「生」と「死」の選択

2024-05-31 | 長男のこと

5/31(金)、日付が変わって数分後に枕もとの携帯が鳴った。

長男が入院中のAOI国際病院(6階の療養型病棟)からだった。

深夜当直医師が電話口で「重責発作が起きなかなか治まらない」とのことである。

「このままだと命の危険があるので人工呼吸器を付けたい」と告げられた。

「付けないと死にます」と。

医師の言葉にわたしの心はひどく動揺した。

 

延命治療に関してはどの病院も、レスパイトでも入院時に確認の文書を取り交わす。

これが最後の延命治療と雅子. K医師のアドバイスで気管切開を決めたのが10年前。

「もしもの時が来たら神様の招きと信じて人工呼吸器は付けない」と家族で確認していた。

 

しかし、しかし「付けないと死ぬ」をリアルに耳にして暫くひるむ私がいた。

戸惑うのだ、悩むのだ、「どうか生かしてください」と言いそうになるのだ。

これが現実だ。

 

携帯を握りながら、短い時間だったけれど、不思議に上からの平安が与えられた。

神の時は決して時間の長さではない。

 

「人工呼吸器は要りません、苦しまないようにお願いします。」と言うことが出来た。

「生」と「死」の選択だ。

わたしの思いではなく、神のみ旨のみが行われますようにと。

それでも追い打ちをかけるように「覚悟をしておいてください」と医師は言う。

 

眠れない夜を過ごした。

その後、朝まで電話は無く発作はきっと治まったのでしょう。

 

数週間ずっと昏睡状態の長男だけれど、私たちの声はきっと届いていると信じて語り続けた。

それが、何と!  

今週の火、水、木曜日 3日連続で目を開け、あの笑顔が戻った。

嬉しかった。

沢山の奇跡を見せ続けてくれた長男「この病は死で終わるものではない。神の栄光が現れるため」

 

今日も10分面会に行ってきます。

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天国でまた逢いましょう

2024-05-21 | 教会のこと

大切な信仰の友、京子さんが5/14(火)天に召された。

長男がAOI国際病院(療養型病院)に転院するさなかの訃報電話。

この日に予定していた京子さんとの面会を、体調を鑑み主治医とご長女の配慮で5日前に前倒し。

京子さんと初対面の新任牧師、私も同行させていただき祈りと賛美と笑いの恵みの時をもった。

腹膜ガン闘病3年数ヶ月、ご長女の手厚い介護を受け在宅で、最後の数週間は緩和病棟に移された。

その間に長年の祈りだったご長女の結婚という神様からのビックプレゼントがあった。

どんなに喜んだことか、抗がん剤治療の中で帽子をかぶって結婚式参列も許された。

その時に着ていたグレーの素敵なドレスは出棺式の時に彼女希望通りに亡骸を包んだ。

 

5/19(日)午後、「葬送式」がJOYチャペルで執り行われた。

お別れ(告別)ではなく、天国への凱旋を見送る礼拝式ですと牧師。

天国への凱旋、この「葬送」にいたく感動し心を晴れやかにしたものである。

み言葉には「力」がある。

そして私たちの使う言葉の一つ一つには「思い」が込められているのである。

 

葬送式の中で「京子さんを偲んで」語る役割を依頼された。

思い返せば・・実は私自身は京子さんとはベッタリと親しく仲良くしていたわけではないのだ。

けれども誰よりも長く教会生活を共にしたし、支えられて来たのは事実なのでお引き受けした。

先ずは「昭和22年生まれ、ベビーブーム真っ只中の同じ歳」から始まって不思議な接点の数々。

特に、重度障害の長男には心を寄せて下さり、介助し、祈り、励まし、見舞ってくださった。

今更ながらに感謝の言葉もない。

 

当日、語る言葉は選びも吟味もしないまま、霊の語らせるままに話すことに決めた。

そして、思い出はもっとたくさんあったし、京子さんが神様に愛されてる事実を語りたかった。

聖霊がストップした話しもあった。

「主に委ねて行きましょう」と京子さんの声が聞こえる、「感謝です」と笑顔が目に浮かぶ。

 

