ありきたりですけど・・・感謝

2012-12-31 | 個人的なこと
わたしのブログにアクセスしてくださっているあなたに・・・感謝!
わたしの知らないところであなたも祈っていてくださったのですね。感謝。
執り成しの祈りがどんなに素晴らしいことかってこの頃実感なんです。感謝。
新しい年もどうぞ「ご・ひ・い・き・に」

さて、今日は誰もが大掃除とおせち料理で大忙しの年の瀬。私だって例年はそうでした。
ところがドッコイショ。
ここ数日、年末に所用が重なり、冷蔵庫は空っぽ、掃除も今更やる気がしない。

そこで・・・発想の転換。
「2013年1月1日がなにさ、たかが今日の続きじゃん。」
「正月は込み合うから映画に行くなら今日が最高!!」って主人と長男を誘いました。
家族サービスにかこつけて一番の目的は私のエネルギー注入。

思いつき大成功!! 「レ・ミゼラブル」お薦めの映画です。感動の2012年最終日となりました。
新しい年も固定観念を捨てて豊かな生き方を見つけましょう。「忙しい時こそ遊ぶ」これワタシ流、


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一日一日を大切に感謝して・・・

2012-12-30 | 個人的なこと
今日は2012年最後の礼拝でした。
この1年間1度も休むことなく全ての礼拝にあずかれたことを感謝します。
礼拝が守れるということは自分の意志ではなく「恵み」だと実感するこの頃です。

今日の午後、K兄の葬儀告別式が川崎教会で行われました。
天国でまたお目にかかることが出来るのですから悲しみを突き抜けた思いがあります。

私が求道者だった30数年前、このK兄が救われる瞬間に私は出くわしています。
K兄と御夫人(現在JOYチャペルのメンバー)が二人で立ち上がってオイオイ泣いていたのを横目で見ていた私。その涙が「一人の人が救われる喜びの涙」だと分かったのは大分たってからのことでした。

このK兄に私はことのほか親切にしていただき、右も左も分らない教会生活を導いていただきました。

また天国で御逢いしましょう。
それまで命の主に全てを委ねてまいりましょう。
一日一日を大切に、感謝して歩みましょう。
主とそして、お別れしたあの人とまた逢える日を楽しみに

外は冷たい雨でした。
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今年度の最終イベント終了です

2012-12-29 | 個人的なこと


年の瀬も押し詰まって28-29日の2日間、東京バプテスト神学校「冬期講座」でした。
閉会礼拝のメッセージはK姉。(小さく写真をアップしましょうねぇ)

これで今年のイベントは全て終了です。

終了間際、校長のご挨拶にズッキ~ン!ときたのは私だけ?
「皆さま、これから家に帰って年末のご用をしてください。くれぐれも神学校のせいにしないようにお願い致します」って・・・

明日は主の日、礼拝だっちゅ~のにどうしましょう。
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ボロボロ泣きました

2012-12-27 | 個人的なこと


福島第一聖書バプテスト教会の佐藤彰牧師が教会HPに「避難生活報告」をアップしています。
No.61(2012年12月13日の記事)を読んでボロボロ泣いてしまいました。

我が家の愛犬が亡くなった時の記憶が一瞬よみがえってきたのです。
もう6年半も経っているのにねぇ・・・・
このブログのニックネームも愛犬の死んだ日「***20060513」にしています。

