岩村田相生町は、佐久市役所の北約2kmのところ
佐久市役所の西側の道路を北へ進みます、約1.9kmの「相生町南」信号を左(西北西)へ
約600mの「一本柳」信号を右(北)へ入ります、約300mでテニスコート手前を右(東)へ

約200mで左手に若宮八幡神社が南向きに鎮座します
境内南西側隅に
駐車スペースが有りますので利用させて頂きました

拝殿です

本殿です

説明版です
若宮八幡神社の由来
八幡社の本宮は大分県の宇佐八幡宮で、主祭神は誉田別名(応神天皇)である。
本来農耕神で、中世以降武士階級の人々は戦、武門の神様として厚く崇敬するようになり全国に広まった。
若宮八幡神社は、建仁2年(1202年鎌倉時代)、「大井荘」の地頭大井朝光によって鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請して創建された古社である。
「若宮」とは、八幡神である応神天皇の御子神「仁徳天皇」を祀る神社という意味で親神の功績と合わせて土木治水の神として祀られている。
主祭神 大雀命 (おおさざきのみこと 仁徳天皇)
祭神 誉田別名 (ほむたわけのみこと 応神天皇)
建御名方命 (たけみなかたのみこと 新海三社神社祭神)
事代主命 (ことしろぬしのみこと 同 )
高良玉垂命 (こうらたまだれのみこと 武内宿禰大臣)
現在の本殿は、元禄4年(1691年)の建立で、三間社流れ造り、用材はすべてけやきを使用している。規模が大きく本格的な社殿建築として貴重なものである。
当時は岩村田藩のできる以前で幕府領となっていた政治的な過渡期である。本殿の再建には領主などからの援助は多くを望めずその原動力となったのは氏子の熱意であり、当時佐久地方にもこれだけ立派な社殿を建築できる優れた技術があったのである。
八幡社の祭礼には相撲がつきものである。残されている記録によると、弘化4年(1847年)祭礼の相撲興行には領主(内藤氏)陣屋の総役人が参詣かたがた見物に訪れており、当時の相撲興行の盛行さがうかがえる。
明治4年(1871年)太政官布告によって社格制度が定められた折、岩村田全域にわたって崇敬される中心的神社であることから同6年には「郷社」に上格され、その神域ますます顕著なり。例祭は毎年8月22日におこなわれる。
平成26年1月

本殿西側の境内社です、軒下の額には「祇園天王・天満天神宮」の文字が読み取れます

さらに西側の境内社です、軒下の額には「神功皇后社・正八幡大神」の文字が読み取れます

拝殿右手の建物は神社の備品が納められています



拝殿東側にはスギの大木です

目的のケヤキは、若宮八幡神社北側の「若宮児童公園」に東西に4本の大木が並んでいます

児童公園を北西側から見ました



北側の道路から一番太いと思われるケヤキです



北側から見ました



公園内(南東側)から見ました、目通り幹囲5.0mの巨木です



すぐ東側の一本です(南西側から)



更に東側の一本です(西側から)


東側の道路沿いにもケヤキですが、幹を切られてしまっていました
では、次へ行きましょう

佐久市役所の西側の道路を北へ進みます、約1.9kmの「相生町南」信号を左(西北西)へ
約600mの「一本柳」信号を右(北)へ入ります、約300mでテニスコート手前を右(東)へ

約200mで左手に若宮八幡神社が南向きに鎮座します

境内南西側隅に


拝殿です


本殿です


説明版です
若宮八幡神社の由来
八幡社の本宮は大分県の宇佐八幡宮で、主祭神は誉田別名(応神天皇)である。
本来農耕神で、中世以降武士階級の人々は戦、武門の神様として厚く崇敬するようになり全国に広まった。
若宮八幡神社は、建仁2年(1202年鎌倉時代)、「大井荘」の地頭大井朝光によって鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請して創建された古社である。
「若宮」とは、八幡神である応神天皇の御子神「仁徳天皇」を祀る神社という意味で親神の功績と合わせて土木治水の神として祀られている。
主祭神 大雀命 (おおさざきのみこと 仁徳天皇)
祭神 誉田別名 (ほむたわけのみこと 応神天皇)
建御名方命 (たけみなかたのみこと 新海三社神社祭神)
事代主命 (ことしろぬしのみこと 同 )
高良玉垂命 (こうらたまだれのみこと 武内宿禰大臣)
現在の本殿は、元禄4年(1691年)の建立で、三間社流れ造り、用材はすべてけやきを使用している。規模が大きく本格的な社殿建築として貴重なものである。
当時は岩村田藩のできる以前で幕府領となっていた政治的な過渡期である。本殿の再建には領主などからの援助は多くを望めずその原動力となったのは氏子の熱意であり、当時佐久地方にもこれだけ立派な社殿を建築できる優れた技術があったのである。
八幡社の祭礼には相撲がつきものである。残されている記録によると、弘化4年(1847年)祭礼の相撲興行には領主(内藤氏)陣屋の総役人が参詣かたがた見物に訪れており、当時の相撲興行の盛行さがうかがえる。
明治4年(1871年)太政官布告によって社格制度が定められた折、岩村田全域にわたって崇敬される中心的神社であることから同6年には「郷社」に上格され、その神域ますます顕著なり。例祭は毎年8月22日におこなわれる。
平成26年1月

本殿西側の境内社です、軒下の額には「祇園天王・天満天神宮」の文字が読み取れます


さらに西側の境内社です、軒下の額には「神功皇后社・正八幡大神」の文字が読み取れます


拝殿右手の建物は神社の備品が納められています




拝殿東側にはスギの大木です


目的のケヤキは、若宮八幡神社北側の「若宮児童公園」に東西に4本の大木が並んでいます


児童公園を北西側から見ました




北側の道路から一番太いと思われるケヤキです




北側から見ました




公園内(南東側)から見ました、目通り幹囲5.0mの巨木です




すぐ東側の一本です(南西側から)




更に東側の一本です(西側から)



東側の道路沿いにもケヤキですが、幹を切られてしまっていました

では、次へ行きましょう

