北城 八方口地区は、白馬村役場の西約2kmのところ、白馬観光の中心地周辺にはホテルや旅館・ペンション街が広がっています
白馬村役場前からJR大糸線白馬駅前から延びる県道322号線に出て西へ
約1.6kmで八方温泉街に入って一方通行の道路を逆走しないように左の道へ
約200mで丁字路を左(南)へ、直ぐの広場の丁字路を右へ進むと

右手に八方薬師堂が南向きにあります
手前に参拝者用の
駐車スペースがありますので利用させて頂きました


八方薬師堂と左にエドヒガンです

薬師堂の軒下には「瑠璃殿」の額が掛ります

薬師堂の説明版です
薬師堂
地域の信仰の場として江戸時代初期に建てられ、木食山居上人(1655~1726)作、聖観世音菩薩立像(中)地蔵菩薩立像(右)、阿弥陀如来立像(左)が祭られています。
木食仏で三尊が揃っている例はあまりなく、白馬ではここだけである。
(現在の建物は昭和30年に建て直されたものです)
木食山居上人
山居上人は明暦3年(1657)松本在、山辺細荒井に生まれました。
13歳の時、誤って幼児を井戸に墜落死させた責任を感じ、その後仏道に入り虫倉山に籠って木食行に入った人です。
木食行=「貧・瞋・痴」の三毒を除去するため、深山幽谷に分け入り、人間の生命の限界ぎりぎりの生活により不撓不屈の人格を形成するためにする修行のこと。


エドヒガンザクラです、幹の中は空洞になっています

説明版です
白馬村指定・天然記念物
江戸彼岸桜
本種は俗にヒガンザクラやアズマヒガンと呼ばれていますが、交配種のヒガンザクラと区別するためこの名を用いています。
北安曇地方南部一帯の山野に自然分布する野生桜の一種ですが、白馬では少なく、自然林の中に生えているものも雑木薪炭用材などに使われ、大きなものは残っていません。
樹齢数百年にもなるこの樹は、お堂の信仰と結びついて保護され、八方区の歴史を物語ています。


南西側から



西側から

駐車スペースから薬師堂の裏側の墓地に目的のカツラです



南側から



南東側から、目通り幹囲6.5mの巨木です



北東側から見ました
では、次へ行きましょう
白馬村役場前からJR大糸線白馬駅前から延びる県道322号線に出て西へ
約1.6kmで八方温泉街に入って一方通行の道路を逆走しないように左の道へ
約200mで丁字路を左(南)へ、直ぐの広場の丁字路を右へ進むと

右手に八方薬師堂が南向きにあります

手前に参拝者用の



八方薬師堂と左にエドヒガンです


薬師堂の軒下には「瑠璃殿」の額が掛ります


薬師堂の説明版です
薬師堂
地域の信仰の場として江戸時代初期に建てられ、木食山居上人(1655~1726)作、聖観世音菩薩立像(中)地蔵菩薩立像(右)、阿弥陀如来立像(左)が祭られています。
木食仏で三尊が揃っている例はあまりなく、白馬ではここだけである。
(現在の建物は昭和30年に建て直されたものです)
木食山居上人
山居上人は明暦3年(1657)松本在、山辺細荒井に生まれました。
13歳の時、誤って幼児を井戸に墜落死させた責任を感じ、その後仏道に入り虫倉山に籠って木食行に入った人です。
木食行=「貧・瞋・痴」の三毒を除去するため、深山幽谷に分け入り、人間の生命の限界ぎりぎりの生活により不撓不屈の人格を形成するためにする修行のこと。


エドヒガンザクラです、幹の中は空洞になっています


説明版です
白馬村指定・天然記念物
江戸彼岸桜
本種は俗にヒガンザクラやアズマヒガンと呼ばれていますが、交配種のヒガンザクラと区別するためこの名を用いています。
北安曇地方南部一帯の山野に自然分布する野生桜の一種ですが、白馬では少なく、自然林の中に生えているものも雑木薪炭用材などに使われ、大きなものは残っていません。
樹齢数百年にもなるこの樹は、お堂の信仰と結びついて保護され、八方区の歴史を物語ています。


南西側から




西側から


駐車スペースから薬師堂の裏側の墓地に目的のカツラです




南側から




南東側から、目通り幹囲6.5mの巨木です




北東側から見ました

では、次へ行きましょう