以下、その記事を貼り付けました。長文です。
ご用とお急ぎでない方、泣きたい方限定でお読み下さいませ。



避難生活報告 その61
パピが死んだ
山梨県民クリスマスを終え、特急あずさに乗って名古屋に向かっています。外は雪。昨晩は、多くの方々が集まってくださいました。講演が「震災の中のクリスマス」だったせいでしょうか。震災に多くの方が関心を寄せて下さって、感謝です。
 山梨での震災のお話は、2回目です。思えば震災後からこの1年9カ月、随分各地をまわらせてもらいました。もしかしたら、5年か10年分の出会いがあったかもしれません。
 今、列車は山梨県から長野県に入りました。長野県にも福島から避難して、息を潜め生活している教会員がいます。
 突然、話が我が家の犬にスライドして恐縮ですが、一緒に避難生活をしてきた愛犬が、ここのところ急に体調を崩し、今日は犬猫病院で点滴をしているはずです。震災から1年9ケ月の長旅は、老犬にとっても過酷だったでしょうか。
 教会員も、体調を崩す方が出てきています。ある方は「互いに長生きしましょう」を合言葉に、励まし合っています。目の前に、震災2年目の厳しい冬が待っています。
 外は、相変わらず雪。
果たして各地に散っている教会員は、大丈夫でしょうか。
                          (12月8日の特急「あずさ」で甲府から塩尻へ)

 パピが死んだ。
 「来年、また一緒に住もう」って言ってたのに。
「ごめんね、パピ」。
 震災後、激動続きだった。もしかしたらパピ、「ぼくは見捨てられた」って、思ってた?
そんなことないよ。

 ごめんね、パピ。
 震災当日、千葉の娘のアパートで一緒に被災したパピ。
パピもよほど怖かったと思う。だけど、あそこには赤ちゃんもいたし、パピはもう大人だったから「我慢しなさい」って言われて、ほんとうはパピも震えてた?どんなにか、抱いてほしかった?
 ごめんね、パピ。
 迫り来る老いも感じ、たまらなく不安な日々もあった?そういえば、訳もなく時々震えてたっけ。お父さんお母さんはいつも余裕がなくて、何が起きているかのかパピにはわからなかったと思うけど、パピなりに一生懸命事態を把握しようとしてたんだね。そして、どうしたらいいのかを考えて。震えが止まらない自分を、ぎりぎりの我慢で抑えてた?
 パピも、よく頑張った。さすが東北にもらわれてきた犬だ。パピは、お父さんの自慢の犬だったよ。もしもあれが、パピとの最後の別れの時になるとわかっていたなら、ずっとパピに寄り添って、話しかけ、パピだけを見つめていたかった、なんて、今頃言っても遅いよね。
 だけどまさか、パピのいない世界が来るなんて、考えてもいなかった。
 パピ、お父さんはパピに冷たかった?震災後、特に?心の中で、いつもごめんって、言ってたんだ。
 月曜日、出張の帰り道、パピの容体が急変したって病院から電話があって、すぐに飛んで帰りたかった。あんなに電車が遅く、時間が長く感じられたことはなかった。時計ばかり、見つめてた。「何とか間にあいますように」って、必死に祈ってた。必ず間にあって、抱きしめたかった。
 ひとりで病院におかれ、どんなに寂しかった?苦しかった?パピは、人一倍寂しがりやだし、甘えん坊だから、そして怖がりだったし、ほんとうはずっと隣にいて欲しかった?
 病院に着いてみると、治療台の上のパピは変わり果て、ピクリとも動かずに横たわっていた。でも、お父さんとお母さんが迎えに来たのがわかったの?「クン」て鳴いたね。忘れないよ。あれが、最期の一鳴きだった。
 目もうつろで、ぐったりしたままだったけど、「あっ、パピがないた」って、驚いたんだ。あれは、「お父さん、お母さん!」だった?
 ねえパピ、お父さんとお母さんは必ず迎えに来るって、信じてたの?それを待って、必死に命をつないでた?あの振り絞るような最後のあいさつ、ちゃんと受け取ったから。
 だけどもしかして、あれは「さよなら」だった?
 それとも、「お父さんお母さん、遅いよ」って怒ってたの?
あるいは「苦しいよ」って?
 なんでもいい、もう一回鳴いて。
 いとしい、パピ。
 だけどもしも、「お父さんお母さんに、最期に会えてうれしい。僕は、佐藤家にもらわれてしあわせだった」だったとしたらうれしいな。震災後の旅路と、パピの最期を振り返ったら、そんなことあるはずないか……。
 ごめんね、パピ。
 病院に迎えに行くと、お医者さんが教えてくれた。パピは何回も痙攣に見舞われたけど、よく耐えたって。心臓マッサージと、呼吸器の装着と、点滴で、じっと耐えて命をつないだって。よく頑張ったね、パピ。お父さんとお母さんが来るのを、そこまでして待っててくれて、ありがとう。
 パピが逝ってしまった後、そんなけなげなパピの姿を思って、また泣いたよ。
 それにしても、病院から両手両足をたたんだままの痛々しいパピを、まるで割れ物でも持ち運ぶかのように、そっと我が家に抱き寄せ連れ帰った10分後に、瞬く間に息を引き取ってしまうなんて、思ってもいなかった。余りに早すぎた。
 だから、あの一声はやっぱり「お父さんお母さん、ありがとう。佐藤家のみんなや最後にお世話になった中村さんによろしく。さようなら」だったんだって、悟ったよ。
 パピは、律儀過ぎる。

