感動の一冊が刊行されました

2024-06-28 | 個人的なこと

 

キリスト新聞社が発行する季刊誌「Ministry」が、2,022年発行の50号をもって終了。

楽しみに愛読していただけに残念無念!

休刊から2年経ち、「別冊Ministry」が今月臨時復刊された。

 

「声にならない声に訊け!」

教会内外に蔓延する「声にならない声」

教役者、信徒を超えて耳を傾けなければならない。

 

私自身もドキッとする気付きを与えられた。

思わず知らずやっているな、言っているな、気付かなかったなぁってこと満載。

是非購読をお勧めしたい。

 

実はこの冊子、ホッとスペース中原のY.Iさんがわざわざ届けて下さったもの。

在宅介護を終了し、それまで10年間わたしの心のケアもして頂いていたと気付く。

佐々木炎先生の投稿、ホッとスペース関係者の記事も載っている。

だから・・と、言って・・・我が家にもシェアして下さるとは何と何と有難い事か。

覚えられているってことはこんなにも心を和ませ豊かにすることかとつくづく思う。

 

 

 

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牧師・伝道師 就任感謝礼拝

2024-06-24 | 教会のこと

6月22日(土)「牧師就任感謝礼拝」が横浜JOYバプテスト教会で行われました。

blog書き込みがなかなか出来ず、ある姉妹のfacebookに触発され重い腰がやっとあがりました。

 

前日の豪雨が嘘のように青空、暑くもなく寒くもなく丁度いい。

入口の樹は「ホプシー」、献堂(2010年)の時に探しまくって植樹したもの、大きく育ちました。

先日大谷翔平がバックスクリーンの森にホームランを打ち込んだ時に同じ樹が映っていたっけ。

余計な話は置いといて~・・・

 

会堂1Fはお客さまで満席、100名礼拝になったら横の壁を打ち抜く設計の礼拝堂です。

そんな日が近いうちに!と幻を見せていただき感謝。

 

JOY聖歌隊賛美の時と集合写真の時には急いでそれも静々と1Fの礼拝堂に降りて行く。

それ以外は私たち教会員は2Fの動画配信で心と、声と、祈りを合わせておりました。

 

集合写真では牧師の隣の席が一つ空いており、遠慮も嫌も応もなく座らされた? 

JOYチャペルの自由さに私自身も慣れ親しんで染まってきたと納得したりして、これも感謝。

 

「牧師と伝道師、教会員が共に共働する教会形成」が就任感謝礼拝、祝会の全てに溢れています。

招聘委員長の挨拶に始まり「牧師と伝道師の就任」を皆が喜びと期待と感謝する時となりました。

 

 

牧師と伝道師の顔の皮を裏表アンコで挟んで「特製最中」、あま~い関係を造りましょう。

 

パティシエS.Oさんのお手製就任ケーキです。

 

懐かしい方が沢山来てくださいましたので、わたしはもっぱらお喋り接待専門。

従って一切飲み食い無しで、お味のほどは?? 残念、心残りです。

宴たけなわ、早々にお迎えが来て後ろ髪をひかれながら長男の面会の為に教会を後にしました。

 

ケーキの飾りのチョコを手に嬉しそうな伝道師と牧師、いつまでもこの笑顔を絶やさずに!

 

 

伝道開始25年、わたしも在籍15年になり気が付けば可なり古参です。

10年の在宅介護、そのうち4年はコロナで教会に行かれず、奉仕もままならなくなりました。

就任式に出席したく長男のレスパイト(ショートステイ)を何カ月も前から調整していました。

しかし、、先月より療養型病院に入院、幸か不幸かその必要もなくなりました(悲)

思えば教会も、わたしも、わたしたち家族も、様々な試練がありました。

しかし、、驚くばかりの恵みの何と多かったことでしょう。

 

「教会という船は決して沈没しない。しかし、イエス様から目を離すと沈む。」

祝辞でいただいた言葉です。

わたしも共に主を見つめて歩みたいと心新たにされた就任式でした。

 

参列して下さった方、祈りを寄せて下さった方々、何よりも主に心から感謝します。

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主を讃えよ

2024-06-21 | 個人的なこと

祈り会、新生讃美歌43番を歌って始まった。

「題名」「曲名」「作詞作曲者」等々、牧師の丁寧な讃美歌レクチャーがあった。

父なる神(1節)キリスト(2節)聖霊(3節)、作詞作曲は大矢公子、わたしである。

6月22日(土)牧師就任式でも開会に賛美して下さるとの事、思いがけず感謝が溢れる。

 

