回復医療開始 備忘録

2024-07-25 | 長男のこと

終末期(看取り)医療から回復期医療に移行 とのことで、具体的な内容は分からないのですが、10分面会で気付いたことを書き留めたく。

栄養も吸収するのに体力消耗するらしく、暫くは朦朧とした日が続きました。

 

7/22(月)から栄養アップして「エルネオパ1000㎖」(在宅時よりは少ない)に変更。

注)胃ろうからの栄養が入らなくなりCVポート増設、それも使えなくなり現在はPICCから)

 

7/25(木)面会でばったりお会いした担当医から「リハビリを始めます」と告げられました。

また一歩前進でしょうか。

 

今日の長男、チョッピリ笑顔が出るようになりました。

 

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「感謝」がまたひとつ増えました

2024-07-18 | 長男のこと

 

長男、4月に「膿胸」で緊急入院し、AOI国際病院長期療養型病棟に転院して約2カ月が経ちます。

コロナの影響で「面会は週一回」という療養型病院が多い中、毎日会えるのは何と幸いなことか。

最初のうちは昏睡・小康状態で・・・

いつ天国に招かれてもと委ねつつ心の準備もしながら面会の10分間を祈りつつ過ごしました。

 

1ヶ月ほど前から面会時間になると目を開け身体を動かして私たちを待つようになってきました。

動く、笑う、涙する、こんな些細な変化が何と喜びか。

手足をさすり、背中に手を入れて揉むたびに痩せて骨がゴツゴツと私の手に当たる。

神様に委ねた命とはいえ、やせ細っていく姿を視続けるのはこれまた親として切ないものです。

 

昨日、3人で面会に行った時に担当医が今後の方針を提示してくださいました。

それも突然で耳を疑うような内容でした。

 

「これまでは終末(看取り)医療をしてきたけれど、回復医療に移行したいが」との事。

血液検査、胸のCT検査の結果が良好な事、膿胸のウミも抗生薬が効いて抑えられていることなどから、点滴や遺漏からの栄養等々を様子を見ながら体力をつけていく方向を試みるそうです。

 

肺炎や膿胸のリスクも消えたわけではないけれど、「急変」の心配は少し遠のいたようです。

 

「生命は神様お一人のご支配の中にある」

生死は私たち人間には知りえない事だと知識ではなく信じて心に刻みます。

神様の栄光の為に長男は再び命の息を吹き込まれました。

 

我が家のリビング出窓には「感謝のガラスの器」があります

感謝の見える化」・・・感謝!と祈るごとにビー玉を1個入れるのです。

またひとつ感謝のビー玉が増えました。

 

 

 

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主のいない部屋

2024-07-16 | 長男のこと

主(ぬし)のいなくなった部屋。

10年間、我武者羅に過ごした思い出がいっぱい詰まっている。

恵み、奇跡、喜び、笑い、涙・・・沢山の出会いと励ましに支えられた日々。

 

もう戻ることは決して出来ないのに、片づけるのを躊躇する私がいる。

私を気遣ってか、同じ思いなのか、連れ合いも次男も片づけたらとは言わない。

 

主(ぬし)はいなくなったけれど、主(しゅ)は昨日も今日もこれからもここに居られる。

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次男の誕生祝

2024-07-13 | 家族のこと

次男、50歳の誕生日を迎えました。

あっという間です。

お祝いは定番のお赤飯と刺身と煮物etc. 母の下手な手料理です。

ケーキは名前入りのホールケーキ。

「ローソク何本お付けしますか?」と聞かれ、まさか50本とも言えず(笑)

 

いっぱしの意見を言うようになったし、私たち親側も聞く耳を持つようになりました。

そりゃそうだ、ひとり身とは言え50歳と言えばイイ大人ですもの。

会社でもそれなりに責任ある仕事をきっちりとこなしているみたいだし。

 

頼りない、頼らない、頼れない・・・と思っていた次男に最近は頼りっぱなしです。

”世話にならないように”と思って生きてきたけれど、これからは喜んで世話になろう。

頼られてこそ成長するし、頼ってこそ謙遜を知ることになると思わされる昨今です。

 