 もっと甘えてよかったのに。我がままでもよかったのに。時に周りの空気も読まないで、自分を主張てもよかったのになんて、今まで「震災なんだから、みんな大変なんだからパピも、我慢しなさい」の一点張りだったくせに、ずるいよね。
 今にも消えてしまいそうな命を、必死につないで待っていてくれたパピは、忠犬だ。
 だけど、パピ。
病院に着いて、お医者さんから「病院で看取ることもできますが」って言われた時に、当たり前だけど一も二もなく、お父さんが「連れて帰ります」って言ったの聞いてた?あの時、「家に帰れる」って、喜んだ?だってパピは、佐藤家の4番目の子どもだから。絶対すぐに連れて帰るって、最初から決めてたんだ。
 ほんとうはその夜、お父さんとお母さんは寝ずの看病をするはずだった。弱り切ったパピへのせめてもの罪滅ぼしに、渾身の看護をするって、決めてたのに。
 これまで、散々あちらこちらにパピを預け廻し、その分と一生分を、お詫びさせて欲しかった。いくらでも、抱いてあげるって、一晩中、語りかけるって、決めてたのに。もうパピのそばを絶対離れない、どこにも行かないからって。パピを見つめ、パピだけを最優先するって、約束するからって。 
 それがまさかの、帰宅して看護の準備を始めた10分後に、瞬く間にお父さんの手の中で、まるで久しぶりの我が家に帰って安心したかのように、息を引き取ってしまうなんて。
 お父さんたちが鈍感だった。大切なパピをどうしてもっと、繊細に扱わなかったのか。15年前、「大事にしてね」って静岡の飼い主さんに言われて、あずかってきたはずなのに。これでは飼い主失格だ。
 弱り切ったパピの体を抱き、病院を出、「さあ、パピ、一緒に家に帰ろう」って言った時、お父さん心の中で泣いてたよ。
パピも泣いてた?
 お父さんやお母さんと一緒に、家に帰れるから?