火葬場で長男、長女のお二人とゆっくり話す時間があった。

「お母さんって可なり【天然】だったよね、家族はずいぶんそれに振り回されたよね」

わたしの知らない京子さんが家の中にいた。

人間、色々な顔があるもの、それで良い、みんな神様の作品なのだから。

そして二人とも異口同音「お母さんの信仰は凄い、神さまにまっ直ぐ」とも言う。

京子さんが最後に伝えたかったみ言葉

 

「主イエスを信じなさい。そうすればあなたも家族も救われます。」(使徒言行録16:31)

「これは京子さんのご家族だけでなく、皆さんへのみ言葉です」と牧師はメッセージで語る。

 

葬儀には親しく深く誠実に交わった多くのご友人、ご近所の方、ご親戚の方、賛美の仲間が参列。

旅立ちの備えもお礼の言葉も訃報連絡先も全てご自身で準備して子どもたちに託した京子さん。

「母の願い通り、それ以上に皆さんに葬送してして頂けて思い残すことは有りません」とご長女。

 

棺の上に置かれたリース、フローリスト(JOYチャペルメンバー)からの贈り物です。

そうそう、京子さんの人生はこんな感じの明るく華やぎをもって福音を生きた方でした。

 

 

 

 

 

 

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空虚

2024-05-17 | 家族のこと

 

在宅介護終了に伴い、レンタル福祉用具を返却。

ベッド、リフト(車椅子⇔ベッド)、ベッドサイドテーブル、点滴棒、昇降機(部屋⇔外)など。

 

特注のくまモン号(車椅子)だけがポツンと残ります。

主のいなくなった部屋は空虚、寂しさがつのります。

 

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在宅介護の終わり

2024-05-14 | 家族のこと

 5年前、次男が買ってくれた車も入れて一応家族全員集合貴重な写真!

 

とうとう10年間の在宅介護に幕を閉じる日が来ました。

5/14(火)上白根病院から「AOI国際病院 長期療養病棟」に転院しました。

 

 

以下、長文になります。

4月に急性期病院に緊急入院し【膿胸】を癒すことが体力的に出来ずそのまま回復期病院に転院。

回復期病院からは1カ月位で在宅か長期療養型病院に移らなくてはなりません。

爆弾を抱えたまま抗生薬で抑えている現況で、家で診るのは本人にも負担が大きすぎるとの事。

在宅の限界を受け入れなくてはならない状況は在宅医のアドバイスも同意見でした。

「人生の終わり、時は選べないけれど場所と方法は選べる」とfacebookの言葉が胸にささります。

なんとか、なんとか・・祈りが右往左往して定まりません。

苦しくても声も出せず、ただベッドで横たわるヒデミの顔が目に浮かび、胸が締め付けられ、泪が止まらず、夜中に目が覚めては眠れない日が続きました。

 

悶々としながら長期療養型病院の最適な病院を当たることになりました。

一覧表から相談員、在宅医の雅子.K先生にアドバイスを頂いて3か所の病院に絞りました。

先ずは下見に(青葉さわい病院、川崎みどりの病院、川崎田園都市病院)

次に書類審査があり、審査が通ると面談して詳しい内容の説明を受けることになります。

審査の回答がなかなか来なかったり、面会制限が週一回とか厳しかったり、高齢者特化の病院だったり、空きベッド待ちでいつになったら空くかはわからない、等々。

なかなか一朝一夕にはいかず帯に短しタスキに何とやら。

 

難航して焦った相談員から「もう一か所書類審査を出したい」と提案がありました。

「AOI国際病院」、聞いたこともない病院です。

驚くほどのスピードで書類審査もスンナリ通り、5/13(月)面談日も決まりました。

雅子.K先生は担当エリア外でご存じないのではと思いながらも藁にもすがる思いでご相談しました。

横浜の先生にムチャぶりですよね、案の定ご存じないらしくお返事はありませんでした。

 

それではとネットで病院名「AOI国際病院」を入力して・・エッ、エッ、目が点。

緩和ケア病棟担当医、我が目を疑って二度見、三度見、何度見ても経歴も写真も紘.K医師です。

紘.K医師は雅子.K在宅医のご長男で、昨年夏に雅子先生が体調を崩されてから紘先生が代わってヒデミの在宅担当医でした。

 

 

わたしは思いました。

「これは神様が先だって働かれておられる」と。

 

そしてわたしは誓いました。

「これが神様の出来事ならその導きを素直に受け入れよう」と。

 