宜しくね!と言ったとたん「7~8月はオリンピックがあるから超多忙」と言われてしまった。

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「九十歳 何がめでたい」観てきました

2024-07-10 | 個人的なこと

 

思い立って久しぶりに映画を見に行きました。

「九十歳 何がめでたい」

何年も前に読んだ本だけど大好きな佐藤愛子さんの切れ味の良さが忘れられない。

ひとつ読んでは「そうだ、全くだ!」と老いの醍醐味にほくそ笑んだものです。

 

主演は草笛光子さん、私が白髪染めをやめるきっかけになった憬れの君。

そうは言ってもあちら様は生まれつきの美形、それにスタイリスト付きです。

憬れたって月とスッポン、あんなにきれいな白髪スタイルにはなれっこないのですが。

 

今日は連れ合いも次男も留守、是非劇場へ足を運びたいと思い立ったわけです。

ラゾーナ川崎、109シネマズ。

 

大ヒットのうわさ通り、高齢者とその付き添いで席はいっぱい。

「ゴホン、ゴホン」とむせるのは仕方ないけれど・・あちこちでスマホも鳴る

まあ、ご同類かと苦笑いです。

感想?? それは観てのお楽しみ(佐藤愛子さん風?)

 

映画の後は長男の面会。

初めて電車で行きました。

京急川崎から大師線の終点、小島新田下車、徒歩3分。

 

今日もアイパッチを開けたら大きく目を開けて待っていてくれました。

たまたま巡回にきた看護師さんが「あら分かるのねぇ」何て驚いていました。

 

担当医の先生にも看護師さんにも笑顔で感謝を現わせると良いな。

「愛は伝染する」と、素敵な励ましの言葉をいただいたばかりです。

 

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我が家にも来ました! 渋沢栄一(笑)

2024-07-07 | 個人的なこと

 

連れ合いの兄さんから「叔父さんからのお見舞い」と長男宛に渋沢栄一が届きました。

七十七銀行支店長だった兄、記念コインや新札が出る度ごとに送ってくれます。

 

「渋沢栄一とは深いつながりでねぇ」と電話口で説明が始まる。

 

明治11(1878)年、宮城県で初めてとなる銀行「第七十七国立銀行」が業務を開始しました。その創立には渋沢栄一が深く関与しています。 渋沢栄一は明治5年(1872年)に公布されたわが国最初の銀行法規である「国立銀行条例」の起草を担当しました。

 

ニュースでみたアレ、早速手に取るとやはり感慨無量。

だから何なのよ、って話ですけれど兄の心遣いに感慨無量です。

 

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あの笑顔が戻りました

2024-07-04 | 長男のこと

AOI国際病院、長期療養棟に転院して1ヶ月半が経とうとしている。

昏睡状態、小康状態が続く中での面会は本当にしんどかった。

私たちの来ていることは分かっている、声は聞こえていると信じて毎日通い続けた。

 

ところが2週間ほど前から手足を動かし、まるで私たちの来るのを待っているかのよう。

アイパッチ(シールタイプの眼帯)をそっと外すと目を大きく開けている日が多くなった。

中止していた「高カロリー液(24時間点滴の栄養)」も再開し、体力も回復したのかも。

「膿胸」のウミ(彼の体力では除去手術不可)を抑える為の抗生薬が効いているのかも。

「かも・・かも・・」で推測の域をでないけれど、急変の心配は今は少し遠のいている。

 

神様に委ねた命だけれど、神はご自分の業をなさる為に今も息を吹きかけ続けておられる。

 

 

在宅の時も介護・看護の方々や私たちを励まし続けたヒデミスマイルが復活した。

笑顔が出ない日もあり、出ても瞬間芸?なのであっという間に消えてしまう。

 

ヤッター シャッターチャンス ここのベッドで初のスマイル写真

連れ合いは(次男も)この笑顔を見たくって「行こう、行こう!」とせっつきます

 

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