 ねえパピ、お願いだから一晩だけ、パピの看護をさせて。
 パピは、佐藤家にたくさんのしあわせを運んできてくれた。一生分の「ありがとう」も、まだ言ってない。
 パピは賢こい犬で、なかなかの美男子だった。犬の間では、随分もてたね。スマートで、毛並みもいいし、少し繊細だったけど、人間ならきっと人格者だ。人の気持ちもよく察して、どこか人間のようにも感じてた。ただ、人の心を時々読み過ぎたんじゃない?もう少し、KYでもよかったかも。
 小さい頃は、子どもたちが喧嘩をし始めたと誤解して、急いで肩たたきをする二人の間に割って入り「喧嘩は止めて」とばかりに、真顔で吠えたね。ほんとうはあれを見るのが面白くて、みんなでけんかを始めたふりをして、実は笑ってたんだ。ごめん。でも、微笑ましかったよ。パピは、ほんとうに争いが嫌いな、平和主義者だった。佐藤家の平和の番人、いや番犬だったよ。長い間のお勤め、ご苦労さま。
 そんなパピだったから、大切にしてきたあの我が家を震災で失い、思い出がいっぱい詰まった故郷を追われて、二度と見慣れた風景を見ることができなかったことは、どんなにか辛かったかと思う。何の準備もなく、突然の旅に出ることになったことも、パピにとっては、耐え難いことだったと思う。
 ここまでが、パピの限界だった?よく頑張ったね。
 それから、いつもお父さんとお母さんが悲しそうな顔をしているのを見るのも、辛かった?それとも、旅の途中で飼い主と引き離されてあちらこちらにあずけられる方が?訳がわからなくて、もしかして捨てられたんだろうかって思うと、たまらなく悲しかった?震災で寿命を削ったの?
 「被災した犬のストレスは、そうでない犬の10倍ある」って聞いたよ。脱毛になる犬もいるって。ちょっとの音や振動にも敏感になるって。だから、パピはパピなりに、精いっぱい頑張ったんだて、知ってるよ。
 ところでパピ、14年と7カ月前、御殿場から東北の地にもらわれてきた子犬だった頃を覚えてる?仔犬のパピはかわいかった。あの日パピは、佐藤家の4番目の子どもになったんだ。姓ももらって、正式に「佐藤パピ」になったんだ。お父さんは時々「飼い主に似ている」なんて言われて、結構喜んでたっけ。犬の飼い方の本も、たくさん買ったし。「犬と似ているって言われて喜ぶなんておかしい」って家族に言われたけど、構わない。お父さんは、ほんとうに嬉しかったんだ。だってパピは、もらってみたらチャンピオン犬の子どもだったし、我が家の誰よりも血筋はいいし、何しろ気品が漂っていて、面白くて愛くるしいし。
 なんてまた、かつての親ばか犬バカがよみがえってきた。
 それなのに時は流れ、佐藤家に新たなスターの孫たちが誕生すると、昔のパピ歓迎ぶりは影を潜め、写真に撮られる機会もめっきり減って、時々「危ないから、そこどいて」なんて言われたりもして、部屋の片隅に追いやられる時もあったっけ。あの頃、しみじみ人生の黄昏を噛みしめてた?
 今回、獣医さんからは、寿命ですよって言われたけど、お父さんとお母さんは今も呆然自失状態で、改めて小さいパピの存在が、いかに大きかったかを思い知らされている。
 思い返すとここ数年はパピは耳も遠くなり、視力も落ちてきてた。顔の毛の色はみるみる白くなって、あれ白髪だったんだ。ひたひたと迫り来る老いの恐怖を、ひとり抱いて噛みしめてた?孤独も?
 そんなことも、思いやってあげられなくて、ごめん。
パピのこと、どれほども理解していなかった。
 そういえば、この間会った時、いつになくお父さんに体をすり寄せてきて、顔をそっとお父さんの手の上にのせたっけ。「あれ?」と思ったけど、あれは迫り来る老いの恐怖を感じての、遠慮気味の甘えだった?
 だけどパピには、感謝してる。佐藤家の3人の子どもたちの成長を、しっかりと見守ってくれた。子どもたちが家を出、お父さんとお母さんが二人きりの寂しい生活に入った後も、ずっと寄り添ってくれてありがとう。パピはお父さんお母さんに、何の迷惑もかけてないからね。
 ただ少し、良い子過ぎたかも。最後は、遂に介護もさせてくれなかったし。もしかすると、三日間の入院に止めて逝ってしまったのも、なるべく入院費を少なくして、迷惑をかけまいとした?
 だったら、けなげ過ぎるぞ。
 そういえば、最後に面倒を見てくれた中村さんが、言ってた。パピは、宣教師だったって。パピと一緒の散歩道がきっかけで、ご近所のいろんな方と知り合いになって、そこから随分の人が教会コンサートに来てくれたって。よかったね。パピは、なるほど牧師の子だ。
 そういえば、いつもお父さんがお祈りする度に、家で「アーメン」に合わせ「ワン」て鳴いてたっけ。あれはてっきり今まで、食事が始まる際の合図の、犬の条件反射だなんて勘違いして説明していたけど、パピ語での、れっきとした「アーメン」だったんだね。犬語が、わからなくて、ごめん。失礼しました。
 だけど確かに、食事のあるなしと関係なく、どの場面でもお祈りが始まると決まってすぐ加わって、最後の「アーメン」に合わせて「ワン」って吠えてた。
 パピも、クリスチャンだった?
 ペット火葬場に初めて入り、骨になったパピと対面して、改めて「こんなに小さい犬だったんだ」って、驚いたよ。あんなに小さな頭で一生懸命考え、割り箸のように細い足で飛び跳ねてたんだ。
 パピは、小さないのちを精いっぱい、生きたね。
 お父さんもお母さんも佐藤家の子どもたちも、大げさに言えばパピに出会った人みんな、パピからたくさんの笑いやしあわせをもらったよ。散歩に行けは、多くの人が「かわいい」って、ほほ笑んでくれたし。
 パピ、佐藤家の一員となってくれて、たくさんの温もりを運んできてくれて、ありがとう。
 パピが逝ってしまった直後、お父さんとお母さんは話をしたんだ。もしもこれが最後だとしても、「お父さんは、お母さんと結婚して幸せだったって思っているよ」って。お母さんは最初、急にお父さんが妙なこと言いだすから気味悪がっていたけれど、お母さんの方からも、お父さんに同じこと言ってくれた。だって別れは、いつ突然やって来るかわからないって、パピの死が教えてくれたから。パピの死を、無駄にはしないよ。パピは、ほんとうに小さい犬だったけど、どんなに小さい命でも、その存在は限りなく大きいんだって、何にも代え難くてスペアーはないんだって、心が痛いほど教えてくれたから。
 そしてこうしてお父さんたちは、未だにお通夜みたいな生活を引きずってる。そんなに簡単に、パピの存在を振り切ることはできそうにない。
 そんなこと、昨年の震災の時、十分に学んだと思っていたのに、どれ程のことも勉強していなかった。「お父さんお母さん、くれぐれも命を大切にしてね」って、パピの死が教えてくれた。
 