そしてわたしは祈りました。

「これが神様の御業なら我が手から主の手にヒデミを委ねます。」と。

 

 「主ご自身があなたに先だって行き、主ご自身があなたと共におられる。

  主はあなたを見放すことも、見捨てられることもない。

  恐れてはならない。おののいてはならない。」(申命記31:8)

緊急入院の時、牧師から祈りと共にいただいたみ言葉。み言葉は真実です。

 

 

面談の2日前の夜の事です。

雅子.K医師から電話がありました。

「息子がその病院に先月から勤務しているそうなの、何という事でしょう

面談で自分の名前を言っても構わない、入院したら都度見舞うからとのご子息からの伝言でした。

紘.K医師は緩和ケア病棟、ヒデミの入院先は療養型病棟なので様子を見に行って下さるとの事。

 

JOYチャペルのミッションステートメントに2つの聖句があります。

その一つは

 「人間にできることではないが、神にはできる」 (マルコ10章27節)

人間には思いもつかないことだが、神は驚くべきことを思いつかれる。

 

主は生きておられる。

主よ、わたしは何者なのでしょうか。これほどまでに主が気にかけて下さるとは。

主よ、ヒデミは何者なのでしょうか。これほどまでに主が先だって働いて下さるとは。

 

 

5/13(月) 「AOI国際病院」面談の日です。

11時、強い雨が降る日でした。

夫とケンジ、家族揃って出席しました。

面会は毎日出来ると聞いて安堵、これが一番の私たち家族の関心ごとでした。

コロナ以来面会制限がどこも厳しく、午後は殆ど寝ているヒデミ、週一回ではねぇ。

 

緩和ケアー病棟の紘.K先生のお名前も使わせていただき、ソロソロ面談を終わろうとした時。

相談員の携帯に電話が。

「キャンセルの電話です。明日で良ければ即入院可能ですが?」

我が家3人は顔を見合わせて「お願いしよう、ね、ね、ね」って事に。

ケンジも明日はたまたま仕事が休みの日で同行可能と言う。

そうは言っても上白根病院が「ありえな~い」って拒否するかもと思いきや、スンナリOK。

急展開もいいところ、あれよあれよという間に決まってしまいました。

 

 

10数年前、聖マリ百合丘病院で気管切開、胃ろう手術後は長期療養型病院に入院。

家に連れて帰りたいと懇願しても医師も看護師も「無理」の一言でしたから。

半年後に院長から「体調が安定してきたので在宅も視野に」と話しがありました。

「在宅」が決まった時、それは私たちのたっての願いでしたから本当に嬉しかった。

ピアノ教室を閉じ、TBTS教会音楽科の働きも無理を言って辞任、音感メソード研究会も。

何もかも捨て「二人で介護」を合言葉に夫と共に介護する日々は何と楽しかったことか。

Christianのケアマネをとの願いが聞かれ、多くのサポーターのあたたかさに感涙したことか。

大変なことも失うものもとっても多かったけれど、いただいた恵みと感謝はその何倍もです。

何よりも神様のご臨在をどれほど感じたか、目にしたか、耳にしたことか。

主は生きて働いておられる。アーメン

 

 

昨日の雨にうって変わってなんと今日は快晴。

神さまが再び新しい道を開いてくださった。

10年間続いた在宅介護は今日をもって終わりになります。

 

「どんなことにも感謝しなさい」(Ⅱテサロニケ5:18)

主にあってこそどんなことにも感謝できるのです。

 

 

入院手続き中に悲しいお知らせの電話がありました。

いつも「感謝」が口癖のようにあふれ出る信仰の友が天に召されました。

ヒデミと同じケアマネに手厚くサポートしていただきながら自宅でガン闘病中。

LINEの最後に「在宅仲間の京子より」と常にわたしを励まし祈ってくれたW姉の召天。

 

「在宅」は共にこれで終止符、神さまの御手の中で再び新しく生かされていきます。

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固定観念から脱却

2024-05-11 | 個人的なこと

今日、土曜日は合唱(TBTS教会音楽科)の授業に大井バプテスト教会に行きました。

1993年入学以来5年間は教会音楽科の学生、その後は教師・スタッフとして長年通った場所です。

殆ど車でしたが、ときたま電車利用、川崎経由で京浜東北線大井町駅のルートです。

 