「曲名」は「HIDEMI」とした。

長男の名前である。

 

ここからは「讃美歌集」の記載では分からない裏話。

2000年3月31日、長男はヨルダン社を退職し大好きな沖縄に永住すると豪語し家を出た。

やりたいことをしないで後悔するよりも!と、心配しながらも送り出した。

「曲名」つけるにあたり、ダブらなければ何でもいいとの事で祈りつつ「HIDEMI」にした。

 

25年前を思い出す祈り会での恵み。

 

 

26歳、家を出る前日の懐かしい写真です。(愛犬ルークと)

 

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あっと言う間の一ヶ月

2024-06-17 | 個人的なこと

4月に聖マリ横浜西部病院に緊急入院、そしてそしてそして・・・

10年間の在宅介護を断念、長期療養型病院(AOI国際病院)に転院しあっと言う間の一ヶ月。

「膿胸」の手術が出来ず抗生剤で抑えている現状、何時急変するかと携帯を片時も離さぬ日々。

 

昏睡状態に近い時もあれば少し持ち直したかと思われる時もありで安定していません。

だんだん細くなる長男の手や腕やコツコツとしてきた背中を摩りながら思います。

神はご自身の栄光を現し、私たちをその目撃者にする為にまだ彼に息を与えておられるのだと。

 

 

今日の面会はわたし一人(夫はリハビリ、次男は仕事)。

アイパッチをそっと外したら目はパッチリ開いていて少し涙目でした。

いつもは彼の為に祈るのですが、今日は祈りのリクエストをしました。

「この願いが神様からのものならば成りますように! 一緒に祈って」と。

ヒデミとわたしと神様のヒミツです。

 

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一憂一喜!

2024-06-13 | 長男のこと

1週間ほど昏睡に近い状態が続いた長男。

ここ数日、回復傾向に向かっているように見受けられます。

ただ、瞼を閉じる筋肉が無くなって昏睡状態の時から絆創膏で瞼を抑えていたのですが、

ほっぺが絆創膏でかぶれて昨日から貼る眼帯(アイパッチ)を使い始めました。

 

なんだか可哀そうだけれど、瞳が乾燥するとこれも大変なのでいた仕方ないか

面会の時だけはそっと剥がしてあげます。

待っていたかのように目を開いて「頑張ってるよ!」と言いたげです。

 

10日ほど休止していた食事に変わる「高カロリー液(24時間点滴の栄養)」も再開しました。

上の写真、オレンジ色の袋が「エルネオパ1000㎖)」点滴液です。

(前は「エルネオパ1500㎖)」だったんですが、まあお粥からってところかな)

 

今日はもう一つ嬉しいことがありました。

面会中に紘.K医師(AOI国際病院緩和病棟担当医)が病室に来てくださいました。

度々見舞って下さっているとは雅子.K医師(在宅医)から伺っていましたが・・・

たった10分間の面会中に遭遇、何という不思議、何と有難く心強い事でしょうか。

 

長男の入院に先立ち、神さまは1カ月前に紘.K医師をこの病院にお遣わしになりました。

詳細は5/14のblogに書きました。

誰もがビックリしましたよ、「ありえな~い!」って異口同音に言いましたよ。

神様、あなたは何て粋なことをなさるのでしょう。

私は今日もまた主を崇めずにはいられません。

 

そんなこんなの「一喜一憂」ならぬ「一憂一喜」、近況報告です。

 

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老いるという事

2024-06-08 | 個人的なこと

 

故井上洋治神父の説教テープを好んで聞くこの頃、貴重なテープを見つけた。

2012年5月、「風の家」26周年・南無アッパの集いで語られた近況を語る最後のテープ

85歳、ホームに暮らす神父の「老い」について語る実直なお話しは今の私にとても響く。

 

井上神父はこう語られる。

「老いることの大変さ、こればかりは75才前の若い方には考えても分からないことでしょう。

生きがいの基本は人の役に立つこと、大切にされること。それが一つ一つ出来なくなる。

生きがいの基本がなくなっていくことの虚しさ、悲しさ。

長~い夜の一人ぼっちの寂しさ、大変さ。

そんな時、空の手で(無心で)南無アッパに祈りをささげるのです。

アッパのお迎えが来る最後の時まで祈り続けられるようにご加祷ください。」

 

 

奉仕、子育て、仕事、家事?諸々 忙しくも充実した頃の私、感動した「詩」がある。

あゝ、この歳になって言葉の一つ一つがやっと少しわかってきた気がする。

 

最上の技

「この世の最上の技は何?