 パピの遺体を横に、あの晩、14年前のビデオを探し出して、観返したんだ。そこには両手に収まるくらいの仔犬だったパピが、我が家にもらわれてきて、まるでウサギのように我が家の中を飛び跳ね、ネズミのように公園内を走り回る姿が映っていた。まぶしかった。みずみずしくて、いのちが躍動してた。
 ほんとうのことを言うと、仮にパピが死んでしまうようなことがあっても、ペットロスにならないようにしようって、お母さんと予防線を張って打ち合わせしてたんだ。だけど、駄目だった。所詮犬だからとどんなに言い聞かせても、パピはお父さんとお母さんの中で、それ以上の存在だった。
 ただでさえ震災で多くのものをロスしているのに、この上パピまで失うことになったら耐えられないって思ってた。だからパピ、もう一度戻って来て。ボクほんとうは生きてるよって、どこかからでもいいから、ひょっこり顔を出して。そしたら、いっぱい撫でてあげる。ワンワン吠えながら、かつてのあの日のように、踊るように思いっきり飛び跳ねてきて。
 ボクのこと、こんどこそ大事にしてね、って甘えてすり寄ってきていいよ。一緒に、大好きな散歩に行こう。それとも、ドライブがいい?車の窓から顔を出して、いつものようにきょろきょろと全世界を見回すんだ。お父さんは、ハンドルを握って、サイドミラーをちらちら眺めながら、パピヨン犬自慢の大耳のロングヘアーがしっかりと風にたなびいていることを確認して、さも誇らしげに車を走らせる。「絵になるな」って、ひとりでまた悦に入って。
 パピ、「しあわせな日々をたくさん、ありがとう」
パピは、ほんとうにいい犬だった。
 さようなら、パピ。
 ぽっかりと空いた心の穴を、果たして時の流れが埋めてくれるだろうか。パピを失った、色の消えたような世界に、再び色はつくだろうか。              
          (12月13日、パピが死んだ三日後に、徳島市民クリスマスに向かう道々)
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不思議な不思議な神さまのご計画

2012-12-26 | 教会のこと


faceBookをチェックしていたらJOYチャペルユースクリスマスの写真がアップされていて・・・
そのうちの1枚に目が止まりました。

先日我が教会の牧師から見せていただいた古いセピア色の写真です。
富岡正男さんのピアノ伴奏でデュエットしている若き日の牧師夫妻。

イブ礼拝で女声聖歌隊の賛美に選んだのがこの富岡正男先生作詞作曲のクリスマス曲。
選んだ私は全くそんなことはつゆ知らず・・・

この不思議な不思議な神様のご計画の中でイブ礼拝の賛美は祝福されたのでした。
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クリスマスは何時まで??

2012-12-25 | 個人的なこと

昨夜のイブ礼拝はとっても良かった。街の方々も参加して下さったし(主催者側の自画自賛??)
これで教会のクリスマスイベントはすべて終了です。
街中は残ったあケーキを格安で売るくらいで、今日からお正月の飾りに一転します。

さてさて、クリスマスって何時からいつまででしょう??

ある本によると
「4週間のアドベントの後、12月25日がクリスマス。そして12日後の1月6日(公現日)までクリスマスは続きます。」

教会暦で言う公現日とは、東方の博士たちが星に導かれて幼子イエス様の元を訪れた出来事を記念する日だそうです。
但し、教団教派によっては1月6日をクリスマスとするところもありますし、もともとイエス様の誕生日が12月25日というのも根拠があるわけでもありませんもの。

かつて我が家では25日が終わると玄関のリースもクリスマスイルミネーションも家中の飾りも全て取り外され、松飾と干支の置物やお正月の飾りに変わりました。

何年か前から「1月6日まではクリスマスです!」と私の宣言が大勝して お片付けは年明けとなりましてございます。
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メリー・クリスマス

2012-12-24 | 個人的なこと


ブログを覗いてくださる皆様へ・・・・メリー・クリスマス。
クリスマスから始まる新し年の祝福をお祈りします。

さて、昨日のクリスマス礼拝、今夜のイブ礼拝は「咳き(コンコン)」との戦いでした。
コンコンならまだ可愛いけど「ゴホン・ゴホ~ン」が出始めるととまらない。
生まれつき喉が弱いものだから空気中のゴミでもちょいと吸い込むと咳き込んでしまいます。
緊張がこれまたいけないようで。
その証拠にイブ礼拝が終わって家に帰ったら咳き全然出ないじゃん。
私って結構ナイーブなのかもねぇ。
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ルンバ君がやって来ました

2012-12-22 | 個人的なこと


お掃除ロボット「ルンバ」がやっと届きました。
12月のボーナスで長男がプレゼントしてくれたものです。
人気なのかしら、20日遅れで入荷。

我が家のルンバ君、「俺がやるから要らない」と豪語しておりました。
しかし、なんだかんだと理由を付けてはさぼり、目の良い私は忍耐の毎日。
やったと思うと「四角い部屋を丸く掃く」タイプ。
「気に入らなければ自分でやれ!」と最後はぷいっとする。

ところがこのお掃除ロボットルンバ君は実にすぐレモノ。
何も言わずにひたすらお掃除に専念。
玄関から落ちることもなくドアの空いている部屋は全て掃除してまわる。
充電も自分でするし、終われば充電基地に一人で帰るし。

これからは我が家の食卓の下に落ちたパンくずはルンバ君のモノになります。
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手前味噌

2012-12-21 | 家族のこと

今日は長男の定期予約診療の日、山王病院に行きました。
夕べから風邪気味で微熱があるみたいです。
「可哀想に、何で連れてきたのよ」と金澤医師に私たち夫婦は叱られてしまいました。
何か変だよね、病院に病気の人を連れてくるなって???
何時ものお薬と一緒に風邪薬もたっぷり処方していただきました。

夕食は栄養満点の豚汁にしました。
お味噌は「手前味噌でございます」って友人からいただいた手作り味噌。
美味しかったですよ。

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寝ます

2012-12-20 | 個人的なこと


風邪の予防は「うがい、手洗い」そして栄養と体力温存、そして睡眠。」
今夜は何にも無いので~~~まだ7時前だけど~~~もう寝るぅ。



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