昨年秋から合唱授業出席を再開、ウオーキングも兼ね電車を利用、いつものコースで行きました。

ところが・・・西大井駅からの方が近いとの情報を得て、今日はそのルートでお試し。

武蔵新城から2駅、武蔵小杉で乗り換え、西大井までは何とたったの1駅です。

 

大井町駅へは所要時間33分、11駅、乗車賃318円

西大井駅へは所要時間24分、3駅、乗車賃178円

 

長男の介護で家の近辺をウロついてばかりの10年。

世情は進化・変化しています。

 

学生時代通った渋谷駅、最近行ったことも通ったこともないけれど浦島ハナ子なんだろうなぁ。

時代に付いていくことは難しいけれど、「固定観念」の脱却は老いのブレーキと心得たり!

 

 

 

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喜寿になります

2024-05-08 | 個人的なこと

長男の面会の後、一日前倒しで「喜寿」祝いをしてもらいました。

今年のテーマは「喜」、父(42歳で他界)の名前は「喜一」・・関係ないけど・・私は喜寿

「いつも喜んでいなさい 絶えず祈りなさい どんなことにも感謝しなさい」

77歳前夜の目標聖句です。

 

 

【とうふのうかい亭鷺沼店】

        

嬉しくて美味しくて・・・写真撮るのも忘れ、ほんの数枚ですがアップします。

 

 

 

 

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驚きを隠せません

2024-05-07 | 家族のこと

現在、在宅医M.K先生のアドバイスを頂き3か所の療養型病院を選んで申請中です。

ゴールデンウイークを挟み、思うように手続きが進まず転院許可がおりません。

上白根病院の相談員看護師は「もう1か所申し込みましょう」と少々焦り気味。

お勧めに従って川崎市南部にある「AOI国際病院」を小雨降るなか下見してきました。

 

難航する中で「恐れるな!わたしは共にいる」と信じられないような出来事に遭遇。

今は具体的に話す「時」ではないので私の驚きはまたいつか共感していただきましょう。

 

私たちは病院の大小、設備、対応、費用、距離等々で選ぼうとアホな頭を悩ませます。

でも神様は既に一番良い場所を決めて下さっておられるのです。

 

「主は私たちを見放すことも見捨てられることもない」・・み言葉は真実です。

 

 

 

 

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思わず泪があふれて止まらない

2024-05-04 | 個人的なこと

現在、在宅を断念し長期療養型病院への転院を決めて動いています。

長男の場合、特殊な看護が必要なこともあり思うように受け入れ病院が決まりません。

療養型病院に転院できるまでの待期期間が長引くようなら一度自宅に戻ることも有り。

上白根病院担当医とM.K在宅医のやり取りで耳にしたことが現実味をおびてきました。

 

ケアマネや訪問看護担当者には全て報告し、暫く静観していただくようお願いしています。

なので、介護ベッドも福祉用具一切そのままでいつ家に戻っても良いようにしています。

 

問題は「重度訪問介護ユースタイルケアー(夜間見守り)」

毎日夜21時から翌朝7時まで寝ずの看護介護をして頂いていました。

このサービスが無ければ我が家に長男を戻すことは一日たりともできません。

待って、待って・・・5月に入りこれ以上は申し訳なく【在宅終了】の連絡をしました。

そして無理を承知で転院までの待期期間に在宅になったらお願いできないかと申し出ました。

「在宅になる?ならないかも?」「いつからいつまで?」「胸にウミを抱えている長男」

不確定要素ばかりのお願いです。

 

5/3(金)会社と相談しヒデミ専属の担当者3名の方の返事をもってEチーフが来宅。

「少しでも助けになるなら短期未定でもやらせてください」と全員が異口同音の反応。

「これまでの大矢家との関わり、ヒデミさんの介護を通して彼らの心に仕事以上の何かが生まれていたのでしょう。僕も彼らの返事にこんなに感動したことは有りません。」と、Eチーフ。

 

想像だにしなかった報告を聞く私の目に思わずあふれこぼれる泪、Eチーフも一緒に泪。

感動・感謝・驚き・有難くて言葉にできないこみ上げ。

思い出しては泪、涙、又なみだの一日です。

 

  「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。

   神の子がそれによって栄光を受けるためである。」(ヨハネ11:4)

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