥居、石段を奉納、その内容を記録したものです。
表題の揮毫は明治30年より江刺初代郡長を務めた、沼宮内出身の板垣政徳氏である。
その子息の征四郎氏は陸軍大将、陸相をも務めた人で著名人一家でもある。
明治33年9月23日建立
表参道を覗いてみました
やはり裏参道で正解でしたね
戻って「源龍水」を頂きました
では、次へ行きましょう
2024・9・11・09・00
奥州市役所藤里地区センター北側の県道156号線を東へ進みます
道成りに約1.8kmで、国道397号線に合流するように信号機を左(東)へ
道成りに約2kmで赤い枠の「戸隠神社⇒」の案内板を右(南東)へ
約800mで「源龍水・戸隠神社の杉⇒」の案内板を斜め右(南)へ
約600mで戸隠神社参道入口です
標柱と案内板に表参道は急な385段の為裏参道に廻る様にと記されています
参道石段を見上げると厳しそうです
道路の先に「戸隠神社入口⇒」の看板が見えます、行ってみました
看板から右へ急な砂利道を上ります
住宅(宮司宅)脇に「宮司宅裏駐車場へ」とあるので、右から回り込む様にさらに砂利道を更に上り駐車場に入りました
裏参道入口です、社殿まで50mです
最初の石段は踏み面が水平でないので歩きにくいですが、登り切ると参道には人口芝マットが敷かれています
境内に入ります
境内に入ると左手一段高くに目的のスギが見えました
南西側から
南東側から見上げました
天然記念物標柱です
説明版です
スギ(戸隠神社)
・樹齢 700年(伝承)
・樹高 35m
・根回り 7.34m
途中から幹が二つに分かれている。
地域のシンボル的なスギである。
青森・岩手県はスギの天然林分布の北限地帯でもある。
胆江地方林業振興協議会
*目通り幹囲は6.0mの巨木です
南東向きに拝殿です
本殿です
説明版です
戸隠神社
御祭神 手力雄命(たちからおのみこと)
御由緒
延暦年間(782年~806年)第50代桓武天皇の御宇征夷大将軍、坂上田村麻呂守護神として勧請にして、後の蝦夷平定に際し信濃から討征に参加した配下の者が創建したとも伝えられてている。
古代この地は、江利郡四郷の一つ信濃郷と呼ばれていた。
又第70代御冷泉天皇の時代(1045年~1067年)鎮守府将軍源頼義・義家親子前九年後三年の両役に於いて当社に立願したと伝えられている。
古くより日本三社の一つといわれている。
明治6年水澤県第16大区郷社に列せられたが、同8年5月伊出村村社に改められる。
明治40年4月弊帛供進社に指定される。
本社は長野県戸隠村の戸隠神社である。
昭和54年岩手県神社庁より三級社に、平成6年三級上の認定を受ける。
平成11年12月神社本庁、岩手県神社庁より第9期神社振興対策神社の指定を受ける。
御神徳
天照大神が天の岩戸にお隠れになった時、無双の力を以て天の岩戸を開いたという力技神様、五穀豊穣の神様、虫歯の神様として信仰されている。
お祭り
例大祭 4月23日 秋祭り 9月23日 虫歯平癒祈願祭 6月4日
戸隠神社 江刺市伊手字小中田54番地
第9期神社振興対策神社の指定記念
平成13年6月建立
*第70代天皇は後冷泉天皇ですので、書き間違いですね
御札やお守り・ご朱印は宮司宅で頂けます
石祠です
石碑ですが読めません
隣に説明版です
祈念の碑について
この碑は、明治28年日清戦争終戦を機に暮らしの安寧を願い、伊手村民子、総代有志が戸隠様へ石鳥居、石段を奉納、その内容を記録したものです。
表題の揮毫は明治30年より江刺初代郡長を務めた、沼宮内出身の板垣政徳氏である。
その子息の征四郎氏は陸軍大将、陸相をも務めた人で著名人一家でもある。
明治33年9月23日建立
表参道を覗いてみました
やはり裏参道で正解でしたね
戻って「源龍水」を頂きました
では、次へ行きましょう
2024・9・11・09・00
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます