ドクダミの花を「白い十字架に似ていた」と読んだ詩人がいた。
何という感性かと遠い昔に共感したことを思い出す。
散歩の途中で珍しい「八重咲のドクダミ」を見つけた。
白い花は十字架には見えなかった・・けれど・・葉は神の愛(ハート)に形作られていた。
ドクダミの花を「白い十字架に似ていた」と読んだ詩人がいた。
何という感性かと遠い昔に共感したことを思い出す。
散歩の途中で珍しい「八重咲のドクダミ」を見つけた。
白い花は十字架には見えなかった・・けれど・・葉は神の愛(ハート)に形作られていた。
5月25日礼拝後に墓前礼拝、そして日出海の納骨式をして頂きました。
「相模メモリアルパーク」JOYチャペルの教会墓地です。
既に彼の霊は天国に帰っていますが、たった一つ最後に残っていたものがこれで全て目の前からなくなりました。
目にはそっと涙がこぼれますが、心には主による希望が溢れます。
信仰がなくならないように私たちの為に祈っていてくださった神様が今もこれからも共にいてくださいます。
5月25日礼拝 講壇の花
礼拝後に墓前礼拝、そして日出海の納骨式をして頂きました。
「相模メモリアルパーク」JOYチャペルの教会墓地です。
既に彼の霊は天国に帰っていますが、たった一つ最後に残っていたものがこれで全て目の前からなくなりました。
目にはそっと涙がこぼれますが、心には主による希望が溢れます。
信仰がなくならないように私たちの為に祈っていてくださった神様が今もこれからも共にいてくださいます。
私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。21 キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。(ピリピ人への手紙 3:20-21)
「ミッション・インポッシブル」
昨日の礼拝メッセージタイトルと同じ。
先行上映と知りさっそくイオンシネマ港北で観てきました。
映画の主演はトム・クルーズ、 礼拝Messengerはトム.Y牧師。
映画でトム・クルーズは小型飛行機に飛び移る、礼拝でトム.Y師はピアノに飛び移る。
映画のオープニングは「スパイ大作戦のテーマ曲」で始まり、礼拝でも同じ曲が・・・
お二人のトムさん、ほぼ同い歳らしい。
「あらすじ」「メッセージの中心」にはあえて触れずにここまでにしておきましょう。
ひとつ加えるに主役イーサーとははずれるけれど、「一人を゙愛おしむことが世界を救う」
アメリカの女性大統領役の決断シーンに心が打たれました。
TBTS「合唱」、会場教会には明日の献花が見事に活けられていました。
シャクヤク、アジサイ、あやめ(菖蒲かも)、カラー、ギガンチュームetc.
主を賛美することは喜びです。
終わってから恵みの雨の中、「ミューザ川崎シンフォニーホール」に向かいました。
どちらもチョッと難しかったけれど、心は満たされて豊かな一日でした。
追記
帰宅後、PCで「わが祖国」を調べたり、再視聴したりして余韻を楽しんだ。
最も有名な第2曲「モルダウ(ヴルタヴァ)」
現在のイスラエル国歌「ハティクヴァ(希望)」のルーツにもなっている。
デボーションで「エレミヤ(涙の預言者)」を読み進めている。
背信のイスラエルに下される神の裁きの預言がこれでもかとばかり告げられる。
そしてその先に希望を見るイスラエル、そしてわたしも。
神の摂理に驚きをかくせない。
会社を辞め大矢家の家政婦?を志願した次男、早8カ月半が経ちます。
毎日生き生きと家事を担ってくれていて、わたしは大助かりではあります。
「大矢家2024年ターニングポイント」【ケンジ】の項目から一部コピペします。
介護離職を選択した彼の心の内を察することは出来ない。老いた夫婦が足かせになったとしたら申し訳なくも思う。しかし「収入の為に働く人生」から「誰かの為に働く人生」にシフトしたのなら、それは彼自身の選び、そんな選択があっても良いのかもしれない。勇気ある決断と言えよう。十分に仕事をやり終えた充実感があるならそれで良いのだ。「仕事を辞めたら3人で教会へ行こう」との言葉を聞いて、新しい希望を神様がくださったような光さえ感じた。
先日、ストンと腑に落ちるコトバに出会いました。
働くことの意味
「生きていくためには、
衣食住を確保しなければならない。」
働くことの理由は、
それで十分なのかもしれません。
ですが、もし生きてゆくこと自体に
意味を見つけられたなら、
日々の労働はさらに意味深く、
楽しいものになるでしょう。
創世記3章(16~17)には・・・
アダムとエバの罪によって女には生みの苦しみ、男には労働の苦しみが記されています。
既成概念としてわたしの頭にも体にもしっかりと植え付けられていた、言わば社会常識です。
おもえば産みの苦しみを経験しない女性もいて、それが決して「ネバならない」ではありません。
「生活」とは、「人生」とは。
未だに彼の本音を知ることは出来ていませんが、今はそっとそのまま感謝して受け入れましょう。
散歩の途中で素敵な花を見つけてパチリ
帰宅後、連れ合いに見せると「何の花?」と聞かれ「シラン」と答えた。
「知らん?」と勘違いした連れ合い 「紫蘭だよ」と説明するわたし
こんな惚けた日常で完成した「大矢家2024年ターニングポイント」
自身の心の奥底を見つめ直す良いきっかけとなった。
わたしの中にいるもう一人のわたしがそれを客観視する。
一つ目は、日出海がいなくなって寂しくないと言ったら噓になるけれど、あれから一度として夢にも現れることは無いし、今は病もなく神さまの元で天国を闊歩していると思うと「良かったね」が本心かもしれない。
二つ目は、緊張の連続だった日常が今はその真逆でボーっとして過ごしても何の支障もない。毎日介護看護の方が多い時は10名近く来宅されたのに。その上に家事雑事はケンジがやってくれるし。時間の流れのギャップに少なからず戸惑いを覚えている。
三つ目は、年齢を重ねる自覚もないまま夢中で過ごした長い介護期、そして気が付けば78歳の老境。まるで「浦島ハナ子」。あれから健康・体力・パワーが今一つ戻っていないのも追い打ちをかける。
こんなわたしのありのままを受け入れて下さる主がおられる、友がいる。
何という平安感謝なことか。
「『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。
だからキリストの力がわたしに宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」(Ⅱコリ12:9)
「母」や「家族」の定義が多様化している時代です。
母の日を「家族(大切な人)に感謝する日」として、その相手に感謝する日として祝うことが多くなりました。
かくいう我が家も。
写真のカーネーションはわたしに連れ合いから「あ母さんへ」とプレゼントされたもの。
毎木曜日はヘルパーさんと散歩するのですが、その時に買ってきてくれました。
「弱さ」を賜物として与えられた彼はわたしを「お母さん」と頼り、「感謝!」という素直さを得ました。
JOYチャペルの礼拝後、「ご家庭に持ち帰って下さい」とカーネーションのプレゼントがありました。
感謝を携えて「大切な人に」持ち帰ったのだとホッコリしました。
夜は「女子会」
持ち寄りの美味しい食事と楽しい話しに盛り上がりました。
誰もが「母」から生まれ、今も「大切な人」に囲まれています。
母なる神が今日もここにも共におられます。
「大矢家2024年 ターニングポイント」、ついに完成しました。
それも誕生日に合わせるかのように・・・
昨年は家族の其々がとっても大きな人生の岐路を迎えた年でした。
忘れないように書き留めようと心に決め、やっと今日、それもたまたま今日、完成したのです。
プロローグから始まり、一人ずつ、そしてエピローグまで、A5サイズで40ページになりました。
誰に読んでもらうわけでもなく、ただ自分の振り返りとして記録に留めておきたかった。
実に読み応えのある内容となりました。
人生でこんな瞬間、神さまのご介入はは二度とないのではないかと思います。
5月9日、今日はわたしの78歳の誕生日です。
沢山の方から🎊メッセージをいただき、先ほども電話口でBirthdaySongをご夫妻で歌って頂きました。
覚えられているって幸せを感じる瞬間です。
連れ合いの事を皆さんに祈っていただきましたので報告です。
次男に付き添われて眼科(東京医療センター)に行きました。
前回の受診で見えている方の左目「眼圧異常」で、入院手術かもと言われていました。
今日の検査結果は眼圧は極端に上がってはいないので、直ぐに入院手術はしない。
けれど、眼圧が下がってもいないのでこのままだと見えなくなる。
緑内障専門医にも診断をあおぎ治療法を決めるとのことでまた来月までお預けとなりました。
さて、戻ってわたしの誕生祝ですが・・・
「肉が良い?魚が良い?」と聞かれ「肉!」と言ったもんだから焼き肉になりました。
色気も雰囲気もナ~ンもない焼肉屋さんだったけれど、思う存分たらふくゴチになりました。
わたしが主賓なので メニュー注文も焼くのも今日は息子です。
先日「何歳ですか?」と聞かれて・・・
「十年(とうねん)とって」はアルアルだけれど「五十八歳」なんて20年も取ってしまいました。
ついに来たか、アレ と、笑いで誤魔化す。さすが歳の功
「老いの坂はゆるりと下り、天国への階段は意気揚々と上る」これが現在の心境です。
大型連休最終日、あいにくの雨です。
24時間緊張の日々から解放され、日がなマッタリとした時間を過ごすこの頃。
花を観に出かけたいと思っても、連れ合いは【見えない】、息子は【見てどうするの】と興味を示さない。
何処へ行っても混んでいるし・・・と、ゴールデンウイークもテレビのニュースで知るだけ。
わたしにとっては心落ち着く恵みの雨です。(お出かけ予定の方にはゴメンナサイ)
雨の音を聞きながらブログを書こうと朝からPCに向かいました。
が、ハテ?
「go blogサービス終了のお知らせ」ってのが現れて、今年の11月で終了とのことです。
blogを始めたのは2006年、あれから20年近く近況を書いては沢山の方に読んで祈っていただきました。
blogのニックネームは【ルーク20060513】、愛犬ルークが亡くなった日にちなんで付けました。
一回目の投稿(2006年6月)はニックネームの由来、二回目は次男が一人暮らしを始めた時のことです。
手紙をそっと部屋に残して別れました。
その手紙もここにありました。
それが今日に繋がっているなんて驚きです。
どれを読んでいても「あゝ、そんなこともあったっけ」とグッと逼るものがあります。
ハテ、ハテ、どうしたものか。
日出海が天国に行っちゃってから平々凡々の日が続き書くことも少なくなったしぃー。
これを機にお終いにしようかしら。
新しいblogサービスに移行しようかしら。
新しいシステムに馴染むまでにはそうとうなエネルギー要るしぃ。
でも、ボケ防止の為にもチャレンジしようかしら。
なんて、あれこれ思案中です。
今朝のデボーションより
「主は絶えずあなたを良いもので満たし、
あなたを潤った園のように祝福してくださる。」(イザヤ58:11 現代訳)