   楽しい心で歳をとり、働きたいけれども休み、しゃべりたいけれども黙り、

   失望しそうなときにも希望し、従順に、平静に、おのれの十字架を担う。

   若者が元気いっぱいで神の道を歩むのを見ても、ねたまず、

人のために働くよりも、謙遜に人の世話になり、

弱っても、もはや人のために役立たずとも、親切で柔和であること。

 老いの重荷は神の賜物。

   古びた心に、これで最後の磨きをかける。

   まことの故郷へ行くために。

 おのれをこの世につなぐ鎖を少しずつはずしていくのは、まことにえらい仕事。

   こうして何もできなくなれば、それを謙遜に承諾するのだ。

 神は最後に一番良い仕事を残していてくださる。それは祈りだ。

  手は何もできない。けれど最後まで合掌できる。

  愛するすべての人の上に、神の恵みを求めるために。

すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声を聞くだろう。

「来よ、わが友よ、われなんじを見棄てじと。」 ヘルマン・ホイヴェルス

 

 

 

 

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溢れる恵み

2024-06-02 | 個人的なこと

2013年秋、長男がJOYチャペルに転入会の時の古い古い写真です。

長男は支えられながらも自分の足で立ち、自分の口で転入会の信仰告白が出来ました。

この年のChristmasには夫がバプテスマを受けて我が家はクリスチャンホームになりました。

そして翌年、長男は「胃ろう増設、気管切開で声を失い、寝たきり」になるのです。

あれから10年、どんなに多くの方々に祈られてきたことでしょう。

遠い昔のような気がします。

主の恵みの数々を思い起こすたびに感謝が溢れます。

 

2024年6月になり、また主の恵みが2つ加わりました。

 

1つ目は連れ合いの事

 

長男の在宅介護が5月で終了、10年間お世話下さった雅子.K先生に感謝のご挨拶に行きました。

同伴した連れ合いが「今度は私の在宅医になって下さいませんか」と懇願。

既に別の訪問診療を受けてはいましたが、夫も私もK先生への信頼は言葉に尽くしがたいもの。

ホームドクターとして元気な頃の夫をご存じのK先生に自分の老いを見守って頂きたい一心です。

 

クリニックを変えるのはとても難しいこと、当然のことながら相手医師も戸惑いを隠せません。

誠意をもって説明しお願いをしたところ、了解を得て診療情報提供書も書いて下さいました。

驚く様なスピード解決で感謝・恵みが一つ増えました。

 

 

2つ目は長男のこと

 

AOI国際病院に転院してからも体調はもどらず、昏睡状態がずっと続いたままでした。

面会は幸いにも毎日OK、ただし同居家族2名のみ、10分という制限付きです。

家族以外はNGなのですが、牧師の面会をこちらも懇願したところ特別許可が下りました。

 

しかし昏睡状態が続く長男、牧師に来ていただくのを躊躇する私たち。

それが突然5/28、29と覚醒、笑顔も。

「今だぁ!」とばかり牧師に面会をお願いしました。

6/1(土)み言葉とお祈りを携え、電車を乗り継いで病院まで来てくださいました。

深夜に重責発作(人工呼吸器装着云々)があった翌日の面会でした。

笑顔は出なかったけれど、目も開けていたし、わずかに口も何か言いたげでした。

「み言葉と祈り」きっと長男の耳と心と魂に届いたことでしょう。

 

今日6/2(日)礼拝後に家族3人で(2人しか病室には入れないのですが)面会に行きました。

発作、発熱、酸素吸入、そして再び昏睡状態に戻ってしまいました。

 

昨日の牧師の面会は神様が備えて下さった「時」なのだと思います。

全ては神のご采配の中にあって神の不思議な業、恵みは驚くばかりです。

 

 

礼拝後に聖歌隊練習がありました。

 ♪溢れる恵みを主は、朝に夕に与え

  尽きることのない主の恵みを 歌わずにいられない♪

 

 

 

 

 

 

 

 

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